2026/04/13 - 2026/04/13
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スネフェルさん
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続百名城の鳥越城にやってきました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 3.5
- 交通
- 1.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
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国道360号線を走っていて、原町に入ったところで、案内板を発見
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案内板の近くには「仏御前」の屋敷跡が
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仏御前屋敷跡外観
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屋敷跡ではありますが、メインは墓石。
地元の方が大切に管理しているようで、綺麗に保たれています。 -
碑文のようです。
かろうじて「仏」の字は読めます。 -
仏御前の説明文。
仏御前は元々、ここ原町の生まれだったようです。
十四歳で京都で白拍子になり、平清盛の寵愛を受けた。
ただ、寵愛の切っ掛けが、それまで寵愛を受けていた祇王の紹介だった。
清盛の寵を仏御前に奪われ、祇王自身は出家して尼になってしまう。
そのことを知って仏御前自身も出家。
この辺の心理は当人しか知りえないだろうが、祇王と仏御前の関係性、行動は現代の「なろう系小説」の悪役令嬢モノに通じるものがある気がする。
結局、日本のサブカルのストーリーは日本の歴史・文化に引きずられている、というのを改めて感じます。 -
地図上の「仏御前阿弥陀堂」には何もなかったけど、少し山側に行ったところに「仏御前」と看板のある建物が。
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仏御前の説明文。
墓所と同様の説明文ですが、恐らく、ここに仏御前の像があるのでしょう -
碑文が立っています
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全く読めません・・・
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国道360号を走り、道の駅までやってきました。
その名も「一向一揆の里」 -
砦を意識したオブジェ
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二曲城跡の看板があるので、そちらに向かいます。
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二曲城跡もよりの駐車場に到着
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駐車場から城跡に向かう小道
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川はいい感じに整備されています
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「入口」ではなく、「登り口」となっているのが怖いですね・・・
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登り口手前は公園になっていました。
墓地公園だそうです。
墓地が公園??? -
田原中隊の顕彰碑です。
田原中隊は日中戦争で玉砕した部隊のようです。
説明文によると味方を救わんとして騎兵突撃を敢行したものの、四方を囲まれて全滅したようです。
その後、連隊規模の攻撃を敢行し、全員の遺体を収容っした、とも記載があるので、突撃による撃破はできなかったものの、味方の救援はできた、ということで、戦術目標達成に大きく貢献した、ということでしょう。
全滅した騎兵の数43、とあるものの、彼らが救った将兵の数は残念ながら記載されていません。
救った数を記載するのは軍隊としては「恥ずかしい」ことなのかもしれませんが、現代的視点では「救われた」将兵の感謝の念こそ貴重だと思いました。 -
田原中隊の慰霊碑
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銘に「鎮まり給え」としかない慰霊碑
おそらく一向衆にむけたものでしょう -
任誓という人の墓のようです。
碑文は読みずらいですが、任誓はここ鳥越村出身の仏僧のようです。
庶子(妾の子)だったので、実家は裕福であったでしょうが、農村での庶子の扱いは奴隷同然であったはずです。
11歳で本願寺の下僕になり、天和年間(1681~1684年)にここに戻ってきているので、一向一揆とは直接関係は無い人のようです。
鳥越は辺地で、小松の寺の配下にあったようですが、僧が常駐することなく、寺務を地元の人にやらせていた形式だったようです。
そこに任誓が入り、「僧」として活動したことで、小松などの大寺院と対立することになったようです。
最終的には大寺院の「僧」の讒言により、加賀藩にとらわれて獄死。
加賀藩が讒言に乗った一向宗につながる本願寺の出身だった、ということもあるのでしょう。
とはいえ、獄死してから400年経てもなお、地元の人に愛される人というのは知られざる偉人だとは思います。 -
任誓の碑とあるから正しくは墓では無く、顕彰碑でしょうか
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これはストレートな一向一揆衆への慰霊碑ですね
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なにやら庵が
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いわくのある庵のようで碑がありましたが、いかせん、説明文はありません
名前は平吉庵というようです -
二曲城跡への登り口。
雨が降ってたので、登ることはしませんでした。
まぁ。「クマ出没注意」にビビった、というのもありますが・・・ -
二曲城跡の説明文
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マンホールは「白山市」ではなく「鳥越」でした。
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二曲城跡の碑
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道の駅まで戻ってきました。
何やら碑文が。
田原中隊の碑がここにも。 -
田原中隊の別面には任誓の墓ともあります。
やはり、あの碑は碑文ではなく墓なんですね。 -
水が出ていましたが、任誓に由来する水のようです。
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さて、鳥越城に向かいます。
右手のうっそうとした山が鳥越城跡です -
入口にある碑と説明文
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天守の途中にある熊神社。
熊に遭遇しない様、お祈りしました -
駐車場に到着
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駐車場エリアにああった鳥越城跡の説明文と地図
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駐車場にあったトイレの掲示。
熊と蜂に注意・・・・
最強の害獣・害虫がいるエリアっすね・・・ -
鳥越城跡の解説文
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鳥越城跡の地図
熊が怖いので、本丸エリア付近から外れない様にします。 -
本丸へ向かう途中のあやめが池。
城の水場だったようです -
本丸への道は一部舗装されています
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一向一揆の碑でしょうか・・・
衆生苦しみ、を表しているような気が・・・ -
碑を越えて本丸エリアに向かいます
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後曲輪に通じる土塁
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空堀脇を通って本丸へ
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左手が本丸の土塁
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本丸の西側には郭があったようです。
遺構は殆ど残っていません -
桝形門(再現)
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桝形門の左右の石垣は再現でしょうか。
石のサイズが小さく、防御力は低そうです。 -
災害で土塁は破壊されたようです。
地震なのか、大雨なのか・・・ -
桝形門から本丸に入ります。
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本丸門跡
土塁と土塁の間に門があったようです -
本丸の遺構
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本丸の説明文。
炭化したコメと粟が出土した、とありますので食糧庫もあったのでしょう。
炭化は落城時によるものでしょう。
出土品に中国製の磁器もあった、とあります。
一揆というと貧しい農民が食い詰めて反乱を、というイメージになりがちですが、一向一揆はこの構図とは違うようですね。 -
本丸からの眺め。
大日川が形成した平野部が良く見えます。 -
ここの土塁も損傷していました
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望楼台跡。
櫓があったのでしょう。
この高さにさらに櫓を立てると遠くまでよく見えそうです。 -
二の丸方面に向かいます。
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二の丸。
それほど大きくはありません
堀も深くなく、本丸と二の丸が独立した防御拠点ではなく、連携した防御拠点だったのでしょう。
とはいえ、一方が陥落すると他方も簡単に陥落する構造ですね。 -
中の丸門
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中の丸門の表示。
小さい! -
中の丸門を外側から。
草木に埋もれているのが良い雰囲気です -
二の丸
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二の丸の説明文
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これ・・・が気になります。
早々に退散します。
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