2026/04/15 - 2026/04/15
31位(同エリア259件中)
かっちんさん
板橋区は東京23区の北西部にあり、成増付近は武蔵野台地です。
この台地から板橋区西部と埼玉県境を流れる白子川へ向かって、台地の合間を縫うようにいくつかの支流があり、現在川跡になっています。
「百々向川跡(すずむきがわあと)」は、周りが盛土して宅地化されており、川跡の横断も橋ではなく盛土した道になっているので、川跡に下りる階段が多い特徴があります。
「こいど川跡」は急な崖の下にある谷の地形です。
今日はNHK学園のスリバチ地形散歩「成増のスリバチ」に参加し、川跡を中心に歩きます。
案内役は東京スリバチ学会の皆川典久氏です。
なお、旅行記は下記資料を参考にしました。
・NHK学園市川スクール資料「東京スリバチ地形散歩~成増のスリバチ~」
・三井住友トラスト不動産のHP「東京都板橋区」
・国交省不動産情報ライブラリ「成増の地形情報」
・東武鉄道「成増駅」のHP
・鉄蓋工業「飛散防止鉄蓋、ステンレス製空気弁内蔵GLV型」
・いたばしデザイン同好会「成増暗渠探検マップ」
・板橋区民ニュース【板橋区赤塚史跡】景観まちづくりのまち歩きで「赤塚乳房大神」
・板橋公式HP「赤塚氷川神社」
・倶知安町「日本で一番古い安野式小型唐箕」
・東京大仏乗蓮寺のHP
・赤塚植物園のHP
・川崎市「地籍図根点の保全について」
・板橋区「公共基準点」
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
東武東上線「成増駅」
スリバチ地形散歩の集合場所です。
「成増駅」の開業は大正3年(1914)。
駅名の由来は、紀元前から人が住んていた土地で、古くは「石成村」と呼ばれていました。
この地の繁栄に貢献した旧家の墓に「永正年間に田中左京成益が美濃より一族をつれて移り住んだ」ことが記されており、この名前「成益」が「成増」と変化したものと思われます。
すぐ近くに東京メトロ「地下鉄成増駅」もあります。 -
「成増の観光情報」(板橋区観光案内板)
成増駅北側は台地になっており、台地の合間をいくつかの川が流れていました。
高台に菅原神社、氷川神社、赤塚城跡、乗蓮寺があり、谷に川跡があります。 -
「スリバチ地形の散歩コース」(NHK学園資料)
成増駅から出発し、百々向川跡(すずむきがわあと)、北野神社(菅原神社)、こいど川跡、氷川神社、郷土資料館、赤塚城跡、赤塚植物園、赤塚川跡を巡り、成増駅に戻ります。
歩く距離は6kmほど。 -
「成増の地形」(出典:国交省 不動産情報ライブラリに追記)
成増駅より矢印の方向に歩きます。板橋区は凸凹地形がよくわかるところです。
昔の川跡は、川の周りが盛土されて宅地化し、川を横断するには橋の代わりに盛土の道になっています。
川跡を歩くには横断している道から階段を下ります。
また、川跡が谷になっているところは急峻な崖の下を歩きます。
凡例は以下の通り。
・オレンジ色は台地。
・緑色は台地の縁などの傾斜地。
・うす茶色は台地の一般面上にあって、相対的に低い地形。
・オレンジ色の斜線(/)は盛土地。
・水色の斜線(逆/)は台地などの造成地のうち、切取りによる平坦地または傾斜地。 -
「成増駅北口広場」
駅改札口(2階)を出発すると北口広場になっています。
目の前にはスーパー「西友」、板橋区の施設「成増アクトホール」があります。 -
少し低い位置の「駐車場」(西友の北側)
ここに「百々向川跡」があったことが想像できます。 -
「百々向川跡(すずむきがわあと)」
駐車場左側の通りを進み交差している「成丘通り(なりおかどおり)」を横断すると、眼下に「百々向川跡」が見えます。
「成丘通り」は「百々向川」を盛土として造られた道なので、川跡へは階段を下りる必要があります。
川跡の先には、次の横断道があるので上り階段があります。 -
イチオシ
「百々向川跡の階段」
スリバチ地形散歩メンバーと階段を下ります。
川跡の右側は盛土により「成丘通り」と同じ高さの住宅地です。 -
「川に下りる梯子の跡」(百々向川跡の右側面)
-
「次の横断道」
川跡から階段を上がった横断道は、坂道の途中です。 -
再び「百々向川跡へ」
川跡の両側にマンションが続きます。 -
「上り階段」(百々向川跡)
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「百々向川緑道」(百々向川跡)
川跡は緑道として整備されています。 -
「下り階段」(百々向川跡)
-
階段途中にある「変わったマンホール」(百々向川跡)
調べてみると、これは蓋に穴が多く開いている飛散防止鉄蓋「GLV型」。
「GLV」とは、Grating(格子)、Lock(錠)、Valve(弁)の略称。
ステンレス製空気弁内蔵のGLV型は、集中豪雨による管内の圧力上昇で、鉄蓋が吹き飛び、事故につながるケースが多発しているので、管内に空気弁があります。
通常排気を行わない時は空気弁が閉じて、管内の騒音・悪臭が地上に漏れるのを防止しています。
管内の圧力が上昇した場合、空気弁が圧力で開き、蓋表面の格子型開口部(グレイチング)にて圧力を開放する仕組みです。 -
「天神下公園」
ここは「百々向川の谷」と呼ばれる低地となり、やがて旧白子川に注ぎます。
「天神」はこれから訪れる「成増天神(菅原神社)」のこと。 -
「菅原神社の参道」
「菅原神社」は高台にあります。 -
「鮮やかな色のツツジ」(菅原神社参道)
紫と赤のコラボ。 -
「菅原神社の鳥居」
-
イチオシ
「百々向川の谷」
参拝の前に台地にある菅原神社の西側から「百々向川の谷」を眺めます。
高低差は12mほど(マピオン地図より) -
「菅原神社を参拝」
別名は「北野神社」。 -
「道は下り坂」
次は「こいど川跡」へ向かいます。 -
「こいど川跡(下流側)」
歩いて来た坂の左側に見えます。
「こいど川(小井戸川)」は、旧白子川に注いでいました。 -
「五叉路」
歩いて来た坂は右上。
「こいど川跡(上流側)」は、正面3本道の真ん中で、歩いて来た坂を斜めに横切っています。 -
「こいど川跡」
上流へ向かって歩きます。 -
左側に「急な階段」(こいど川跡より)
「こいど川の谷」を歩いています。 -
右側に「垂直な壁」(こいど川の谷より)
壁の上に住宅があります。 -
道路面の境界標は「板橋区章」(こいど川跡)
区章はカナで「イタハシ」を表しています。
読めるかな?
「ハシ」は「ハ」が4(シ)個あります。 -
右側に「溝のある坂と階段」(こいど川の谷より)
-
イチオシ
左側に「坂と二段階段」(こいど川の谷より)
ここは成増4丁目。 -
「赤塚乳房大神」
「こいど川跡」を離れ、成丘通りの宮前公園前交差点を過ぎると赤塚4丁目。
ここは氷川神社参道入口の飛び地にあるケヤキ。
幕末から明治期にかけて活躍した落語家三遊亭円朝の「怪談乳房榎(ちぶさえのき)」の落語の舞台となっている「赤塚乳房大神」があります。 -
「氷川神社の鳥居」
氷川神社は、かつて樹木からなる社叢に囲まれていました。
昭和33年(1958)から始まった区画整理に伴う周辺の宅地化や、社殿改築によって、景観は大きく変わりましたが、参道並木は今もなお昔の面影を残しています。 -
「赤塚氷川神社富士塚」
参道の先にある「富士塚」。
ミニチュアの人造富士山がある富士塚への登山が、富士山登拝と同様の御利益があるといわれています。 -
参加者全員「富士塚」に登拝
-
「赤塚氷川神社」に参拝
御祭神は素戔嗚命(すさのおのみこと)と藤原広継命(ふじわらひろつぐのみこと)。 -
満開の「八重桜」(赤塚氷川神社)
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「ちょっとハンサムな狛犬」(赤塚氷川神社)
明治35年建立です。 -
「郷土資料館への道」
氷川神社から坂道を下り、板橋区立郷土資料館へ向かっています。 -
「郷土資料館への道」
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「ヤマブキとウメバチソウ」(郷土資料館への道)
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「旧田中家住宅」(郷土資料館)
郷土資料館の外に「旧田中家住宅」が保存されています。
建物は江戸時代の典型的な茅葺きを施した農家建築です。 -
「座敷」(旧田中家)
天井近くに神棚が見えます。 -
「畳敷きの座敷」(旧田中家)
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「石燈籠」(旧田中家)
石燈籠は、徳川家綱の没一年後に、大洲藩主加藤泰経が家綱霊廟前に献上した二基の燈籠のうちの一基。
右側に馬頭観世音。
左側の庚申塔は、赤塚三丁目七番の個人宅の造園の際、庭師により持ち込まれたもので、もともとの所在は不明。 -
「井戸小屋」(旧田中家)
昭和48年に大門の須田新次氏から寄贈されたもの。
「つるべ井戸」は、庭の東隅に掘られることが多かったようです。 -
「唐箕(とうみ)」(旧田中家の納屋)
江戸時代に中国(唐)から伝わった「唐箕」。
漏斗から落とした穀物に、風胴のハンドルを回して風を送ることで、軽いもの(ごみや空籾)と重いもの(穀物)を効率よく分けられます。 -
イチオシ
「昔の電気配線」(旧田中家の納屋)
天井に電線と碍子を使った昔の電気配線が使われています。 -
「漬物樽」(郷土資料館)
沢庵漬け用の大樽。
板橋区や練馬区は、江戸時代から練馬大根の生産地として有名で、大半は漬物として年間を通じて重宝されました。
この木製の漬物用大樽は、板橋区大門の漬物商が使用していたもので、別名「とうご」と呼んでいます。
この樽で大根4千本以上が入ります。 -
次は「赤塚城跡へ」
山道を登ります。 -
「赤塚城跡から下り階段」
赤塚城は武蔵千葉氏の城で、荒川低地に面し、東と西に大きく入り込んだ谷に挟まれた台地上にあります。
城として最適な地形とわかります。 -
「不動の滝」(東京大仏通り沿い)
不動の滝は、江戸時代に流行した富士詣・大山詣をはじめ、講と呼ばれる宗教的な集会に参加した人々によって、霊山登拝へ出発する際に心身を浄める水垢離(みずごり)の場として利用されてきました。
かつて板橋区内の崖線では、いたるところに湧水があり、生活用水や信仰の場として利用されてきました。
その多くは土地開発や宅地化によって消滅している中、不動の滝は継承されています。 -
「東京大仏通り東側の階段」
東京大仏通りは谷にあるので、両側が崖になっています。 -
「乗蓮寺」(東京大仏通り沿い)
東京大仏通りの西側にある「乗蓮寺」。
600年の歴史をもち、徳川将軍の「お鷹狩り」のお休み処となっていた寺です。 -
「東京大仏」(乗蓮寺)
阿弥陀如来の「東京大仏」。
住職若林隆道上人の発願によって建立され、昭和52年(1977)に開眼。
関東大震災、東京大空襲の犠牲者を供養するとともに、天災や戦災が二度と起きないようにとの願いが込められています。
完成したときには、奈良の大仏、鎌倉の大仏に次いで、日本で3番目の大きさでした。 -
「乗蓮寺」に参拝
しゃちほこが立派! -
次は「赤塚植物園」
板橋区立「赤塚植物園」は、武蔵野の面影を色濃く残す赤塚の丘陵地を活用し、昭和56年(1981)に開園。
万葉・薬用園には、万葉集に詠まれた植物や薬用植物が植えられています。
農業園は、主にこどもたちが農作業の体験を行う畑や、来園者に野菜の花や果樹などを観て楽しむことができるポタジュや果樹園などがある野菜植物園です。 -
「新緑と池」(赤塚植物園)
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「ボタン園」(赤塚植物園)
今が開花時期。 -
「シャガ」(赤塚植物園)
-
「赤堀川跡への階段」
植物園から赤堀川跡の谷へ下ります。 -
イチオシ
「谷へ下りる二つの階段」(赤堀川跡)
向き合う台地から谷へ下りる二つの階段。 -
イチオシ
「地籍図根点」(赤堀川跡)
「地籍図根点(ちせきずこんてん)」とは、地籍調査において各土地の筆界点(ひっかいてん、境界)の測量を行うために設置する基準となる点(基準点)です。
写真の点検口を開けると、ハンドホール内にコンクリート杭で地中埋設されている真鍮製鋲(しんしちゅうせいびょう)の基準点があります。
私は初めて見ました。 -
「垂直なコンクリート壁」(赤堀川跡)
手前の車庫は1階でしょうか。それとも地下2階?? -
「坂道と階段」(赤堀川跡)
坂道と階段は、とぢらが歩きやすいかな?
坂道は自転車用ですが。 -
「3つの階段」(赤堀川跡)
途中から右に曲がってる階段です。 -
イチオシ
「2つの階段」(赤堀川跡)
赤塚7丁目5から赤塚体育館通りへ出る階段。
階段が2つになった経緯を知りたいですね。
見た目では右側階段が緩やかかな。
この後、成増駅まで歩き、解散。
階段を沢山歩いたので、足がパンパンです。 -
昼食は「パスタ」(成増駅南口)
店の名前は「ブリオエース成増」。
ベーコン・シメジ・なめこ・ミニトマトのオリーブオイルベースパスタ。
いろんな野菜の味か楽しめました。
板橋区成増は台地、谷、川跡、階段など、盛り沢山の地形を味わいながら歩けます。
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