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海外にまでその名をとどろかせる「松阪牛」で名高い三重県松阪市は、県庁所在地の津市と伊勢神宮のある伊勢市のほぼ中間地点に位置する土地で、豊臣秀吉の時代の天正16年(1588年)に蒲生氏郷が築いた松坂城の城下町が礎となっています。<br /><br />城下町の整備にあたった蒲生氏郷は、城の周りに武家屋敷を置き、その外側に町人町を配置する町づくり進め、道路沿いの敷地は敵が侵入した場合に備えて、ノコギリの歯のようにギザギザに区画することで見通しを悪くするなど、守りを固める工夫を凝らした町づくりを行いました。<br /><br />元和5年(1619年)、徳川家康の子である徳川頼宣を藩主とする紀州藩が成立すると、伊勢国の松坂、白子、田丸は、紀州藩が飛び地として領有する「勢州三領」となり、紀州徳川家の和歌山城下と松坂城下を結ぶ和歌山街道の要衝に位置する松坂には城代が置かれ、伊勢国内の領地を統治することとなりました。<br /><br />城の周りに配置された武家屋敷の中でも、裏門跡を出た先の三ノ丸にある御城番屋敷は、城を警護する「松坂御城番」という役職の武士(20人)とその家族が住んだところで、石畳の両側に美しく整えられた槇の生垣をめぐらせた、ひときわ目を引く武家屋敷が並んでいます。<br /><br />また、紀州藩士の同心クラスの屋敷が置かれていた一画(旧同心町)にも生垣をめぐらせた武家屋敷が連なっていて、江戸時代末期の建物が点在しています。

2025 松阪 武家町散歩

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2025/11/21 - 2025/11/21

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nao

naoさん

海外にまでその名をとどろかせる「松阪牛」で名高い三重県松阪市は、県庁所在地の津市と伊勢神宮のある伊勢市のほぼ中間地点に位置する土地で、豊臣秀吉の時代の天正16年(1588年)に蒲生氏郷が築いた松坂城の城下町が礎となっています。

城下町の整備にあたった蒲生氏郷は、城の周りに武家屋敷を置き、その外側に町人町を配置する町づくり進め、道路沿いの敷地は敵が侵入した場合に備えて、ノコギリの歯のようにギザギザに区画することで見通しを悪くするなど、守りを固める工夫を凝らした町づくりを行いました。

元和5年(1619年)、徳川家康の子である徳川頼宣を藩主とする紀州藩が成立すると、伊勢国の松坂、白子、田丸は、紀州藩が飛び地として領有する「勢州三領」となり、紀州徳川家の和歌山城下と松坂城下を結ぶ和歌山街道の要衝に位置する松坂には城代が置かれ、伊勢国内の領地を統治することとなりました。

城の周りに配置された武家屋敷の中でも、裏門跡を出た先の三ノ丸にある御城番屋敷は、城を警護する「松坂御城番」という役職の武士(20人)とその家族が住んだところで、石畳の両側に美しく整えられた槇の生垣をめぐらせた、ひときわ目を引く武家屋敷が並んでいます。

また、紀州藩士の同心クラスの屋敷が置かれていた一画(旧同心町)にも生垣をめぐらせた武家屋敷が連なっていて、江戸時代末期の建物が点在しています。

同行者
一人旅
交通手段
私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 武家町にやって来ました。

    武家町にやって来ました。

  • この辺りは、紀州藩士の同心クラスの屋敷が置かれていた旧同心町になります。

    この辺りは、紀州藩士の同心クラスの屋敷が置かれていた旧同心町になります。

  • 旧同心町には、生垣をめぐらせた江戸時代末期の武家屋敷が点在しています。

    旧同心町には、生垣をめぐらせた江戸時代末期の武家屋敷が点在しています。

  • まあ、一部の武家屋敷は生垣をそのままに、今風の建物に建替えられてはいますが・・・。

    まあ、一部の武家屋敷は生垣をそのままに、今風の建物に建替えられてはいますが・・・。

  • こちらは、大正4年に松坂城二の丸跡で創業した老舗割烹旅館です。

    こちらは、大正4年に松坂城二の丸跡で創業した老舗割烹旅館です。

  • 昭和4年(1929年)に現在地へ移転したそうで、松阪牛づくしのお料理が楽しめるそうです。

    昭和4年(1929年)に現在地へ移転したそうで、松阪牛づくしのお料理が楽しめるそうです。

  • 松坂の武家屋敷は、槇の生垣が特徴になっているようです。

    松坂の武家屋敷は、槇の生垣が特徴になっているようです。

  • 晒葺きの門を構えた武家屋敷です。

    晒葺きの門を構えた武家屋敷です。

  • 「松阪徳義社」は、明治維新後に生活に困窮した武士を救済するため、明治11年(1878年)に紀州藩第14代藩主である徳川茂承によって創設された団体です。

    「松阪徳義社」は、明治維新後に生活に困窮した武士を救済するため、明治11年(1878年)に紀州藩第14代藩主である徳川茂承によって創設された団体です。

  • 松の巨木がそびえる武家屋敷です。

    松の巨木がそびえる武家屋敷です。

  • こちらの武家屋敷は、明治から大正にかけて財界で活躍した実業家で、現在の公益財団法人原田積善会を設立した原田二郎の生まれ育った家です。

    こちらの武家屋敷は、明治から大正にかけて財界で活躍した実業家で、現在の公益財団法人原田積善会を設立した原田二郎の生まれ育った家です。

  • 公益財団法人原田積善会は、大正9年(1920年)に原田二郎が自己の全財産を投入して創設したもので、福祉分野、学芸・科学分野、災害支援、地方創生の4つを柱に助成事業を行っているそうです。

    公益財団法人原田積善会は、大正9年(1920年)に原田二郎が自己の全財産を投入して創設したもので、福祉分野、学芸・科学分野、災害支援、地方創生の4つを柱に助成事業を行っているそうです。

  • 現在、この建物は公益財団法人原田積善会から松阪市に寄贈され、平成24年(2012年)から一般公開されています。

    現在、この建物は公益財団法人原田積善会から松阪市に寄贈され、平成24年(2012年)から一般公開されています。

  • 旧同心町の町並みです。

    旧同心町の町並みです。

  • 薬医門を構えた武家屋敷です。

    薬医門を構えた武家屋敷です。

  • 横の道に回り込むと、2階の窓に木製の手すりが付けられているのが見えました。

    横の道に回り込むと、2階の窓に木製の手すりが付けられているのが見えました。

  • こちらのお宅は、建物全般的に晒葺きの屋根になっています。

    こちらのお宅は、建物全般的に晒葺きの屋根になっています。

  • 旧同心町の町並みです。

    旧同心町の町並みです。

  • こちらの武家屋敷には、「松阪花菖蒲発祥の地」の説明板が設置されています。<br /><br />一般的に「伊勢花菖蒲」と呼ばれている松阪花菖蒲は、この家に住んでいた紀州藩士の吉井定五郎氏が「野花菖蒲」を品種改良して生み出したのが起源とされ、江戸花菖蒲・肥後花菖蒲とともに日本を代表する古典園芸植物の一つになっています。<br /><br />ちなみに、松阪花菖蒲は昭和45年(1970年)に三重県の県花になっています。

    こちらの武家屋敷には、「松阪花菖蒲発祥の地」の説明板が設置されています。

    一般的に「伊勢花菖蒲」と呼ばれている松阪花菖蒲は、この家に住んでいた紀州藩士の吉井定五郎氏が「野花菖蒲」を品種改良して生み出したのが起源とされ、江戸花菖蒲・肥後花菖蒲とともに日本を代表する古典園芸植物の一つになっています。

    ちなみに、松阪花菖蒲は昭和45年(1970年)に三重県の県花になっています。

  • こちらのお宅は、塀は改修しても生垣は残しておられます。

    こちらのお宅は、塀は改修しても生垣は残しておられます。

  • こちらの武家屋敷は、立派な門だけ残して建物は解体されています。<br />では、この後松坂城跡の方へ向かいます。<br />

    こちらの武家屋敷は、立派な門だけ残して建物は解体されています。
    では、この後松坂城跡の方へ向かいます。

  • 旧同心町から松坂城跡へ向かう町並みです。

    旧同心町から松坂城跡へ向かう町並みです。

  • 建物の外壁にからまる蔦が紅葉を始めています。

    建物の外壁にからまる蔦が紅葉を始めています。

  • こちらは、現在の三重県立松阪工業高等学校の資料室として保存されている、明治41年(1908年)に建てられた旧三重県立工業学校製図室(通称:赤壁校舎)です。<br /><br />建築に際し、木造校舎の外壁が実験に用いる硫化水素の影響を受けないようにと、朱色に塗装されたそうです。

    こちらは、現在の三重県立松阪工業高等学校の資料室として保存されている、明治41年(1908年)に建てられた旧三重県立工業学校製図室(通称:赤壁校舎)です。

    建築に際し、木造校舎の外壁が実験に用いる硫化水素の影響を受けないようにと、朱色に塗装されたそうです。

  • こちらが三重県立松阪工業高等学校の正門です。

    こちらが三重県立松阪工業高等学校の正門です。

  • 旧三重県立工業学校製図室(通称:赤壁校舎)は、三重県内に残る貴重な明治時代の学校建築として、平日に一般公開されています。

    旧三重県立工業学校製図室(通称:赤壁校舎)は、三重県内に残る貴重な明治時代の学校建築として、平日に一般公開されています。

  • 松阪神社参道の鳥居です。

    松阪神社参道の鳥居です。

  • 松阪神社の参道から北へ分岐した辺りは、かつての松坂城三ノ丸だった所で、その一画に御城番屋敷が広がっています。

    松阪神社の参道から北へ分岐した辺りは、かつての松坂城三ノ丸だった所で、その一画に御城番屋敷が広がっています。

  • 石畳の道の両側には、美しく整えられた槇の生垣をめぐらせた御城番屋敷が並んでいます。

    石畳の道の両側には、美しく整えられた槇の生垣をめぐらせた御城番屋敷が並んでいます。

  • 御城番屋敷は、城を警護する「松坂御城番」という役職の武士とその家族が住んだところで、今も子孫の方々が居住されておられるそうです。

    御城番屋敷は、城を警護する「松坂御城番」という役職の武士とその家族が住んだところで、今も子孫の方々が居住されておられるそうです。

  • 槇の生垣の中の様子。

    槇の生垣の中の様子。

  • 御城番屋敷の町並みです。

    御城番屋敷の町並みです。

  • 槇の生垣の中でドウダンツツジが紅葉しています。

    槇の生垣の中でドウダンツツジが紅葉しています。

  • 御城番屋敷の町並みです。

    御城番屋敷の町並みです。

  • こちらは御城番屋敷の北側にある土蔵です。<br /><br />この土蔵は、松阪城内の隠居丸に建てられていた米蔵を移築したものだそうです。

    こちらは御城番屋敷の北側にある土蔵です。

    この土蔵は、松阪城内の隠居丸に建てられていた米蔵を移築したものだそうです。

  • 御城番屋敷の後は松阪城跡へ向かいます。

    御城番屋敷の後は松阪城跡へ向かいます。

  • ここが松阪城の裏門跡になります。

    ここが松阪城の裏門跡になります。

  • 裏門の横には、大きな常夜燈が立っています。

    裏門の横には、大きな常夜燈が立っています。

  • 石垣を背に立つ常夜燈。

    石垣を背に立つ常夜燈。

  • では、城内へ向かいます。

    では、城内へ向かいます。

  • 城特有の、折れ曲がった通路が続いています。

    城特有の、折れ曲がった通路が続いています。

  • こちらの門内には、江戸時代の著名な国学者として名高い本居宣長が12歳から72歳で亡くなるまでの60年間を過ごした町人町の自宅を移築保存した、本居宣長記念館があります。

    こちらの門内には、江戸時代の著名な国学者として名高い本居宣長が12歳から72歳で亡くなるまでの60年間を過ごした町人町の自宅を移築保存した、本居宣長記念館があります。

  • この階段を上がった左手に本丸跡があります。

    この階段を上がった左手に本丸跡があります。

  • 本丸跡へ上がってきました。<br /><br />見えている石垣は天守台になります。

    本丸跡へ上がってきました。

    見えている石垣は天守台になります。

  • 天守閣は寛永21年(1644年)に台風で倒壊したそうですが、その後再建されることはなく、石垣のみが残っています。

    天守閣は寛永21年(1644年)に台風で倒壊したそうですが、その後再建されることはなく、石垣のみが残っています。

  • 天守台に立つ天守閣跡の石標。

    天守台に立つ天守閣跡の石標。

  • 天守台から見下ろした本丸跡。

    天守台から見下ろした本丸跡。

  • 本丸跡から見下ろした本居宣長記念館と関連施設。

    本丸跡から見下ろした本居宣長記念館と関連施設。

  • 黄葉が美しいイチョウの向こうに、御城番屋敷の屋根が見えています。

    黄葉が美しいイチョウの向こうに、御城番屋敷の屋根が見えています。

  • 松坂城から望む市街地の景観。

    松坂城から望む市街地の景観。

  • 石垣の向こうに風情のある建物が見えているので、ちょっと行ってみます。

    石垣の向こうに風情のある建物が見えているので、ちょっと行ってみます。

  • 石垣の間を下りた先にあったのは、松阪市立歴史民俗資料館でした。<br /><br />この建物は、明治45年(1912年)に飯南郡図書館として建てられたもので、昭和53年(1978年)に新しい図書館が建てられたのを契機に「歴史民俗資料館」に改装したんだそうです。

    石垣の間を下りた先にあったのは、松阪市立歴史民俗資料館でした。

    この建物は、明治45年(1912年)に飯南郡図書館として建てられたもので、昭和53年(1978年)に新しい図書館が建てられたのを契機に「歴史民俗資料館」に改装したんだそうです。

  • 陽の光を浴びたモミジの紅葉がきれいです。

    陽の光を浴びたモミジの紅葉がきれいです。

  • 松坂城を一通りめぐって、御城番屋敷まで戻って来ました。

    松坂城を一通りめぐって、御城番屋敷まで戻って来ました。

  • では、このあたりで武家町の町歩きを終わります。

    では、このあたりで武家町の町歩きを終わります。

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