2024/10/22 - 2024/10/22
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wabisabi2さん
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今回の目的地、津島神社は御船町山屋敷に鎮座します。
現地へは、前回掲載した青木原神社から県道11号線を約1km北上、御船こども園の前で左折し、園の西隣に鎮座します。
園の前の道は幅員の狭い一方通行で、駐車余地がないので、こども園の駐車場に止めさせてもらいました。
- 旅行の満足度
- 2.5
- 観光
- 2.5
- 交通
- 2.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
今回の目的地、津島神社は御船町山屋敷に鎮座します。
現地へは、前回掲載した青木原神社から県道11号線を約1km北上、御船こども園の前で左折し、園の西隣に鎮座します。
園の前の道は幅員の狭い一方通行で、駐車余地がないので、こども園の駐車場に止めさせてもらいました。
上は使い回しの明治と現在の御船町の地図で、鎮座地は赤枠部分になります。
この御船町、室町地時代には北を流れる御船川右岸に御船城が築かれ、江戸時代には御船村の南部を東西に飯田街道、南北に岐阜県柿野や明智に繋がる街道が通るなど、戦略・物流の要衝でした。
これからの時期、香嵐渓の紅葉が見頃を迎えると名古屋方面からの車が増えますが、昭和47年に開通した猿投グリーンロードは当初片側1車線で、足助から力石周辺は酷く渋滞したものです。
当時、渋滞を避けて矢作川沿いの県道11号線を走ると、御船町で名鉄三河線の踏切が唐突に現れ、滅多に降りないはずの遮断機が下りたりすると、とても残念な思いをしたものです。
猿投から枝下、広瀬を経て西中金まで結んでいた名鉄三河線ですが、2004年には廃線となり踏切はなくなりましたが、津島神社の西にある「ふれあい公園」には当時の「三河御船駅」のプラットホーム、津島神社のすぐ南には線路が残されており当時を忍ぶ事も出来ます。
津島神社前の細い道は一方通行なので、参拝後は道なりに西に進みますが、その途中の左側にその線路を見ることができます。 -
こども園の西隣に津島神社へ続く参道があり、神社はこども園の裏側に鎮座します。
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北側に御船川を見下ろす高台にある社頭は、石の明神鳥居を構え、鳥居左に手水舎があり、右に広がる境内の奥に社殿が建てられています。
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扁額は「津島神社」。
鳥居は平成元年(1989)に寄進されたものでした。 -
社殿全景。
切妻屋根の覆屋は、手前の軒に柱が追加され伸びやかに延長されています。
境内には由緒はなく、愛知県神社庁や西加茂郡誌に目を通しましたが、創建時期など詳細は分かりません。
鳥居が寄進された平成元年(1989)に創建された神社かなと決め込んでいましたが、昭和39年(1964)の航空写真を見ると、当時はこの辺りの雑木林の造成が進み、昭和54年(1979)に園の姿が現れ、園の西隣に参道らしき道と、正面に少し開けた場所が見られるだけで、園の後方は造成前の状態でした。
平成元年以前から、参道の正面に神社は鎮座していた可能性があります。
この園の建設時期を調べていた際、津島神社の記述を見付けました、下がその内容です。
「津島神社は、御船町山屋敷の御船こども園に隣接した高台に祀られ、古くから住民に「お天王さん」と呼ばれ親しまれている。
祭神は、須佐之男命(すさのうのみこと)。
昭和58年(1983)に御船保育園(御船こども園)園舎改築に伴い、現在の位置に移し、新たに本殿を新築した。
祭礼は毎年7月に盛大に行われている。」とありました。
園の建設時期や神社の創建時期は分からなかったが、改築に伴い社殿が動かされたようで、それが落ち着き、鳥居が寄進されたのが1989年という事だろう。 -
覆屋正面の眺め。
軒が延長され、向拝柱の提灯屋形があることで、普通の切妻屋根に比べると優雅に見えます。
神社の創建時期は定かにはなりませんが、少なくとも昭和以前から、御船の除災のため祀られた神社のようです。 -
向拝柱の木鼻飾り。
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覆屋内の流造の本殿。
祀られるのは須佐之男命、神仏分離後の創建だろうか? -
覆屋側面から境内の眺め。
7月の祭礼には、赤い提灯を手にした町内の子供達による、ちょうちん行列が催されるそうです。
祭礼を通じて子供なりに神社と接し、地域の子や大人とも交流が芽生えていくのだろう。 -
覆屋側面から境内の眺め。
7月の祭礼には、赤い提灯を手にした町内の子供達による、ちょうちん行列が催されるそうです。
祭礼を通じて子供なりに神社と接し、地域の子や大人とも交流が芽生えていくのだろう。 -
境内から社頭の眺め。
少し前まで、正面に見える藪の中を、山線の電車が西中金に向け走っていました。
県道の踏切は埋められ、味のある矢作川橋梁を渡る電車の姿も見られなくなると、車ばかりで一度も電車乗らなかった者が言うのもなんですが、それはそれで残念な思いもあります。
名鉄三河線山線が足助まで伸びていたとして、廃線の流れは止まらなかっただろう。
橋梁のその後や枝下や広瀬の廃駅巡りでもしてみようかな。
津島神社
創建 / 不明
祭神 / 須佐之男命
境内社 / ・・・
祭礼 / 7月:ちょうちん行列
所在地 / ??豊田市御船町山屋敷??
参拝日 / 2024/10/22
車アクセス / 青木原神社から???県道11号線を約1km北上、御船こども園方向に左折、こども園北側の津島神社まで移動時間1~2分???。 -
次の目的地御船 八柱神社は、上で記載した御船 津島神社から県道11号線を5分程北上した御船町宮入の御船川左岸の里山に鎮座します。
写真は御船町の田園地帯を東海環状自動車道の高架が延々と伸びています。
高架が視界を遮り、先を見通せませんが、八柱神社はこの先にあります。 -
田園地帯の東に、八柱神社が鎮座する森と鳥居が見えてきます。
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社頭全景。
左に由緒書き、右に八柱神社社標が建てられています。
里山の森の入口に鳥居があり、社頭に見上げるばかりの神社幟が立つ光景を想像すると、日本の原風景の佇まいが感じられる。
右手の道路を進んだ右側に広い参拝者駐車場があるのでそちらに駐車できます。 -
この日訪れた神社の中で2社目の八柱神社です。
今年は猿投山に鎮座する猿投神社を参拝しようと決め、その前に山麓の神社を参拝しておこうと始まりました。
周辺を回ってみると、実に多くの八柱神社が鎮座しており、いつしか八柱神社巡りの様相になってきました。しかし八柱神社が多い背景は未だに分かりません。 -
社頭の解説。
「御船八柱神社 御船町宮ノ入。
御船町東部の高台に位置し、祭神は天照大神の8人の御子で八柱神社として祀られている。
創立年代や由緒など残されていないが、口明塚に始まり御船川沿いに定住した先人達が集落が大きくなるにつれて、この地に鎮守の神として神社を創建したと言い伝えられている。
木札による実証として、鳥居は宝暦2年(1752)を始めとして7度改築されている。」 -
鳥居から境内の眺め。
境内は、左に社務所、参道正面が舞殿、本殿、右に忠魂碑、開拓碑が建てられています。
境内には太い切り株や年輪を重ねたアベマキやツガの大木が聳えています。 -
石の明神鳥居に掛けられた扁額は「八柱神社」。
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境内右手の土地改良碑と奥に忠魂碑と戦後記念碑。
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土地改良碑碑文。
?梅雨前線がもたらした「昭和47年7月豪雨」は、西三河山間部の中小河川の決壊や山・がけ崩れを引き起こし、小原村、藤岡村、豊田市、足助町などで多くの犠牲者並びに家屋やインフラに深い爪痕を残す大災害となりましたが、そこからの復旧の苦労が記されています。 -
境内右から八柱神社社殿の眺め。
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舞殿は入母屋瓦葺の妻入りで四方吹き抜けのもの。
鬼には「神」の一字が入れられ、妻壁には横たわる龍を描いた装飾瓦が入れられている。 -
舞殿から中門の眺め。
ひな壇のように本殿域が築かれ、下の段に狛犬と常夜灯、上段に金鯱が飾られた中門が見えます。 -
左から眺める本殿域。
横長に長い本殿域の中央に本殿が鎮座し、後方は杜に包まれています。 -
本殿域の左端に、二宮金次郎像が建てられている。
勤勉・勤労の象徴として、後の二宮尊徳の功績を称え、昭和初期にブームとなり、小学校の校庭に建っていたものですが、校舎の老朽化や世の中の考え方の移り変わりから、徐々に消えゆく存在となり、街中では見ることも少なくなりました。 -
本殿に続く石段の右に聳え立つツガの大木。
樹齢調査はされていないようですが、ツガの成長は比較的遅いとされ、胸周り2㍍と表記されているので、直径約0.6㍍のツガの樹齢は、優に人一人の寿命は越えるもので、名木に値するものかもしれない。 -
石段脇の由緒、内容は以下。
「八柱神社由緒。
天之忍穂耳命、天之穂日命、天津日子根命、活津日子根命、熊野久須毘命、多紀里比売命、市寸嶋比売命、多岐津比売命。
境内社
氏神社 猿田彦命。
弁財天社 多紀里比売命、市寸嶋比売命、多岐津比売命。
磯神社 少名彦命。
荒神社 祭神不詳。
山神社 大山祇命。
忠魂社 護国の英霊。
概歴
天照大御神の御子五男三女神を祀り、創祀の年代は不詳ではあるが、御船の里が縄文時代より安住の地として栄えてきた事は、近在に古墳群を有し、近くに御船城趾がある事から見ても、相応の歴史を経、その守護神として氏子の信望厚く、子々孫々に亘り祀られ現在に至る。
例祭は毎年10月吉日を以って斎行され、町内安全守護、氏子の健勝を祈願する。」
具体的な沿革こそ記されていないけれど、地史を調べても、社頭の解説にあった「鳥居は宝暦2年(1752)」、以上のトピックスはないものとして見てはいません。
参考までに愛知県神社庁の同社の解説だけは見てみると以下内容でした。
「所在地 豊田市 御船町宮ノ入8番地。
祭神 (由緒に準じる)
氏子域 御船町。
例祭日 10月第1日曜日。」とあった。 -
本殿域。
中門の金鯱と本殿の4本の鰹木と外削ぎの千木が良く見えます。
狛犬の前の常夜灯は大正元年(1912)の寄進年が刻まれています。 -
石段正面から狛犬と本殿域の眺め。
-
お世辞にも端正な風貌とはいえない狛犬は、年代は見ていませんが、こちらも大正時代に寄進されたものでしょうか。
-
中門から続く白壁が本殿域を取り囲んでいます。
全体が比較的綺麗な状態なので改修後年数を経ていないようです。 -
祭神は天照大神と建速須佐之男命の誓約から誕生した8人の御子。
棟持ち柱が見えるので神明造と思われ、本殿前には小さな狛犬の姿が見えます。 -
外から本殿域の様子は全く見る事はできません。
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社殿左に4社が祀られています。
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社殿右には2社が祀られ、由緒にあるように6社がここに祀られています。
いずれも社名は刻まれていますが、読み取れなかったり、紙垂に遮られ、唯一読み取れたのは右の氏神だけでした。 -
神門から境内の眺め。
境内左に聳えるのがアベマキで、こちらも豊田市の名木に指定されるもの、樹高は20㍍あるようです。 -
舞殿から社頭の眺め。
広い境内、収穫の秋の祭礼には豊作を感謝する地域の人々で賑わうことでしょう。 -
境内から社頭の眺め。
鳥居は記録の残る宝暦2年(1752)以降、代々受け継がれ、現在の鳥居は昭和3年に寄進されたものでした。
御船川にかけて田畑の広がる長閑な光景に、無機質な高速道路の橋梁は浮いて見える。
御船 八柱神社
創建 / 不明
祭神 / 天照大神と建速須佐之男命の誓約から誕生した8人の御子
境内社 / 氏神社、弁財天社、磯神社、荒神社、山神社、忠魂社
祭礼 / 10月第1日曜日
所在地 / 豊田市御船町宮ノ入8
参拝日 / 2024/10/22
車アクセス / 御船 津島神社から県道11号線を北上、東海環状自動車道の高架を右折、御船川を渡った前方、移動時間5分。
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