2016/06/24 - 2016/07/03
231位(同エリア346件中)
一川さん
前文の続きです。
- 交通手段
- レンタカー
-
6
2016年7月1日火曜日晴れのち曇り24℃
今日は、今回のチベット観光の目玉であり、最も憧れのエベレストキャンプ場への旅を開始する日だ。
朝食を済ませ、面識もないガイドさんからのメッセージに従い、ホテル隣の駐車場に向かった。
約束では、旅行社はシガツェ市とエベレスト行きのチャーター車を利用することになっている。気持ちを奮い立たせた私は早足で駐車場の門を進んだ。
すぐに私の視界に入ってきたのは、小太りで茶色の顔をした青い上着の男性だった。彼は紙でできたプレートを持っており、そこには私の名前が乱雑な書体で書かれていた。このずんぐりした男性は今回のエベレストツアーのガイドさん兼運転手だろう。
すると、ずんぐり男性が私を連れて、型式の分からない灰色のオフロード車のドアを開けた。
私は車の中を見た。その他のオフロード車と同様に、座席は三列になっている。前列の助手席にはすでにベージュ色のジャケットを着た短髪の女性が座っており、私とずんぐり男性運転手の会話を聞いて、私の方へ向いて微笑んでいたが、その表情はぎこちなかった。二列目の座席の両端にはすでに女性が二人座っていた。運転手の後ろに座っている女性は赤いダウンジャケットを着て、頭はポニーテールにして、片方の手はブランドを知らない黄色のハンドバッグを握っており、もう片方の手は携帯電話を持っていて、誰かと話しており、私を見ていなかったようだ。
車のこちら側ドアの傍に座っていた女性は、私がドアを開けるとすぐに車から降り、私に会釈してドアの傍に立っていた。この女性は170cm近くの背を持ち、短いスポーツヘアに囲まれた丸顔に、大きな目をしており、微笑みの中に浅いえくぼが現れていて、その表情から些か明るい性格の持ち主であることが伺える。彼女は中丈のブルーのダウンジャケットを着ていたが、車内の暑さのためか、バックルがなく、開いたダウンジャケットの中からベージュの薄手のセーターが覗かれていて、好発育した胸元の輪郭を一層引き立てていた。
この三人の女性は私の今回のエベレストツアーの道連れに違いない。私は本当に娘王国に入った唐僧になったなあ…、と内心で自嘲した。
ずんぐり男が真ん中の座席を指さして私に言った。
「ボス、あなたは彼女たちの間に座ってください」
「え?!」私は無意識に聞き返した。同時に車の中を見回した。三列目の席は青々とした袋で一杯に詰まっていて、座る場所がまったく残っていなかった。
「仕方ありません…ご容赦ください。今日はちょっと混んでいるからね」
どう聞いてもずんぐり男の口振りに命令の匂いを嗅ぐ。
「旅行会社がチャーターしてくれるじゃないか?どうしてこんなに人が乗っているのか?」と私は問い詰めた。
私は携帯電話を取り出して、遠く北京で今回の旅行を手配していた旅行会社の担当者に電話をかけた。旅行会社の担当者は私に、彼女たちはすでに今回のチベット旅行を現地の旅行会社に委託したと教えてくれた。具体的には現地に確認してもらうようにと、私に番号を教えてくれた。私はこの番号に電話をかけた。電話を受けた人は、目的地によっては次の旅行社にも下請けをしたので、詳しいことは、仕事を受けた運転手に聞くしかないと言った。
電話がまた大回りして戻ってきた。
「どう?選り好みはやめましょう。車に乗らなければ、私たちは先に行きますよ。他の人を手間取らないでください」
ずんぐり男が横で得意げに喋っていた。
時刻はすでに8時半を回り、旅行会社の連絡先が見つからず、しかもずんぐり男に催促された末、私はキャリーバッグを後部座席に載せたまま、車に乗り込んだ。そして、その短髪の女性がすぐ後を追って私の隣に座っていた。ずんぐり男には心の中でしっかりと罪状を付けていた。
オフロード車は駐車場を出て、道路に曲がり、「シガツェ」と書かれた方向にアクセルを大きく踏んで行った。
調べて見たところ、ラサからシガツェまでは300キロくらい離れているようだ。そして、この区間はアスファルト道路なので、揺れも感じず、気持ちも少し落ち着いたので、何人かの車友と話をした。
前の女性は寧という苗字で、運転手とよく知り合っており、途中で運転手にあれこれ聞いているだけで、あまり私たちとは話もしなかった。
左の唐さんは心配事が多いようで、いつも携帯電話を弄りながら、私たちの会話に無頓着に対応していた。
私の右手にいるこの羅という苗字の短い髪の女性は流石に明るい。
彼女は私に旅行が好き、冒険が好きだと言った。さらに、今回はエベレストキャンプに行くだけでなく、そこから出国してネパールに行きたいとも言った。
「そこに道はありますか?どうやって行けばいいですか?」
私はちょっと信じられなかった。
「大丈夫です。道をはっきり聞いて来ました。構いませんよ」と羅さんは自信を持って教えてくれた。
車は平らな舗装路を3、4時間ほど走り、シガツェ市街の駐車場に止まった。道路の状態が良かったので、時々女性たちと話しても疲れなかった。
「ここはザシュロンブー寺院です。自分で入ってみてください」と運転手兼ガイドさんのずんぐり男は、車の中でタバコを取り出して口に滑らせながら、何気なく私たちに言った。
この様子では、これからのところは彼が説明してくれるのを期待することが出来ない。やはり自力更生せざるを得ない。さきほど平穏だった私の気持ちが、またたく間に暗雲に覆われた。
私たちは別々にチケットを買って寺院に入った。
入り口で買ったガイドさんマップを開いて、観光地の案内を見た。
ザシュロンブー寺院(英語:Tashilhunpo Monastery)とは、「吉祥須弥寺」のことだ。シガツェ市南部の日山の下にあり、明正統12年(1447年)に建てられており、ブラダラ宮と名付けられた仏教建築であると言われている。ザシュロンブー寺は、敷地面積が15万㎡、隠居室が57部屋あり、全ての殿宇部屋は、合計3600部屋がある。
寺院の建物は、チベット伝統的な建築の特徴と仏教の特徴を融合しており、厳粛で、どこかに神聖な不可侵の気勢を見せているが、国家の重点文化財保護部門に所轄している。
ポタラ宮がダライ・ラマの霊廟を祀っているのと同じように、ここにはパンチェン・ランプンの合葬霊廟が祀られている。第十世パンチェン・エルデニー・ギッセは1989年1月28日、ザシュロンブー寺院で逝去された。1月30日、国務院総理大臣が「カワ・ザシロン・寺に第十世パンチェン・タウンを建設する決定」に署名し、1990年9月20日に破興工事を開始し、1993年8月15日に完成し、天堂、人間、地下三界聖者として、「釈頌南傑」と命名された。
第十世パンチェン・霊塔徳殿を建設するために、国家は専門資金6,404万元、黄金614kg、白銀275.22kgおよびその他各種の材料を調達したと言われている。
チベット仏教に詳しくなかったので、金と銀で作られた仏教の聖地をざっと回るようにして、寺を出た。
お寺の傍にビニールシーとで作ったコールドカフェのテントがあった。正午を過ぎた頃、気温は23、4度だったが、強い日差しに照らされて肌が焼けつくような感じがした。
このコールドカフェは観光客に人気があるようだ。席を探して、冷たい飲み物とコンポーとを注文して飲んでから車に戻った。 -
このエベレストツアーは食事代が含まれていない。ずんぐり男は私たちを市内の小さなホテルまで送った。明日7時に出発すると言って、寧という女性を連れて行った。羅さんに聞いてみると、彼らはもともと親戚関係だったことが分かった。道理で彼女は平然と前に座って「老人」の私を見て見ぬふりをしているのだと私ははっとした。
少し閑散とした街をぶらつき、小さなホテルに戻ると、腹が減っていた。すぐ傍に「重慶魚府」という看板の料理屋があるのを見つけた。チベット人は魚を食べないそうだから、チベットには魚が多くて新鮮だ。すぐに中に入って、席を探して座り、魚の水煮と幾つかの野菜、ビールを注文して、大いに食べた。魚は黒魚で、白くて柔らかい魚肉は食感がいい。店長は何度も野生のものだと強調していたが、私はこれを信じて疑わなかった。養殖の池がどこにも見掛けられなかったからだ。チベット人は魚を食べなかったため、魚を飼うのは民族政策に反するとは初耳だった。
酒食満腹で一晩中無言だった。
7
2016年7月2日水曜日晴れのち曇り24℃-4℃
翌日の朝、小さなホテルで軽く朝食を食べ、駐車場でみんなと集合して車に乗り、出発した。シガツェ市街を出ると、アスファルトの道路を少し走った後、車が揺れ始めた。前の窓から見ると、砕石でできた道が曲がりくねっていて、どこまで続くかも見渡すことができなくなり、典型的な洗濯板(凸凹)道のりになったのだ。
私は二人の女性の間に座り、車の動きに合わせて揺れ続いた。隣の女性に「迷惑」を掛けないように、私は手を前に出して座り、体のバランスを極力コントロールしながら、車のジャンプに伴って体が自分のものではなかったかのように、お尻がその太いキャンバスに包まれた座席を離れたり、またそれに向かって、強く叩いたりしていた。
「ゆっくり運転して…」
「ちょっと止めろ!座れないぞ」
私はずんぐり男に向かって叫んだ。
ずんぐり男は、脇目も振らずに洗濯板の上を跳び続けた。
「まだ400キロ以上あります。この道は遅れてはいけません。昼には定日県に間に合わないと夜にはエベレストキャンプ場に着くことができませんよ」
私がしきりに叫び声をあげるうちに、ずんぐり男がやっと声を出した。
おや、この道路で何百キロ続くのか?とちょっと戦慄した。このままではエベレストに行く必要はない、と私はまったくのお手上げになるほどだ。結局私は小便の名目で車を止めた。
ずんぐり男に前の寧さんと席を変えてもらえないかと相談してみたが、きっぱりと拒否の返事が返ってきた。一歩引いて隣の女性たちに席替えを相談しても、無言で断られた。確かに、このような洗濯板の道では誰もが怖い思いをしてしまうのだ。
仕方がなく、私は後部座席に置いてあった荷物を上に積み上げ、コンパクトなスペースに押し出すようにして座った。左右を気にする必要はないが、弾力のない後部座席は洗濯板の凹凸を直接感じさせられた。私は歯を食いしばって堪えながら、心の中でずんぐり男のことを満遍なく呪えた。
車が定日県を迎えると、道端の小さい料理店でずんぐり男の催促の中、昼食を済ました。道を急いで行く間に車速が鈍っているのを感じた。窓の外を見ると、洗濯板の道は山に囲まれた未舗装の道に変わり、息もすこし苦しくなって来た。遠くの山あいに白い光が見えて、車の揺れに合わせて点滅していた。
「羊湖に到着した」とずんぐり男が珍しく言葉を漏らした。それからまた幾つかの道を回って、前方に「羊湖遊覧区」と表示された木製の門が見えた。
門の奥にはすでに何台かの車が停まっていた。門から少し離れた湖の畔では三、四人の人が水遊びをしていた。車を降りようとしたら、車は門を通り過ぎてまっすぐ前へ進んで行った。
「おいおい…、予定に入っていますよ!なんて入りませんか?」
前座の女性二人が口々に抗議した。
「まだもっと良い展望所があります」
ずんぐり男はそう言って、数十メーとル進んでから角に出て立ち止まった。
私たちは車を降りて、麓の方を眺めた。羊湖を見ることはできるが、水に触れることはできない。
旅行社から羊湖入場券を買う必要があり、私たちの料金には入場券の料金が含まれていると言われたことを覚えている。それなのに何故ずんぐり男は私たちを中に入れてくれないのだろう?私がずんぐり男に質問を投げかけると、二人の少女も悟ったかのようにずんぐり男を見ていた。
ずんぐり男は、旅行会社からチケットを受け取っていなかったと言い逃れをした。席替えのことで私はもう彼に対して非常に不満を持っていたが、これで私たちの観光地の一つを潰されてしまったので、また腹が立った。
エベレストキャンプ場までもう少し道があり、彼に頼らざるを得ない事情を考えたら、私はなんとか怒りを抑えたが、心の中で、彼の罪状簿にもう一筆追加した。
羊湖の門に表示されている標高は4500m前後で、微かに息苦しさを感じた。
定日県からエベレストキャンプ場までの距離は、地図では200キロほどあるが、羊湖からはもう一歩近づいたような気がした。気持ちが高まっていくと同時に、あまり大きな高山反応はなかった。
車が上に行けば行くほど、標高が高くなり、温度も低くなって来る。シガツェでは昼頃にはTシャツを着ていたが、今ではダウンジャケットを着ていることで、まさに二つの世界を跨ぐ瞬間だ。私は秘かに嘆息した。
車は続いて4950mのガンバラ山と5248mの嘉拉錯雪山を越えて、ついに5200mのエベレスト大キャンプ場(大本営)に着いた。私は逸早く車から飛び降り,エベレストの石碑の前に駆け寄り,この人生で最も記念すべき写真を残した。大本営には軍用緑色のテントが二つ並んでいて、チベットローブに着た人がまばらに出たり入ったりしていたが、観光客の姿は現れなかった。不審そうにずんぐり男にどうしたのかと尋ねると、観光シーズンではないと言い淀んだ。すると、周りの環境をじっくり観察した。
ここはエベレストの大本営だが、一つの山あいにあり、両側の峰に遮られて、エベレストの影さえ見えないことが分かった。
「われわれは第二キャンプ場に行かなければなりません。そこにこそエベレストが見えます。私もそこからネパールに行きます」
羅さんが謎を解いた。 -
第二キャンプ場こそエベレストツアーの本当の目的地だと私は閃いた。この5200mの大本営ではすでに呼吸が悪く、少し頭痛がしたが、エベレストを見ることができるこの大きな機会を前にして,そのような不快感は何にもならないのだ。
我たちはしっかりとずんぐり男に、「車に乗せて第二キャンプ場に向かってください。観光目的はエベレスト観賞だ」と主張した。
ずんぐり男は妥協したが、第二キャンプ場に着いたらすぐに降り、今日中に定日県に戻るという条件を口にした。これは絶対に受け入れられない。もともとずんぐり男の行動に腹を立てていた私は、彼の一連の「罪状」を挙げて威圧した。
群衆の怒りを見て,ずんぐり男はしぶしぶ頭を下げて、車を動かした。
車は大本営の端の土石道に沿って揺れながら上って行った。数十分後,車は僅かに平らな山あいに止った。山あいの先は真っ暗で何も見えない。窓からのかすかな明かりで,山あいの両側に二つの長方形のテントが置かれているのが見えた。その近くに牛の糞の匂いが漂っている。
テントの前ではチベット人らしき人たちが、何かの楽器を手に、ひいひいと弾き語りをしていた。彼らの傍には十数人の人が集まっていて、騒いだり、左右に揺れたりして、ここが5800mの酸欠高原地帯であることを微塵も感じなかった。
ずんぐり男は私たちを左手のテントの傍に連れて行き,顔の黒い中年のチベット人に何か言ってから、「明日の朝8時に迎えに来ます」と私たちに言い残してどこかへ車を走らせた。
今先は大本営に居て、何も感じなかったが、待ちに待っていたエベレストの麓に来たら、頭痛がひび割れそうで、体がだるくて、急に酷い風邪を引いたかのように感じ始めた。一緒に来た何人かの女性は、羅さんを除いては顔色が黄色く、息が切れていて、まるで酷い高山反応を起こしたように見えた。
中年のチベット人は私たちをテントの中に案内し、「ここがあなた方の住まいです」と告げた。
私は辺りを見回した。テントには十数台のベッドと幾つかのテーブルがやたらに置かれていた。テントの中央には煙突の付いたスとブがあり、その上にはティーポッとが載せられて、じわじわと湯気が立っていた。
その数人の女性のいぶかしげな目つきを見て,中年のチベット人がぶっきらぼうな標準語で言った。
「他にはありません。ここがあなた方の住まいです」
そう言ってから、「夕食はカップラーメンしかありません。一つで10元です。食べたいならお金をください」と促した。
来たからには安らかにしよう。まだ1晩残っているのに、食事をしないとエベレストを見る体力が付かないと私は考えながら、頭痛を我慢してカップラーメンを注文し、茶碗の半分量くらいをまた自分が持ってきたソーセージと一緒に無理矢理食べた。
その数人の女性はカップラーメンを食べず、おやつなどを取り出してゆっくり噛んでいて、とても苦しそうな顔をしていた。
「晩餐」を終えて、私はまた手元に持っている風邪薬「コンテック」を取り出して1錠飲んだ。風邪を引いたかどうかにかかわらず、この薬は頭痛に効くのだ。
一日中大分辛さが溜まってきていたので、私はストーブ近くのベッドを探し、上着を脱いで横になった。女性たちと一緒の部屋で寝るのは生まれて初めてだし、横になってからでないと彼女たちも恥ずかしいだろうと考えた。
頭が痛くて、誰が使ったか分からない布団の中で寝返りを打っていて、なかなか眠れない。
せっかく薬の役割が働き始め、うとうとした状態になると、それまであまり気にしていなかった弾き声がテントの外からヒューヒューと入ってきて、眠気を乱していた。チベット人たちの仕業だろう。彼らももうすぐ寝るかもしれないので、我慢ショート私は心の中で自分を慰めていた。
しばらくすると、テントの外で踊ったり弾き語りをしたりする人たちが増えたようで、声も「ひいひい」から「わあわあ」に変わった。私は何度かテントの外に出て、疲れを知らないチベット人たちを蹴散らそうと衝動的になったが、チベット人たちの刀着用のことを目に浮かべて来て、気持ちを抑えた。
テントの外では、読経のような「エイエイ」の枯ら声とオオカミのような「アオアオ」の叫び声が一晩中続いていて、私はイライラしたが、どうしようもなかった。あの数人の女性も楽なことはなかっただろう。
そのままうとうとして、寝ているようで寝ていないようで一夜を明かした。
8
2016年7月3日木曜日曇りのち晴れ-4℃-10℃
この第二キャンプ場では、全く忘れられない一晩がようやく過ぎた。
時計を見ると5時過ぎだ。テントの外の騒々しさはいつの間にか収まり、狂人のような人々は消え去り、どこかへ行ってしまった。
昨夜飲んだコンタックが思わぬ役割を果たしてくれた。一晩中眠らなかったが、頭痛はかなり減った。水筒のわずかな水で歯を磨き、顔を拭いてテントから出た。
外はまだ薄暗い。
私はテントから山あいの東側を眺めた。
浮かぶ雲間に黒い影が見え隠れしていて、静けさの中に大きな神秘感が漂っている。
「あれはエベレストですよ!あなたたちは運が良いね…、今日はめったにない晴天です」
耳もとからずんぐり男の声が聞こえてきた。こいつが昨夜どこで夜を過ごしたのかは知らない。
晴れているうちに、このエベレストの正体がどんなものなのかよく見てみようと強い好奇心に駆られて、私は山あいの東へ歩いて行った。
その時,空の果てにはすでに微かな光線が現れていた。
私は何人もの人が百メーとル先の小さな山を目指して行くのを見た。小山にはロープで引かれた色とりどりの旗がそよ風に揺らめき、荒涼とした谷間に少し生気をもたらしていた。
私はその人たちの後を追いかけて山を早く登ろうとしたが、体がふにゃふにゃして力が入らず、足もとが重たい思いがした。夜ぐっすり眠れなかったせいか、それともこの5800mでの高山病が発作したのだろう…、と気が抜けそうになった。
だが、せっかくあの洗濯板の道を我慢し、苦労してきたこの瞬間を絶対に見逃してはならない。私はその執念に支えられながら歯を食いしばって頂上まで登った。実際は高さ数十メーとルの丘に過ぎないのに、何十キロも歩いたような体力を使った。この高原は本当に甘いものではない。
空が徐々に明るくなってきた。 -
第二キャンプ場こそエベレストツアーの本当の目的地だと私は閃いた。この5200mの大本営ではすでに呼吸が悪く、少し頭痛がしたが、エベレストを見ることができるこの大きな機会を前にして,そのような不快感は何にもならないのだ。
我たちはしっかりとずんぐり男に、「車に乗せて第二キャンプ場に向かってください。観光目的はエベレスト観賞だ」と主張した。
ずんぐり男は妥協したが、第二キャンプ場に着いたらすぐに降り、今日中に定日県に戻るという条件を口にした。これは絶対に受け入れられない。もともとずんぐり男の行動に腹を立てていた私は、彼の一連の「罪状」を挙げて威圧した。
群衆の怒りを見て,ずんぐり男はしぶしぶ頭を下げて、車を動かした。
車は大本営の端の土石道に沿って揺れながら上って行った。数十分後,車は僅かに平らな山あいに止った。山あいの先は真っ暗で何も見えない。窓からのかすかな明かりで,山あいの両側に二つの長方形のテントが置かれているのが見えた。その近くに牛の糞の匂いが漂っている。
テントの前ではチベット人らしき人たちが、何かの楽器を手に、ひいひいと弾き語りをしていた。彼らの傍には十数人の人が集まっていて、騒いだり、左右に揺れたりして、ここが5800mの酸欠高原地帯であることを微塵も感じなかった。
ずんぐり男は私たちを左手のテントの傍に連れて行き,顔の黒い中年のチベット人に何か言ってから、「明日の朝8時に迎えに来ます」と私たちに言い残してどこかへ車を走らせた。
今先は大本営に居て、何も感じなかったが、待ちに待っていたエベレストの麓に来たら、頭痛がひび割れそうで、体がだるくて、急に酷い風邪を引いたかのように感じ始めた。一緒に来た何人かの女性は、羅さんを除いては顔色が黄色く、息が切れていて、まるで酷い高山反応を起こしたように見えた。
中年のチベット人は私たちをテントの中に案内し、「ここがあなた方の住まいです」と告げた。
私は辺りを見回した。テントには十数台のベッドと幾つかのテーブルがやたらに置かれていた。テントの中央には煙突の付いたスとブがあり、その上にはティーポッとが載せられて、じわじわと湯気が立っていた。
その数人の女性のいぶかしげな目つきを見て,中年のチベット人がぶっきらぼうな標準語で言った。
「他にはありません。ここがあなた方の住まいです」
そう言ってから、「夕食はカップラーメンしかありません。一つで10元です。食べたいならお金をください」と促した。
来たからには安らかにしよう。まだ1晩残っているのに、食事をしないとエベレストを見る体力が付かないと私は考えながら、頭痛を我慢してカップラーメンを注文し、茶碗の半分量くらいをまた自分が持ってきたソーセージと一緒に無理矢理食べた。
その数人の女性はカップラーメンを食べず、おやつなどを取り出してゆっくり噛んでいて、とても苦しそうな顔をしていた。
「晩餐」を終えて、私はまた手元に持っている風邪薬「コンテック」を取り出して1錠飲んだ。風邪を引いたかどうかにかかわらず、この薬は頭痛に効くのだ。
一日中大分辛さが溜まってきていたので、私はストーブ近くのベッドを探し、上着を脱いで横になった。女性たちと一緒の部屋で寝るのは生まれて初めてだし、横になってからでないと彼女たちも恥ずかしいだろうと考えた。
頭が痛くて、誰が使ったか分からない布団の中で寝返りを打っていて、なかなか眠れない。
せっかく薬の役割が働き始め、うとうとした状態になると、それまであまり気にしていなかった弾き声がテントの外からヒューヒューと入ってきて、眠気を乱していた。チベット人たちの仕業だろう。彼らももうすぐ寝るかもしれないので、我慢ショート私は心の中で自分を慰めていた。
しばらくすると、テントの外で踊ったり弾き語りをしたりする人たちが増えたようで、声も「ひいひい」から「わあわあ」に変わった。私は何度かテントの外に出て、疲れを知らないチベット人たちを蹴散らそうと衝動的になったが、チベット人たちの刀着用のことを目に浮かべて来て、気持ちを抑えた。
テントの外では、読経のような「エイエイ」の枯ら声とオオカミのような「アオアオ」の叫び声が一晩中続いていて、私はイライラしたが、どうしようもなかった。あの数人の女性も楽なことはなかっただろう。
そのままうとうとして、寝ているようで寝ていないようで一夜を明かした。
8
2016年7月3日木曜日曇りのち晴れ-4℃-10℃
この第二キャンプ場では、全く忘れられない一晩がようやく過ぎた。
時計を見ると5時過ぎだ。テントの外の騒々しさはいつの間にか収まり、狂人のような人々は消え去り、どこかへ行ってしまった。
昨夜飲んだコンタックが思わぬ役割を果たしてくれた。一晩中眠らなかったが、頭痛はかなり減った。水筒のわずかな水で歯を磨き、顔を拭いてテントから出た。
外はまだ薄暗い。
私はテントから山あいの東側を眺めた。
浮かぶ雲間に黒い影が見え隠れしていて、静けさの中に大きな神秘感が漂っている。
「あれはエベレストですよ!あなたたちは運が良いね…、今日はめったにない晴天です」
耳もとからずんぐり男の声が聞こえてきた。こいつが昨夜どこで夜を過ごしたのかは知らない。
晴れているうちに、このエベレストの正体がどんなものなのかよく見てみようと強い好奇心に駆られて、私は山あいの東へ歩いて行った。
その時,空の果てにはすでに微かな光線が現れていた。
私は何人もの人が百メーとル先の小さな山を目指して行くのを見た。小山にはロープで引かれた色とりどりの旗がそよ風に揺らめき、荒涼とした谷間に少し生気をもたらしていた。
私はその人たちの後を追いかけて山を早く登ろうとしたが、体がふにゃふにゃして力が入らず、足もとが重たい思いがした。夜ぐっすり眠れなかったせいか、それともこの5800mでの高山病が発作したのだろう…、と気が抜けそうになった。
だが、せっかくあの洗濯板の道を我慢し、苦労してきたこの瞬間を絶対に見逃してはならない。私はその執念に支えられながら歯を食いしばって頂上まで登った。実際は高さ数十メーとルの丘に過ぎないのに、何十キロも歩いたような体力を使った。この高原は本当に甘いものではない。
空が徐々に明るくなってきた。 -
目の前のエベレストははっきりとした輪郭を現し始め、頂上の雪が微かに見え、山々の濃淡は謎に包まれていた。山頂は静寂に包まれ、小山に登って来た人たちはみな興奮した表情でその感動的な瞬間をじっと待っていた。
ちょっとの間に、この峰の左側には先ず幾つかの光彩が現れ、続いて複数の金色の光が強烈に天空を衝いており、眩いばかりに輝いた。この瞬間に、巨峰全体がまるで尊い栄光を放っている巨仏のように莫大な空間に聳え立っており、随分小さくなった自分は、思わず頭を下げたい気持ちになっていた。
金色の光輝はすぐに光り輝く太陽光になって、数片の白い雲を通してその高い峰に降り注いだ。
エベレスト全体が突然私たちにその広い胸襟を開いてくれたのだ。こうして、私たちはその真の姿を身近に一目で見ることができた。
その雪に覆われた部分は、光に照らされて、ぴかぴかと明るく輝いている。その褐色の土層が白雪を背景に白黒をはっきりさせながら、ひときわ目立っている。
小さな山の上から眺めると、朝の燦々とした太陽を浴びた巨峰は、太陽と白い雲の間に堂々とその雄姿を呈している。巨峰の雪に覆われた部分は、白ガーゼを被った可憐な少女となって舞っているようで、そのたおやかな姿を私たちに見せてくれたが、露出した土の層が山間に横たわるユキヒョウのように警戒しながら前方を見詰め、穀物への攻撃を醸し出しているように感じさせられた。
エベレストは、ダイバーシティな巨体を見せながら朝の私たちを迎えてくれている。
魔力に富むエベレスト、世界の頂点に聳え立つエベレスト、その雄壮たる姿には圧倒されてしまっている。
エベレストは、千百万年の歴史の移り変わりを目撃して、絶えず無数の勇敢な者を引き付け、親密に触れさせているのだ。
エベレストへの旅は、朝の太陽に恵まれ、まことに幸運の至りであった。
後記
エベレストから下りてきて、幾つかのことを始末し、今回のチベットツアーに終止符を打った。
第一に、地元の人に聞いたところ、エベレストに登頂したい場合は、専門のサービスチームに申し込むことができ、費用は60万元(約1200万円相当)掛かる。
第二に、帰りに羅さんがいなくなっていた。第二キャンプ場からネパールに入ったのかもしれない。その後は連絡が途絶えた。
第三に、私はラサに戻ってチベット観光局の幹部に会ってもらい、首都からの旅行者として、ずんぐりした男性運転手の数々の悪行をクレームし、エベレストツアー費用の返金と謝罪を受けた。運転手がどのような罰を受けたかは不明だ。
万難を乗り越えたこのチベットツアーの一朝一夕は永遠に頭に刻んでいる。
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