2024/11/04 - 2024/11/04
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SamShinobuさん
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黒田清輝の代表作である「読書」「舞妓」「湖畔」「智・感・情」を観るために黒田記念館を訪れた。
黒田記念館特別室では上記の4作品だけを展示しているが、作品保持のため年3回(約2週間ずつ)しか公開されない。今回は今年最後(2024年10月29日~11月10日)の公開になる。
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上島珈琲店 黒田記念館店
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黒田記念館の開館時間(9時30分)までまだ少しあるので、黒田記念館の別館にある上島珈琲店で朝食。
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3種チーズのクロックムッシュモーニング(920円)を注文。
ドリンクはホットコーヒー。
チーズが旨い! -
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黒田記念館
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黒田記念館
入館無料。(無料って!)
日本近代洋画の父、黒田清輝(1866―1924)の遺言により美術の奨励事業に役立てるため、1928年に黒田記念館が建てられた。
ファサードを見ると、イオニア式オーダーの列柱が実に見事だ。 -
昭和初期における美術館建築として大変貴重な建物だ。設計は明治生命館も手掛けた岡田信一郎で、国の登録有形文化財になる。
上部に半円形窓がある扉。 -
そしてスクラッチタイル。
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なにこのお洒落なデザイン!
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アールヌーボーな階段の手摺。
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特別室
入口に座っている監視員に写真撮影可か訊ねるとOKとのこと。
ここに展示されている4作品中3作品が重要文化財。
*国宝や重要文化財は作品保護のため、展覧会への出品などで移動させるのは基本的に年に2回以内、公開日数は年間60日以内とするルールがある。
そのため特別室は年3回(約2週間ずつ)しか公開されない。 -
「読書」(1891)
フランスのサロンに初入選し、フランス画壇へのデビューを飾った作品。
黒田は法律の勉強をするためにフランスに留学するが、20歳(1886年)になると画家になりたくてラファエル・コランに弟子入りする。1886年と言えばすでに印象派が台頭しており、師匠のラファエル・コランも古典主義の絵画に一部印象主義を取り入れたような絵を描いていた。
この「読書」にも印象派っぽいところが見受けられる。 -
「舞妓」(1893) 重要文化財。
帰国してすぐに京都で描いた作品。日本人が印象主義的な表現で日本人を描いた初めての作品だろう。ちょっと印象派にかぶれちゃった黒田は、黒を使わない主義、紫派と呼ばれるようになる。 -
「湖畔」(1897) 重要文化財。
教科書にも載っているし切手にもなったので、この絵を知らない日本人はいない。
モデルは後に黒田清輝夫人になる芸妓さん。芦ノ湖で芸妓としっぽりやっている絵が重要文化財でいいの?笑
フランスで印象主義をかじってきた黒田清輝が、黒色を使わず筆触分割と光のとらえ方で、日本女性を印象派風に描いているところが新しかったのだろう。
それにしても奥さんは芸妓時代の自分の顔が日本中に広まった際、どんな気分だったのかな。ちょっと訊いてみたい気もする。
ちなみに「舞妓」が重文指定されたのは1968年で、「湖畔」は1999年。「湖畔」が重文と認められるまで「舞妓」から30年もかかっているのはなぜだろう。ていうか、そもそも当時最新の西洋画の技法を日本に持ち込んだという点が評価されたなら、どちらも大差ない気がするが。 -
「智・感・情」(1899) 重要文化財。
先月東京国立博物館で観たばかりなので、ちょうどひと月ぶりの再会。これは日本人女性をモデルに描かれた最初の油彩裸婦画だ。
この3つの等身大裸婦はなかなかインパクトがあって好きな作品だ。向かって右から智・感・情。 -
智
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感
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情
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モデルは小川花、小川幸姉妹と名前だけは分かっている。プロポーションは理想化している可能性も指摘されているが、明治期に裸婦モデルになった花ちゃん幸ちゃんの実物見たかったな。
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1900年のパリ万博で銀賞受賞。日本ではいまいち受けなかったがフランスでは評価されたのは、どこかオリエンタリズムを感じさせたからか。
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黒田記念室(黒田子爵記念室)
黒田清輝は子爵でもあった。後には政治家にもなり、およそ画家らしからぬ経歴の持ち主だ。 -
入口手前にある黒田の胸像は高村光太郎作。
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うっすらと黒田子爵記念室の文字が見える。
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明かり取りの天窓と天井の漆喰装飾が見事。
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「自画像」1885年
法律の勉強のためにパリに来たのに絵ばかり描いて、「やっぱ俺、絵描きになりたい」と悩んでいた19歳の黒田青年。その頃の作品。 -
「裸体・女(全身)」1889年
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「大磯」1897年
印象派っぽさと、この質感を無視した大胆な筆跡はセザンヌを彷彿とさせる。 -
昔語りシリーズ
これも日本ではあまりウケなかった。確かにわかる気がする。なんか地味だもん。 -
昔語りシリーズ
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黒田清輝の遺品として、イーゼル、椅子、絵具箱が展示されていた。
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資料室
黒田は東京藝術大学美術学部の前身である東京美術学校の初代教授だった。善し悪しは別にして、黒田が近代日本の西洋画の方向性を決めたと言ってもいい。 -
映像室
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旧博物館動物園駅
黒田記念館の前に小さいながらも荘厳な建物がある。 -
これはかつて上野の山にあった京成電鉄の駅だ。1933年に開業した地下駅だったが、利用者減少や4両編成しか停車できない短いホーム等の理由から、2004年に廃止になってしまった。京成電鉄の割には立派な駅舎(←失礼な)は、その場所が皇室の世伝御料地だったからだ。世伝御料地に建てるには品位に欠けたものであってはならないということで、古代ギリシャ建築の意匠を取り入れた駅舎になった。
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そのお陰で廃止後も東京都選定歴史的建造物となり、昔の面影を残して保存されている。
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寛永寺
江戸時代は上野公園全体が寛永寺の境内だった。不忍池も寛永寺の池だったのだ。庶民にとっては寛永寺は江戸最大の観光地でもあった。 -
しかし江戸城が無血開城された時、新政府に牙を剥いた彰義隊を寛永寺がかくまったとして、境内全部を没収されてしまう。そしてその敷地のほとんどが、後に上野公園になったというわけ。一応寛永寺は残されたが、泣き面に蜂で今度は神仏分離令や廃仏毀釈でズタボロになってしまう。
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そして今は上野の端っこで、かつての栄華を懐かしんでいるんじゃないかな。
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来年2025年は寛永寺創建400年。ここで一旗揚げてやろうと思ったのか分からないが、根本中堂は大規模な改修工事をしていた。
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上野東照宮
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銅灯籠
諸大名が奉納した銅灯籠が48基もある。 -
絵馬の半分以上が外国語だ。
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唐門
上野東照宮はもともと寛永寺内に徳川家康をお祀りする神社として建立された。その頃は神仏習合で寺と神社は仲が良かったので、寺と神社の同居はオッケーだったのだ。 -
そして1651年に家光がたいそう立派な社殿に建替えた。いくら家康の供養とは言え日光までは遠いので、近場の上野で済まそうと思ったんじゃないかな。
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この唐門で参拝する人がほとんどだと思うが、本来お詣りすべき社殿(拝殿、本殿)はこの奥。ただし拝観料が500円かかる。
お金を払って社殿をお詣りするのは外国人観光客ばかり。かく言う私も社殿まで入るのは初めてだ。 -
ここから先は有料エリア。
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大楠
樹齢600年以上。上野の祖木と言われる御神木。 -
金色殿とも呼ばれる権現造りの社殿。
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透塀(すきべい)
社殿をぐるっと一周囲んでおり、動植物が200枚以上彫られている。 -
ねずみ
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上野東照宮には狸が神様として祀られている。受験生の神様としても有名だ。なぜ狸が受験の神様なのかというと、狸が「他を抜きんでる」と読めるから。ダジャレかいっ!
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上野五重塔
1631年に建立。上野東照宮の参道から五重塔はすぐそばに見えるのにフェンスで入れないのはなぜだろう。
元々はこの五重塔は東照宮のものだった。東照宮は神社なのに仏塔である五重塔があっていいのかと疑問に思うかもしれないが、これも神仏習合でオッケーだった。なので当時はここから五重塔まで参道があったそうだ。
しかし明治新政府が神仏分離令を発令したため、日本中の神社で仏教施設が壊される事態になる。そこで東照宮は考えた。そうだ、寛永寺に寄進して五重塔を守ろう。それで東照宮五重塔は寛永寺五重塔となり、何とか破壊は免れた。
それから時は流れ、寛永寺が五重塔を管理するのが難しくなり(管理費用の問題か?)、ついに東京都に寄付することになる。
東京都は都立である動物園の敷地に五重塔を組込み、無粋な柵で通せんぼしている。動物園に入園料を払わないと五重塔まで辿り着けないのだ。せめて東京都には、もう少し拝観しやすいように柵を何とかしてほしい。 -
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東照宮第一売店
いつもはここで一休みするが、今日は趣向を変えてお隣りの新鶯亭へ。 -
新鶯亭
10:00開店なので、朝からビールが飲める良店。 -
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おでん1,200円。
ビール小瓶700円。
しみしみのおでんをツマミにビールを流し込むと、身体がほっとしているのが実感できる。
最高の休日だな。 -
上野大仏
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地震などによって何度も頭が落ち、その度に修復を繰り返していたが、戦時中の供出令で胴体を徴収されてしまう。残った顔を壁に埋め込んで安置すると、「これ以上は落ちない」と受験生の間で話題となり、合格大仏として寛永寺の人気スポットとなった。
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PAN NOTE MAGIC
上野公園五條天神社前にて、スティールパンのご機嫌な演奏を聴く。スティールパンと言えばリトルマーメイドの「アンダー・ザ・シー」が定番だが、予想通り演奏してくれた。 -
マレットでスティールパンを叩く様子はホント楽しそう。
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ペレ・ヨヴァノフ
マケドニア出身のチェロ弾き。
すぐ近くで演奏していたPAN NOTE MAGICの「アンダー・ザ・シー」が聴こえたのだろう。彼も「アンダー・ザ・シー」を弾き出したのにはワロタ。 -
東京文化会館
上野は面白い建築物の宝庫だ。
東京文化会館の特徴は大きく反り上がった曲面のひさし。打ち放しコンクリートのひさしと列柱が個性的だな。 -
設計はル・コルビュジエの弟子の前川國男。対面の国立西洋美術館がル・コルビュジエの設計なので、期せずして師弟関係の建物を見ることができる。国立西洋美術館の竣工が1959年。東京文化会館の竣工が1961年。前川國男は相当プレッシャーだったんじゃないかな。それでも師ル・コルビュジエに敬意を払うことを忘れずに、東京文化会館の高さを国立西洋美術館と同じ11メートルに揃えている。すぐそばの東京都美術館(1975年竣工)の設計も前川国男だ。
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壁は大きな石を砕いてコンクリートで固めている。
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星空を思わせる天井のエントランスロビー
本格的なオペラの上演ができる2300席の大ホールと660席の小ホール、延床面積は国立西洋美術館の5倍という規模。 -
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時の鐘
花の雲 鐘は上野か 浅草か by 芭蕉
芭蕉の詠んだ上野の鐘がこれだ。
江戸市民に時を告げるために上野や浅草に鐘が置かれた。
この鐘の音、どこまで届いたんだろう。
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この旅行記へのコメント (1)
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- Minty Pinkさん 2025/01/07 20:20:35
- こちらにもお邪魔します
- なんと!モネのお隣には黒田記念館旅行記! 上野界隈散歩にこちらも考えておりました。東照宮もなかなか見ごたえありますねえ。SamShinobuさんの旅行記をガイドブックにして一日過ごせそうかも。
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