2025/05/22 - 2025/05/22
52位(同エリア418件中)
愛吉さん
世田谷生涯大学OB会の仲間達と日本考古学発祥の地”大森貝塚”と”品川歴史館”を訪ねました。
大森貝塚は明治10年アメリカ人エドワード・S・モース博士により発見された貝塚遺跡で、日本考古学発祥の地と言われます。
又品川歴史館は品川区が区史編纂事業で集めた郷土資料を保存活用する為に設立した品川区立の歴史資料館です。
どちらも郷土の歴史を知る貴重な場所です。
表紙は大森貝塚史跡公園のモース博士記念像。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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大森貝塚遺跡庭園に到着しました。
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遺跡庭園案内図。
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地層の回廊
内部の壁面に貝塚の地層を再現した回廊、上部は展望台になっています。 -
前庭では30分毎に霧が発生、夢幻の世界(?)を演出します。
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貝塚の地層判りますか。
暗く判りにくいですが、奥の壁面にわずかに白く貝の階層が判別出来ます。 -
貝塚の地層をバックにモース博士記念像。
モース博士(1838年生、生物学者)
東京大学招聘教授として1877年(明治10年)6月19日横浜着、同日東京に向う列車の中より散乱する貝殻を見付け、大森貝塚を発見。
同年9月16日調査開始、1879年(明治12年)7月調査報告書”大森貝塚”を刊行、日本考古学発祥の地となります。
1879年9月離日。
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モース博士の出身地、アメリカ、ポートランド市との姉妹都市提携記念碑。
モース博士と発掘当時のイラスト入り。 -
回廊上部、展望台よりの眺め。
JR東海道線が直下を走ります。
モース博士が横浜から新橋に向う列車の中から貝殻が散乱する様を見付け、貝塚発見の端緒となった事、納得です。
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大森貝塚に人が住んで居た縄文後期(今から凡そ3千年前頃)の想像図です。
集落の直下迄、海が迫っていました。 -
当時の海岸線を示す波型モニュメント。
当時はここが海岸線でした。
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発掘当時の貝塚の一部がモニュメントとして残されています。
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大森貝塚の碑
明治10年、モース博士が列車の中から大森貝塚を発見したのを記念して、昭和4年、あえて線路に向って建てられました。 -
遺跡を後にし、品川歴史館に向います。
鹿嶋神社前を通過。 -
品川歴史館到着。
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入場します。
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常設展、品川の歴史。
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海辺に暮らす、縄文人の様子。
大森貝塚の写真と当時のジオラマです。 -
モース博士。
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江戸後期、お台場工事。
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明治初期、鉄道開通。
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企画展、昭和100年しながわめぐり。
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昭和初期、品川沖は海苔養殖で栄えました。
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鉄道が通り、工場が建ち並びます。
真剣に展示を眺める仲間達です。 -
ミュージアムショップもあります。
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庭に出て来ました。
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明治24年に品川に設けられた1等水準点1号の蓋石です。
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この地は関東大震災後に安田善助氏が屋敷を構えた処。
当時の茶室、松滴庵が残されています。 -
茶室の横には水琴窟。
当時から有りました。
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茶室の周りを一周します。
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茶会利用も可能です。
これで予定の箇所は全て回りました、バスで大井町駅に出て解散です。
見聞を広めた一日でした。
終
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