2024/10/20 - 2024/10/20
70位(同エリア156件中)
あおしさん
戦国時代、織田信長、徳川家康、武田信玄、上杉謙信など数か国の領地を持つ戦国大名たちが天下の覇権をめぐって争っていました。
その下に、小さな領地を持つ領主たち(国人といいます)が生き残りをかけてそれら強大な戦国大名たちの間で必至で生き残りの戦いをしていました。
その中には1万石程度の小領主から200万石の中国の覇者となった毛利元就や、大大名の中を巧みに泳いで大名となった真田昌幸のような「大河ドラマ」の主役になるような勝ち組もいましたが、多くの国人は歴史の中に埋もれていきました。
今回は愛知県奥三河の小豪族だった菅沼氏の居城・田峰城を訪ねました。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
豊橋駅からJR東海・飯田線を走る特急「伊那路」でスタート。
3両編成のミニ特急です。
車内はガラガラ。
特急料金のいらない快速化した方が利用者には便利になりそう。特急「伊那路」に乗りました by あおしさんJR飯田線 乗り物
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豊橋駅から約35分、本長篠駅に到着。
現在は新城市ですが、平成の大合併までは旧鳳来町の駅でした。
1300年の歴史を持つ名刹鳳来山・鳳来寺への最寄駅としてかつては栄えた駅です。
今は利用者も少なくひっそりとしています。本長篠駅 駅
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かつてはこの駅から豊橋鉄道・田口線というローカル線が鳳来寺門前を通り、隣の設楽町の中心・田口まで結んでいました。
昭和43年に廃止後は、豊橋鉄道のバスが代わりに運行されています。 -
本長篠駅から駅前の商店街を抜けたところにあるバスターミナルから、バスに乗り換えます。
お客はわたしともう1人のおじさんだけ。 -
本長篠から約30分、設楽町の中心・田口の手前の「道の駅 したら」で途中下車。
ここには設楽町郷土館があります。
小さな町にしては、なかなかきれいで充実した資料館です。設楽町の道の駅 設楽町の郷土資料館もあります by あおしさん道の駅 したら 道の駅
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設楽町田口は、かつては交通の要衝としてとても栄えていたそうです。
特に昭和30年代が全盛期だったとのこと。
当時の市街地の地図では多くの商店や飲み屋などが並んでいて活気があったようです。道の駅 したらに併設されています by あおしさん設楽町役場奥三河郷土館 美術館・博物館
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田口には当時は映画館も2つもあったそうです。
映画全盛期の昭和30年代とは言え、現在は地方ではそれなりの市でも映画館がないことを思うと、隔世の感がします。
他にも当時の田口の街並みの写真が展示されていました。 -
交通の要衝である田口は本長篠から豊橋鉄道・田口線が開通し、ここからは北は長野県、西は愛知県豊田、東は静岡県までバス路線が伸びていました。
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当時の豊橋鉄道・田口線の駅名標などの備品が展示されていました。
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このあたりを領地としていた菅沼氏についても説明板や資料が展示されていました。
ここで菅沼氏についてお勉強。
菅沼氏はこの道の駅の近くの田峯城を本拠とし、分家を長篠城や、野田城などに置き、また作手城の奥平氏も従わせ、奥三河の有力豪族となっていました。 -
「道の駅 したら」の屋外には豊橋鉄道・田口線の電車が保存展示されていました。
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車内にも当時の写真が展示されていました。
昭和30年代はこの電車は多くの乗客でにぎわっていたのでしょう。 -
先ほど乗ったバスが田口で折り返してきたので、道の駅からとなりの田峯までバスに乗ります。
今度は乗客はわたしだけ。
設楽町の中心部へのバス路線が1日7本、乗客ガラガラとは地方のバスは大変です。 -
バス停を降りてからは田峯城を目指して歩きます。
バス停の前にはかつての鉄道のトンネル跡を見つけました。
実際ここには田峯駅がありました。 -
途中、道を間違えたのか、と思ったくらい山道を登っていきます。
道の駅から4キロのハイキングコースは整備されていますが、田峯のバス停からのコースはあまり整備されていないようでした。。 -
20分ほど登ると田峯城へ到着。
こちらは整備されていて、当時の建物も復元されています。戦国時代、この地で栄えた菅沼氏の居城 建物は復元されていました by あおしさん歴史の里田峯城 名所・史跡
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戦国時代の小さな豪族の城は、天守閣があるわけではなく、山の上に領主の居住する館を建てた山城です。
菅沼氏はこの田峯城を拠点として、奥三河地方に勢力をひろげていました。 -
菅沼氏の当主の間。
当時の鎧兜などや、菅沼氏の歴史についての説明板などがあります。
奥三河に勢力を張った菅沼氏ですが、やがてこの地は三河から徳川氏、甲斐から武田氏の争奪戦の舞台となります。 -
菅沼氏は一族の野田城に拠った分家(野田菅沼氏)以外は武田氏につきました。
しかし時には兄弟の間でも、徳川方、武田方に分かれ殺し合いもあったようです。
小領主にとっては、生き残るためには過酷な日々が続いたのです。 -
武田氏についた菅沼氏は武田信玄が健在のころは勢力を維持し、徳川氏についた野田菅沼氏は武田信玄に攻められ落城しています。
しかし野田城攻めのあと武田信玄が急死すると、徳川氏が優勢になり、作手奥平氏には拠点の1つ長篠城を奪われ、やがて、徳川家康に滅ぼされてしまいました。本長篠駅 駅
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田峯城をまわった後、バスで本長篠駅に戻り、JR飯田線で鳥居駅に降ります。
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鳥居駅は有名な長篠城攻防戦で名を挙げた鳥居強右衛門にちなんだ駅名です。
徳川家康に味方し、長篠城を奪った奥平氏でしたが、信玄のあと武田勝頼が15000の大軍で猛攻を受けます。
城主奥平信昌はわずか500人。
徳川家康へ救援を求め、足軽の鳥居強右衛門を伝令に向かわせます。鳥居駅 駅
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鳥居駅からすぐのお寺にある鳥居強右衛門のお墓。
鳥居強右衛門が岡崎に着くと、すでに徳川家康、さらに織田信長も救援にきて準備が整っていました。
鳥居強右衛門は大喜びして、長篠に戻りますが、そこで武田勝頼につかまってしまいました。
勝頼は長篠の奥平勢の士気を下げるために「救援は来ない」と言わせようとしましたが、彼は大声で「あと3日で救援は来るぞ!」と叫び、勝頼に殺されました。
しかし、これで奥平方の士気はあがり、さらに織田、徳川連合軍が駆けつけて武田勝頼を撃破し、奥平氏は滅亡から救われました。
奥平信昌は家康の長女を妻とし、のちに徳川時代には大名になり、武田と心中した菅沼氏と異なり、おおいにに栄えました。
鳥居強右衛門は信長も称賛し、自ら足軽風情の強右衛門のために墓を建てたと伝わります。織田信長が建てさせたという鳥居強右衛門のお墓があります。 by あおしさん新昌寺 寺・神社・教会
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鳥居駅から今度は下り電車に乗って、三河大野駅へ。
この駅も1日数本の電車が発着するだけの無人駅。三河大野駅 駅
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三河大野駅のある大野は、ここも鳳来寺参詣の拠点・宿場町として栄えました。
現在も宿場町の面影の残る町です。 -
かつてこのあたりを地盤にした大野銀行本店の建物が残っています。
貴重な建物として有形文化財、現在は喫茶店として使われています。かつて繁栄した大野の町のシンボル by あおしさん鳳来館 グルメ・レストラン
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今日のお泊りは湯田温泉。
山の中のひなびた温泉地ですが、リーズナブルでなかなか快適なホテル旅館でした。湯谷温泉 湯の風 HAZU 宿・ホテル
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