2025/11/20 - 2025/11/20
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マリアンヌさん
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秋らしい晴天、どこか出かけようと前から気になっていた荻外荘(てきがいそう)に出かけました。
23区内でも駅から少し離れると森が残っていたりと意外な風景が広がりますね。
同じ週末、またも晴天に誘われて奥多摩に紅葉狩りに出かけました。クマに気をつけながら、人出のある道を散策しました。
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かつて「西の鎌倉・東の荻窪」と称された荻窪は、大正から昭和初期にかけて文化人や政治家が多く暮らした街。
荻外荘(てきがいそう)は、昭和前期の総理大臣・近衞文麿が暮らした東京都杉並区の旧邸宅。
以前から興味を持っていて晴天に誘われて外出した。 -
こちらは玄関だが、入口は別の場所だった。
思いの外、シニアの方々がいらして大混雑だった。
後で聞いたところによるとすぐ前の週末のTVの散歩番組で取り上げられたよう。 -
1927年に大正天皇の侍医だった入澤達吉の別邸として建築家・伊東忠太が設計した。
築地本願寺や一橋大学の兼松講堂を設計した伊東忠太という意味でも来てみたかった。
兼松講堂についての旅行記
https://4travel.jp/travelogue/11613717 -
近衞文麿が譲り受けてから「荻外荘」と名付けられ、国の史跡に指定された後、復原・整備を経て2024年12月に「荻外荘公園」として一般公開されたそう。
こちらは玄関から続く廊下。
上には、最後の元老 西園寺公望の筆跡による「荻外荘」の扁額が掛けられている。 -
建物の細部にわたる意匠。
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1927年に入澤達吉の別邸として、伊東忠太の設計で建てられた。当初は「楓荻荘(ふうてきそう)」と呼ばれていたそう。
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玄関から続く応接室は、中国風の意匠でまとめられてる。
格天井や窓の格子、照明など細部まで統一されたデザイン。 -
床は、伊東忠太がデザインしたといわれる龍の敷瓦。
螺鈿細工が美しい調度品。 -
窓の格子が斬新。床もシノワズリ。
入澤達吉の漢詩(中国の伝統的な詩)趣味も反映されたといわれている。 -
光が注ぐ広縁。
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菱形装飾のレトロなガラス戸が印象的。
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近衞文麿が座ってくつろいでいた椅子。
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とても気持ちの良いモダンな空間。
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いい雰囲気でしばし佇んで。
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客間は、第二次近衞内閣時の組閣直前に、日中戦争の路線方針を決める昭和15年(1940年)7月19日荻窪会談が行われた、歴史的な部屋。
荻窪会談:ドイツ・イタリアとの提携強化を含む第二次近衞内閣の基本方針が話し合われ、1940年9月27日の日独伊三国同盟締結につながった。 -
広縁にあるAR機能付きのタブレットを部屋に向かってかざすと、近衞文麿、後に総理大臣となる東條英機、外交を担った松岡洋右など荻窪会談の様子が浮かび上がる。
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食堂。
創建時の居住者である入澤達吉は、この邸宅を、客人を招くための場所にしたいと考え、食堂には、来客をもてなすための大きなテーブルと多くの椅子が置かれたそう。 -
腰壁も様々。
左上:二羽の鳳凰が向かい合った双鳳文様。
右上:鶏のトサカを花のようにあしらった鶏頭文様。
下の2つは、洋室の壁紙。 -
書斎。
第二次世界大戦終戦後に戦犯容疑をかけられた近衞が、出頭当日の早朝に自決をしたという場所。 -
別棟。
近衞文麿が住み始めた後の昭和13年(1938年)に増築された。近衞の長男・文隆の書斎や妻・千代子の部屋があり、屋根裏に残されていた棟札には、「当主 近衞文隆」と記されている。
近衞文隆は昭和15年(1940年)に出征し、終戦後はシベリアに抑留され同地で死去。シベリアから家族に宛てた手紙には、帰国後は荻外荘に戻りたい旨が書かれていたそう。
私の叔父もシベリア抑留で亡くなっていることを思い出した。 -
広縁の上の意匠も素晴らしい。
屋敷内には、蔵も。 -
荻外荘展示棟。室内撮影禁止だった。
建築家・隈研吾氏設計とのこと。
2階が展示、1階は和菓子カフェだった。 -
そして近くの大田黒公園へ。
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大田黒公園は、音楽評論家・大田黒元雄(1893-1979)の屋敷跡を杉並区が回遊式日本庭園として整備し、1981年に開園したものだそう。
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大田黒元雄(1893-1979)とは? HP より。
東京生まれ。
「日本における草分け的な音楽評論家。
県立小田原中学校(現·小田原高等学校)を卒業後、東京音楽学校(現·東京藝術大学)にてピアノをハンカ・シェルデルップ・ペツォルトに師事。1912(大正1)年にロンドン大学に留学するも、1914(大正3)年に第一世界大戦開戦のため帰国する。執筆活動を開始し、日本では知られていない作曲家を多く紹介。ドビュッシーやストラヴィンスキーは大田黒が日本で初めて紹介したとされている。」 -
荻窪とは思えぬ風情。
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少し紅葉してきたかな。
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竹林も美しい。
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敷地内にある西洋風建築物は、1933年に大田黒氏が仕事部屋として建てたもので、現在は記念館として無料公開している。
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大田黒が愛用していたスタインウェイ社の1900年製造のピアノ越しには竹やぶが見える。
英国の調度品。壁のタイルやガラスの彫り物も素敵。 -
ちょっとコーヒーブレイク。
イエメン産珈琲とチーズケーキを選んだ。
オーダーしてから豆をひいてくれるので香りが引き立ち美味しかった。 -
そして荻窪から阿佐ヶ谷まで散歩して、先週訪れたお気に入りのカフェを再訪。
Au Détour café et brocante -
チョコのマドレーヌと塩キャラメルラテマキアートをいただいた。美味しかった。
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完璧なアンティーク空間、好きなだけに再びパチリ。
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ルノアールの画集がさりげなく。
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寛いで長居して抹茶ラテをいただいた。
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同じ週末、晴天に誘われて奥多摩に紅葉狩りに出かけました。JR御嶽駅からバスでケーブル下へ。
そしてケーブルカーで御岳山駅へ。 -
御岳山駅。
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御岳山駅の広場からの景色。
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この標高だと真っ赤だね。
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参道を歩いて行きます。
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紅葉が色づいている。
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秋ですねぇ。気持ちのいい散策。
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常緑樹の道も行きます。
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光に透ける赤。
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青空に紅葉が映える。
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まだまだ歩きます。
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廃業したような土産店、懐かしい佇まい。
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御岳の神代ケヤキ。
参道の途中に鎮座している巨木で、日本武尊が東征の際に植えたという伝説が伝えられているそう。 -
手水鉢でお清めして階段を上がります。
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黄色の紅葉が綺麗。
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グラデーションが美しい。
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拡大して。
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左右の木々が色づいている。
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真っ赤な紅葉もある。
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光に映えて美しい。
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真っ赤ですね☆
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ホントに綺麗。しばし鑑賞。
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武蔵御嶽神社に参拝。
ケーブルカーの御岳山駅からは徒歩で20分ほどだった。 -
山々が見渡せる素晴らしい景色。
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大口真神社(おおぐちまがみしゃ)
日本武尊が山中で狼に救われ、この地を守れと「おいぬさま」諸災よけの神と崇められた。「老いぬ」にかけて健康長寿の神でもあるらしい。アンチエイジング祈らないと(笑)
黒くて綺麗な社は、常磐堅磐社(ときわかきわしゃ)。
拝殿奥の本殿の素晴らしい造り。 -
それでは、下ります。
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途中で見えた景色。
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ケーブルカーを下ると、バスが来るまで30分ほど、それなら徒歩で行こうと歩き始めた。
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多摩川まで下りて来た。
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吊り橋には、外国人の方がいらした。奥多摩まで良く来るなぁ。
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そして歩くこと40分ほどで店に到着。
奥多摩リバーサイドカフェawa -
ここも綺麗な紅葉。
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平日のせいか空いていた。
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紅葉を見ながら、ローストビーフをいただいた。
少し味が濃かったかな。 -
その後、2組のお客は外の席で休んでいた。
皆さんおそらく車でいらしていたでしょう。私は引き続き歩いて御嶽駅へ。 -
すでに15,000歩ほど歩き少し疲れたのでそのまま電車に乗ろうかなと思いつつ、後少し隣駅まで御嶽渓谷を散歩することにした。
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ここでもクマに気をつけながら、比較的多くの人が歩いているのを確認して進むことに。
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川沿いも赤く色付いていた。
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紅葉が川面に映る。
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黄色の木々。
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気持ち良く散策。
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カフェのようだった。
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ここのカフェは以前立ち寄ったことがある。
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見事な紅葉。
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まさに紅葉狩。
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垂れ下がる枝が良いよね。
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黄色の蔦の窓。
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イチオシ
橋が見えて来た。
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清流ガーデン 澤乃井園。
人気スポット、観光客で賑わっていた。 -
この橋も人気。
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橋の脇のカフェ、眺めが良いのよね。以前寄ったけど今はボトルにコーヒー入れてきてお腹いっぱいなのでスルー。
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ここもかなり赤い紅葉。
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せっかくなので 澤乃井園で酒粕を購入した。
近場で小さな秋を楽しんだひとときでした。
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