2026/04/10 - 2026/04/10
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松本伸雄さん
秀吉が築き家康が重視した石の城
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甲府駅前の武田信玄像
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稲荷曲輪側から入ります
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甲府城の本丸やその東方に連なる稲荷曲輪・数寄屋曲輪には、野面積みの高石垣が残る
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天守台へ 甲府城は、古くは甲斐府中城、一条小山城、赤甲城などとよばれていました。天正10年(1582)、甲斐国は戦国大名武田氏の滅亡後、織田信長の領国となりました
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山梨県にあった皇室の御料林が県に下賜されたことを記念して、大正時代に建てられた謝恩塔
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鉄門 本能寺の変のあとは徳川家康の支配をうけました
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鉄門横の石垣 その後、家康が平岩新吉に命じ、甲府城の築城が開始されたが、家康が関東移封となると、豊臣秀吉の命により、羽柴秀勝・加藤光泰らが築城を進め、浅野長政・幸長父子の手により完成をみました
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鉄門扉 慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの後、江戸時代には再び徳川の城となり、将軍の子弟が城主となりました
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外から見た鉄門 宝永元年(1704)、時の城主徳川綱豊が五代将軍徳川綱吉の養子となると、綱吉の側用人柳沢吉保が城主となりました
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中の門跡 武田氏にゆかりのある柳沢氏は、子の吉里にいたるまで20年間甲斐国をおさめました
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この間それまで城主が在城することがなかった甲府城で、御殿の新築や石垣の改修、城下町の再整備がおこなわれ、甲斐国は大いに発展しました
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日本庭園
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鍛冶曲輪門
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遊亀橋
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明治時代にはいると甲府城は廃城となり、明治10年前後には建物はすべて取り壊されました
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石切場跡
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水溜跡(水をためておく所
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稲荷曲輪門 稲荷曲輪と鍛冶曲輪を結ぶ門。切妻造で本瓦葺の高麗門
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築城前からあった庄城稲荷跡
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二重の石垣 積み直している
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城内の鬼門(北東)を守る 武具庫
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荒縄塗り
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稲荷曲輪の井戸
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山手渡櫓門 外側
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内側石垣
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山手門 内側
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山手渡櫓門 内側
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山手門
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藤村(ふじむら)記念館 要害山城のスタンプをいただきます
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武田信虎公の像 おわり
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