2024/09/30 - 2024/09/30
23位(同エリア108件中)
愛吉さん
降雨と暑さの為中止が続いた甲州街道歩き、久し振りの催行です。
今回は前回の終点与瀬から上野原迄の3宿11KM を歩きます。
道は漸く相模の国から甲斐の国に入りました。
旧街道は全般に細く荒廃、アップダウンも多く山道を行くが如しでした。
昼食場所が無く、結局摂れたのは上野原、2時半を過ぎていました。
では御覧になって下さい。
表紙・彼岸花の街道を行く仲間。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
JR中央線相模湖駅。 午前9時30分。
前回の終着点、今回のスタート地点です。
小原宿本陣祭の垂れ幕が。 -
駅のあるここは甲州道中与瀬宿、江戸から15番目の宿場、では街道歩きスタート。
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少し歩くと高野山真言宗慈眼寺、元は隣の与瀬神社の別当寺。
明治5年の神仏分離令により独立しました。 -
与瀬神社。祭神は日本武尊。
慈眼寺と並行して2本の階段が並びます。
境内から相模湖の景観が好いそうですが、階段が長いので下から参拝。 -
街道筋には古い石碑や石仏が残ります。
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街道は秋景色、コスモスの中を歩きます。
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街道は新道を離れ、山の中へ。
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次は彼岸花の出迎えです。
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街道脇には石碑石仏、古道の面影を残します。
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道標があります、道は間違いないようです。
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石垣の下にお地蔵様が鎮座。
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吉野宿に到着しました。
江戸から16番目の宿場になります。
明治29年の大火により全て焼失、面影は有りません。 -
道中案内板で道程を確かめます。
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旅籠ふじや、郷土資料館になっています。
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右から。
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左から。
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街道脇、百万遍、二十三夜の碑がありました。
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旧道に入ると道が荒廃し、判りにくく度々新道に戻ります。
小さな道標が唯一の目印です。 -
峠の細道を辿り。
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小さな階段を下ります。
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次は長い坂、この乙女坂を登ると諏訪関跡、相模と甲斐の国境となります。
武田氏が設置した二十四関の一つ。徳川時代には境川口留番所と呼ばれ、通行手形の改め、流通物資の監視、徴税等が行われました。
明治5年に廃止。
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諏訪関跡を過ぎると上野原宿(上野原市)。 甲斐の国最初の宿場です。
江戸時代は郡内織(絹織物)の産地、1と6の日に市が立ち、街道筋を代表する宿場でした。
しかし明治と大正の大火により宿場の面影は消滅、今は何も有りません。
舟守寺、日蓮上人を伊豆の法難から救い出した舟守弥三郎の遺骨を納めます。 -
諏訪神社。
創建は古く康治元年(1142)。 -
由来を記した看板。
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道路脇に立つ風情の無い石碑。
建てた人のセンスを疑います。 -
疱瘡神社、万治4年(1661)創建。
水疱瘡、皮膚病にご利益あり。 -
神社の裏に塚場一里塚跡(江戸から18番目)
今回はここ迄、食事処を見つけ遅めの昼食、2時半を過ぎていました。
その後JR上野原駅迄歩き帰途に、本日の歩数は26千歩でした。
終
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