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台中市中区に建つ「東協(ASEAN)広場」ビルとその周辺には、東南アジア諸国の移民労働者が集う。2025年の年初、台中のごく狭いエリアを歩いた記録と、2024年の年末に訪ねた台南の国立歴史博物館の回想。

ピラミッド台中

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2024/12/28 - 2025/01/04

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ドがつく無能さん

台中市中区に建つ「東協(ASEAN)広場」ビルとその周辺には、東南アジア諸国の移民労働者が集う。2025年の年初、台中のごく狭いエリアを歩いた記録と、2024年の年末に訪ねた台南の国立歴史博物館の回想。

  •  2024年12月31日、台南市郊外にある国立台湾歴史博物館。『この土地、この民:台湾の物語』と題された常設展の冒頭にあったのは、台湾各地の地名にまつわる短いストーリーを当地に縁深い人達の言語で紹介する『母語地名故事』(https://pnts.nmth.gov.tw/)という展示だった。<br /> この国に長い歴史をもつ先住民族の言語、あるいは客家語、閩南語などで語られる物語に比して、インドネシア語で語られる「Piramid Taichung(ピラミッド台中)」の物語はまだ新しい。しかしそれは、この国がこの国の歴史のなかに確かに位置づけようとする、新しい住民の物語だった。<br /><br />〈台中第一広場には一つの金字塔形の建物があります。〉<br />〈「金字塔」はインドネシア語で「piramid」と書き、「ピラミッド」と発音します。それは後に、インドネシア人労働者の間で「第一広場」を指す呼び名として使われるようになりました。〉<br />〈広場には、フィリピン、タイ、ベトナム、インドネシアのそれぞれの空間が入り混じって存在し、まさに東南アジア諸国の縮図となっています。〉<br /> (インドネシア語、台湾華語の表記を元に機械翻訳)<br /><br /> 私はその場でスマホを取り出し、Googleマップで「第一広場」の名前を検索した。台中は二日後に訪れる予定の街だった。

     2024年12月31日、台南市郊外にある国立台湾歴史博物館。『この土地、この民:台湾の物語』と題された常設展の冒頭にあったのは、台湾各地の地名にまつわる短いストーリーを当地に縁深い人達の言語で紹介する『母語地名故事』(https://pnts.nmth.gov.tw/)という展示だった。
     この国に長い歴史をもつ先住民族の言語、あるいは客家語、閩南語などで語られる物語に比して、インドネシア語で語られる「Piramid Taichung(ピラミッド台中)」の物語はまだ新しい。しかしそれは、この国がこの国の歴史のなかに確かに位置づけようとする、新しい住民の物語だった。

    〈台中第一広場には一つの金字塔形の建物があります。〉
    〈「金字塔」はインドネシア語で「piramid」と書き、「ピラミッド」と発音します。それは後に、インドネシア人労働者の間で「第一広場」を指す呼び名として使われるようになりました。〉
    〈広場には、フィリピン、タイ、ベトナム、インドネシアのそれぞれの空間が入り混じって存在し、まさに東南アジア諸国の縮図となっています。〉
     (インドネシア語、台湾華語の表記を元に機械翻訳)

     私はその場でスマホを取り出し、Googleマップで「第一広場」の名前を検索した。台中は二日後に訪れる予定の街だった。

  •  2025年1月2日。地図で見たとおり、「ピラミッド台中」は私達が予約した宿のすぐ近くにあった。その名の由来となった鉄製のピラミッド型のモニュメントを囲むように、三棟のビルが建っている。竣工から35年を経た建物の外壁は煤けていて、たとえば台中駅の反対側に立つ今風のショッピングモール(大魯閣新時代購物中心)などとは対照的で、時間に置き去りにされたような印象すらうける。<br /><br /> 実際、ネット上で閲覧できた論文や記事によると、ビルが竣工した1990年当時こそ、この辺り(中区)は台中市内の最も繁華なエリアといえたものの、以後、発展の重心は隣接区に遷移していったらしい。区内に頻発した火災や地震の影響が指摘されるとともに、同時期に急増した南方からの移民労働者達の休暇に集う姿が旧来の住民に忌避されたことも論文には示されている。日本語で読むことのできる白春燕(2010)『第一広場の変遷』(https://japan.thu.edu.tw/journal/wp-content/uploads/%E5%A4%9A%E5%85%83%E6%96%87%E5%8C%96%E4%BA%A4%E6%B5%81%E7%AC%AC2%E8%99%9F_10%E7%99%BD%E6%98%A5%E7%87%95.pdf)は、消費者としての移民労働者がもたらした第一広場の空間の変化と、それに対する住民の反発と回顧の言葉を紹介している。<br /><br />「今の第一広場は移住労働者の天下になったね。でも、1990年代の第一広場はわれわれ高校生の天国だったよ。その中には流行の洋服と美食がいっぱいあった。放課後、いつもクラスメートと一緒にあそこへ買い物に行った。今の光景は全然変わってしまった。移住労働者に占領された。ちょっと怖かった。」<br />「私も放課後よく第一広場へ通っていた。地下一階においしい料理がたくさんあった。但し、今の第一広場は怖くなっていけない。」<br />(「4.2 消費的エスノスケープ(consumptive ethnoscape)の変化」内で引用されているネット上の書き込み)<br />

     2025年1月2日。地図で見たとおり、「ピラミッド台中」は私達が予約した宿のすぐ近くにあった。その名の由来となった鉄製のピラミッド型のモニュメントを囲むように、三棟のビルが建っている。竣工から35年を経た建物の外壁は煤けていて、たとえば台中駅の反対側に立つ今風のショッピングモール(大魯閣新時代購物中心)などとは対照的で、時間に置き去りにされたような印象すらうける。

     実際、ネット上で閲覧できた論文や記事によると、ビルが竣工した1990年当時こそ、この辺り(中区)は台中市内の最も繁華なエリアといえたものの、以後、発展の重心は隣接区に遷移していったらしい。区内に頻発した火災や地震の影響が指摘されるとともに、同時期に急増した南方からの移民労働者達の休暇に集う姿が旧来の住民に忌避されたことも論文には示されている。日本語で読むことのできる白春燕(2010)『第一広場の変遷』(https://japan.thu.edu.tw/journal/wp-content/uploads/%E5%A4%9A%E5%85%83%E6%96%87%E5%8C%96%E4%BA%A4%E6%B5%81%E7%AC%AC2%E8%99%9F_10%E7%99%BD%E6%98%A5%E7%87%95.pdf)は、消費者としての移民労働者がもたらした第一広場の空間の変化と、それに対する住民の反発と回顧の言葉を紹介している。

    「今の第一広場は移住労働者の天下になったね。でも、1990年代の第一広場はわれわれ高校生の天国だったよ。その中には流行の洋服と美食がいっぱいあった。放課後、いつもクラスメートと一緒にあそこへ買い物に行った。今の光景は全然変わってしまった。移住労働者に占領された。ちょっと怖かった。」
    「私も放課後よく第一広場へ通っていた。地下一階においしい料理がたくさんあった。但し、今の第一広場は怖くなっていけない。」
    (「4.2 消費的エスノスケープ(consumptive ethnoscape)の変化」内で引用されているネット上の書き込み)

  •  様々な感情を浮かべながら、偶然や必然の影響下、社会は変化した。それに随って2016年、この煤けたビルの名前は、かつて日本統治時代に設けられた市場の名前に由来する「第一広場」から、ASEANの台湾式表記(東南亜国家協会)を冠した「東協広場(ASEAN SQUARE)」へと改められた。<br /><br /><br /> 囲い建つ三棟のうち正面に位置するB棟は、高層階に入居するKTV(カラオケ店)や映画館の広告が壁面に掲げられ、最も賑やかな印象を受ける。高層部へ上るエレベーターを避け、ひとまず一階の入口をくぐると、スマホや周辺機器を並べた小さな電機店や、おそらくベトナム人向けと思われる衣料品店などが階を埋めていた。

     様々な感情を浮かべながら、偶然や必然の影響下、社会は変化した。それに随って2016年、この煤けたビルの名前は、かつて日本統治時代に設けられた市場の名前に由来する「第一広場」から、ASEANの台湾式表記(東南亜国家協会)を冠した「東協広場(ASEAN SQUARE)」へと改められた。


     囲い建つ三棟のうち正面に位置するB棟は、高層階に入居するKTV(カラオケ店)や映画館の広告が壁面に掲げられ、最も賑やかな印象を受ける。高層部へ上るエレベーターを避け、ひとまず一階の入口をくぐると、スマホや周辺機器を並べた小さな電機店や、おそらくベトナム人向けと思われる衣料品店などが階を埋めていた。

  •  売場をひと廻りしてエスカレーターで二階に上がると、中央部には先程と同じような業種の店が並び、その両側は「Big King」という名の移民向けスーパーになっていた。<br /><br /> フィリピン、ベトナム、タイ、インドネシアの四カ国の食品や生活雑貨が区分けされ、またときに混在しながら棚に陳列されている。まさに東南アジアの縮図である。最近は日本にも中国物産店やベトナム物産店が増えてきたが、フィリピンやインドネシアの商品を扱う店は私の暮らす大阪にはまだ珍しいので、目新しい商品に興奮した。特に、冷蔵庫に並んだBia Ha Noi(ベトナム)、SINGHA BEER(タイ)、San Miguel(フィリピン)といった各国の缶ビールのラインナップは圧巻だった。

     売場をひと廻りしてエスカレーターで二階に上がると、中央部には先程と同じような業種の店が並び、その両側は「Big King」という名の移民向けスーパーになっていた。

     フィリピン、ベトナム、タイ、インドネシアの四カ国の食品や生活雑貨が区分けされ、またときに混在しながら棚に陳列されている。まさに東南アジアの縮図である。最近は日本にも中国物産店やベトナム物産店が増えてきたが、フィリピンやインドネシアの商品を扱う店は私の暮らす大阪にはまだ珍しいので、目新しい商品に興奮した。特に、冷蔵庫に並んだBia Ha Noi(ベトナム)、SINGHA BEER(タイ)、San Miguel(フィリピン)といった各国の缶ビールのラインナップは圧巻だった。

  •  インドネシア製のウコンとタマリンドのミックスジュースを買い店を出て、栄養ドリンクに似た不思議な味に困惑しながら反対側の「Big King」を覗いた。置かれた商品が違うのかと思って中に入ると、点在する数人の店員達がやけに賑やかに話している。しばらく何事かわからなかったが、それはスマホ配信で商品を紹介して販売する、ライブコマースの現場だった。配信者のなかにはヒジャブを着用した女性もいた。<br /> 台湾製品をインドネシアに輸出しているのか、あるいは輸入されたインドネシア製品を台湾各地に暮らす同胞達に向けて販売しているのか。いずれにせよ、このビルの一角は、二十年ほど前にそこにあった消費空間を突き抜けて、いまや放射線状のネットワークによって外に繋がっているのだ。<br /><br /><br /> さらにエスカレーターに乗って三階に向かう。<br /> エスカレーターを降りたところで目に入ってきたのは、壁面の全長10メートル以上に及ぶ広告だった。もとい、のちに知ったことなのだが、それは広告ではなく、台中で開催中のアジアビエンナーレに出品され、このビルに展示された、トルコ出身の芸術家Nil Yalterの作品だった。

     インドネシア製のウコンとタマリンドのミックスジュースを買い店を出て、栄養ドリンクに似た不思議な味に困惑しながら反対側の「Big King」を覗いた。置かれた商品が違うのかと思って中に入ると、点在する数人の店員達がやけに賑やかに話している。しばらく何事かわからなかったが、それはスマホ配信で商品を紹介して販売する、ライブコマースの現場だった。配信者のなかにはヒジャブを着用した女性もいた。
     台湾製品をインドネシアに輸出しているのか、あるいは輸入されたインドネシア製品を台湾各地に暮らす同胞達に向けて販売しているのか。いずれにせよ、このビルの一角は、二十年ほど前にそこにあった消費空間を突き抜けて、いまや放射線状のネットワークによって外に繋がっているのだ。


     さらにエスカレーターに乗って三階に向かう。
     エスカレーターを降りたところで目に入ってきたのは、壁面の全長10メートル以上に及ぶ広告だった。もとい、のちに知ったことなのだが、それは広告ではなく、台中で開催中のアジアビエンナーレに出品され、このビルに展示された、トルコ出身の芸術家Nil Yalterの作品だった。

  •  中央アジア系と思われる人々が写るモノクロ写真には、繁体字の「流亡是份艱難的工作」と英文の「Exile is a hard job」の文字が、真赤なペンキで殴り書きされている。「流亡」も「exile」も日本語に訳すならば、亡命、逃亡、流浪といった意味になる。日本の入管制度に馴染んだ者からすると写真の彼女らが「難民」なのか「移民」なのかと不毛な判別を試みそうになるが、このビルに掲げられたその言葉は、異郷に暮らす人々の苦難を現したものと広く素直に受けとるべきだろう。<br /><br /><br /> 三階中央部は一、二階同様、小さな商店が点在していたが、空き店舗も多く比較的閑散としていた。その通路の奥からエコーの強いマイクを通した歌声を耳にした。音を辿っていくと、休憩中と思しきフィリピン料理店で、スタッフや関係者らしい中高年の男女がカラオケを歌っていた。

     中央アジア系と思われる人々が写るモノクロ写真には、繁体字の「流亡是份艱難的工作」と英文の「Exile is a hard job」の文字が、真赤なペンキで殴り書きされている。「流亡」も「exile」も日本語に訳すならば、亡命、逃亡、流浪といった意味になる。日本の入管制度に馴染んだ者からすると写真の彼女らが「難民」なのか「移民」なのかと不毛な判別を試みそうになるが、このビルに掲げられたその言葉は、異郷に暮らす人々の苦難を現したものと広く素直に受けとるべきだろう。


     三階中央部は一、二階同様、小さな商店が点在していたが、空き店舗も多く比較的閑散としていた。その通路の奥からエコーの強いマイクを通した歌声を耳にした。音を辿っていくと、休憩中と思しきフィリピン料理店で、スタッフや関係者らしい中高年の男女がカラオケを歌っていた。

  •  この極めて内輪ノリな情景は、私が知る大阪府八尾市のベトナム料理店に併設されたカラオケボックスを想起させた。インドシナ難民として来日したベトナム人が多い八尾では、オールドカマーの経営する家庭的なベトナム料理店が、ニューカマーの若いベトナム人労働者に故郷の味と憩いの場を提供している。<br /> このフィリピン料理店にも夜や週末には若者が集うのだろうか。三階にはこの店以外にもカラオケを設置しているらしい各国の料理店があり、できれば営業時間中に再訪してみたかったが、結局短い滞在期間中にその空気を味わうことはできなかった。<br /><br /> 三階の隅にはなぜか、閉店中の本屋や、古銭を扱う骨董品屋が数軒あって、どうやらこの一角だけは台湾人向けの商売をしているらしかった。そして、そんなところに唐突に現れたのが「国際移工生活照顧服務中心」と看板を掲げる、移民労働者のサポート(照顧)を目的とするサービスセンター(服務中心)だった。

     この極めて内輪ノリな情景は、私が知る大阪府八尾市のベトナム料理店に併設されたカラオケボックスを想起させた。インドシナ難民として来日したベトナム人が多い八尾では、オールドカマーの経営する家庭的なベトナム料理店が、ニューカマーの若いベトナム人労働者に故郷の味と憩いの場を提供している。
     このフィリピン料理店にも夜や週末には若者が集うのだろうか。三階にはこの店以外にもカラオケを設置しているらしい各国の料理店があり、できれば営業時間中に再訪してみたかったが、結局短い滞在期間中にその空気を味わうことはできなかった。

     三階の隅にはなぜか、閉店中の本屋や、古銭を扱う骨董品屋が数軒あって、どうやらこの一角だけは台湾人向けの商売をしているらしかった。そして、そんなところに唐突に現れたのが「国際移工生活照顧服務中心」と看板を掲げる、移民労働者のサポート(照顧)を目的とするサービスセンター(服務中心)だった。

  •  事務所内にはスタッフが在席していそうだったが旅行者の身分で声をかけるには気後れし、ひとまず外部の壁面に貼られた各種のチラシを眺めて写真を撮り、やはりこの機関がどのような支援を提供しているのか興味をひかれ、とりあえずチラシを一部貰えないかと話してみようと思ったときに中からスタッフが顔を覗かせた。<br /> 私達が日本から来た旅行者であること、ここ数年の日本における移民労働者がおかれた社会状況と比較して台湾のそれがどのようなものか関心があること、などを拙い中国語で伝え、ともかくチラシをいただけないかとお願いすると、もう一人の若いスタッフが現れ、事務所内に招き入れてくれた。<br /> 彼の説明と私への質問と私の質問への回答について、私の語学力は全く及ばず、わずかな単語を聞き取ったり、それに関連すると思われることを、知るかぎりの単語を並べて伝えることしかできなかった。

     事務所内にはスタッフが在席していそうだったが旅行者の身分で声をかけるには気後れし、ひとまず外部の壁面に貼られた各種のチラシを眺めて写真を撮り、やはりこの機関がどのような支援を提供しているのか興味をひかれ、とりあえずチラシを一部貰えないかと話してみようと思ったときに中からスタッフが顔を覗かせた。
     私達が日本から来た旅行者であること、ここ数年の日本における移民労働者がおかれた社会状況と比較して台湾のそれがどのようなものか関心があること、などを拙い中国語で伝え、ともかくチラシをいただけないかとお願いすると、もう一人の若いスタッフが現れ、事務所内に招き入れてくれた。
     彼の説明と私への質問と私の質問への回答について、私の語学力は全く及ばず、わずかな単語を聞き取ったり、それに関連すると思われることを、知るかぎりの単語を並べて伝えることしかできなかった。

  •  事務所と呼ぶにも小さなスペースには、机を挟んで二脚ずつの椅子が置かれ、移民労働者の相談窓口を開設しているらしかった。壁面に貼られたスケジュール表には、各国語の通訳が在席する日時が記されている。私は部屋の奥に掲げられた「主辦単位 台湾労工大連盟工会 / 補助単位 台中市政府労工局」という表記に興味がひかれた。「工会」とは労働組合の意味である。スタッフの彼からも日本の組合に関する質問があったように思えて、私は「日本では労働組合と政府にはあまり関係がない」というようなことを伝えた。<br /><br /> 調べてみると、国民党独裁体制が永く続いた台湾では、コーポラティズム体制ともいわれる政府と組合の協調関係があるらしく、日本社会に馴染んだ私にはその関係の理解が難しい。<br />サポートセンターが発信する情報には、移民労働者に台湾社会のルールやマナーを啓発するものと、労働者の権利擁護を目的としたものが並ぶ。<br /> 移民に対する行政と民間組織の役割が、管理と支援にはっきりと分離された日本の状況を思えばこそ、このセンターのありようは把握しがたい。<br /> 実を記せば、先に紹介したエスカレーター脇の展示に関する情報を私が知ったのは帰国後のことで、その間、あの「流亡」が意味するところはもしや「就労先からの脱走」ではないかと勘ぐった時間すらあったのだった。

     事務所と呼ぶにも小さなスペースには、机を挟んで二脚ずつの椅子が置かれ、移民労働者の相談窓口を開設しているらしかった。壁面に貼られたスケジュール表には、各国語の通訳が在席する日時が記されている。私は部屋の奥に掲げられた「主辦単位 台湾労工大連盟工会 / 補助単位 台中市政府労工局」という表記に興味がひかれた。「工会」とは労働組合の意味である。スタッフの彼からも日本の組合に関する質問があったように思えて、私は「日本では労働組合と政府にはあまり関係がない」というようなことを伝えた。

     調べてみると、国民党独裁体制が永く続いた台湾では、コーポラティズム体制ともいわれる政府と組合の協調関係があるらしく、日本社会に馴染んだ私にはその関係の理解が難しい。
    サポートセンターが発信する情報には、移民労働者に台湾社会のルールやマナーを啓発するものと、労働者の権利擁護を目的としたものが並ぶ。
     移民に対する行政と民間組織の役割が、管理と支援にはっきりと分離された日本の状況を思えばこそ、このセンターのありようは把握しがたい。
     実を記せば、先に紹介したエスカレーター脇の展示に関する情報を私が知ったのは帰国後のことで、その間、あの「流亡」が意味するところはもしや「就労先からの脱走」ではないかと勘ぐった時間すらあったのだった。

  •  エスカレーターは三階で途切れていて、私達は再び地上のピラミッド脇に立ち、しばし休んだ。建物入口脇の大型ビジョンでは、ベトナム人の若者向けと思われる音楽イベントの広告映像が流れていて、そこにはベトナム人のアーティストの顔が大写しになっていた。

     エスカレーターは三階で途切れていて、私達は再び地上のピラミッド脇に立ち、しばし休んだ。建物入口脇の大型ビジョンでは、ベトナム人の若者向けと思われる音楽イベントの広告映像が流れていて、そこにはベトナム人のアーティストの顔が大写しになっていた。

  •  エレベーターに乗って六階、七階に上ると、ベトナム人、インドネシア人、タイ人のそれぞれに向けたクラブが居並んでいた。平日の昼間ゆえどこも閉まっていたが、壁にはイベントを告知するポスターがあちこちに貼られている。堂々たる視線で客を迎える出演DJ陣は、おそらくみな移民だろう。

     エレベーターに乗って六階、七階に上ると、ベトナム人、インドネシア人、タイ人のそれぞれに向けたクラブが居並んでいた。平日の昼間ゆえどこも閉まっていたが、壁にはイベントを告知するポスターがあちこちに貼られている。堂々たる視線で客を迎える出演DJ陣は、おそらくみな移民だろう。

  •  近年日本では、ベトナム人向けクラブで活動するベトナム人DJが入管法の定める「資格外活動」として逮捕される「事件」が、幾度か報じられてきた。日本の在留外国人がDJをするために、どのような形をとれば合法となるのか、また台湾で活躍するDJ達がどのような「資格」で「活動」しているのか、私は知らない。しかし数年前から、台湾にはインドネシアの移民労働者が結成したパンクバンドがあって、現地のバンド達とも交流しながらひとつのシーンを形成しているらしいことは聞いていた。

     近年日本では、ベトナム人向けクラブで活動するベトナム人DJが入管法の定める「資格外活動」として逮捕される「事件」が、幾度か報じられてきた。日本の在留外国人がDJをするために、どのような形をとれば合法となるのか、また台湾で活躍するDJ達がどのような「資格」で「活動」しているのか、私は知らない。しかし数年前から、台湾にはインドネシアの移民労働者が結成したパンクバンドがあって、現地のバンド達とも交流しながらひとつのシーンを形成しているらしいことは聞いていた。

  •  いま再び台南の歴史博物館を回想する。<br /> 博物館の二階を全面に使った常設展は、先史以来の大陸からの漢民族の移住、島内の先住民族との分断、西洋そして日本からの侵略、戦後の国民党政府の流入といった史実を紹介しながら、常に「台湾」「私達」という集団的アイデンティティを問い直してきた。その最終パートでは、移民労働者や性的少数者の権利保障運動が最新の歴史事象として紹介されている。<br /><br /> 二階の常設展を一巡してエスカレーターを上がった四階では、『きく・みる:声と音の記憶』という特別展が開かれていた。新旧の音声を通じて、歴史と社会をつかまえようとする試みのなか、「異郷の外国人労働者の声:歌に込められた自由への渇望とは?」と題したパートでは、私もその名を知る「SOUTHERN RIOT」という在台インドネシア人パンクバンドがインタビューに答えていた。続いて流れるライブ映像では、多くの移民労働者を苦しめる仲介業者に対する怒りの声をストレートに叩きつけ、ボーカルの「仲介!」という煽りに観客達が「畜生!」とレスポンスを返す。

     いま再び台南の歴史博物館を回想する。
     博物館の二階を全面に使った常設展は、先史以来の大陸からの漢民族の移住、島内の先住民族との分断、西洋そして日本からの侵略、戦後の国民党政府の流入といった史実を紹介しながら、常に「台湾」「私達」という集団的アイデンティティを問い直してきた。その最終パートでは、移民労働者や性的少数者の権利保障運動が最新の歴史事象として紹介されている。

     二階の常設展を一巡してエスカレーターを上がった四階では、『きく・みる:声と音の記憶』という特別展が開かれていた。新旧の音声を通じて、歴史と社会をつかまえようとする試みのなか、「異郷の外国人労働者の声:歌に込められた自由への渇望とは?」と題したパートでは、私もその名を知る「SOUTHERN RIOT」という在台インドネシア人パンクバンドがインタビューに答えていた。続いて流れるライブ映像では、多くの移民労働者を苦しめる仲介業者に対する怒りの声をストレートに叩きつけ、ボーカルの「仲介!」という煽りに観客達が「畜生!」とレスポンスを返す。

  •  日本と台湾の移民労働者を取り巻く環境には共通する課題があり、それに対しては日本の政治領域にも改善を目指す動きは僅かながらに存在する。しかし、果たしてそこでは「労働者」であることを越えて「生活者」、さらには文化を紡ぎだす者やそれを享受する者といった人間の姿を包みきれているだろうか。移民労働者として来日したDJがプレイし週末のクラブを沸かせる映像を、私はいつか日本の公的施設で観ることができるだろうか。そして私達の社会は、彼ら彼女らを含めて「私達」と自称できるだろうか。現状、それは問うまでもないことなのだ。

     日本と台湾の移民労働者を取り巻く環境には共通する課題があり、それに対しては日本の政治領域にも改善を目指す動きは僅かながらに存在する。しかし、果たしてそこでは「労働者」であることを越えて「生活者」、さらには文化を紡ぎだす者やそれを享受する者といった人間の姿を包みきれているだろうか。移民労働者として来日したDJがプレイし週末のクラブを沸かせる映像を、私はいつか日本の公的施設で観ることができるだろうか。そして私達の社会は、彼ら彼女らを含めて「私達」と自称できるだろうか。現状、それは問うまでもないことなのだ。

  •  ようやく東協広場を出た私達は、館内より少し明るい印象を放つ各国の料理店がならぶ街路を抜け、訪ねるともなく台中公園に辿り着いた。<br /><br /> 池や丘やテニスコートが配置された園内を散策していると、コンクリート製の鳥居が、植込みのなかに寝かされているのを見た。それはかつてここにあった台中神社の遺物だった。脇にはなにかを伝えようとしていたはずの小さな銘板碑が添えられていたが、銘板はすでに外され、私はその由縁をネット上で探るほかなかった。

     ようやく東協広場を出た私達は、館内より少し明るい印象を放つ各国の料理店がならぶ街路を抜け、訪ねるともなく台中公園に辿り着いた。

     池や丘やテニスコートが配置された園内を散策していると、コンクリート製の鳥居が、植込みのなかに寝かされているのを見た。それはかつてここにあった台中神社の遺物だった。脇にはなにかを伝えようとしていたはずの小さな銘板碑が添えられていたが、銘板はすでに外され、私はその由縁をネット上で探るほかなかった。

  •  戦後、鳥居を倒したのが、台湾の住民なのか国民党政府なのかはわからない。発見できたニュース記事によれば、市によって鳥居を再び再建し歴史遺構として保存する計画もあったらしいが、当然、旧宗主国の権威的象徴に対する反感もあったようで、鳥居は今も倒されたままに倒れている。<br /> 園内の丘には、かつて日本が統治の過程で測量のために設置した三角点の遺構があり、そのすぐ横には当時の抗日活動家を顕彰する石碑が建てられていた。丘を下れば、「天下為公」と金文字が掘られた孫文の像も立っている。

     戦後、鳥居を倒したのが、台湾の住民なのか国民党政府なのかはわからない。発見できたニュース記事によれば、市によって鳥居を再び再建し歴史遺構として保存する計画もあったらしいが、当然、旧宗主国の権威的象徴に対する反感もあったようで、鳥居は今も倒されたままに倒れている。
     園内の丘には、かつて日本が統治の過程で測量のために設置した三角点の遺構があり、そのすぐ横には当時の抗日活動家を顕彰する石碑が建てられていた。丘を下れば、「天下為公」と金文字が掘られた孫文の像も立っている。

  •  大きな時間の中の僅かな一日を使って、公園は夕暮れを迎えていた。腹をすかせた私達は少し明るそうな夜市の方へと足を向けた。<br /><br /><br /> 一中街夜市とその周辺は、地元客らしい若者達で賑わっていた。東協広場の情報量に圧倒されていた私は、ゆっくり座ってビールを飲める店を探していた。しかし夜市の屋台はもちろん、周辺の店も日本式ラーメン屋やカジュアルな韓国焼肉の店が多く、どこか落ち着かない雰囲気だった。雑貨屋とカフェが入る小さなビルの外のベンチでは、東南アジア出身と思われる若い男女のカップルが、小さなホールケーキに「18」とかたどったロウソクを立て、誕生日をささやかに祝っていた。<br /> いっそ巨大なショッピングビルの食堂街なら、味気なくも長居しやすい台湾系、中華系の店があるのではないかと私達は考えた。大通りに面して建つ中友百貨店に入り案内板を見ると、地下三階は「国際美食街」となっていた。地下に下りると、私達の期待に反してそこにあったのは丸亀製麺やCoCo壱番屋や大戸屋といった日系チェーン店と、マクドナルドや韓国チキンなどのファストフード店だった。<br /> そこにビールはなかった。しかし私はただビールを求めていたわけではなかったのだろう。先ほどの東協広場周辺で見た光景と、目の前の「国際美食街」に強いギャップを覚え、私はそこにいることに羞恥すら感じていた。その感覚は新しいものではない。日本で散見する広告や広報の表象、例えば万博やオリンピックのそれらにみられる都合の良い「国際」性を目にしたときの、あの羞恥の感覚だった。

     大きな時間の中の僅かな一日を使って、公園は夕暮れを迎えていた。腹をすかせた私達は少し明るそうな夜市の方へと足を向けた。


     一中街夜市とその周辺は、地元客らしい若者達で賑わっていた。東協広場の情報量に圧倒されていた私は、ゆっくり座ってビールを飲める店を探していた。しかし夜市の屋台はもちろん、周辺の店も日本式ラーメン屋やカジュアルな韓国焼肉の店が多く、どこか落ち着かない雰囲気だった。雑貨屋とカフェが入る小さなビルの外のベンチでは、東南アジア出身と思われる若い男女のカップルが、小さなホールケーキに「18」とかたどったロウソクを立て、誕生日をささやかに祝っていた。
     いっそ巨大なショッピングビルの食堂街なら、味気なくも長居しやすい台湾系、中華系の店があるのではないかと私達は考えた。大通りに面して建つ中友百貨店に入り案内板を見ると、地下三階は「国際美食街」となっていた。地下に下りると、私達の期待に反してそこにあったのは丸亀製麺やCoCo壱番屋や大戸屋といった日系チェーン店と、マクドナルドや韓国チキンなどのファストフード店だった。
     そこにビールはなかった。しかし私はただビールを求めていたわけではなかったのだろう。先ほどの東協広場周辺で見た光景と、目の前の「国際美食街」に強いギャップを覚え、私はそこにいることに羞恥すら感じていた。その感覚は新しいものではない。日本で散見する広告や広報の表象、例えば万博やオリンピックのそれらにみられる都合の良い「国際」性を目にしたときの、あの羞恥の感覚だった。

  •  結局私達は百貨店の外にあった適当な韓国鍋屋で落ち着かない夕食を済ませ、バスで宿周辺に戻った。翌1月3日の夕食は、台湾滞在最後の夜だったので、何が何でも台湾料理を食べたいと思った。そして東協広場の隣に建つ、火災で三階以上は廃墟となっている「千趣大楼」の一階で、台湾沙茶火鍋を食べることにした。

     結局私達は百貨店の外にあった適当な韓国鍋屋で落ち着かない夕食を済ませ、バスで宿周辺に戻った。翌1月3日の夕食は、台湾滞在最後の夜だったので、何が何でも台湾料理を食べたいと思った。そして東協広場の隣に建つ、火災で三階以上は廃墟となっている「千趣大楼」の一階で、台湾沙茶火鍋を食べることにした。

  •  「沙茶」とは、東南アジア諸国の料理で使われるピーナッツをベースにした「サテ」という調味料が、中国大陸南方の広東省や福建省に伝わって「沙茶」と呼ばれるようになったものだ。以前福建省の厦門で食べた沙茶煮込みにはピーナッツ風味が残っていた記憶があるが、大陸を経て伝わったらしい台湾の沙茶醤にはピーナッツが使われず、干し魚や干し海老など各種海鮮由来のエキスが混じり合ったペーストになっている。<br /><br /> 最後に食べる夕食が沙茶火鍋でよかったと私は思った。海を経て伝わった料理は、この島国の豊かさを思わせた。それはもちろん、台南の歴史博物館が提示する、あの内省的で開放的な姿勢に裏打ちされた豊かさだった。

     「沙茶」とは、東南アジア諸国の料理で使われるピーナッツをベースにした「サテ」という調味料が、中国大陸南方の広東省や福建省に伝わって「沙茶」と呼ばれるようになったものだ。以前福建省の厦門で食べた沙茶煮込みにはピーナッツ風味が残っていた記憶があるが、大陸を経て伝わったらしい台湾の沙茶醤にはピーナッツが使われず、干し魚や干し海老など各種海鮮由来のエキスが混じり合ったペーストになっている。

     最後に食べる夕食が沙茶火鍋でよかったと私は思った。海を経て伝わった料理は、この島国の豊かさを思わせた。それはもちろん、台南の歴史博物館が提示する、あの内省的で開放的な姿勢に裏打ちされた豊かさだった。

  •  その店の沙茶火鍋は、サバヒーと思われる干し魚の出汁をベースにしたスープに肉や野菜や海鮮を入れ、椀にとった沙茶醤にネギやニンニク、砂糖や酢などを加えたタレをつけて食べる。<br /> おすすめの食材や鍋の食べ方を教えてくれた店長と思しき男は、「Korean? Japanese?」との質問に「リーベン(日本)」と答えた私に「夕焼け小焼け」を日本語で口ずさみ、得意げな表情を浮かべた。私は顔には出さず戸惑った。中国語で鄧麗君(テレサ・テン)を歌って応えようかとも思ったが、なにか気が乗らなかった。<br /><br /> 混み合う店内に置かれたテレビでは、台湾民衆党の柯文哲の収監を報じるニュースに続いて、韓国の尹錫悦大統領の身柄拘束をめぐる公捜庁と警護庁の攻防と、市民双方による抗議活動の様子が伝えられていた。<br /> 画面に映った大統領支持派の握る旗竿には、太極旗と星条旗が並んで掲げられていた。東アジアの一部に特有の、といってもいいだろう、その歪んだ政治空間はやはり、日本の沖縄における反基地運動への当てつけに自称「保守派」活動家が掲げる星条旗を思い出させて、うんざりした。<br /><br /> 戦後日本では、近代的な鳥居を建てたられたままに建たせながら、沖縄を含む各地に星条旗が掲げられた。台湾の国民党旗がそうであったように、それらはきっとはじめから、専制の終焉と民主主義の実像ではなかったのだ。それでも当時の人々の中には、自由と解放をその旗に重ねて見る人もいただろうし、今に至るまでその旗は、自由をうたう世界最大の移民国家の象徴として掲げられている。<br /> 数日前までの一年をふりかえれば、2024年はアメリカ大統領選挙で移民排斥を訴えるドナルド・トランプが再選された年だった。あと十数日もすれば、彼は再び大統領に就任する。<br /><br /> 隙間のようなビルの一角に湯気が立っていた。<br /> 私はテレビから目を離し、グラスに台湾ビールをついだ。そして温まった鍋のスープに沙茶醤を溶いた。

     その店の沙茶火鍋は、サバヒーと思われる干し魚の出汁をベースにしたスープに肉や野菜や海鮮を入れ、椀にとった沙茶醤にネギやニンニク、砂糖や酢などを加えたタレをつけて食べる。
     おすすめの食材や鍋の食べ方を教えてくれた店長と思しき男は、「Korean? Japanese?」との質問に「リーベン(日本)」と答えた私に「夕焼け小焼け」を日本語で口ずさみ、得意げな表情を浮かべた。私は顔には出さず戸惑った。中国語で鄧麗君(テレサ・テン)を歌って応えようかとも思ったが、なにか気が乗らなかった。

     混み合う店内に置かれたテレビでは、台湾民衆党の柯文哲の収監を報じるニュースに続いて、韓国の尹錫悦大統領の身柄拘束をめぐる公捜庁と警護庁の攻防と、市民双方による抗議活動の様子が伝えられていた。
     画面に映った大統領支持派の握る旗竿には、太極旗と星条旗が並んで掲げられていた。東アジアの一部に特有の、といってもいいだろう、その歪んだ政治空間はやはり、日本の沖縄における反基地運動への当てつけに自称「保守派」活動家が掲げる星条旗を思い出させて、うんざりした。

     戦後日本では、近代的な鳥居を建てたられたままに建たせながら、沖縄を含む各地に星条旗が掲げられた。台湾の国民党旗がそうであったように、それらはきっとはじめから、専制の終焉と民主主義の実像ではなかったのだ。それでも当時の人々の中には、自由と解放をその旗に重ねて見る人もいただろうし、今に至るまでその旗は、自由をうたう世界最大の移民国家の象徴として掲げられている。
     数日前までの一年をふりかえれば、2024年はアメリカ大統領選挙で移民排斥を訴えるドナルド・トランプが再選された年だった。あと十数日もすれば、彼は再び大統領に就任する。

     隙間のようなビルの一角に湯気が立っていた。
     私はテレビから目を離し、グラスに台湾ビールをついだ。そして温まった鍋のスープに沙茶醤を溶いた。

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