2026/03/22 - 2026/03/22
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2013tomoさん
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写真は縄文ガイドツアーのガイドさんの縄文服衣装です。
麻袋を加工しその上に堀之内式土器の文様をデザインして衣装を
作ったそうです。
Primavera! また春がやってきました。
3月22日(日)、今日は3連休の最後の休日です。
今日は北国分駅迄足を延ばして第26回縄文体験フェスティバルを訪問して
みました。
堀之内貝塚は暖かい春の陽射しに満たされていて参加している大勢の方々
の歓声や子供たちの笑い声で輝いているようでした。
地元の縄文博物館で解説ボランティアをしているので近隣の縄文遺跡では
どのような解説をしているのかを体験することが主たる目的でした。
もう一つは現在近くの小学校の放課後ルームで紙芝居ボランティアをしているので今回のイベントで行われている紙芝居劇場を見学することでした。
実は昨年にこのイベントの中で紙芝居の実演を見て学習した経験が
あります。
今年も同じ実演者が紙芝居を実演されていてとても懐かしく感じました。
実演者の方も1年前の私との出会いを記憶されていて私も感激して
しまいました。
放課後ルームの紙芝居ボランティアも1年が経過しました。
今回の出逢いを通じて紙芝居の技術を成長させたいと思っています。
(縄文体験フェスティバルの内容)
開園時間10:00~14:00
<考古博物館>
1階:組みひも体験
屋外:キチンカーステーション
<堀之内貝塚>
※縄文ガイドツアー
縄文服コーナー
※火起こし体験
※弓矢であそぼう
竹細工であそぼう
クラフト体験
キャンプ用品展示
防災用品展示
<歴史博物館>
1階:火打ちコーナー
小展示:本山桂川と閑話叢書展
2階:工作
紋切り・お手玉あそび
拓本をとろう
紙芝居劇場
特別展示室
友の会50周年記念展
友の会コーナー
屋外:お花の販売
(各展示コーナーで同時並行的に行われています)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
-
10時前に北総鉄道北国分駅に到着しました。
駅から歩いて10分位で今日の縄文体験フェスティバル会場に
到着する予定です。 -
縄文体験フェスティバルのイベントスケジュールです。
各会場で同時並行的に行われているので私は優先順位に従って
効率よく回ることを試みてみました。 -
開場前には今日のイベントの立て看板がありました。
-
私はまず歴史博物館を訪れます。
-
受付には各月のイベントスケジュールが並べられています。
この受付の横には火打石体験コーナーが既に始まっていました。
子どもたちが火打石体験を楽しんでいました。
カチッ、カチッと火打石の乾いた音がするたびに鋭い火花が飛び散ります。
ボランティアスタッフの方々が子供達に火打石の使い方を指導していました。 -
2階には複数のイベント会場がありました。
遊びが中心となって楽しそうな会場です。 -
文化財(国指定)堀之内貝塚の説明です。
-
貝塚文化最盛期である縄文時代後期前半(約4000年前)から
貝塚文化衰退期の縄文時代晩期(約2500年前)にかけて形成された遺跡です。
貝層は東西に長く、長径225メートル、短径120メートルあり、
北西部を屈曲部とした馬蹄形(ばていけい)。
出土品は数多くありますが、なかでも土器は堀之内式土器と名付けられ、
土器編年のうえで縄文時代後期前半の標式土器になっています。
また、縄文時代晩期の出土品としては土偶破片、貝製腕輪など非実用的で
呪術的な品々があり、このころ「祈り」が人々の心に広まっていたことが
分かります。
貝層下からは縄文時代後期初めの住居跡が発見され、
そのほかに埋葬人骨も検出されています。
発掘された貝類や魚・獣骨から、当時の人々はアサリ、ハマグリ、イボキサゴ、
クロダイ、スズキ、イノシシ、ニホンジカなどを捕食していたと考えられますが、魚介類に限っていえば浅海や干潟で比較的容易に捕獲できるものが多く、
遺跡周辺の豊かな自然から恵みを得ていたと推測されます。
堀之内貝塚では明治時代以後何度も発掘調査が行われていますが、
その調査の過程は縄文時代文化研究の学史であり、貝塚文化の消長を知る
重要なものといえます。 -
歴史博物館の後は堀之内貝塚公園を訪れます。
私の今日の優先順位一番の縄文ガイド体験です。
受付では縄文衣装を着た受付の方がいましたので
身に着けている縄文衣装についてヒアリングしました。
麻袋を加工しその上に堀之内式土器の文様をデザインして衣装を
作ったそうです。
なわのベルトが縄文らしくて素敵だと思いました。 -
縄文ガイドの案内コースの説明があります。
堀之内貝塚の広場を中心として馬蹄形に貝塚があります。
この周囲を順番にAからDまでを案内ガイドさんの説明を聞きながら
歩いて回ります。
私は若いお母さんと小さな男の子(5歳くらいでしょうか)と一緒に
回りました。
男の子がどんなところに興味を示すのかが楽しみでした。
彼は歩きながら落ちている貝殻やドングリなどの木の実を拾い集めて
ビニール袋に入れていました。
「今夜の夕ご飯のおかずがたくさん取れたね。」というと得意そうな
笑顔を見せてくれました。
縄文時代の子供たちもお母さんと一緒に木の実を拾い集めていたかも
しれません。 -
堀之内貝塚公園の様子です。
自然の木々に囲まれた縄文遺跡がそのまま町の近くに
保存されていることは日本の歴史や文化を実際に体験する上で
素晴らしいと思いました。
今日は3連休の最終日ですので大勢の家族連れが縄文フェスティバル
を一緒に楽しんでいたした。 -
公園では各所でイベントが行われています。
縄文ガイドツアー
縄文服コーナー
火起こし体験
弓矢であそぼう
竹細工であそぼう
クラフト体験
キャンプ用品展示
防災用品展示 -
それぞれのコーナーで人だかりができています。
-
子どもたちが天幕に向かって何かをしているのが見えてきました。
-
「弓矢であそぼう」コーナーです。
段ボールでできた獲物たちに向かって弓矢を
打ち込んでいます。
力が弱くて矢が天幕迄届かない子供もいますが
弓が得意な子の矢は
「ブスッ!」と音を立てて段ボールの獲物を射抜いていました。 -
公園の森の近くに座って何かをしている子供たちが
いましたので近づいてみました。
これは「火起こし体験」コーナーです。 -
「火起こし体験」コーナーでは弓ギリ式発火具を使って
火おこしをしていました。
焦げた黒い木くずからモウモウと乳白色の濃い煙が出ています。
火種を育てるために柔らかな綿のような「火口(ほぐち)」
をかぶせて火吹き竹で静かに息を吹き込みます。
すると「前触れもなく」突然ボッと炎が燃え上がってきました。
図書館で借りて読んでいる
「縄文人になる!縄文式生活技術教本」(ヤマケイ文庫
関根秀樹氏著)で読んだのと同じです。
炎が出ると周囲の人から「ワ~ッ!」と歓声が上がりました。
堀之内貝塚でよみがえった縄文の炎です。
小さな女の子は煙が目に染みて痛そうでしたがお父さんが頑張って
炎を作り上げました。 -
縄文時代の親子もこのように火を作っていたと思うと胸が少し
熱くなりました。 -
縄文ガイドツアーの後は
私は歴史博物館に引き返し「紙芝居劇場」を
見学することにしました。 -
実は昨年にこのイベントの中で紙芝居の実演を見て学習した経験があります。
今年も同じ実演者が紙芝居を実演されていたとても懐かしく感じました。
実演者の方も1年前の私との出逢いを記憶されていて感激してしまいました。
昨年の4月から始めた私の放課後ルームの紙芝居ボランティアも1年が
経過しました。
今回の出逢いを通じて紙芝居の技術を成長させたいと思っています。 -
・紙芝居を読むゆったりとしたスピード
・会話の間の取り方
・登場人物の声音の使い分け
・「行徳の塩売り行商」のしぶい口上
・紙芝居の「抜き」の巧みさ
私の拙い1年の紙芝居体験からも演者の素晴らしさ
を強く感じることができました。
紙芝居を観ている(聴いている)子供たちの集中した背中から
「紙芝居ワールド」に吸い寄せられていることがわかります。
改めて紙芝居の深さを体験することができました。 -
お正月の「辻切り」展示コーナーです。
私はこの辻切りについての知識がありませんでした。
由来等については次の通りです。
「辻切り」とは、悪霊や疫病が集落に侵入するのを防ぐため、
村の出入り口にあたる四隅の辻を霊力で遮断する古くからの行事です。
この呼び名は、霊力によって辻を遮断することに由来しています。
辻切りの目的
辻切りは、村に悪霊や疫病が入ってこないように願う民俗習慣です。
村と山の境界や村と村の境には、魔や疫病を流行らせる神が出入りすると
考えられていました。
辻切りの方法
遮断の方法は地域によって様々です。
注連縄を張る: 道に注連縄を張ることで悪霊の侵入を防ぎます。
藁の大蛇: 藁で作った大蛇を村の出入り口に設置し、その呪力で悪霊を
追い払います。
千葉県では、10メートル級の大蛇が作られることもあります。
その他の飾り: 人形や魚介類(タコ、エビ)、草履などを吊り下げる
形態もあります。
辻切りの歴史と地域性
辻切りは室町時代から続く伝統行事とされ、
江戸時代には千葉県各地で行われていました。
特に千葉県北西部地域(佐倉市、市川市、船橋市、八千代市)を含む
千葉県各地で、現在も道切りに相当する行事が行われています。 -
黒曜石が展示されています。
説明書きには「白滝産黒曜石」を書かれています。
※北海道紋別郡遠軽町白滝は、日本最大の黒曜石産地!
遠軽町白滝では、北海道にマンモスゾウがすんでいた2万年以上前の遺跡から、
この黒曜石で作られた石器が大量に発見されています。
これらの黒曜石は遠くはるかな北海道の遠軽から運ばれてきたのでしょうか。
縄文時代の物流システムに興味がわいてきます。 -
矢じりのコレクションです。
弓矢と土器は縄文時代の2大発明品です。
これで縄文人は定住生活が出来るようになったそうです。 -
展示コーナーを歩いているとお骨が沢山ある写真が見えてきました。
これは姥山貝塚で発見された複数の人骨埋葬跡の写真です。 -
市川の貝塚群についての説明書きです。
-
堀之内貝塚の説明書きです。
-
姥山貝塚の説明書きです。
複数の人骨埋蔵の原因は「ふぐ毒」に当たったための
家族全滅という説もあると言われています。
昔も今も河豚は美味しいけれど食べるのは怖い魚です。 -
「博物館友の会」に説明がされていました。
創立50週記念展ということでボランティア活動が
充実していると思いました。 -
昭和50年に創立された歴史のある市川博物館友の会です。
-
市川の歴史・文化をこよなく愛する人達の想いの力で
今年もこのイベントが成功してるのだということが分かりました。 -
12時近くなってきたので最後に考古博物館を
訪れました。 -
入口には「古代米栽培中」という表示がありました。
※古代米とは、
現代の白米とは異なり、古代から栽培されてきた品種や野生種の形質を残した
イネの総称です。
主に赤米、黒米、緑米などがあり、精米せずに玄米の状態で食べられることが
多く、白米に比べてビタミン、ミネラル、食物繊維などの栄養素を豊富に含んで
います。 -
日本米の起源は、
中国の福建米(ふっけんまい)であろうとされています。
日本米を肥料をやらずに放っておくと、やや長く色が赤くなります。
日本の原始米は、おそらく赤米だったと考えられます。
赤長米(つまり福建米)が日本で栽培された時期は、
約3,000年ほど昔の縄文(じょうもん)時代でした。
少なくとも、今の福井県で栽培されていたことまではわかっています。 -
石器の原材料が展示されています。
-
磨製石器、打製石器、石刃。石錐等の
加工後の石器が展示されています。 -
千葉県と市川の遺跡マップです。
-
これは代表的な堀之内土器でしたか。
土器の上に描かれた「渦巻き模様」が気になります。
私は世界を旅行しながら各地でこの「渦巻き模様」に
出逢うことがあります。
英国博物館のケルティックスパイラル、アイルランドのタラの丘、
マルタ島のタルシーン神殿跡、中国蘭州の博物館、日本の縄文土器。
全世界的に分布しているこの「渦巻き模様」について何時か研究して
みたいと考えています(私に残された時間は少ないですが)。 -
これは縄文人の暮らしですかね?
なんだか私のイメージと違います。 -
姥山貝塚で発見された複数の人骨埋葬跡が展示されています。
-
姥山貝塚で発見された人骨埋葬跡の説明書きです。
-
竪穴住居に中を覗いてみると確かに複数の人たちが
倒れていました。
埋葬跡というより「ふぐ毒事件跡」のようにも見えます。
縄文時代に発生した悲劇でしょうか。 -
土器や土偶たちが展示されています。
-
「オッ!」翡翠の珠だ。
日本海側の姫川の翡翠がここまで旅をして来たんだ。
縄文時代の物流システムのダイナミズムを感じます。 -
縄文時代アクセアリーは呪術とオシャレが調和した存在
だったかもしれません。 -
埋葬された人骨です。
※伸展葬と屈葬の違い
伸展葬(しんてんそう)は、手足を折り曲げて埋葬する屈葬とは反対に、
身体全体を伸ばして埋葬する方法です。
屈葬は再生を願ったり、閉じ込めるたりという儀式的な考えがあるのに対し、
伸展葬は安置の姿勢と言われています。
屈葬されている遺体の中には石を抱いていたり縛られたりしている遺体
が多いことから、死者の霊が浮遊しないように、というのが最有力な説
とされています。
縄文時代に行われていた屈葬は、故人の身体を曲げて狭い空間に埋める
特徴的な埋葬方法でした。
当時の人々は、この姿勢に再生や安らぎの意味を込めており、
死者の霊を慈しむ思いが反映されていたと考えられています。
弥生時代になると、屈葬から一転して伸展葬が行われるようになります。 -
縄文人の下顎の歯です。
※縄文人は虫歯が多い
現代と食生活が違うし、道具のように活用していたなら虫歯は少なそう
という印象がありますが、近年の研究をまとめた書物によれば、
縄文人の虫歯発生率は8.2%と意外に多いのです。
理由は、縄文人が動物の肉だけでなく、クリなどの堅果類やイモなど根茎類
といった糖質を含む豊かな食生活を送っていたからだろうと考えられています。 -
弥生時代の環状集落です。
-
弥生時代には前方後円墳がありました。
※法皇塚古墳 豊富な副葬品が出土する古墳。
国府台二丁目の東京医科歯科大学構内に法皇塚古墳はあります。
六世紀につくられた全長63メートル、後円部径32メートルの前方後円墳で、
明戸古墳・弘法寺古墳・丸山古墳などの国府台の古墳群の中では最大規模
ということです。 -
土器の発達と多様化が説明されていました。
-
かまどが後からは甕(かめ)や米を蒸すのに使う
甑(こしき)が発見されています。 -
縄文時代に発明された土器も時代の変化に伴い
使い方によって様々な形に発達してきました。 -
土師器が展示されていました。
土師器と須恵器の主な違いは、焼成温度、色、硬さ、製造技術にあります。
土師器は低温で焼かれた赤褐色の土器で柔らかく、
須恵器は高温で焼かれた灰色の硬い土器です。 -
漢字や人物の顔が画かれた土器が展示されています。
-
下総国府跡は、現在の千葉県市川市国府台に位置する、
古代の下総国の中心地です。奈良時代に律令制のもとで設置され、
政治の中心である国庁や関連施設が集中していました。 -
国府(こくふ/こう)とは、奈良時代から平安時代にかけて、
各令制国に置かれた国司が政務を行う施設(国庁)を中心とした
都市のことです。国府は、その国の政治、司法、軍事、宗教の中心地でした。
国府の役割と機能
国府は、中央から派遣された国司が地方行政を執り行うための役所であり、
その所在地でもありました。国庁の他にも、国分寺や国分尼寺、総社などが設置され、地方統治の拠点として機能しました。 -
下総国府VR体験コーナーもありました。
次回、チャンスがあればチャレンジしたいと思います。 -
国司の食卓メニューです。
次の一般庶民の食卓メニューと比較すると
興味がわいてきます。 -
一般庶民の食卓メニューは国司と比較して
品数は少ないですが私が現在食べている朝食よりも
立派に見えます。 -
昔も「住んで、食べて、働いて、寝る」という生活パターンは
同じだったようです。 -
2階の通路から千葉県の海の変遷が見れました。
-
13万年前は千葉県は島でした。
-
「糞石」は面白そうです。
分析すると当時の人間はどのようなものを食べていたかが判るかもしれません。
でも狩猟犬のウンチでしたらとんでもないものを食べていたことになります。 -
堀之内土器が展示されています。
-
内側が丁寧に磨かれて水が漏れない工夫が施されています。
縄文人の知恵ですね。 -
海の中にあった遺跡です。
-
今回の訪問で数千年の時間を2時間程度で理解することは
不可能だと思いました。
しかし現場体験することで歴史の流れにある私の立ち位置を少しでも
感じることができて良かったと思っています。
楽しい縄文体験フェスティバルでした。
来年もチャンスがあれば訪ねてみようと思っています。
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