2025/04/16 - 2025/04/16
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SamShinobuさん
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今日は根津美術館で尾形光琳、円山応挙、鈴木其一の代表作を観て、松濤美術館でセーヴルの磁器を勉強し、SOMPO美術館で藤田嗣治の洋画を堪能した。
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根津美術館
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「国宝・燕子花図と藤花図、夏秋渓流図 ―光琳・応挙・其一をめぐる3章」
当日券は1,600円だが、オンライン予約で日時指定をしたので1,500円。展示室は撮影禁止。 -
尾形光琳、円山応挙、鈴木其一の代表作を一堂に観られる機会は多くない。どれも6曲1双の金屏風だが、金箔を背景とした日本独特の表現は海外の画家にも影響を与えた。ずっと楽しみにしていた企画展だ。
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根津嘉一郎氏
根津美術館は、東武鉄道社長だった根津嘉一郎氏(1860~1940年)が蒐集した日本や東洋の古美術品コレクションを主に展示している。この場所はもともと嘉一郎氏の自宅だった。
嘉一郎氏は美術品の海外流出を憂いて、せっせとコレクションし自邸で公開したのだ。 -
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尾形光琳「燕子花図屏風」(国宝)
6曲1双の左隻
18世紀
根津美術館蔵
(画像はポストカードより) -
尾形光琳(1658~1716年)の代表作。
ほぼ同じ形の燕子花と使っている色も3~4色だけって、手抜きかよ。いえいえ、これこそが日本が世界に誇る名画なんです。これは描き込まれたディテールを観たり、絵の上手さを味わうものではないのだ。この屏風が置かれた部屋を想像してもらいたい。空間を視覚的に表現する光琳のデザインセンスは、超現代的ではないだろうか。金一色の背景の前で燕子花の自己主張する装飾性は圧倒的だ。 -
尾形光琳は京都の呉服商の息子だけあって、着物のデザインも得意だった。約100年前の俵屋宗達を尊敬し、宗達の「風神雷神図屏風」を模写したり、5歳年下の弟で陶芸家の尾形乾山とコラボして陶器の絵付けも手がけている。
ただ裕福な家のボンボンだったので浪費癖があり、女癖も悪くてついに破産した。真剣に絵を始めたのは生活のためだったというダメ男さんでもある。 -
円山応挙「藤花図屏風」(重要文化財)
6曲1双の右隻
1776年
根津美術館蔵
(画像はポストカードより) -
円山応挙(1733~1795年)の傑作。こちらも金地に藤の花が美しい。
幹と枝は付立(つけたて)で描かれている。通常 日本画は輪郭を描くが、付立ては水墨画の手法で一筆で描く。墨の濃淡で陰影や立体感を表す付立は、応挙を始めとした円山派が得意とした。
このように中国から入ってきた水墨画(漢画)と、藤の花の表現(やまと絵)の併用が見事成功している。 -
幹と枝に比べて、藤の花は細かく写実的に描かれていて面白い。「写生画の祖」と呼ばれた応挙だが、このようにただ見たままを描いただけでないところが天才たる所以。三井記念美術館の国宝「雪松図屏風」の雪の表現しかり。ほぼ独学で絵を学んだそうだが、この頃主流だった琳派や狩野派とは全く違うスタイルで、大人気を博していた。
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鈴木其一「夏秋渓流図屏風」(重要文化財)
6曲1双の左隻
19世紀
根津美術館蔵
(画像はポストカードより) -
鈴木其一(1796~1858年)の代表作。
思わず、なんじゃコリャ!と目を丸くした。
だって緑と渓流の青の発色がビビッド過ぎて異様だし、この流れは生き物のようだ。観れば観るほど不思議。点々としている苔もどこか怪奇。この前衛的な絵、本当に江戸時代に描かれたの?
左隻は秋だが、右隻は山百合の咲く夏が描かれている。 -
鈴木其一は、江戸琳派の祖である酒井抱一に学び、琳派を新しい表現で生まれ変わらせた。
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こちらは右隻の一部分。(画像はフライヤーより)
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狩野山雪「梟鶏図(きゅうけいず)」の一部分。
17世紀
根津美術館蔵
もともと狩野派は京都で活動していたが、江戸時代になると徳川家の御用絵師になって江戸を本拠地とした。中には京都に残った絵師たちがおり、それを京狩野と呼び、山雪もそのひとり。メトロポリタン美術館にある「老梅図」のような圧倒的な作品もあれば、ちょっと変わった可愛い絵もある。この「梟鶏図」の梟は、あざと可愛い感じがする。
(画像はフライヤーより) -
狩野山雪「老梅図」
参考までに、メトロポリタン美術館の「老梅図」。(メトロポリタン美術館HPより) -
庭園
根津嘉一郎が明治39年に造った庭園。
庭園に入ると自然の緑と美術館の調和に驚く。 -
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もう少し遅ければ、光琳「燕子花図屏風」の燕子花が花開いていたのに。残念。
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ふーみん
初訪店。
青山の骨董通りにある斉風瑞(さいふうみ)さんの店。 -
1971年開店。昼時ともなると行列の絶えない評判の中華料理店だ。
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メニュー。
有名店の割にリーズナブルだ。 -
2024年、斉風瑞さんと「ふーみん」のドキュメンタリー映画「キッチンから花束を」が公開された。残念ながら未見だが、一介の中華料理店主が映画になるくらいだから、何か特別なものがあるに違いない。
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斉風瑞さん、料理本も出版されていた。
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映画になったと知ってから、一度は並んでも食べてみたいと思っていた。開店の11時30分に行くと、すでに1回目に入れなかった客が20人くらい並んでいる。聞けば、30~40分は待つという。今日はそのつもりで来たので、列の最後尾に並ぶことにした。ぴったり40分待って入店。
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席に着くといきなりどっさり入った搾菜が目の前に置かれる。
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まず生ビール(700円)を注文し、いくつかあるランチの中から「叉焼と葱の辛味麺(1300円)」をお願いした。
この搾菜がめちゃくちゃ旨い。ビールとの相性も抜群。 -
たちまち辛味麺が着丼。スープを一口飲むと、トマトとレモンの酸味が辛味を中和させるのか、初めは旨みがじわーと広がり後から辛さが追いかけてくる。未経験の風味ながら、ホッとする美味しさがあとを引く。コクがあるのにさっぱりしているので、ラーメンを食べる罪悪感がゼロだ。
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表参道駅から銀座線で渋谷へ。
大規模改修が終わった岡本太郎《明日の神話》をじっくり観る。 -
美術館に置かれてもいい作品がなぜ渋谷駅のコンコースに設置されたのか。岡本太郎は生前こう言っていたそうだ。
「芸術は完成して社会に出すまでは作家のものだが、出来上がった瞬間からみんなのものだ。ああ、いいなと思ってもいいし、なんだこんなものと悪口言ったっていい。芸術とはそんなものだ。道端の石ころと同じなんだよ」 -
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松濤美術館
「妃たちのオーダーメイド セーヴル フランス宮廷の磁器 マダム・ポンパドゥール、マリー=アントワネット、マリー=ルイーズの愛した名窯」
入館料800円だが、事前購入している「東京・ミュージアム ぐるっとパス2025」で入館無料に。 -
ぐるっとパスとは、東京を中心とする102の美術館・博物館等の入場券や割引券がセットになったQRコードチケット。2,500円で購入すると、初回使用から2カ月間何度でも使える。
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展示室は撮影禁止だ。
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約300年前まで白磁器はヨーロッパでは作れなかった。彼らは中国や日本の白磁器を見て、なんとか自分たちでこの美しい白磁器が作れないものかと苦心する。
白磁器にはカオリンという白色に焼き上がる粘土鉱物が必要だが、当時はまだヨーロッパでは発見されていなかった。カオリン(高嶺)とは中国の景徳鎮の山の名前で、そこで採れる白い土をそう呼んでいた。日本では有田地方でカオリンが採れたので、有田焼という美しい白磁器が作られた。
1709年にドイツのマイセンは国内の土の情報を集め、ついに良質のカオリンを発見。日本の有田焼きをお手本にして、ヨーロッパで初めて白磁器を生み出した。
フランスでは、ルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人が、このマイセンに匹敵する白磁器を自国でも作りたいと思い立つ。しかしフランスではカオリンが見つからず、ポンパドゥール夫人は1756年にセーブル窯を作り、カオリンを使わない軟質磁器で白い陶器を製造させる。一見して硬質磁器と軟質磁器の見分けは難しいのだが、軟質磁器は白磁器とは言わないのだ。
初めセーヴルはマイセンを模倣していたが、ポンパドゥール夫人が自分好みのロココ調を追求して、職人たちにどんどん新しいデザインを提案させた。そしてセーヴルはマイセンから脱却して、フランス独自の磁器芸術として進化していく。そしてついに1768年にカオリンを発見。軟質磁器からカオリンを使う硬質磁器へと移行していく。
セーヴル焼はポンパドール夫人やマリー・アントワネットの時代のロココ様式が最大の特徴だが、その後ナポレオンの時代になると、アンピール様式に変化していった。
1824年、国立セーブル陶磁器製作所が建てられ、同じ敷地内にセーヴル陶磁器美術館も作られる。
1876年には製作所と美術館はサン・クルー公園に隣接した敷地に移された。
ちなみに、ボーンチャイナも軟質磁器で、カオリンの代わりに牛の骨灰を混ぜて焼いたもの。イギリスではカオリンを入手することができなかったため、代わりに骨を使ったのだ。ここで言うチャイナとは食器の意味なので、そのまま骨の食器ということになる。
なるほど、硬質磁器と軟質磁器について理解が深まった。しかし、いくら目を凝らして見てもトーシロの自分には、硬質磁器と軟質磁器の違いが分からない。そこで、学芸員さんに質問してみた。
「硬質磁器と軟質磁器って、ぱっと見どっちか分かりますか」
「軟質磁器のほうがぽってりしてるって言いますよね」
「ぽ、ぽってり?」
学芸員さんは謎の微笑みを浮かべた。
「ではふたつを見比べてみて下さい」
そう言われて、よ~く観察してみると、確かに軟質磁器のほうが「ぽってり」してる。他の言葉では上手く言えないのだが、「ぽってり」は「ぽってり」なのだ。
「なるほど、キーワードはぽってりですね」
「はい笑」
学芸員さんによると、フランスが軟質磁器しか作れなかった頃、その分絵付けをめちゃくちゃ工夫して、硬質磁器では出せないような色を生み出したそうだ。その結果、硬質磁器が作れるようになっても、軟質磁器を好む人も多かった。しかし硬質磁器のほうが生産性が高く強度もあったので、いつしか軟質磁器は作られなくなってしまったとのこと。いろいろ勉強になりました。 -
画像はホームページより。
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SOMPO美術館
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藤田嗣治 7つの情熱
当日券1,800円
本展覧会は写真撮影不可。
藤田嗣治(1886~1968年)、別名レオナール・フジタ。レオナルド・ダ・ヴィンチから取ったそうだ笑。ピカソ、モディリアーニ、マティスらとも交流があった、世界で最も有名な日本人画家だ。とは言っても、晩年は日本国籍を捨てフランス国籍になったが。 -
「自画像」(フライヤーより)
今回の展覧会メインビジュアルである藤田の「自画像」を見ると、白髪になったトレードマークのおかっぱ髪とちょび髭、丸メガネが健在で笑える。これこそまさに藤田のセルフプロデュースで、一生貫いたスタイルだ。
1913年に27歳でパリに渡った藤田は、大東亜戦争前から帰国していた十数年以外は、生涯フランスを戦いの舞台として絵を描き続けた。
映画「FOUJITA」(2015年)を観ると、パリのバーで夜な夜な芸術家たちと大騒ぎする藤田が描かれている。オダギリ・ジョーが藤田嗣治を演じていた。藤田はパリの仲間内でフーフーと呼ばれており、それはお調子者という意味もあったそうだ。それを当時の奥さんに指摘されると、「いいじゃないか。みんながフーフーと言って覚えてくれる。覚えてもらうのはとても大事だ。ここは私には外国ですよ。いくら絵が上手くても名前が知られなかったら、皆が注目してくれると思う?」と答えるシーンがある。
おかっぱ髪に関しては本人が、「当時はお金がなくて自分で髪を切っていたのでこうなった」と言っているが、この自画像のように死ぬまでおかっぱだったので、やはり戦略だったんじゃないかな。おかっぱ頭にチャップリンのちょび髭とハロルド・ロイドの丸メガネを組み合わせた陽キャのパリピ日本人画家は、相当目立っていたと思う。
子供の頃から絵が好きだった藤田は19歳で東京美術学校(現東京藝術大学)に入学し、フランス帰りの黒田清輝の指導を受ける。黒田はパリで流行の印象派を日本に持ってきたので、生徒に「黒い絵の具は使うな」と教えるが、藤田は反抗して黒を多用。黒田にこれは悪い例だと叱られる。藤田の作品は黒田に散々批判され、文展の落選が続いた。
悩んだ末藤田はパリに渡り、すぐにピカソのアトリエを訪ねた。そこでショックを受けて、帰り道に画材道具を道に投げ捨てたという。僕が思うに「ふざけんな黒田!お前の印象派なんてもうとっくに時代遅れじゃないか。今や先端を行くのはフォービズムやキュビズム、シュルレアリスムだ」と、自分が今まで日本の洋画界にいかに縛られていたかと、やり場のない怒りに震えたんじゃないかな。
それからキュビズムに影響を受けた作品なども描いたが、やはり自分にしか描けない絵を制作するべきで、それはフォービズムでもキュビズムでもないと気付く。荒々しいフォービズムや大胆なキュビズムの真逆を行って、繊細な細い線とベビーパウダーを絵具に混ぜた独自の白い肌で勝負をかけた。するとこれが大当り。「乳白色の肌」とよばれた裸婦像はフランスで大絶賛を浴びた。フランスの画壇での評価は高かったが、日本ではやっかみもあってか、評論家には酷評され続けた。
戦時には日本でお国のためにと、いくつもの戦争画を描く。雪山をバックに日本兵の戦いを描いた「アッツ島玉砕」の前では、泣きながら祈る人が絶えず、藤田はようやく日本での高い評価を得た。
しかし、終戦後一転して「戦争を礼賛して戦意を盛り立てた」と戦犯として叩かれることになる。それもGHQに言われるならまだしも、同じ仲間だった日本画壇から責められた。ほとほと嫌気がさしてフランスに戻り、もう二度と日本には戻らなかった。藤田は生前何度も言っていたそうだ。「私が日本を捨てたんじゃない。日本が私を捨てたのだ」 -
例によって、ゴッホの《ひまわり》は撮影OK。
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東郷青児《窓》
こちらも撮影OKだった。 -
ミュージアムショップ
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蔵
乗り換える為に目黒駅で一旦降りる。ここで夕食を取ろうと思い、「とんかつとんき」に行ったら臨時休業だった。
それではと、お気に入りの格安酒場「蔵」を訪ねた。 -
コの字カウンターがいいねえ。
コロナを挟んで久しぶりに来たら、390円だった生ビールが470円に値上りしていた。このご時世それでも安いが、せんべろの名店だったのでちと残念。 -
ここのしろ(100円)が好きなので、4本も頼んでしまった。
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ちくわ磯辺揚げ(380円)も間違いない。
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もつ煮(390円)はボリューミーだが、もつ自体が少ないのは御愛嬌。
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nasa
奥沢の隠れ家的ジャズバー。先月も来てしまった。今夜は画家でもある矢崎恵理さんを聴きに来た。投銭ライブだ。 -
オリジナルのオクサワー(500円)で、まず喉を潤し、後はずっとジャックダニエルを飲んでいた。
ジャズスタンダードを中心にオリジナルや北酒場のジャズアレンジ等、ご機嫌な演奏は相変わらずお酒を美味しくさせてくれた。 -
矢崎恵理(vo)並木マオ(pf)田中君弥(b)飯島マサタケ(dr)
今夜の演奏で気に入ったナンバーは以下の通り。
1st
(インスト)WE'RE ALL ALONE
I've Got You Under My Skin
All My Tomorrows
No More Blues
2nd
ボヘミア遊休声歌(オリジナル)
I’ve never been in love before
I Got Rhythm
The Very Thought Of You
(enc) 北酒場
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