2024/11/05 - 2024/11/09
1027位(同エリア2431件中)
青天井さん
台南3泊5日旅(後編)
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台南3日目の朝。朝の散歩でとても記憶に残る路地に出会った。自強街。民宿のある新美街から少し北側にある、小さな小さな路地。これと言ったお店があるわけでもなく、観光客は来ない。
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狭い路地の両側に家が密集する。朝早くから子どもの賑やかな声が聞こえ、「早く食べないと学校遅れるわよ!」と言っているような母親の声も聞こえる。そんな路地に涼しい風が吹いたかと思えば、おじさんがタバコを吸いながら原付バイクで路地を抜けて行く。
なんだかとても懐かしい気持ちになり、少し泣きそうになる。歳だな。 -
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自強街を途中で東に抜けてまっすぐ行くと、ひっそりと佇む「連得堂餅家」。昔ながらの手焼きのお煎餅屋さん。手焼きのため1日1人2袋までしか購入できない。
卵煎餅の懐かしく素朴な甘さに魅了され毎朝買いに行った。連得堂餅家 スイーツ
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煎餅片手に朝の街を練り歩く。街の一角に古井戸があった。烏鬼井といい、オランダ人の統治時代に奴隷として連れてこられたインドネシア方面の人たちにより掘られた井戸。
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手前の標識や、廟の隠れ具合などバランスが気に入っている一枚。
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朝ごはんを食べ、いよいよ台南から鹽水(塩水)に向け出発。新営という駅で降り、そこからバスに乗る。新営まではローカル鈍行で約50分だ。
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ローカル線の車内。話す人もおらず静かだった。おばちゃんが食べてた柑橘の香りも一緒に電車は運んでゆく。
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新営駅に到着。1600年代にオランダ人の支配を終わらせた鄭成功。その一団は屯田兵として台湾の農地開拓にも尽力した。彼らが開拓した土地のことを「営」と呼んでいた。ここ新営は、その当時の地名を今に残す数少ない場所。
新営駅 駅
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新営駅舎は趣がある。
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新営駅目の前のバスターミナルからローカルバスへと乗り換える。ここでこの旅初めて、客引きと思われるタクシー運転手のおっちゃんが話しかけてくる。太眉で垂れ目の、前歯が欠けた優しそうなおじさんである。が、しつこい客引きがいない台湾に好感を持っていたため、少し残念に思いながら適当にあしらう。
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バスを待っている間もおっちゃんはしつこく僕に話しかけてくる。あまりにもしつこいので、おっちゃんの目を見ながら自分を指差し、「バス!鹽水!」と少し大きな声で言う。おじさんは少し寂しそうな表情でメモ帳を取り出し、「11点05分」と書いてみせた。バスの時間を教えてくれていたのだ。罪悪感に駆られながら「ありがとうございます。」と言うと、ニカッと笑い「ニホンゴ」と言い去って行った。
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バスが出る。振り向くとおじさんが見送ってくれている。「そう。そのバスだ。」というように目を細めて微笑んでいた。
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新営からバスに揺られること20分~30分。鹽水に到着。
どうって事ない田舎の街だが、前編で紹介した清の時代の「一府ニ鹿三艋舺」には続きがある。「一府ニ鹿三艋舺四月津」だ。この街はその昔、台湾第四の都市だったのだ。 -
メインの通りからは当時の姿を想像できない。
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街を歩いていると突然、バカでかい廟が姿を現す。台湾全土で最も古い媽祖廟3つのうちの一つ。媽祖とは中国福建省で信仰されていた海の神様で、廟の中では一番人気のようだ。
こういう廟を見ると当時の面影が垣間見える。 -
この廟の案内係のおばちゃんは大変親切で、ほとんどボディランゲージで、一緒に参拝しながら参拝方法を教えてくれた。
薄暗い廟の中を火のついた長い線香を持って歩く。一歩踏み出す毎に400年の歴史を遡っているかのような気分だった。 -
先ほどの廟から脇道に入ると全く想像もしてなかった景色に出会える。
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確かに今は寂れた台湾南部の田舎町だが、懐かしさの奥にかつての栄華が微かに見え隠れする。
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いったいどんな人たちが何を話しながらこの道を行き来したのだろうか。
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三脚付きの自撮り棒をこんな遠くまで持って来た甲斐があった。
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歴史街道は続くよどこまでも。
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やはり廟にぶち当たる。王爺廟といい、ここも人気の神様を祀っている。
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鹽水は意麺という麺料理発祥の地。意麺とは台湾各地で食べられる汁なし麺のことを言う。1600年代に鄭成功軍の兵隊さんがこの地で広めたと言われている。
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意麺とワンタンスープを注文する。美味しくなかったら嫌なので、意麺は小サイズにした。店員さんが「本当に小でいいのか?」と確認してくるが、リスクは負えない。
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これが鹽水が誇る名物意麺である。ツルツルの麺に甘辛い肉そぼろとニンニクがマッチして美味しい。僕の嫌いな八角は入っておらず、早い話しが汁なしの二郎系ラーメンのようだった。その後、我慢できずにおかわりをした。店員さんの「ほらな。」という表情が忘れられない。
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昼ごはん後、路地を歩いて市場の方面へ。
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お昼も過ぎると市場はもうやってない。気怠そうに机に脚を放り出しておじさんがテレビを見ている。
人のいなくなった市場は静かで薄暗い。朝の賑わいの雰囲気だけが微かに感じとれた。 -
市場を抜けてしばらく行くと、小学校がありその敷地内に日本の神社があった。日本軍の撤退後、国民党軍は地名や神社など日本が感じ取れるものをことごとく改名・取り壊しをした。このような形で残っているのは珍しい。
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鹽水の有名なかき氷屋さん。休日ともなると行列ができるのだとか。壁にかかっているメニューを指差したが伝わらなかったようで、店のおばちゃんは長包丁を取り出し僕に渡してきた。「これで指せ。」。この店で手っ取り早い長尺物は長包丁らしい。
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平日の昼間ということもあり、ほぼ貸切状態。赤いプラスチックの椅子が南国のかき氷屋さんらしくていい。
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「紅豆月見牛乳冰」を注文。卵黄が乗っているかき氷があるのは知っていたが、なるほど名前に嘘はない。卵黄を月に見立てるのは極東アジアの感性だろうか。
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卵黄はベストマッチというわけではないが、なるほど美味い。台南では1日20km程歩いていたので、暴力的な小豆の量もありがたく感じる。
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鹽水を満喫したのでバスに乗り新営経由で台南に帰る。店が目立ちすぎてバス停がわかりづらい。
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バス停でおばちゃんが中国語で話しかけてくる。慣れとはすごいもので、なんとなく「お兄ちゃん!あんたバスでどこまで行くの!?」とわかる。「新営」と答えると少し先を指差し中国語で何か言う。多分「新営行くならあっちのバス停だよ!」だろう。お礼を言うと満足そうだった。鹽水の人は優しい。
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孔子廟へ。かつては廟と学校の両方の役割を担っていた。「全臺主學」の字が、当時最高学府だった頃の栄光を物語る。東大の赤門と同じ色なのは偶然なのだろうか。
孔子廟 (台南) 寺院・教会
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屋根が今までの廟と比べて質素だ。僕が勉強した内容が正しければ、孔子廟の起源は中国の広東省であり客家(はっか)と呼ばれる人達が建てたことになる。
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どことなく首里城を彷彿とさせる。
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派手な作りの廟ばかり見ていたせいか、やけに屋根が軽そうに見える。
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赤崁楼(せきかんろう,チーカンロウ)へ。前編で最初に行った、ゼーランジャ城と対をなすオランダ統治時代のお城。オランダ語名をプロヴァンティア城という。以降、台湾の首府として君臨することとなる。アジアンな作りと椰子の木が不思議な雰囲気を醸し出す。
赤崁楼 (赤嵌楼/紅毛城) 史跡・遺跡
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今日もまた日が暮れる。かつての城府には夕日を落とすまいと風が西から吹いていた。
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日が傾いて夕闇に飲まれるまでは早い。夜風はどこまで自由で、疲れているはずの足取りを少しばかり軽くしてくれる。
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台南最後の夜は今までで最高難度のお店へ。みんな並んでいるが何のために並んでいるのかわからない。お店の人に「内用(=イートイン)」と告げ、空いている席に座る。
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狭い路地裏にテーブルを並べている。その間を縫うようにバイクが走り抜ける。僕にとっては非日常なこの景色。待ち時間も前菜のように味わう。
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全体的に白っぽいメニューになってしまった。ニンニクが効いたそうめんのようなメニューとワンタンスープ。総じて台南の料理は外さない。
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明日は帰路に立つ。ダラダラとキレのない台湾ビールが、終わってほしくない台南の夜を、僕の気持ちを代弁してくれていた。
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昨日鹽水で廟に参拝したことで、度胸がついた。この日は朝早くから1人で参拝をすることにした。わからないときは現地の人の真似でもすればよい。
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この旅二度目のお土産買い出しをしたのちに台南名物のエビ飯を食べに行く。
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湯得章さんの住んでた家。記念館として開放してると聞いていたが、二度訪れても開いてなかった。
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こちらは有名店の「集品蝦仁飯」さん。この日は「外帯(=テイクアウト)」が異常に多かった。
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蝦仁飯(エビ飯)と蝦仁鴨蛋湯(アヒルの卵と海老のスープ)と煎鴨蛋(アヒルの卵目玉焼き)を注文。一食あたりの金額はこの旅最高金額を記録。日本円で約700円である。
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絶品だった。有名店としてハードルが上げられてもなお、この感動だ。
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昼ごはんを食べながら物思いに耽る。3年前まで日本の田舎で働いていた自分が、突然東京に転勤となり、何の巡り合わせか目的もなく台湾に遊びに来たのが今年の4月。そこで刺激を受けて台湾の歴史を勉強し、半年後に台南の道路沿いで昼ごはんを食べてる。小さいことだけど、人生わからんものだなあ。なんて思う。
ぼーっとしてたら海老の出汁が最後の米粒にまで染み渡っていた。 -
いよいよ台南の街を後にする。ここからは新幹線に乗り、台北で用事を済ませ深夜の飛行機で帰国することになる。素敵な思い出をありがとう。台南。
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離陸を知らせるアナウンスが機内に流れる。また台南の路地裏を歩けるだろうか。そんなことを考えていると台南の景色や出会った人のことが頭に浮かんでくる。離陸の加速度を体に感じながら深い眠りに落ちていった。
東京に着く。この日の最低気温は8℃であった。32℃を超えたあの日の台南の日差しはここにはなかった。 -
◆◆エピローグ◆◆
台南の街ではフィリピン系の人たちを多く見かける。台湾の南に広がるバシー海峡を越えるとそこはフィリピンである。オランダの台湾統治が始まった400年前よりも以前、台湾にはずっと昔に南からやってきた原住民族が住んでいた。文字を持たなかったが故に「歴史」の表舞台には出てこなかったが、「歴史」以前の時代もあったということは知らなければいけない。そして彼らの悲しい歴史も知る必要がある。
こういったことを考えると、やはり台湾は近くて遠い存在なんだろうなと思う。
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