2026/03/14 - 2026/03/14
398位(同エリア427件中)
松本伸雄さん
山城唯一の現存天守が残る堅城
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男はつらいよ、第32作。寅さんが住職の代わりをしました
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此の階段も出ました
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伯備線を「やくも」が通過しました
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ふいご峠でマイクロバスに乗り換えて来ました
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瓦の破片
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中太鼓櫓。下太鼓櫓もあり本丸との連絡に使いました
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天然の岩盤と石垣の融合。真田丸のオープニングに使われました
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大手門跡。この城の歴史は古く、鎌倉時代の1240年に有漢郷の地頭に任じられた秋庭三郎重信により臥牛山のうちの大松山に砦が築かれたことに始まります
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東土塀 真ん中の線から左が現存です
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足軽番所
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三の丸から二の丸方向
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厩曲輪、馬がいました
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毛利氏の東方進出の拠点として、毛利氏が防長二国に退いてからも、備中国奉行として赴任していた小堀正次・政一(遠州)父子により修改築がなされた。
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右、五の平櫓。中、六の平櫓
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土塀。高梁市内のうどん屋の大将が、小学校の遠足で背中に瓦を背負って行ったと言ってみえました
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本丸東御門 本丸の勝手口
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二重櫓。南北2つの出入り口は、北は後曲輪に、南は天守裏に通じています
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番所跡
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後曲輪
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九の平櫓跡
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1927年、信野友春の研究によって城は注目を浴び、二重櫓の解体修理、天守の解体修理、土塀の修補がおこなわれ1941年には旧国宝に指定された。
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猫城主、さんじゅーろー、備中松山藩の藩士、新選組七番組組長の谷三十郎にちなみつけられた
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さんじゅーろーの勇姿
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標高430mの小松山山頂に建つ天守。現存する天守は1683年に水谷勝宗により修築されたものです
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本丸内で唯一の引戸で、常時、本丸内に人がいなかったことがうかがえる
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八の平櫓
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本丸
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天守西側の廊下
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狭間
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天守一階の囲炉裏、籠城時の調理や暖房に備えた
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北側に、舞良戸で仕切られた部屋が設けられている。中には一段高く唐戸で区切られた御社壇と呼ばれる神棚が見られる。
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装束の間、籠城時の城主一家の居室。床下に石が入っている
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急な階段
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天守二階の小屋組 おわり
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