2025/01/28 - 2025/01/28
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ペコちゃんさん
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2024/10/5~2025/2/11に国立西洋美術館で開催されている『モネ展』を観るため、久し振りに上野に出かけました。
昼食をとり、12時半過ぎに行ってみると、長蛇の列・・・何と90分待ちです!!
夕方になれば空いているだろうと思い、国立科学博物館と東京国立博物館(大覚寺展)を見学して時間調整し、その後、モネの絵画を楽しみました。
因みに、天皇ご一家も1月27日にモネ展、2月6日に大覚寺展を鑑賞されました。
写真は、モネ展に展示されている松方コレクションの「睡蓮」。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄
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芸術の森でもある上野恩賜公園・・・ストリート・ミュージシャンがチェロで美しい音楽を奏でています。
『モネ展』は90分待ちのため、国立科学博物館へ向かいます。 -
明治10年(1877)に設立された教育博物館が前身の「国立科学博物館」・・・約500万点を収蔵し、約1万4千点が常設展示されていますが、嬉しいことに、高齢者は無料で入館できます。
建設当初の建物は関東大震災で全焼したため、現在の建物は昭和6年に再建されました。
建物の左側に飾られたシロナガスクジラの模型は、全長30mの実物大。 -
地下1階の入り口から館内に入ると、本館中央ホールは吹き抜けのドームになっていて、仰ぐと天窓にステンドグラス・・・ステンドグラスの光が差しこむ吹き抜けのドーム型の高い天井に美しい白壁・・・素晴らしい空間が広がっています。
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天窓のステンドグラスは、築地本願寺などを手掛けた伊東忠太(1867~1954)の図案を、日本初のステンドグラス工芸家と言われる小川三知(1867~1928)がステンドグラスの下絵にし、三知の没後、弟子たちが遺志を継いで完成させたものです。
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天井の中心には、鳳凰を描いた宝相華(ほうそうげ)のステンドグラス。
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地下1階にある「シアター36〇」は、2005年「愛・地球博」の長久手日本館で人気を博した「地球の部屋」を移設したもので、直径12.8m(実際の地球の100万分の1の大きさ)のドームの内側すべてがスクリーンになっており、ダイナミックな映像をブリッジに立って観ます。
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360°全方位に映し出される映像・・・独特の浮遊感やスピード感が味わえますが、気分が悪くなる人もいるとか・・・大迫力の面白い体験でした。
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日本館の3階のテーマは「日本列島の生い立ち」・・・かつて日本に生息していた恐竜が展示されています。
これは「フタバスズキリュウ」・・・約8500万年前に日本近海に生息していた全長が約9mの首長竜で、福島県の双葉層群という地層で鈴木直さんに発見されたことから命名されました。 -
30万年前から1万2千年前頃の日本列島に生息していた大型のシカ「ヤベオオツノジカ」・・・肩高1.8m、体長2.6mもある大型の鹿です。
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3億5000万年まで海洋に広く分布し繁栄した、頭足類の「アンモナイト」・・・多くの種が平らな巻き貝のような形をした殻を持っているのが特徴で、形態も多種多様。
大きさも変化に富んでおり、殻の直径が10~20cm程度のものが多いのですが、2m近くにもなる大きなアンモナイトもいました。 -
約1300万年前に絶滅した「パレオパラドキシア」・・・体長は1.5~2.0 mほどで、カバやセイウチに似た草食動物です。
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約1400万年前から1200万年前に、日本近海にも生息した哺乳類「アロデスムス」・・・アザラシなどに似ており、オスの成獣は体長3m以上、体重300kgほどで、メスは一回り小さかったようです。
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2階のテーマは「生き物たちの日本列島」・・・キジやヤマドリなどの美しい剥製が展示されています。
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中央ホールに置かれた「ダイオウイカ」の実物大模型・・・何ともでかくて迫力があり、大きなものは全長18mにもなるそうです。
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「くじらカフェ」で小休止し、次は東京国立博物館に向かいます。
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東京国立博物館は正面に本館、左側に特別展用の表慶館、その奥に平成館などがありますが、平成館で開催中の大覚寺展を覗いてみることにしました。
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博物館に入ると、前庭にキティちゃんが!!
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表慶館ではハローキティ50周年を記念して、2024年11月~2025年2月まで「Hello Kitty展 ―わたしが変わるとキティも変わる―」を開催中。
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表慶館を右に曲った平成館の前にある「森鴎外総長室跡」の案内板・・・明治15年(1882)に博物館が上野に移転してから、平成館と前庭の一帯に事務棟が建てられ、作家・軍医として著名な森鴎外は、1917年から1922年に死去するまで帝室博物館を統括する総長として、ここで執務しました。
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現天皇陛下のご成婚を記念し、平成11年(1999)に開館した「平成館」・・・多様な企画展示に対応できる大きな建物です。
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1月21日~3月16日の期間は、京都・大覚寺の開創1150年を記念した特別展「旧嵯峨御所 大覚寺-百花繚乱 御所ゆかりの絵画-」が開催されています。
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2階からエントランスを見ると、大理石の階段に見事な天井の照明・・・ゆったりとした空間にゴージャス感が溢れています。
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今回の特別展は4章からなり、第1章から第3章までは時代毎に大覚寺の歴史を辿り、平安時代から江戸時代にわたる各時代の象徴的な寺宝が紹介され、第4章は本展の中心的な作品である華やかな障壁画100面が会場を彩ります。
会場に入ると、平安時代後期の仏像の最高傑作のひとつである、明円作「五大明王像」(本尊)が、東京で初めて5体揃って公開されています。 -
平安時代に嵯峨天皇(786~842)の離宮として建てられた「大覚寺」。
唐の文化に憧れていた嵯峨天皇は、唐から戻った弘法大師・空海を庇護し、空海の勧めで持仏堂を建てて五大明王像(現存せず)を安置するなど、離宮は寺としての性格を強めます。
そして、貞観18年(876)に寺に改められ、鎌倉時代には後宇多法皇が入寺し、歴代天皇や皇族が関わる門跡寺院となりました。
大覚寺中興の祖と言われる後宇多法皇は大覚寺で院政を行い、大伽藍を造営するなど大きな影響力を持ちました。 -
第4章のタイトルは「女御御所の襖絵 ーーー 正寝殿と宸殿」・・・大覚寺伽藍の中心となる宸殿は、1620年に後水尾天皇に入内した徳川和子の女御御所の一部が移築されたもので、その北西には安土桃山時代の建物・正寝殿があります。
これらの建物の内部は240面の障壁画(襖絵・障子絵)で飾られていますが、本展では100面を一挙に公開しています。
最初に展示されているのは正寝殿の障壁画で、これは「賢人の間」の「竹林七賢図」・・・渡辺始興の筆による江戸時代18世紀の襖絵で、中国・晋時代に、俗世間を避けて隠遁した7人の思想家達を描いています。 -
「紅葉の間」の「立木図」・・・安土桃山~江戸時代(16~17世紀)の襖絵です。
襖絵の多くは、安土桃山~江戸時代を代表する絵師・狩野山楽(1559~1635)と、江戸時代中期に近衛家の絵師となった渡辺始興(1683~1755)によって手掛けられました。 -
客人を迎えるための玄関「式台玄関」は12枚の障壁画で飾られていますが、中央の2面が本展で展示されています。
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式台玄関の中央を飾る「松に山鳥図」・・・江戸時代17世紀のもので、老齢の松と、壮年のカエデや菊を描いた壁貼付絵です。
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東狭屋の間の腰障子に描かれた「野兎図」・・・渡辺始興による江戸時代18世紀の板絵です。
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正寝殿の入縁(屋内縁側)を飾るために、様々な姿をした19羽の愛らしい兎たちの姿が腰障子に描かれています。
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これらの絵は、12歳で大覚寺に入った卯年生まれの門跡・第四十一世門跡・寛深を慰めるために描かれたものだそうです。
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生き生きと描かれた兎たちに、幼い門跡も心が和んだことでしょう。
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野兎図の裏面(紅葉の間・竹の間の東面)には、「四季花鳥図」が描かれています。
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渡辺始興筆の板絵「芭蕉図」。
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渡辺始興筆の板絵「鶴図」。
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正寝殿は歴代門跡の御座所(居室)ですが、その中で最も格式高い場所が「御冠(おかんむり)の間」・・・かつて後宇多法皇(第91代・後宇多天皇)が当寺で院政を行い、執務の際に御冠を傍らに置いたことが名称の由来で、1392年には南北朝講和の舞台になったとも伝えられています。
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正面(背面)の「山水図」・・・狩野山楽による水墨画で、水辺を中心とした穏やかな景観は、御冠の間を飾るに相応しい格式の高さを感じます。
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一段高い御座所の右側にも山水図。
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「雪の間」の襖引手金具(江戸時代17世紀)・・・中央に徳川家の三つ葉葵紋を置き、周囲に皇室ゆかりの菊紋を配しています。
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「鷹の間」の「松鷹図」・・・巨大な松と勇猛な鷹を豪壮に描き表した狩野山楽による水墨花鳥画の代表作。
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ここからは宸殿の障壁画。
これは「柳松の間」を飾る「松鶴図」・・・松の樹上には子育てするつがいの鶴と、生まれたばかりのヒナが描かれています。
大樹は将軍の異称であることから、徳川家の庇護の下で後水尾天皇と徳川和子が子宝に恵まれるよう願った画題と思われます。 -
展示室の天井には、これから観る「牡丹図」などの絵を描いた暖簾が吊り下げられ、幻想的な雰囲気を醸し出しています。
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宸殿の最も重要な部屋「牡丹の間」を飾る「牡丹図」・・・総延長22mにも及ぶ全18面の襖絵は、圧巻です!!
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「牡丹図」は、今を盛りと咲く牡丹を装飾的に描いた狩野山楽の代表作。
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18面の襖絵は「牡丹の間」の東・北・西面を飾り、花株の位置を細かく計算して配置することで、リズミカルな展開と画面の奥行きを見事に表現しています。
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金地を背景にして、牡丹の花が大きく浮かび上がるように描かれた「牡丹図」・・・400年以上前の襖絵とは思えない美しさです。
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「牡丹図」の裏面には、同じく山楽の手による「柳桜図」「紅白梅図」が描かれています。
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若笹や野春菊、白丁花など春の景色を豊かに描いた「柳松の間」の「柳桜図」。
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柳の枝には、つがいの白鷺が描かれています。
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「牡丹図」と並び、写実と装飾を見事に調和させた狩野山楽の代表作である「紅梅の間」の「紅白梅図」・・・中央に大きな紅梅、右に白梅が描かれています。
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岩組の上には、つがいのオシドリ。
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梅の大木から枝が縦横に延びて鮮やかな紅梅の花を咲かせ、上部には霞がかかっています。
見応えタップリの大覚寺展でした。 -
16時前に国立西洋美術館に戻ると、40分の行列・・・これ位なら我慢できます。
1959年に開館した国立西洋美術館は、フランス政府より寄贈返還された「松方コレクション」を基礎に、主にルネサンスから20世紀半ばまでの西洋の絵画・彫刻・版画・素描など約6,500点を所蔵。
また、ル・コルビュジエの設計による建物は、世界遺産に登録されています。 -
日本でも人気が高いクロード・モネ(1840~1926)は、印象派を代表するフランスの画家。
パリに生まれたモネは10代から絵を学び始め、1880年ごろまで貧しい生活が続いていましたが、個展の成功や画商との契約成立などで暮らし向きが安定し、1983年にはフランス北西部のジヴェルニーに移り、自宅の周りや製作旅行で目にしたものなどを描くようになります。
中でも、自宅の庭に作った睡蓮の池を描いた連作はモネの代名詞になり、同じ場所やモチーフを異なる季節・時間や角度から描くことで、光や色の表現を追求していきました。 -
今回のモネ展のタイトルは「モネ 睡蓮のとき」・・・日本で開催されるモネ展としては最大規模で、パリのマルモッタン・モネ美術館の所蔵作品(約50点)を中心に、国立西洋美術館をはじめ日本各地に所蔵される作品を加えた、計64点のモネの絵画が鑑賞できます。
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展示室の入り口前には、横長の大パネルと今回展示されている絵のロングパネルが飾られています。
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展示は1章から4章、そしてエピローグ。
3章は「大装飾画への道」・・・真っ白な部屋に、モネが晩年に取り組んだ睡蓮の作品が並び、撮影もOK ! -
1921年に松方幸次郎がモネから直接購入した「睡蓮」(1916年作)。
モネは睡蓮など大装飾画作品の殆どを生前に手放すことなく、1926年の死の間際まで試行錯誤を重ねます。
モネが作品を売ることを認めた唯一の相手が、国立西洋美術館のコレクションの基礎を築いた松方幸次郎でした。 -
「睡蓮、柳の反映」(1916年作)・・・オランジュリー美術館にある全長90mの「睡蓮」の大装飾画の一部「木々の反映」の習作で、上半分が金色になっているのは、ナチスから避難させていた時の保存状態が良くなくて、欠損してしまったそう。
この2作品が国立西洋美術館(松方コレクション)からの出展で、以下の作品は全てマルモッタン・モネ美術館の所蔵作品。 -
「睡蓮、柳の反映」(1916~19年頃)・・・柳と睡蓮と光が溶け合う、抽象度の高い作品ですが、この時期のモネは目に不自由を抱えていたので、こんな描き方になったのかもしれません。
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「睡蓮」(1916~19年頃)
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「睡蓮」(1916~19年頃)・・・柳と水面に映る雲と睡蓮の美しい作品です。
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「睡蓮」(1914~17年頃)
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「睡蓮の池」(1917~19年頃)・・・印象に残る作品です。
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「睡蓮」(1914~17年頃)・・・空を写し込んだ青い池に、緑色の睡蓮の葉と黄色い睡蓮というシンプルな構図。
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「睡蓮、柳の反映」(1916~19年頃)・・・全体的に暗い画面に点在する縦長の白色は、差し込む光の反映。
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企画展のモネ展を鑑賞した後は、常設展へ・・・常設展の作品は中世末期から20世紀初頭にかけての西洋絵画が中心で作品数も多く、見応えタップリ。
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フランク・ブラングィン「松方幸次郎の肖像」(1916年)・・・川崎造船所社長で衆議院議員も務めたた松方幸次郎(1866~1950)は美術収集家でもあり、ジヴェルニーのモネの家を訪れて交流を深め、30点以上ものモネの作品を収集しました。
たびたびヨーロッパを訪れた幸次郎は、自らの趣味のためではなく、若い画家たちに本物の西洋美術を見せたいという気概をもって1万点に及ぶ美術品を買い集めましたが、造船所の破綻でコレクションは国内外に散逸し、1959年にフランス政府から寄贈された約400点の松方コレクションの受け入れ機関として国立西洋美術館が設立されました。
因みに幸次郎の父親は明治の元勲で、第4代・第6代内閣総理大臣の松方正義です。 -
16世紀エミリア派(アレッサンドロ・ベドリ)「ヴィーナスとキューピッド」・・・ヴィーナスの柔らかな姿態とキューピッドの愛らしさが伝わる作品です。
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クールベ「罠にかかった狐」(1860年作)・・・狩人で画家だったギュスターヴ・クールベ(1819~1877)は、1850年代後半から狩猟をテーマにした絵画を数多く手掛けました。
積雪の森で、罠に捕らわれた狐の痛みが伝わってくるような筆致です。 -
マネ「ブラン氏の肖像」(1879年頃)・・・エドゥアール・マネ(1832~1883)は19世紀のパリに生きる「今」を描き、近代絵画の道を切り開きました。
グレーのシルクハットに青紫の礼服を粋に着こなし、明るい自然光の小道でポーズをとるブラン氏・・・マネらしい現代性に溢れた作品です。 -
セザンヌ「散歩」(1871年)・・・「近代絵画の父」と言われるポール・セザンヌ(1839~1906)の初期の作品。
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セザンヌ「葉を落としたジャ・ド・ブッファンの木々」(1885~86年)・・・南仏のエクス・アン・プロヴァンスに拠点を移したセザンヌは、父が郊外に購入したジャ・ド・ブッファン(風の館)を好んで画題にしました。
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セザンヌ「ポントワーズの橋と堰」(1882年)・・・川のほとりから中心街へと視線を向けたこの絵画には、鉄道橋や堰など近代化を象徴するモチーフがみられます。
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ドガ「舞台袖の3人の踊り子」(1880~85年頃)・・・19世紀パリの代表的な社交場であったオペラ座で垣間見た1コマで、バレーを主題としたエドガー・ドガ(1834~1917)の作品は、過半数が踊り子を対象にしています。
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ルノワール「帽子の女」(1891年)・・・オーギュスト・ルノワール(1841~1919)の「真珠色の時代」と呼ばれた1990年代の作品。
柔らかな筆致が捉える白いドレスと滑らかな肌は、まさに真珠のような淡い色調が溶け合う繊細な輝きを湛えて背景の鮮やかな色彩と好対照をなし、装飾的な作りの帽子の華やかさが目を引きます。 -
ルノワール「アルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)」(1872年)・・・ルノワール初期の代表作の1つで、ハーレムの官能的な女たちを描いています。
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モネ「並木道(サン=シメオン農場の道)」(1864年)・・・1864年の夏、若きモネが画家仲間のバジールとノルマンディー地方に絵を描きに行った時の初期作品で、道の上に戯れる光の描写にモネの個性の萌芽を見出すことができます。
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モネ「雪のアルジャントゥイユ」(1875年)・・・睡蓮を描く前は、こんな絵も描いていたのですね。
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モネ「しゃくやくの花園」(1887年)
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モネ「波立つプールヴィルの海」(1897年)・・・モネが生涯を通じて愛したモティーフの一つに、故郷ノルマンディー地方の海と空が形づくる景色があります。
浜辺の漁師小屋から描かれたこの作品は、彼の他の多くの風景画と異なり、リズミカルな粗い筆触で塗りは非常に薄くなっています。 -
ゴーガン「海辺に立つブルターニュの少女たち」(1889年)・・・ブルターニュ地方の民族衣装を身にまとった裸足の少女たちを描いたポール・ゴーガン(1848~1903)は、この後(1891年)タヒチ島に向かいます。
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ピカソ「男と女」(1969年)・・・パブロ・ピカソ(1881~1973)が88歳だった時の作品で、まるでダンスを踊るかのようにもつれ合う裸の男女を描いています。(寄贈者は梅原龍三郎)
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ミロ「絵画」(1953年)・・・自然の象徴的記号を描いたジョアン・ミロ(1893~1983)の作品で、太陽や星を示す記号が単純化され、広々とした天空を想わせるような、明るい雄大な雰囲気を持つ作品です。
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約2時間かけて特別展と常設展の名画を鑑賞し、国立西洋美術館を後にしました。
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