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《2025.August》あみんちゅ風鈴の奏でる音色を探す旅滋賀そのⅡ~甲賀風鈴まつり前編~<br /><br />お盆の中日となる今日も暑さで強制起床となった。しかしNo Planで迎えたことには変わりなく、近場で開催されている〝風鈴まつり〟イベントを探す。滋賀県甲賀市、三重県と県境を挟んで接する場所は我が街石山からは約50km弱離れている。新名神高速道路を利用すれば40分程で到着できるが、無計画だったので敢えて一般道を利用してみた場合でも1時間程で行くことができることが判明し、早速出かけることにした。せっかくならば途中旅行貯金をするための郵便局をコースに組み込み、にわか仕立てのルートを作成してみた。<br /><br />令和7(2025)年8月15日<br />No Planの旅路故に13:45のゆっくりした出発。いつも通りローソン大津大平一丁目店に立ち寄って一服とナビ設定をする。今回示されたルートは県道2号線から国道307号線を経て旧国道1号線へと向かうものだが、本当にその道を選ぶことが正しいかどうかはわからない。まあ知らぬ道ではないのでナビに従うことにする。<br /><br />まずは甲賀郵便局に立ち寄って旅行貯金を済ませ、その後最寄りの大鳥神社に到着する。<br /><br />因みに駐車場と記されている場所は、社務所近くの場所故に、通常の参拝路である石鳥居と石標が立っている場所までは石段を下りる形を取る。そうして本来の参道を歩いて行く。由来に記されていた石造太鼓橋はどうやら〝通行止め〟になっているようで、隣に迂回用の橋が作られていた。石段を歩くと最後の鳥居を潜ると楼門前広場に出る。この広場の脇には由来書き・建物図・奉公之塔等神社に纏わる石碑が並んでいる。そして拝殿・本殿へと進み、先ずはお参りから始めることにした。拝殿付近広場にある建物群を散策した後、楼門に最も近い手水舎へとやって来る。風鈴が飾られている場所は手水舎一帯であり、それ程大規模なものではない。しかし手水舎越しに見える朱塗りの楼門と繋がる壁が鮮やかにその存在感を醸し出しているために、写真映えはすこぶる良い。<br /><br />大鳥神社の創建は平安時代初期の元慶6(882)年に伊賀国阿拝郡河合郷篠山嶽より大原中に勧請された後に当地に移し祀られたことに始まり、当時は大原山河合寺と称したとされている。比叡山延暦寺の別坊が36院あったといわれており、祭礼は坂本の日吉神社に準じていたと伝えられている。大鳥神社の主要祭事である大原祗園は神輿渡御に用いる千枚張に記されている内容では、室町時代中期の応永22(1415)年に始まったとされている。安土桃山時代には社号を河合祗園社とも大原谷の祗園社とも称し、牛頭大明神河合社牛頭天王といわれ、現在でも氏子の人々から〝てんのうさん〟とも呼ばれ親しまれている。大鳥神社としては安土桃山時代末期の文禄4(1595)年に当社の花奪神事に豊臣秀吉よりお墨付きを頂いたという伝承から始まり、元禄2(1689)年に第五代将軍徳川綱吉の生母桂昌院より永世山年貢五石八斗を当社の修繕料として寄付されたと記されている。明治元(1868)年令達により旧大原荘の大の字と鳥居野の鳥の字を合わせて大鳥神社と改称し、明治9(1876)年10月に村社になり、明治18(1885)年2月に郷社に昇格。明治41(1908)年4月に神饌幣帛料供進社に指定された。神社内の建造物は後柏原天皇の御代大永元(1521)年2月拝殿が改築され、また境内に架かる石造太鼓橋は延享元(1744)年の架設で、石工は京都の杉本文右衛門の作である。大正元(1912)年には旧大原村九地区に祀られていた神々を境内社に合祀したが、大正5(1916)年4月火災により本殿を残し拝殿の一部と楼門・回廊・神楽殿・社務所・河合寺等を焼失し、大正9(1920)年に氏子総意の力によって復興し、大原の産土神として崇敬信仰され現在に至っている。更には平成14(2002)年7月には文化財保護法により国の登録原簿に、復興した拝殿を始め7棟の建物が有形文化財として登録されたとある。例年7月23・24日に行われる例祭大原祇園は県の指定無形民族文化財に指定されており、そちらで知られているが、今夏甲賀市に於ける〝夏詣〟に参加した旨が報道されていた。<br /><br />そのようなきっかけで訪れた大鳥神社だが、中日新聞webに載っていただけに東海圏ナンバーの車が数台路駐していた。確かにナビで表示させると駐車場が〝ない〟かのように表示されるからこうなってしまうのかも知れないが、付近に駐車場までの〝地図〟が記載された看板が立っている。私はそれを見て駐車場へと向かったが、そこまでやる気はないようで、堂々と路駐していくことには〝神様の前で…〟という気持ちになってしまう。まぁその方々は目当てがあったのかは知らないが、ちょっと立ち寄ってすぐに出発していたようなので、私自身は境内を独占して撮影していたようなものであったのだが…。先述したように目当ての風鈴はほんの一角に集められているので、散策には左程時間を要しない。30分強の滞在で大鳥神社参拝を終えて、次の目的地へと出発する。<br /><br />甲賀郵便局・大鳥神社は旧甲賀町に位置するが、次の目的地は旧土山町なので少し離れている。その道中に立ち寄る郵便局を組み込んだのだが、これがちょっとミスってしまった。ナビの指し示す場所に着いているのだが、肝心の局舎が見当たらない。宿場町の狭い道に面してではなく、少し奥に入って車が停められるように考えられている土山大野郵便局に辿り着いたのは、閉局6分前の15:54であった。なんとか貯金をすることはできたが、時間をロスったことでこれ以上の局巡りはできなくなり、本日の実績2局が確定した。<br /><br />郵便局巡りを外すと目的地一直線になる訳で、土山町の白川神社に到着する。こちらは駐車場そのものがナビ表示されており、迷うことなく辿り着くことができた。石灯籠を潜って参道を進むが、入った側が裏側だったようで、本殿前に至る前に表側の鳥居を探し、改めて参道を歩いて来た後に本殿へと向かって進む。<br /><br />由来書きによると白川神社の御祭神は速須佐之男尊、天照大御神、豊受大神。創始は不詳で、古くは牛頭天王社・祇園社などと呼ばれていた。寛文五(一六六五)年二月十一日の火災により延焼し、現在の場所に遷座する。本殿は、文久三(一八六三)年に道営された。<br /> 七月第三日曜行われる「土山祇園祭花笠神事」は祇園祭の前宮祭と呼ばれ、大字南土山十四組ごとに奉納された花笠から花を奪い合う「花奪い行事」が行われる。これは、承応三(一六五四)年に復興されたと伝えられ、滋賀県選択無形民俗文化財となっている。<br /> 天明七(一七八七)年に光格天皇の、嘉永元(一八四八)年に孝明天皇両大嘗祭に、当社拝殿が悠紀斎田抜穂調整所となった。また、明治元(一八六八)年旧暦九月二十二日、明治天皇御東幸御駐輦の時に、当社境内が内侍所奉安所にあてられた。<br /> 本殿の前には願かけ神石があり、この神石をなでると健康長寿・祈願成就がかなうと伝えられているとあった。神社規模の割には歴史的瞬間に携わっていることを知り、ちょっとびっくりした。<br /><br />狛犬様に睨まれて境内へと入った場所からお目当ての〝風鈴飾り〟が吊り下げられていた。後日調べると白川神社は例年から〝風鈴まつり〟を行っており、今年が初めてではないことから結構大規模で風鈴まつりを行っていることを知った。そして最初に本殿にて参拝を済ませる。そして金属製の風鈴が飾られている様子をカメラに収めて行くのだが、この白川神社は近隣地区の氏子や企業との結び付きがかなり強いようで寄付を集めていることを知る。なにか〝いやらしい〟表現となってしまうのだが、これらの方々や企業の〝名〟を記した〝記名札〟が建物上部にずらりと並んでいるからである。この辺り〝記名〟することを承諾されている筈なのだが、これが〝個人を特定〟できるものと言われれば確かにそうである。ややこしいのは嫌なので敢えて〝白塗り〟としたが、かなり不格好な写真になってしまったのが残念だ(泣)。<br /><br />境内社は三社あり、本殿・拝殿以外に愛宕神社・稲荷神社・松尾神社が鎮座する。この他にも大正九(一九二〇)年三月に近隣の蟹が坂瀬戸山にあった榎島神社(祭神:市杵嶋姫命)と五瀬にあった一杵松神社(祭神:猿田彦大神・大山祗神・天照皇大神)を神社に合祀する。その後〝白川神社御旅所〟として旧榎島神社が、境外社として〝五瀬一株松神社〟が、旧五瀬集落跡地に於ける頂上台地の山林に神社のみが残されている。この辺りの話は神社の〝格上げ〟のこととも荒れはてる神社の〝統合〟の意味があるとも言われているが、詳細はわからない。明確な記録として残っているものは、配祀神として猿田彦大神・大山祗神・天照皇大神・市杵嶋姫が合祀されていることだけである。<br /><br />そういった経緯を経て拝殿・本殿以外にも神門・神輿庫・儀式殿・手水舎・社務所が境内に建てられている。この内神楽殿は拝殿前に建立されており、中には花傘鉾に使われるものなのか〝神輿〟のようなものが置かれていた。防振対策だ施された神楽殿の軒先に〝風鈴〟が吊るされている。金属製の風鈴はガラス製のような甲高い音を出さず重厚な音を発するために、鬱蒼とした白川神社境内に於いては雰囲気を壊さないうってつけのもののように思える。社殿四方に飾られており、この場所が白川神社に於ける風鈴まつりの〝メインスポット〟のように思える。話は逸れるが〝白川神社のモッコク〟の話をすると、神楽殿前にモッコクの巨木が植えられている。樹齢400年と推定される老木の巨木であり、淡海の巨木・名木次世代継承事業認定第40号として平成29(2017)年度に樹勢回復の治療を行ったと記されていた。<br /><br />そんなモッコクの木の隣には手水舎があった。水は枯れていた(止まっていた?)ように思うのだが、手水舎の屋根には他と同じ金属製の風鈴が吊り下げられており、何とも言えない心地よい音色を醸し出していた。その脇には屋根付きの休憩所が設けられていた。近年の異常気象に対応すべく、参拝者が休めるスペースを設けている施設が増えていることは周知のとおりだが、この白川神社の休憩所はまた意味が違うように思える。というのも〝灰皿〟が置かれていたのであった。近年オーバーツーリズムの影響で、喫煙マナーの悪さから境内禁煙としている神社仏閣が多い中で、タバコが吸えることに先ずびっくりした。おまけにこの休憩所も〝風鈴まつり〟会場となっており、屋根部分に風鈴が吊り下げられていた。非喫煙者の方にはわからないことであるが、タバコの煙を揺らせつつ風鈴の音色を聞く姿は、正に〝昭和の縁側〟の景色だと私には思えて仕方がない。勿論昭和の時代にタバコを吸っていた訳ではないが、蚊取り線香・タバコの煙とともに縁側で風鈴の音を楽しんでいる姿は絶景以外なにものでもなかった。何をしていた訳でもないのだが、暫し時間が過ぎることを忘れてタバコを吹かしながら麦茶を飲んで、風鈴の奏でる音色を楽しんでいた私であった。<br /><br />予想外のことに時間を費やしたが、陽も傾いて来たので車に戻ろうかと思う。持ち上げられれば願いの叶う〝力石〟があったが、ヘタレの私はその先に待っているだろう〝腰痛〟を患い、暫く休みます~宣言をして上司に怒られている姿が浮かんだので無理はせず大人しくしておくことにした。裏側石鳥居を潜って駐車場へと到着し、相棒のmoveクンに乗り込んだ時には小一時間滞在していたことを知る。正にNo Planの旅である。<br /><br />ここからは暫く土山界隈の場所を巡ることになる。向かった先は土山コミュニティセンター。旧東海道沿いにある〝東海道あいの土山宿お休処〟の看板がかかっている文字通り土山宿散策の観光拠点となる場所である。このコミュニティセンター前の駐車場が観光客にも開放されており、そちらに車を停めて歩いて行くことにする。<br /><br />   《続く》

《2025.August》あみんちゅ風鈴の奏でる音色を探す旅滋賀そのⅡ~甲賀風鈴まつり前編~

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《2025.August》あみんちゅ風鈴の奏でる音色を探す旅滋賀そのⅡ~甲賀風鈴まつり前編~

お盆の中日となる今日も暑さで強制起床となった。しかしNo Planで迎えたことには変わりなく、近場で開催されている〝風鈴まつり〟イベントを探す。滋賀県甲賀市、三重県と県境を挟んで接する場所は我が街石山からは約50km弱離れている。新名神高速道路を利用すれば40分程で到着できるが、無計画だったので敢えて一般道を利用してみた場合でも1時間程で行くことができることが判明し、早速出かけることにした。せっかくならば途中旅行貯金をするための郵便局をコースに組み込み、にわか仕立てのルートを作成してみた。

令和7(2025)年8月15日
No Planの旅路故に13:45のゆっくりした出発。いつも通りローソン大津大平一丁目店に立ち寄って一服とナビ設定をする。今回示されたルートは県道2号線から国道307号線を経て旧国道1号線へと向かうものだが、本当にその道を選ぶことが正しいかどうかはわからない。まあ知らぬ道ではないのでナビに従うことにする。

まずは甲賀郵便局に立ち寄って旅行貯金を済ませ、その後最寄りの大鳥神社に到着する。

因みに駐車場と記されている場所は、社務所近くの場所故に、通常の参拝路である石鳥居と石標が立っている場所までは石段を下りる形を取る。そうして本来の参道を歩いて行く。由来に記されていた石造太鼓橋はどうやら〝通行止め〟になっているようで、隣に迂回用の橋が作られていた。石段を歩くと最後の鳥居を潜ると楼門前広場に出る。この広場の脇には由来書き・建物図・奉公之塔等神社に纏わる石碑が並んでいる。そして拝殿・本殿へと進み、先ずはお参りから始めることにした。拝殿付近広場にある建物群を散策した後、楼門に最も近い手水舎へとやって来る。風鈴が飾られている場所は手水舎一帯であり、それ程大規模なものではない。しかし手水舎越しに見える朱塗りの楼門と繋がる壁が鮮やかにその存在感を醸し出しているために、写真映えはすこぶる良い。

大鳥神社の創建は平安時代初期の元慶6(882)年に伊賀国阿拝郡河合郷篠山嶽より大原中に勧請された後に当地に移し祀られたことに始まり、当時は大原山河合寺と称したとされている。比叡山延暦寺の別坊が36院あったといわれており、祭礼は坂本の日吉神社に準じていたと伝えられている。大鳥神社の主要祭事である大原祗園は神輿渡御に用いる千枚張に記されている内容では、室町時代中期の応永22(1415)年に始まったとされている。安土桃山時代には社号を河合祗園社とも大原谷の祗園社とも称し、牛頭大明神河合社牛頭天王といわれ、現在でも氏子の人々から〝てんのうさん〟とも呼ばれ親しまれている。大鳥神社としては安土桃山時代末期の文禄4(1595)年に当社の花奪神事に豊臣秀吉よりお墨付きを頂いたという伝承から始まり、元禄2(1689)年に第五代将軍徳川綱吉の生母桂昌院より永世山年貢五石八斗を当社の修繕料として寄付されたと記されている。明治元(1868)年令達により旧大原荘の大の字と鳥居野の鳥の字を合わせて大鳥神社と改称し、明治9(1876)年10月に村社になり、明治18(1885)年2月に郷社に昇格。明治41(1908)年4月に神饌幣帛料供進社に指定された。神社内の建造物は後柏原天皇の御代大永元(1521)年2月拝殿が改築され、また境内に架かる石造太鼓橋は延享元(1744)年の架設で、石工は京都の杉本文右衛門の作である。大正元(1912)年には旧大原村九地区に祀られていた神々を境内社に合祀したが、大正5(1916)年4月火災により本殿を残し拝殿の一部と楼門・回廊・神楽殿・社務所・河合寺等を焼失し、大正9(1920)年に氏子総意の力によって復興し、大原の産土神として崇敬信仰され現在に至っている。更には平成14(2002)年7月には文化財保護法により国の登録原簿に、復興した拝殿を始め7棟の建物が有形文化財として登録されたとある。例年7月23・24日に行われる例祭大原祇園は県の指定無形民族文化財に指定されており、そちらで知られているが、今夏甲賀市に於ける〝夏詣〟に参加した旨が報道されていた。

そのようなきっかけで訪れた大鳥神社だが、中日新聞webに載っていただけに東海圏ナンバーの車が数台路駐していた。確かにナビで表示させると駐車場が〝ない〟かのように表示されるからこうなってしまうのかも知れないが、付近に駐車場までの〝地図〟が記載された看板が立っている。私はそれを見て駐車場へと向かったが、そこまでやる気はないようで、堂々と路駐していくことには〝神様の前で…〟という気持ちになってしまう。まぁその方々は目当てがあったのかは知らないが、ちょっと立ち寄ってすぐに出発していたようなので、私自身は境内を独占して撮影していたようなものであったのだが…。先述したように目当ての風鈴はほんの一角に集められているので、散策には左程時間を要しない。30分強の滞在で大鳥神社参拝を終えて、次の目的地へと出発する。

甲賀郵便局・大鳥神社は旧甲賀町に位置するが、次の目的地は旧土山町なので少し離れている。その道中に立ち寄る郵便局を組み込んだのだが、これがちょっとミスってしまった。ナビの指し示す場所に着いているのだが、肝心の局舎が見当たらない。宿場町の狭い道に面してではなく、少し奥に入って車が停められるように考えられている土山大野郵便局に辿り着いたのは、閉局6分前の15:54であった。なんとか貯金をすることはできたが、時間をロスったことでこれ以上の局巡りはできなくなり、本日の実績2局が確定した。

郵便局巡りを外すと目的地一直線になる訳で、土山町の白川神社に到着する。こちらは駐車場そのものがナビ表示されており、迷うことなく辿り着くことができた。石灯籠を潜って参道を進むが、入った側が裏側だったようで、本殿前に至る前に表側の鳥居を探し、改めて参道を歩いて来た後に本殿へと向かって進む。

由来書きによると白川神社の御祭神は速須佐之男尊、天照大御神、豊受大神。創始は不詳で、古くは牛頭天王社・祇園社などと呼ばれていた。寛文五(一六六五)年二月十一日の火災により延焼し、現在の場所に遷座する。本殿は、文久三(一八六三)年に道営された。
 七月第三日曜行われる「土山祇園祭花笠神事」は祇園祭の前宮祭と呼ばれ、大字南土山十四組ごとに奉納された花笠から花を奪い合う「花奪い行事」が行われる。これは、承応三(一六五四)年に復興されたと伝えられ、滋賀県選択無形民俗文化財となっている。
 天明七(一七八七)年に光格天皇の、嘉永元(一八四八)年に孝明天皇両大嘗祭に、当社拝殿が悠紀斎田抜穂調整所となった。また、明治元(一八六八)年旧暦九月二十二日、明治天皇御東幸御駐輦の時に、当社境内が内侍所奉安所にあてられた。
 本殿の前には願かけ神石があり、この神石をなでると健康長寿・祈願成就がかなうと伝えられているとあった。神社規模の割には歴史的瞬間に携わっていることを知り、ちょっとびっくりした。

狛犬様に睨まれて境内へと入った場所からお目当ての〝風鈴飾り〟が吊り下げられていた。後日調べると白川神社は例年から〝風鈴まつり〟を行っており、今年が初めてではないことから結構大規模で風鈴まつりを行っていることを知った。そして最初に本殿にて参拝を済ませる。そして金属製の風鈴が飾られている様子をカメラに収めて行くのだが、この白川神社は近隣地区の氏子や企業との結び付きがかなり強いようで寄付を集めていることを知る。なにか〝いやらしい〟表現となってしまうのだが、これらの方々や企業の〝名〟を記した〝記名札〟が建物上部にずらりと並んでいるからである。この辺り〝記名〟することを承諾されている筈なのだが、これが〝個人を特定〟できるものと言われれば確かにそうである。ややこしいのは嫌なので敢えて〝白塗り〟としたが、かなり不格好な写真になってしまったのが残念だ(泣)。

境内社は三社あり、本殿・拝殿以外に愛宕神社・稲荷神社・松尾神社が鎮座する。この他にも大正九(一九二〇)年三月に近隣の蟹が坂瀬戸山にあった榎島神社(祭神:市杵嶋姫命)と五瀬にあった一杵松神社(祭神:猿田彦大神・大山祗神・天照皇大神)を神社に合祀する。その後〝白川神社御旅所〟として旧榎島神社が、境外社として〝五瀬一株松神社〟が、旧五瀬集落跡地に於ける頂上台地の山林に神社のみが残されている。この辺りの話は神社の〝格上げ〟のこととも荒れはてる神社の〝統合〟の意味があるとも言われているが、詳細はわからない。明確な記録として残っているものは、配祀神として猿田彦大神・大山祗神・天照皇大神・市杵嶋姫が合祀されていることだけである。

そういった経緯を経て拝殿・本殿以外にも神門・神輿庫・儀式殿・手水舎・社務所が境内に建てられている。この内神楽殿は拝殿前に建立されており、中には花傘鉾に使われるものなのか〝神輿〟のようなものが置かれていた。防振対策だ施された神楽殿の軒先に〝風鈴〟が吊るされている。金属製の風鈴はガラス製のような甲高い音を出さず重厚な音を発するために、鬱蒼とした白川神社境内に於いては雰囲気を壊さないうってつけのもののように思える。社殿四方に飾られており、この場所が白川神社に於ける風鈴まつりの〝メインスポット〟のように思える。話は逸れるが〝白川神社のモッコク〟の話をすると、神楽殿前にモッコクの巨木が植えられている。樹齢400年と推定される老木の巨木であり、淡海の巨木・名木次世代継承事業認定第40号として平成29(2017)年度に樹勢回復の治療を行ったと記されていた。

そんなモッコクの木の隣には手水舎があった。水は枯れていた(止まっていた?)ように思うのだが、手水舎の屋根には他と同じ金属製の風鈴が吊り下げられており、何とも言えない心地よい音色を醸し出していた。その脇には屋根付きの休憩所が設けられていた。近年の異常気象に対応すべく、参拝者が休めるスペースを設けている施設が増えていることは周知のとおりだが、この白川神社の休憩所はまた意味が違うように思える。というのも〝灰皿〟が置かれていたのであった。近年オーバーツーリズムの影響で、喫煙マナーの悪さから境内禁煙としている神社仏閣が多い中で、タバコが吸えることに先ずびっくりした。おまけにこの休憩所も〝風鈴まつり〟会場となっており、屋根部分に風鈴が吊り下げられていた。非喫煙者の方にはわからないことであるが、タバコの煙を揺らせつつ風鈴の音色を聞く姿は、正に〝昭和の縁側〟の景色だと私には思えて仕方がない。勿論昭和の時代にタバコを吸っていた訳ではないが、蚊取り線香・タバコの煙とともに縁側で風鈴の音を楽しんでいる姿は絶景以外なにものでもなかった。何をしていた訳でもないのだが、暫し時間が過ぎることを忘れてタバコを吹かしながら麦茶を飲んで、風鈴の奏でる音色を楽しんでいた私であった。

予想外のことに時間を費やしたが、陽も傾いて来たので車に戻ろうかと思う。持ち上げられれば願いの叶う〝力石〟があったが、ヘタレの私はその先に待っているだろう〝腰痛〟を患い、暫く休みます~宣言をして上司に怒られている姿が浮かんだので無理はせず大人しくしておくことにした。裏側石鳥居を潜って駐車場へと到着し、相棒のmoveクンに乗り込んだ時には小一時間滞在していたことを知る。正にNo Planの旅である。

ここからは暫く土山界隈の場所を巡ることになる。向かった先は土山コミュニティセンター。旧東海道沿いにある〝東海道あいの土山宿お休処〟の看板がかかっている文字通り土山宿散策の観光拠点となる場所である。このコミュニティセンター前の駐車場が観光客にも開放されており、そちらに車を停めて歩いて行くことにする。

   《続く》

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
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