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以前から、訪れてみたいと思っていた、高幡不動尊金剛寺。<br />秋の紅葉の時期を待って、訪れました。<br />不動堂の「身代り丈六不動明王坐像」、奥殿の「重要文化財 木造不動明王及び二童子像」、大日堂の「鳴り龍天井」。とても印象的でした。<br />秋の気配に包まれた境内を散策し、すがすがしい気持ちになれました。<br />昼食に開運そばをいただき、お土産に高幡まんじゅうを購入。<br />よい秋の一日となりました。

紅葉の高幡不動尊金剛寺☆開運そば☆2025/11/19

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2025/11/19 - 2025/11/19

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杏仁豆腐

杏仁豆腐さん

以前から、訪れてみたいと思っていた、高幡不動尊金剛寺。
秋の紅葉の時期を待って、訪れました。
不動堂の「身代り丈六不動明王坐像」、奥殿の「重要文化財 木造不動明王及び二童子像」、大日堂の「鳴り龍天井」。とても印象的でした。
秋の気配に包まれた境内を散策し、すがすがしい気持ちになれました。
昼食に開運そばをいただき、お土産に高幡まんじゅうを購入。
よい秋の一日となりました。

同行者
一人旅
交通手段
JRローカル 私鉄
  • 京王線高幡不動駅下車

    京王線高幡不動駅下車

  • 駅前は高幡不動尊参道です。

    駅前は高幡不動尊参道です。

  • あまり人はいません。

    あまり人はいません。

  • 高幡不動尊と言えば、土方歳三。

    高幡不動尊と言えば、土方歳三。

  • 駅から2分で、高幡不動尊金剛寺に到着。

    駅から2分で、高幡不動尊金剛寺に到着。

  • 紅葉も楽しめそうです。

    紅葉も楽しめそうです。

  • 仁王門です。<br />重要文化財(室町時代)<br />楼上の扁額「高幡山」は江戸時代初期の運敞僧正「号泊如」の筆。

    仁王門です。
    重要文化財(室町時代)
    楼上の扁額「高幡山」は江戸時代初期の運敞僧正「号泊如」の筆。

  • 仁王尊は室町時代の作です。<br />阿形

    仁王尊は室町時代の作です。
    阿形

  • 吽形

    吽形

  • 仁王門の後ろ側には、「不動明王」の赤い提灯がさがっています。

    仁王門の後ろ側には、「不動明王」の赤い提灯がさがっています。

  • 裏側から見た仁王門。

    裏側から見た仁王門。

  • 水舎<br />蓮の花の上にお堂が置かれています。<br />珍しい形の水舎です。

    水舎
    蓮の花の上にお堂が置かれています。
    珍しい形の水舎です。

  •  宝輪閣(お札所)

    宝輪閣(お札所)

  • 宝輪閣の中には弘法大師塑像。

    宝輪閣の中には弘法大師塑像。

  • 菊の花で演出

    菊の花で演出

  • 秋です。

    秋です。

  • 不動堂です。<br />重要文化財(室町時代)<br />もともとは清和天皇の勅願によって山中にあったものですが、1335年の暴風雨により倒壊し、現在の場所に移建されました。

    不動堂です。
    重要文化財(室町時代)
    もともとは清和天皇の勅願によって山中にあったものですが、1335年の暴風雨により倒壊し、現在の場所に移建されました。

  • 中に入ると、高さ2.8mの不動明王像。<br />平安時代から不動明王坐像が安置され「高幡不動尊」と親しまれ、信仰を集めてきました。<br />不動明王像は、平成12(2000)年から14年にかけて行われた修復の際に建立された「身代り丈六不動明王坐像」で、本来の不動明王坐像は奥殿に安置されています。

    中に入ると、高さ2.8mの不動明王像。
    平安時代から不動明王坐像が安置され「高幡不動尊」と親しまれ、信仰を集めてきました。
    不動明王像は、平成12(2000)年から14年にかけて行われた修復の際に建立された「身代り丈六不動明王坐像」で、本来の不動明王坐像は奥殿に安置されています。

  • おびんずる様<br />なでなでしました。

    おびんずる様
    なでなでしました。

  • 不動堂は、東京都最古の文化財建造物です。

    不動堂は、東京都最古の文化財建造物です。

  • 五重塔

    五重塔

  • ひときわ目立つ五重塔は、塔高39.8m、総高45mで1980年に建てられました。

    ひときわ目立つ五重塔は、塔高39.8m、総高45mで1980年に建てられました。

  • 三手先出組、青銅瓦葺、平安初期の様式を模した美しい塔です。

    三手先出組、青銅瓦葺、平安初期の様式を模した美しい塔です。

  • 紅葉の時期の五重塔はきれいです。

    紅葉の時期の五重塔はきれいです。

  • 虚空蔵院<br />虚空蔵菩薩は無限の知恵と慈悲をもった菩薩で、13歳の子供が厄除けと開運をお祈りする十三参りの仏様として尊崇されています。

    虚空蔵院
    虚空蔵菩薩は無限の知恵と慈悲をもった菩薩で、13歳の子供が厄除けと開運をお祈りする十三参りの仏様として尊崇されています。

  • 五重塔は、どこから見ても映えます。

    五重塔は、どこから見ても映えます。

  • 日の光が射して、きれいですねえ。

    日の光が射して、きれいですねえ。

  • 秋の美しい光景。

    秋の美しい光景。

  • 大師堂<br />安永8年(1779)の大火以来230年ぶりに再建されました。

    大師堂
    安永8年(1779)の大火以来230年ぶりに再建されました。

  • あな嬉し 行くも帰るもとどまるも われは大師と二人連れなり<br />南無大師 南無大師遍照尊

    あな嬉し 行くも帰るもとどまるも われは大師と二人連れなり
    南無大師 南無大師遍照尊

  • 五輪塔

    五輪塔

  • 聖天堂<br />安永8年(1779)の大火以来230年ぶりに再建されました。

    聖天堂
    安永8年(1779)の大火以来230年ぶりに再建されました。

  • にこにこ地蔵

    にこにこ地蔵

  • 稲荷社

    稲荷社

  • 紅葉の赤が美しい

    紅葉の赤が美しい

  • 兄弟歌碑<br />野村清・宮柊二兄弟<br />うつせみの八十の老や杖ひきて紅葉ふみわけ暮秋の山<br />清<br />蝋燭の長き炎のかがやきて揺れたるごとき若き代すぎぬ<br />柊二

    兄弟歌碑
    野村清・宮柊二兄弟
    うつせみの八十の老や杖ひきて紅葉ふみわけ暮秋の山

    蝋燭の長き炎のかがやきて揺れたるごとき若き代すぎぬ
    柊二

  • 聳え立つ五重塔

    聳え立つ五重塔

  • 奥殿<br />千年ぶりの修復を終えた丈六不動三尊像を中心にたくさんの文化財を収蔵・展示する為の御堂で1階が展示室、2階が収蔵庫になっています。<br />

    奥殿
    千年ぶりの修復を終えた丈六不動三尊像を中心にたくさんの文化財を収蔵・展示する為の御堂で1階が展示室、2階が収蔵庫になっています。

  • 中には「重要文化財 木造不動明王及び二童子像」が見えます。

    中には「重要文化財 木造不動明王及び二童子像」が見えます。

  • 奥殿(寺宝展)に入りました。<br />7つの展示室をぐるりと巡ると、最後の部屋に鎮座しているのが重要文化財「木造不動明王像並びに両童子像」です。<br />本尊の大きさは1丈6尺(約2.8m)、総重量は1,100kgを超します。<br />すごい迫力でした。

    奥殿(寺宝展)に入りました。
    7つの展示室をぐるりと巡ると、最後の部屋に鎮座しているのが重要文化財「木造不動明王像並びに両童子像」です。
    本尊の大きさは1丈6尺(約2.8m)、総重量は1,100kgを超します。
    すごい迫力でした。

  • 上杉憲顕の墳<br />茶湯石。上杉憲顕は氏憲の子、享徳4年正月(1455年)足利成氏の軍と立川河原に会戦、深手を負い高幡寺に入り自刃しまた。自然石はその墓標で、俗間信仰に茶湯石(服石)と言い、百か日忌払い供養の伝承があります。(鎌倉大草紙)<br />堂の中には、中央に大きな自然石が納められています。

    上杉憲顕の墳
    茶湯石。上杉憲顕は氏憲の子、享徳4年正月(1455年)足利成氏の軍と立川河原に会戦、深手を負い高幡寺に入り自刃しまた。自然石はその墓標で、俗間信仰に茶湯石(服石)と言い、百か日忌払い供養の伝承があります。(鎌倉大草紙)
    堂の中には、中央に大きな自然石が納められています。

  • このあたりの紅葉もきれいです。

    このあたりの紅葉もきれいです。

  • 秋も深まり、紅葉を楽しめる頃となりました。

    秋も深まり、紅葉を楽しめる頃となりました。

  • 文永の板碑

    文永の板碑

  • 山門です

    山門です

  • この寺の風鐸の音濃あぢさゐ<br />皆川盤水

    この寺の風鐸の音濃あぢさゐ
    皆川盤水

  • 五部権現社<br />都有形文化財<br />寛文10年(1670年)

    五部権現社
    都有形文化財
    寛文10年(1670年)

  • 金剛寺の境内鎮守として創立されたもので、寺伝によると、源頼義が奥州反乱鎮圧に際し、ここに八幡社を勧請し、のちに稲荷、丹生、高野、清瀧権現を合祀して五部権現と称するようになったと伝えられます。<br />この五部権現社は、現存する棟札により、暦応三年(1340)に創建され、寛文十一年(1671)に再建された江戸時代前期の社殿として類例の少ない貴重な文化財です。<br />建物の構造は、一間社流造、銅版葺、向拝付きで、大きさは桁行1.52m、梁間1.30mあります。<br />木部全体に朱の漆が塗られ、彫り物の刻線には墨、さらには向拝蟇股には群青などの鮮やかな彩色が施されています。<br />社殿に安置されていた五基の神碑には、暦応三年(1340)二月二十八日造の銘があり、本地仏の垂迹神の名を刻し、国の重要美術品に認定されています。<br />なお、五部権現社殿は奥殿建設工事に伴い、平成八年大日堂前に移築されました。

    金剛寺の境内鎮守として創立されたもので、寺伝によると、源頼義が奥州反乱鎮圧に際し、ここに八幡社を勧請し、のちに稲荷、丹生、高野、清瀧権現を合祀して五部権現と称するようになったと伝えられます。
    この五部権現社は、現存する棟札により、暦応三年(1340)に創建され、寛文十一年(1671)に再建された江戸時代前期の社殿として類例の少ない貴重な文化財です。
    建物の構造は、一間社流造、銅版葺、向拝付きで、大きさは桁行1.52m、梁間1.30mあります。
    木部全体に朱の漆が塗られ、彫り物の刻線には墨、さらには向拝蟇股には群青などの鮮やかな彩色が施されています。
    社殿に安置されていた五基の神碑には、暦応三年(1340)二月二十八日造の銘があり、本地仏の垂迹神の名を刻し、国の重要美術品に認定されています。
    なお、五部権現社殿は奥殿建設工事に伴い、平成八年大日堂前に移築されました。

  • 大日堂へは、大玄関から入ります。

    大日堂へは、大玄関から入ります。

  • 大日堂は高幡山の総本堂です。 江戸時代安永8年の大火で焼失し、長く仮本堂のままでしたが昭和57年から5年の歳月をかけて根本改修工事が行われました。 <br />新堂は鎌倉時代様式で入母屋造り、本瓦葺・内陣総漆仕上で材は尾州檜が使われています。又大玄関は桃山時代様式です。有名な鳴り龍天井や優れた彫刻群、幽玄な内陣荘厳等の鑑賞ができます。<br />鳴り龍天井の響きは素晴らしかったです。

    大日堂は高幡山の総本堂です。 江戸時代安永8年の大火で焼失し、長く仮本堂のままでしたが昭和57年から5年の歳月をかけて根本改修工事が行われました。
    新堂は鎌倉時代様式で入母屋造り、本瓦葺・内陣総漆仕上で材は尾州檜が使われています。又大玄関は桃山時代様式です。有名な鳴り龍天井や優れた彫刻群、幽玄な内陣荘厳等の鑑賞ができます。
    鳴り龍天井の響きは素晴らしかったです。

  •  川澄祐勝句碑「鳴り止まぬ 塔の風鐸 天の川」

    川澄祐勝句碑「鳴り止まぬ 塔の風鐸 天の川」

  • 仏足石

    仏足石

  • 未来図は直線多し早稲の花<br />鍵和田釉子

    未来図は直線多し早稲の花
    鍵和田釉子

  • 大観音像

    大観音像

  • 鐘楼への階段<br />上がることはできません。

    鐘楼への階段
    上がることはできません。

  • 紫陽花も山紫陽花も法の山<br />清崎敏郎

    紫陽花も山紫陽花も法の山
    清崎敏郎

  • 六地蔵

    六地蔵

  • 六地蔵の隣には、藤蔵・勝五郎生まれ変わりゆかりの地記念碑

    六地蔵の隣には、藤蔵・勝五郎生まれ変わりゆかりの地記念碑

  • 墓地の中を進むと、藤蔵の墓があります。<br /><br />文政5年(1822)、高幡不動尊に近い村(多摩郡中野村)に住む勝五郎少年(当時8歳)が、自分の前世を知っていると語り出しました。<br />その前世は、同じくこの地域の隣村(程久保村)にいた藤蔵(とうぞう)という男の子。藤蔵は疱瘡にかかり6歳で亡くなりました。<br />勝五郎は、藤蔵の生まれ変わりとしてこの世に生まれたというのです。<br />勝五郎は、藤蔵としての記憶を詳細に語ります。<br />「我(前世の藤蔵)は六歳になりける時に死にたるが、後にこの家(勝五郎生家)の母の腹に入りて生まれたり」(平田篤胤『勝五郎再生記聞』より)<br />近隣の大人たちは最初は取り合わなかったものの、藤蔵の父である久兵衛に会いたいなど泣くので詳細を語らせます。その話をもとに隣村で藤蔵を亡くした久兵衛という人を訪ねてみたら本当にいて、両家の交流が実現しました。

    墓地の中を進むと、藤蔵の墓があります。

    文政5年(1822)、高幡不動尊に近い村(多摩郡中野村)に住む勝五郎少年(当時8歳)が、自分の前世を知っていると語り出しました。
    その前世は、同じくこの地域の隣村(程久保村)にいた藤蔵(とうぞう)という男の子。藤蔵は疱瘡にかかり6歳で亡くなりました。
    勝五郎は、藤蔵の生まれ変わりとしてこの世に生まれたというのです。
    勝五郎は、藤蔵としての記憶を詳細に語ります。
    「我(前世の藤蔵)は六歳になりける時に死にたるが、後にこの家(勝五郎生家)の母の腹に入りて生まれたり」(平田篤胤『勝五郎再生記聞』より)
    近隣の大人たちは最初は取り合わなかったものの、藤蔵の父である久兵衛に会いたいなど泣くので詳細を語らせます。その話をもとに隣村で藤蔵を亡くした久兵衛という人を訪ねてみたら本当にいて、両家の交流が実現しました。

  • この話を聞きつけたのが、国学者で神道家の平田篤胤。この勝五郎の話を詳細に記録し、「勝五郎再生記聞」という書物にまとめました。<br /><br />それによると、勝五郎は藤蔵の生前のことだけでなく、死後の葬祭の様子や勝五郎として生まれる胎児の記憶まで語っていたのが驚きます。<br />「息の絶ゆる時は何の苦しみも無かりしが、其の後しばしが ほど苦しかりき」<br />このほか、葬儀では桶から身体がはみ出して、山での埋葬では穴に桶ごと落として「其の音のひびきたること、心にこたへて今もよく覚えたり」と語っています。<br />また、勝五郎として生まれる胎児の記憶も語り、<br />「(母の)腹内にて母の苦しからむと思ふ事のある時は、側(わき)のかたへよりて居たる事のありしは覚えたり」<br />つまり、母が調子悪い時は、ちょっとわきへ寄っていたということだそうです。<br />こうしたことが書かれた『勝五郎再生記聞』は、平田篤胤によって当時の天皇に奏上され、都でも話題になったそうです。<br />勝五郎自身は、この縁で平田篤胤の弟子として勉強した後、地元で静かに暮らし明治2年(1869)に亡くなりました。<br />そして、その後明治30年、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンによってアメリカとイギリスに紹介されて、世界の「生まれ変わりストーリー」が研究される発端になったといわれます。

    この話を聞きつけたのが、国学者で神道家の平田篤胤。この勝五郎の話を詳細に記録し、「勝五郎再生記聞」という書物にまとめました。

    それによると、勝五郎は藤蔵の生前のことだけでなく、死後の葬祭の様子や勝五郎として生まれる胎児の記憶まで語っていたのが驚きます。
    「息の絶ゆる時は何の苦しみも無かりしが、其の後しばしが ほど苦しかりき」
    このほか、葬儀では桶から身体がはみ出して、山での埋葬では穴に桶ごと落として「其の音のひびきたること、心にこたへて今もよく覚えたり」と語っています。
    また、勝五郎として生まれる胎児の記憶も語り、
    「(母の)腹内にて母の苦しからむと思ふ事のある時は、側(わき)のかたへよりて居たる事のありしは覚えたり」
    つまり、母が調子悪い時は、ちょっとわきへ寄っていたということだそうです。
    こうしたことが書かれた『勝五郎再生記聞』は、平田篤胤によって当時の天皇に奏上され、都でも話題になったそうです。
    勝五郎自身は、この縁で平田篤胤の弟子として勉強した後、地元で静かに暮らし明治2年(1869)に亡くなりました。
    そして、その後明治30年、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンによってアメリカとイギリスに紹介されて、世界の「生まれ変わりストーリー」が研究される発端になったといわれます。

  • 目線を上に動かせば、燃えるような赤色。

    目線を上に動かせば、燃えるような赤色。

  • 高幡不動尊の境内から続く小高い山、愛宕山に登ってみます。

    高幡不動尊の境内から続く小高い山、愛宕山に登ってみます。

  • 秋の景色です。

    秋の景色です。

  • 鐘楼です。

    鐘楼です。

  • 鐘楼から見た五重塔

    鐘楼から見た五重塔

  • きれいな紅葉です。

    きれいな紅葉です。

  • 気候もほどよく、秋の散策が楽しめます。

    気候もほどよく、秋の散策が楽しめます。

  • 短い秋を楽しみます。

    短い秋を楽しみます。

  • 山中の散策路に沿って一番から八十八番まで順に並んでいる弘法大師像を巡ると、「四国八十八ヶ所霊場」を巡ったのと同じご利益があるそうです。<br />

    山中の散策路に沿って一番から八十八番まで順に並んでいる弘法大師像を巡ると、「四国八十八ヶ所霊場」を巡ったのと同じご利益があるそうです。

  • 「山内八十八ヶ所めぐり」は約1時間ほどで巡ることができるそうです。

    「山内八十八ヶ所めぐり」は約1時間ほどで巡ることができるそうです。

  • 景色を眺めながら歩きます。

    景色を眺めながら歩きます。

  • 爽快な気分になれます。

    爽快な気分になれます。

  • 見晴らし台からは、市街地が一望できます。

    見晴らし台からは、市街地が一望できます。

  • 山を下ります。

    山を下ります。

  • 山内経之供養塔<br />山内経之とは、南北朝時代に日野周辺を治めた地頭です。高幡不動尊の信仰が篤く、北朝方の武将として参加した常陸合戦で戦死したそうです。

    山内経之供養塔
    山内経之とは、南北朝時代に日野周辺を治めた地頭です。高幡不動尊の信仰が篤く、北朝方の武将として参加した常陸合戦で戦死したそうです。

  • 土方歳三像<br />1835年(天保6)、土方歳三は、石田村(現在日野市石田)で生まれました。<br />高幡不動尊金剛寺は、土方歳三の菩提寺です。

    土方歳三像
    1835年(天保6)、土方歳三は、石田村(現在日野市石田)で生まれました。
    高幡不動尊金剛寺は、土方歳三の菩提寺です。

  • 弁天堂

    弁天堂

  • 銀杏の葉も輝いています。

    銀杏の葉も輝いています。

  • 交通安全祈願堂<br />高幡不動尊は「交通安全祈願の本山」とも呼ばれています。

    交通安全祈願堂
    高幡不動尊は「交通安全祈願の本山」とも呼ばれています。

  • 門前の開運そばで昼食です。

    門前の開運そばで昼食です。

  • 喉が渇いたので、生ビール!<br />だいぶ歩きました。<br />いやー、生ビール、生き返りました。

    喉が渇いたので、生ビール!
    だいぶ歩きました。
    いやー、生ビール、生き返りました。

  • とろろざるそばをいただきました。

    とろろざるそばをいただきました。

  • とろろが美味しいです。

    とろろが美味しいです。

  • 開運の文字の焼き印付きの蒲鉾

    開運の文字の焼き印付きの蒲鉾

  • お土産に開運そばを買いました。

    お土産に開運そばを買いました。

  • 自宅で、美味しい蕎麦がいただけます。

    自宅で、美味しい蕎麦がいただけます。

  • 高幡まんじゅう松盛堂<br />大正7年(1918年)創業です。

    高幡まんじゅう松盛堂
    大正7年(1918年)創業です。

  • 高幡まんじゅうを買いました。

    高幡まんじゅうを買いました。

  • 北海道帯広産小豆100%、天然塩、自家製あん<br />美味しい饅頭です。

    北海道帯広産小豆100%、天然塩、自家製あん
    美味しい饅頭です。

  • 帰りは、多摩都市モノレール高幡不動駅がモノレールで立川経由で帰宅しました。

    帰りは、多摩都市モノレール高幡不動駅がモノレールで立川経由で帰宅しました。

  • 大日堂と奥殿の拝観券

    大日堂と奥殿の拝観券

  • 高幡不動尊金剛寺

    高幡不動尊金剛寺

  • 高幡不動尊金剛寺

    高幡不動尊金剛寺

  • 高幡不動尊金剛寺

    高幡不動尊金剛寺

  • 高幡不動尊金剛寺

    高幡不動尊金剛寺

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