2024/12/21 - 2024/12/21
3068位(同エリア27509件中)
せいじさん
2日目はホテルで朝食後、明洞周辺を歩くことからスタートです。ホテル前は降っていなかったのですが、すぐ雪がうっすら積もっています。空気の冷たい朝です。
5年ぶりの旅行で、変わったことが多いです。以前はデジカメを必ず持ってきたのですが、今回は写真・動画はスマホのみでデジカメは持ってきません。E-Simを日本で申し込んでいて、空港で切り替えが簡単でした。写真、地図、道案内はスマホが役にたちます。地図ソフトは、グーグルは入っていますが、韓国用にNAVERマップ、コネスト地図を入れてきました。コネストは特に詳しく、レストランの紹介記事もあり、一人旅で利用可、タッチパネルで注文、日本語対応の店などが分かります。
街歩きで方向が分からなくなることがしばしばあり、地図ソフトで現在地を確認して歩きました。
午前は、明洞周辺から歩いてNソウルタワーに登りソウルを一望しようと思いました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- ZIPAIR
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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明洞のホテルから歩きだすと路面が濡れていて、天気が心配になりましたが歩く人はだれも傘をもっていません。ちょっと離れると雪が積もっていました。4号線の明洞駅出口1番をめざします。
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そこから歩くと5分くらいで坂を上っていきます。すると南山芸場公園(ナムサンイエジャン公園)に着きました。公園の端に、変な建物がありました。加藤さんの本(深掘りソウルガイド)によると「記憶6」という建物で、韓国の軍事独裁政権の時代に、国民の監視と統制をしていた中央情報部6局が置かれていました。その建物です。
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「記憶6」を過ぎると、やや上のほうに、おかしな建造物と棒状の物が見えます。
コンクリートの構造物は、よく見ると中に日本人の名前を刻んだものが逆立ちして見えます。ここは統監官邸跡です。
統監と言っても何のことか? 歴史を振り返ると、1905年、大韓帝国の外交権を奪って「保護国」とする「第2次日韓協約」(韓国側は乙巳条約 ウルサ条約)が
締結されたときに、大韓帝国を支配するために統監府が作られました。その統監府の責任者である統監が住んでいた所です。
このコンクリート片、統監府前にあった林権助の銅像の台座です。わざわざひっくり返して建てられています。 -
逆さの題字を読むと、「男爵林権助君像」
1900年代初め、駐韓日本公使だった林権助(はやしごんすけ)です。林権助は日本帝国主義の韓国支配を完成する上で重要な役割をはたした人物です。 -
裏側に説明文と当時の写真
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日本語で説明されています
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逆に立てた銅像
林権助 (はやしごんすけ 1860~1939 1900年に駐韓日本公使として赴任)は、高宗皇帝及び大臣を脅迫し、乙巳条約(1905年11月17日、徳寿宮・重明殿)を強要するなど、併呑の足がかりを作った人物として知られている。
当時の大日本帝国は、その功績によって林に男爵位を与え、大韓帝国が国恥(1910年、8月22日 総理大臣であった李完用と韓国総督の寺内正毅が署名、29日発表)を受けた場所である韓国総監官邸に銅像を建てた。
光復70年を迎え、散らばった銅像の残骸を集めて逆さに立てて恥辱の戒めとする。
1910年の韓国併合を、ここでは併呑と表現しています。
恥辱、国恥(こくち)という漢字が韓国ではよく出ます。国を売ったことへの戒めの言葉です。日本では想像もつかないことですが。 -
その隣に、棒状のものが多数建てられています。色がついています。ここは、日本軍「慰安婦」記憶の場が去年まで設置されていたそうです。去年ソウル市によって撤去されましたが、今は代わりにパープル柱が立っています。
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雪景色となった「記憶の場」です。
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説明文 日本語表記はなし。
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記憶の場 と英文で説明がありました。日本語説明はありませんが、ここが統監官邸跡で、日本軍従軍慰安婦となった犠牲者を追悼する施設だったことがわかります。
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総監官邸跡に建てられた標識、Trail of National Humiliation 国恥の道 と書いてあります。
高さが1910ミリ、韓国併合の1910年を表しています。 -
公園を出て、広い通りを上っていくと「乃木神社址」という標識が出てきます。日清・日露戦争のことになると必ず出る乃木元帥を祀った神社址です。学校の敷地内に「手水舎」の残骸があるそうです。行きませんでした。
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京城神社址という標識もあります。かつて、日本占領期に、この一帯が京城神社、乃木神社、朝鮮神宮など日本人の精神を称える場だったことを示しています。
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やっと南山Nタワーに登るロープウェーまで来ました。片道の切符を買って乗り込みます。帰りは坂道を降りることに。
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ロープウェーからの眺め、雪雲でいまいちです。
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上に登ってきました。
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ソウル風景 雲でよく見えません。
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南山頂上の風景 鍵がたくさん、各地でよく見ます。
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ロープウェー終点にあります。l
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展望台の前で
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タワー展望台からですが、北側の方向です。ソウルの全景を見たいと思ったのですが、天候が邪魔しました。周りを囲む山々がよく見えませんでした。
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南山タワーからは、階段を歩いて降ります。雪を踏みながら、注意深く下りました。
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階段を降りると、次の看板がありました。ここにあった朝鮮神宮の説明文です。南山のふもと、広大な神社がありました。伊勢神宮に次ぐ規模だったそうです。その痕跡です。当時の写真から大きさがわかります。また、朝鮮神宮は、1925年につくられたのですが、もともとあったソウルの城壁の上につくられ、今一部が復元されています。
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朝鮮神宮の説明文です
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安重根の記念館があります。日本では、安重根(アン・ジュングン)は韓国の独立運動家で、伊藤博文を暗殺した人物。と説明されています。
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大韓帝国の独立をめざしました。
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安重根が伊藤博文を撃った場面
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記念館は今年いっぱい修繕中で入れませんでした。
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階段の終点付近に、復元した城壁が見えます。
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階段を下りて、少し歩くと崇礼門、南大門(ナムデムン)です。南大門市場に寄りました。南大門は再建したばかりなので新しいです。
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屋台で餃子をいただきました。大きい
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南大門市場から大通りを光化門広場に歩いていくと、大規模な集会が開かれていました。21日(土)は、光化門広場で大統領弾劾に賛成、反対両派の大集会です。遠くからも大きな声が聞こえます。びっくりしたのは、その集会設備です。大型クレーンに超大型モニター、大音響スピーカー、電源車があり、その下で集会参加者が集まっています。最初にあった集会は、弾劾反対派でした。プラカードがハングル字なので理解できませんでした。
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街頭でこんな巨大なモニターは見たことがありません。
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この集会は、大統領弾劾に反対する人々が集まっている。
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李舜臣(イスンシン)像、豊臣秀吉が朝鮮侵略したとき水軍で日本軍と戦った将軍です。
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李舜臣像の周りにも集会参加者でいっぱいでした。
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光化門入口です。
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景福宮、朝鮮王朝の時代、王の住む宮殿で最高位にありました。その正面が光化門です。入口では撮影する人が多い。
光化門、日本の植民地支配や朝鮮戦争などの苦難の歴史をへて、2010年に再建されたので、新しいです。
光化門の歴史には、柳宗悦が関わる部分があります。柳宗悦は大正時代の「白樺派」のメンバーで新婚直後から、私の地元我孫子に約7年住んでいました。その我孫子時代に朝鮮の民芸品に出会い、強く惹かれました。
その直後1919年3月の三・一独立運動にたいして、日本が弾圧しました。これに柳は「読売新聞」に「朝鮮人を想う」を発表しました。
1922年には景福宮の中に朝鮮総督府庁舎の新築工事が行われました。王宮のなかに総督府の庁舎ができました。光化門はこの工事で破壊の危機に見舞われます。
柳は「失われんとする一朝鮮建築の為に」を雑誌に発表して工事の中止を訴えました。柳のこうした活動により、光化門は破壊から免れました。そして東側に移設されたのです。
その後、朝鮮戦争で焼失し、元の位置に再現。 -
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我孫子駅南口の白樺派のモニュメント、柳宗悦、志賀直哉、武者小路実篤の集合写真。
柳宗悦の主な朝鮮に関する著作(柳宗悦全集第6巻から)
1「朝鮮人を想う」 1911年5月 から
1919年(大正8年)3・1事件に対し、だれも不幸な朝鮮の人々を公に弁護 する人がないのを見て、急に書いたのである。
2「朝鮮の友に贈る書」 1920年4月10日千葉県我孫子町にて
私はこのごろほとんど朝鮮の事のみ心を奪われている
3「失われんとする一朝鮮建築のために」 1922年7.4東京にて
光化門よ、光化門よ、お前の命がもうただ夕にせまろうとしている。
柳宗悦は、戦前21回朝鮮を訪問しています。多くは妻で声楽家柳兼子を同伴して朝鮮各地でコンサートを行いました。 -
景福宮の中です
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勤政殿、景福宮の正殿で、シンボルとなっています。
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光化門から東へ歩くと、鍾路(チョンノ)へ。ビルが並ぶ交差点の角に、 普信閣
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大きなビルの前に、全琫準(チョウポンジュン)の銅像。日清戦争の終了後、甲午農民戦争(東学農民戦争、日本では東学党の乱と呼ばれる)が起きますが、そのリーダーです。日本軍に鎮圧され、死者数は数万人と言われます。
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タプコル公園
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八角亭 3・1独立宣言書が読み上げられた場所
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八角亭の説明
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3・1独立宣言書
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夕食は、昨晩行った同じ店でカルビを、肉が多すぎました。
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