2024/11/19 - 2024/11/19
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gianiさん
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福岡県南部、鉄道空白地帯の八女市には、古墳時代最大の反乱を起こした筑紫君の磐井の本拠地がありました。埴輪と対照的な石人を古墳に配する文化は、朝鮮半島を彷彿とさせます。
展示物を追いかけて、大宰府や東京上野も訪れました。
- 旅行の満足度
- 5.0
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旅のはじまりは西鉄久留米駅
西鉄久留米駅 駅
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1階はBTになっており、2番乗り場の八女行へ乗ります。
西鉄久留米バスセンター 乗り物
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31系統は、1時間に3本走っています。
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国道3号線沿いを走ります。
ふしぎな観音様は、成田山新勝寺の分院です。成田山 久留米分院 寺・神社・教会
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福島高校前で下車
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岩戸山古墳の脇には、八女の古墳群について学べる施設が。
いわいの郷 美術館・博物館
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室岡遺跡群
縄文時代の狩猟社会では少ない食糧を平等に分配しましたが、弥生時代に移って稲作が定着すると「貯え」が生まれ、貧富の格差が拡大します。貯えを守るために堀を巡らした環濠集落が形成され、2000年前には八女市(旧室岡村)周辺に巨大な環濠集落が存在しました。 -
銅/青銅/鉄製の道具が製造され、生産性は向上し、抗争にも用いられます。
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豪族の出現(5世紀)
ヤマト政権に従う地域支配者は、その見返りとして古墳(円墳)を築造する許可や、銅鏡/勾玉といったものを授与され、自らの権威の裏付けとしました。こうした地域支配者たちの盟主として、筑紫君(きみ)が現れました。ワンランク上なので、前方後円墳を構築しました。 -
背景
5世紀は百済と高句麗が交戦状態にあり、従来の玄界灘/朝鮮半島を経由する渡航ルートが遮断され、有明海から中国大陸へ渡航するルートの重要性が増しました。 -
筑紫君は有明海の制海権を握ることで、権力を強化したと思われます。高度な航海/造船技術を手に、大陸の高度な文化/技術を教授します。
筑紫君の磐井(?-528)は、当時のヤマト王権に迫る規模の前方後円墳(岩戸山古墳)に埋葬され、強大な権力を有しました。 -
古墳からは、黄金文化を反映した新羅伝来の物品が多く発掘されており、百済との関係が深かったヤマトとは別に独自の交流ルートを持っていたことが分かります。
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磐井と同期のヤマト王権トップは継体大王(450-531)で、高槻市の今城塚古墳に眠っているという説が有力です。墳丘の全長は190m。
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石人文化
古墳には埴輪がセットですが、八女周辺では古墳に石人/石馬を配置しました。阿蘇山の火砕流/溶岩流が冷えて固まった凝灰岩製です。
写真の石人は、2005年の鶴見山古墳発掘で見つかったものです。国重文指定。 -
石製品に関する分布図は、人形(ひとがた)を配置する古墳を▲、楯といった武具を配置する古墳を●で表しています。
八女~菊池にかけては▲、八代海周辺は●です。筑紫君のエリアでは、石人が結束の証であったことが分かります。 -
いわいの郷に隣接する岩戸山古墳では、石人/武具両方が大量に発見されています。被葬者の磐井が、玄界灘~有明海に掛けての首長を束ねる強大な力を持っていたことを物語っています。
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磐井の墓と比定される岩戸山古墳では、人身大を超える大型の楯石も見つかっています。
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朝鮮半島とヤマト王権
高句麗/新羅が、百済の領土をどんどん蝕んでいました。伽耶諸国も安全ではありませんでした。ヤマト王権は専ら百済から文化/情報を輸入しており、同盟国として軍事援助を行っていました。その際は、九州から兵士/軍船/軍馬を徴発しました。伽耶諸国は、ヤマト王権の鉄の供給源でした。 -
磐井の乱(527-528)
百済支援に伴う重い軍事負担に苦しんだ九州の豪族は、筑紫君の磐井をリーダーに火国/豊国と共に、ヤマト王権に刃を向けました。1年半に及ぶ戦いはヤマト王権が直面した最大の内乱となります。磐井はヤマトの将軍物部麁鹿火に斬られ、乱は終結します。 -
磐井の息子の葛子は、ヤマト王権の制裁を恐れて、玄界灘に面した糟屋の地を差し出します。ヤマト王権は糟屋を直轄地として中央集権化を進めます。
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糟屋を含めた9か所を屯倉(みやけ)として、王権の直轄地としました。屯倉は、地域支配および交流の拠点であり、周辺地域の物品や情報がたくさんやり取りされ、地域ネットワークが形成されました。これらは、律令制での官道の下地となります。屯倉ネットワークの中心は、那津官家(現在の博多区)でした。
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磐井の末裔は、力を削がれたとはいえ地域支配者として存在し続けました。日本書紀では、天智天皇の治世(西暦671年)の記述の記述に筑紫君末裔の名前が登場します。八女にはヤマトの豪族物部氏が入り、それを彷彿とさせる地名や神社が今も残ります。
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古墳で見ると、前方後円墳は石人山古墳→石櫃山古墳→岩戸山古墳と推移します。磐井~祖父の代のもので、筑紫君として全盛を誇っていた証です。
一方で、葛子からは乗場古墳/善蔵塚古墳/鶴見山古墳と小ぶりな前方後円墳になり、石人も堂々と外に配置するのではなく、人目に付かない石室内に副葬されます。
その後の童男山古墳は円墳になり、ランクが下がっています。 -
磐井の乱後、ヤマト王権は玄界灘側を拠点に屯倉を配置し、九州の監視と百済支援/新羅征討を継続しました。北部九州には、磐井の乱を鎮圧した物部/大伴氏が軍勢を率いて進出しました。
火君は、有明海で培った海事のノウハウを買われて九州各地へ進出します。乱の前は半独立勢力でしたが、ヤマト王権の臣下として移住/転勤命令に従って、王権の基盤を安定させる駒としての「活躍」でした。 -
では、現地や発掘物へ移ります。
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岩戸山古墳
正直、実感が沸きません。岩戸山古墳 名所・史跡
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空中写真でも、ちょっとわかりにくいです。
後円墳の右側を侵食する43m四方の平らな区画は、岩戸山独特の様式で、政治の場でした。 -
このように石人が立ち並び、解部(ときべ)と呼ばれる裁判官が民事訴訟を扱った出来事が『筑後風土記』に記されています。日本最古の裁判記録とも呼ばれます。
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石馬も
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一応、当時を再現したレプリカです。
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バス通りの国道3号線を渡ると、すぐに丘が現れます。
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乗場古墳です。
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墳丘を登ります。
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後円墳の盛り上がりも感じられます。
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久留米藩士の遺した記録によれば、堀も健在だったようです。
墳丘の全長は70mと、岩戸山の半分のスケールです。 -
後円部の玄室の入口は、近代建築で保護されています。
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内部は公開されていませんが、玄室の手前に2つの部屋が控えます。赤/青/黄による装飾文様が見られます。石人も発見されました。発掘物は、東京上野にあります。
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続いて、岩戸山古墳から出土した石像です。すべて国重文指定です。
靫(ゆき)
戦士が背中に背負った弓入れです。 -
刀を帯び靫を負う石人
腰に刀を帯び、背中には靫を背負います。鼻から上が欠損しているのは、磐井の乱で破壊されたためです。 -
石楯
赤い顔料の跡が遺っています。 -
石楯
石見型と呼ばれる形状です。 -
石馬
胴の辺りで、アブミ/手綱/馬鐸(歩くと音が出る)が表現されています。 -
靫を負う石人
美豆良(びずら:耳の横で束ねた男性の髪型)が表現され、背面には靫を背負います。1808年出土。 -
石刀
実は、戦後の台風や集中豪雨で地面が露出して発見されたものも多いです。 -
石蓋(いしきぬがさ)
貴人が被る柄の長い笠で、内部の窪みもきちんと表現されています。 -
石壺
須恵器の壺を表現しています。 -
刀を帯びた石人
腰~基部が現存し、小刀がしっかりと確認できます。 -
武装石人
胸~腰の部分が遺っています。 -
正座をした裸形の石人(左)
やや前屈みで、背面の尻の表現も写実的とのこと。
男根のある裸形の石人(右)
胡坐をかいて座り、下半身を露出しています。 -
裸形女性の石人
乳房と腹部の盛り上がりから、妊婦とされます。赤色の顔料が検出されています。 -
首飾りの石人
口から上が欠損、首飾りをした唯一の石人です。 -
石人頭部
頭頂部に髪型も表現されています。 -
以下は、県有形文化財。
褌をした力士
画面の左上には、右手の五本の指が確認できます。 -
石馬
筋肉や馬具がきれいに表現されています。 -
武装石人頭部
東博へ貸出中です。
九博への貸出品もありました。 -
続いて、乗場古墳の人物頭部埴輪。帽子をかぶった男性です。
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残りは、6世紀後半の立山山古墳群から出土したもの。
猪形埴輪は、ファニーです。 -
美豆良を結った人物
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鞍に乗った貴人
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円筒埴輪
奈良発祥のアイテムで、典型的なヤマト王権文化。6世紀末の古墳から出ていることから、ヤマトの支配強化が感じられます。 -
あちこちへ貸出離散しているので、まずは大宰府の九博へ急行。
バス停の真ん前は市長境。何気に八女市の北端、すぐに広川町でした。 -
その前に腹ごしらえ。
バス停横に気になる洋食屋が。 -
ランチは、ハンバーグが990円、ステーキ付きは1480円でした(税別)。
結論、ステーキ普通、ハンバーグ超絶品です。プレートには、グラタンと自慢のビーフシチューなど、お子様ランチ的な洋風幕の内状態!スープとパンorライスが付きます。 -
最後は、コーヒーとチョコブラウニー。小さいけど、満足感の高いチョイスです。道理で、繁盛するわけです。
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大宰府の九博で、岩戸山古墳の石人を観ます。
九州国立博物館 美術館・博物館
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力士形石製頭飾
そういわれると、力士のような顔。国重文指定。 -
久留米藩士の矢野一貞が書き記した岩戸山古墳の石人。
両手を掲げています。 -
手の付け根部分でカットされた現状。
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隣接地域のチプサン遺跡の石人も展示してありました。
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後日、東京国立博物館も訪問。
東京国立博物館 美術館・博物館
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武装石人
常設展で、岩戸山古墳出土のものです。国重文指定。 -
背面には、靫を背負っています。
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久留米藩士の矢野一貞が書き記した当時の姿。
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企画展で
武装石人(鶴見山古墳)
国重文指定。等身大の武装した石人が両手を広げて、行く道を遮っています。埴輪と違い、石人石馬は実物大で製作、特に馬は存在感があります。 -
背面もしっかりと見学できます。
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武装石人
岩田山古墳で首から上が見つかったもので、等身より大きく威圧感があります。 -
横から撮影
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おまけ
東博には、笑う男性という埴輪があります。何とも言えない表情で、昔から好きです。 -
九博には、農夫型埴輪というチャーミングなものも常設展示されています。所有者は東博です。という訳で、いずれも群馬県の埴輪です。
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