2025/06/13 - 2025/06/13
15位(同エリア415件中)
松本伸雄さん
守護土岐一族の城
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明智城の入り口は、住宅団地の隅に有ります
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主郭は、現在配水池になっています 明智城は、康永元年に土岐頼兼によって築かれました。長山城とも呼ばれた
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ガイドさんの説明 土岐頼兼は、名前を明智と変え、その子孫である土岐明智家が代々このあたり(明智荘)を治めました
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自然の地形を活かした典型的な中世のお城です
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中の丸
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切り岸
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切り岸をのぞく
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弘治2年、明智光安(明智光秀の叔父)が斎藤義龍の攻撃を受けます
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明智城落城の際の命を落とした者たちを弔う為に築かれた直径1㍍規模の墳墓群
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馬場跡
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一族870人あまりが籠城しますが、義龍軍3700に囲まれ、2日後に落城します。光安は自刃、この時光秀は明智家再興を託されて、城から逃げた
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逆茂木(とげのある枝などを並べた物)
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馬防柵
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「麒麟がくる」放送時に作られた、明智光秀像
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搦手曲輪跡
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西出丸
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展望台へ
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美濃金山城方面
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十兵衛坂
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明智城一帯は、光秀が織田信長に仕えたあと、再度所領として与えられ、代官として石森九郎左衛門が置かれた
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腰曲輪
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水の手跡
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堀切
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東出丸、搦手曲輪、二の曲輪、三の曲輪、西出丸、乾曲輪と伝わる場所があります
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乾曲輪へ
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虎口跡
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堀切
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六親眷属幽魂塔(ろくしんけんぞくゆうこんとう)すべての親族という意味。ひそかに村人が建立した
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もう一つ、明知城(智が知)が恵那市にあります。こちらは遠山明知氏の本拠地となり、土岐氏とはつながりません。遠山氏は、苗木城や岩村城に関係する家です。遠山の金さんは、遠山明知家の分家です
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ホテルルートイン可児に泊まりました おわり
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