2024/08/21 - 2024/08/28
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おみヴぉ333さん
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悲しい旅行記ですので、どうぞスルーしてください。
(もうほんと最近はこんなのばっかりで、申し訳ないです。。)
-
たびたびの悲しいお知らせになってしまい、ほんとに申し訳ないのですが、過日、8月23日(金)午前9時20分、実家の父が急逝いたしました。85歳と3か月でした。
心不全による肺水腫などの多臓器不全とのことでしたが、本当に突然で、あっという間のことでした。
8月の、お盆前までは、これといっておかしな様子もなく、至って普通に元気そうで、夏バテもしておらず食欲もあり、いつもの通りに電話で話も普通に出来ていたので、16日(金)の仕事帰りから17日の土曜にかけて実家に行く予定にしていたのですが、ちょうど16日に台風で新幹線が止まったので行くことが出来ず、翌週末の23~24日に予定を繰り下げていたのですが、そうしたところ、その週明け19日(月)くらいから急に呼吸が苦しいと父が訴えるようになり、介護ヘルパーの会社に頼んで訪問医に来て診てもらったところ、酸素飽和度が88ですぐにでも入院が必要とのことで、
それからバタバタと、私も急遽仕事を休んで、21日(水)の午後に父と一緒に救急車に乗って病院へ行き、入院手続きをしたのですが、その時はそこまでひどく重症という感じには見えず、まだ余裕がある感じに見えていたので、ひとまず入院は出来たし、このあときちんと治療すれば回復するだろうと、それほどの危機感もなくすっかり安心してしまっていました。
それで次の日22日(木)は入院に伴う諸手続きや、市役所や銀行など各所を周り、父の衣類など荷物を病院に届けてから、その夜はいったん自分の家に帰り、あらためて24日(土)にも面会に来るつもりで、23日(金)は朝から職場へ普通に出勤していました。
そうしたところ、9時をまわってしばらくした頃だったでしょうか、病院から電話があり、父の意識がなく心肺停止状態だと。8時台には看護士と会話のやり取りがあったとのことなので、それからほんの30分~1時間ほどの間のことだったようです。すぐにCTで遺体を調べてくれたそうですが、脳出血や食べ物が喉に詰まったなどの、死亡原因に直結した形跡は何もなく、実際のところ、何が起こったのかは「不明」だそうです。
そんな形で、入院からわずか1日半あまり、誰からも看取られることもなく、あっけなく父は旅立っていってしまいました。
こんなコロナ規制なんかのある世の中じゃなければ、もっとずっと病室でそばについていてあげられたのにと、後悔や無念さばかりが残ります。 -
そんなこんなで、悲しいお知らせになってしまい、すみません。。
誰しも親との別れはいつかは経験するものですが、急だと何が起こったのだか、あまり実感も湧かず・・といったところで。まだ何だかちょっとボーッとしてるところはあるのですが、でも今はもう落ち着いていて、職場へも普通に出勤してますし、睡眠も食事も普通に摂れてるので大丈夫です。
まあそんな中ではありましたが、今回は約1週間という短い期間内に、自分の家と実家とを行ったり来たりしながらいろいろ準備して葬儀を行い、おまけに迷走台風10号にも終始付きまとわれていた関係で、三島と伊東の3ヵ所の宿に泊まることも出来たので、あんまりお悔やみモード全開になってしまうと4トラ検閲局からもまた怒られそうなことから、以降は時系列を追って旅行記仕立てで書いていくことにします。
(画像は全然関係ないですけど、この夏、我が家のベランダで大活躍だったオニヤンマ君) -
2024(令和6)年8月21日(水)8:53 AM
JR東海 東京駅 新幹線ホームのコーヒーマシーン。
へ~、最近はこんなふうになってるのねーとちょっと感動。
こだまブレンド、ひかりブレンド、のぞみブレンドにドクターイエローブレンドまで! -
300円。お味もいたって普通に、美味しいです。
これまで何十回、いや、ゆうに100回は超えていると思うのですが、いったい何度この新幹線で、実家との往来をしたことでしょう。
これが、父に会いに実家へ向かう最後の新幹線乗車になるなんて、この時は思ってもみませんでした。。
ただ、このあと父が入院して退院しても、そのあとはもう実家で一人では暮らさせられないから、そうなったら母と同じ老健で、最後まで一緒にいさせてあげてもいいのかな・・とか、そういうことは漠然と考えていたので、そういう意味で「これが親に会いに実家へ行く最後の乗車」になるだろうことは、どこかで感じ取ってはいました。
父はもともと障害もあって要介護3も取れていることから、ほんとはもっと前から(去年、母が倒れた直後くらいから)そうしないかと提案していたのですが、本人が頑なに施設は嫌だと言って一人で頑張ってしまっていたので、もうこちらとしてもどうすることも出来ず。。それが本人にとって一番だと言うなら、そのまま見守るしかないのですが。
ちょっと前までなら私がリモートワークとかで実家で仕事することも出来たのですが、タイミング悪くそれが出来なくなったのが、両親に対しても申し訳なさでいっぱいで。 -
14:51
実家に到着したのは10時過ぎでしたが、具合悪そうにしながらもなおも入院を嫌がる父を何とか説得して、やっと救急車に乗せたのが14時頃。
この時点ではまだ、救急車に乗っていても上半身は起こした状態で座っていられましたし、意識もしっかりあって会話も問題なく出来、酸素マスクを付けていくらか呼吸が楽になった、などと話していました。
病院に到着し、私がこの待合室の椅子で入院の書類にいろいろサインしている間にも、救急搬送された診察室内から私の名前を大きな声で呼んだり、そばにいる看護師さんにも「今日は朝から何も食べてないので、お腹が空いたんですけど、このあとどうなるんですか?」などと、しっかりした口調で訊いていたのです。
なので私は、この様子なら大丈夫だろうと、とにもかくにも入院させることが出来て良かった・・という安堵感のほうを、このとき大きく感じていました。とにかく父の苦しい症状が少しでも楽になれば、という思いだけでした。
このあと父が病室まで運ばれていくのを見送り、家族(私一人)は別室で簡単なオリエンテーションを受け、それで病院からは帰りました。病院を出た時はすでに夕方でしたがもう夜みたいに真っ暗でした。
ところで父が運ばれてきたこの病院は、偶然にも母が入所している老健のすぐそばだということで、なんだか不思議だなーとこの時感じていたものです。 -
おまけになんと、父の病室は「333」号室でした!
なるほど、きたかー!と思いました。こうやって私の人生の節目節目に、かならずこの数字は現れてくるんです。
昔からそうです。この「333」番で受験に合格したりとか。昔の実家の住所が「333」番地とか。まあ他にもいろいろありましたけど、
ラッキーナンバーなのか、といわれると、必ずしもそうでもなくて、
良きにつけ悪きにつけ、何か大きな出来事があるたびに現れる数字、みたいな。 -
翌日も、まだ地元に留まって市役所やら銀行やらいろんなところへ行って手続きをしたり、父の介護サービスセンターへもいったん契約終了の挨拶しに行かなきゃならなかったので、この日は帰れなかったのですが、
もう母も父もだーれもいなくなった実家に、一人で寝泊まりするのは耐えられそうになかったので、
病院から来宮には戻らず、そのままサクッと電車で三島へ逃げました。 -
このときもう、20時をまわっていたんだけど、私も夕飯をまだ食べていなかったものですから
同じビル(MITOWAみしま)2階 ホテルフロント入口前にあるこちらで -
「いやー、おつかれさんねー > 自分!」
って感じでこの時はまだ、祝杯?をあげたいような晴れやかな気持ちでした。
ああ、やっと入院させてあげることができた・・みたいな。
とにかくそれまでが、あれも嫌だこれも嫌だみたいな感じで、手こずっていたものですから。
救急隊員が来た時までも大騒ぎ。周りの方々の協力なくしては、出来なかったと思います。。
まあこれからがまたいろいろ大変だけど、ひとまず、よかった、と。
そんな感じに、一息つこうと。 -
もうラストオーダーだったから、お店もほとんど貸し切りだったw
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この夏、何回かいろんなところで鰻食べたけど、
やっぱり三島のがいちばん口に合う気がしました。 -
去年、母が中伊豆に入院してた時から
ワタシの「活動拠点」として何度もこのホテルにはお世話になってますが
ここがあってくれてほんとによかったと思っています。
なにより駅の目の前だし、大浴場もあって、疲れた心と身体にホッとさせてもらえるのが、とても助かっています。
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でも今回久しぶりに泊まってみて思ったのはねー、以前泊まった時よりも清掃の甘さが目に付き、朝食ビュッフェの内容もややショボくなってました。。
全体的にも、ちょっとインバウンドたちに荒らされちゃったなぁ感が散見されたので、こまめにメンテ必要な時期かもしれませんね。。富士山三島東急ホテル 宿・ホテル
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8月22日(木)
三島をチェックアウトしたあとは、ふたたび実家に戻っていったん荷物を整理し、介護サービスセンターへ契約書を持って挨拶 → そのあと市役所へ(保険や年金関係の書類を私の住所宛に郵送してもらう手続きなど)→ そのあと親の通帳持って銀行へ、といった感じで暑い中大汗搔きながら1日中動き回ってました。
14時半頃、遅くなったランチを求めて熱海銀座へ。しばらく来ない間にまたいろんなお店が増えてました。
こちらは沼津発祥 海鮮丼の「五鉄」熱海店。前は違う場所にあって移転したばっかりみたい。 -
海鮮丼メニューは、お財布具合に合わせて「壱鉄」から「五鉄」まで5段階あり、これは「弐鉄」(1,980円)。
それでもボリューム的にもお味的にも大満足でした! -
残り1/4ぐらいになったら、出汁茶漬けにして楽しんでください~とポットまでついてきました。
どんぶり一杯で二度楽しめるなんて素晴らしい!
ごちそうさまでした~。 -
そのあと帰り際、父の衣類など荷物を届けにまた病院へ寄りました。
この日の朝、まださっきの三島のホテルにいた時に、父から電話があって、相談があるから明日来てほしい、と言われたのです。
でも明日の金曜日は出勤しなければならず、今日も荷物を届けるだけで面会の予約はしていないので会えないだろうと思ってしまい、どのみち今日運びきれなかった足りない荷物を、またあさって土曜日にツレに車を出してもらって持ってくる予定でいたので、父にはその時に会えばいいと思い、この時は会わずにさっさと帰ってしまったのですが。
まさかその時の父との電話が最後の会話となって、この日に父に会わないで帰ってしまったことを後悔することになろうとは、夢にも思いませんでした。
翌日8月23日(金)
午前9時を少し回った頃、職場で仕事に取り掛かろうとしていた矢先、携帯が鳴り、病院から父が意識消失で心肺停止状態だと知らされました。心臓マッサージをしても反応がないと。ただ、その直前の8時台には看護師と話をしていたとのことで、病院側も何がなんだか?わかりませんというような、動揺しているというか、はっきりしない物言いでした。
「死亡が確定ということでよろしいんですね?」と、思わずこちらから確認を取ってしまったくらいでした。
職場に事情を話し、すぐさまいったん家へ帰って、ツレと一緒に父をお迎えに向かいました。
ほんの一昨日まで、会話もでき、体も動かせていた父が、目を閉じて息をしていないのが信じられないような不思議な感じでした。
病院はまだコロナ規制下ですし、危篤状態すらもなくいきなり逝ってしまったような感じなので、いずれにしろ最期には立ち会えない運命だったのかもしれません。ただ、昨日病院に来ていたにもかかわらず、会わないで帰ってしまったことだけは本当に悔やまれ、ごめんねと父に謝りました。
父は洗礼を受けたキリスト教徒なので、生前懇意にしていた牧師さんがすぐ駆けつけて来てくださり、臨終の祈りを捧げてくださいました。そのあと牧師さんが紹介してくださった葬儀屋さんがすぐに来られて、父を安置所まで搬送し、その葬儀屋さんの事務所のような一室で、私とツレと、牧師先生と葬儀屋さんの4人で、21時頃まで葬儀の打ち合わせを行いました。
葬儀は悲しみの中でいきなりいろんなことを決めなきゃならないっていうけど、ほんとにこれがいちばんつらかったですね。。 -
葬儀の日程も決まり、打ち合わせが済んだ時点でもう21時をまわっていたため、私とツレは帰るのをあきらめて近くに泊まっていくことにしました。
近くで空いてた中では、ここが一番きれいでまともそうだったので。
Booking.comで予約。素泊まりで24,060円。伊東小涌園 宿・ホテル
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もうこの時は写真なんか撮ってられる気力はなかったので、サイトの画像で失礼します。
古い旅館を無理やりリノベした感じのこんなお部屋でしたね。
フロント係のおじいちゃんはまごまごしてるし、クーラーも壁のダイヤルを回す昭和式で、微調整が効かずめちゃくちゃ寒かった。
もうこの夜は、ごはんも喉を通らず、泣きながらなだれ込むように寝ました。
ツレは久しぶりの温泉旅館でうれしかったらしく、私が寝たあと一人で大浴場を満喫しておりました。私も翌朝、涙が止まらない中で入ったけど、お湯は熱めだし、やっぱり設備は古いからね。古いことを承知で泊まるのなら、まあいいのかも。。 -
8月24日(土)
葬儀が27日(火)に決まったので、いったん自宅へ戻り、それまでのあいだにバタバタと慌ただしく準備に取り掛かりました。
ただ、このとき台風10号が九州のほうから本州を縦断してきそうな気配があったため、念のために前泊して26日(月)から現地入りし、葬儀が終わったあとももう1泊して、28日(水)に帰ったほうが無難だということにツレとの間で話が決まり、
賞味約1日半で、やれ喪服だの、手伝ってくれた方へのお礼だの、棺の中には何入れるだのと、いろんな細かい準備に追われることとなったわけです。
何しろこんなに早くいきなりこういうことになってしまうとは思ってなかったので、こういうことって、いつかは来ることと分かっていても、ついつい後回しになってしまうんですよね。
でもやはり、高齢の親を持つ身として、準備と心構えは普段からしておくべきだなと思いました。。 -
父の棺に写真を沢山入れてあげようと思い、この日は写真撮影と古い写真のデータ起こし、プリントなどなどに勤しみました。
これは、私が人生初の海外旅行(1991年 シンガポール)で父に買ってきたおみやげで、陶器の象の入れ物の中に、セイロン紅茶かなんかの茶葉が入ってたものなんですけど、
これを父は気に入ってずっと大切に持っていて、なんでも当時、父が私に「これは他の人にも買ってきたの?」と訊いたら、私が「ううん、お父さんにだけ」と答えたそうで(私は全くその時のことを憶えてないのですが)、父はその自分にだけ買ってきてくれたということが、とてもうれしかったんだそうです(単純だねw)。
なので父は生前からずっと、もし自分が死んだ時は、この象の置物の「写真」を棺に入れてほしいと私に頼んでいました。現物は遺影の横にでも置いてほしいとかなんとか。 -
まあ、そのようなエピソードがあったものですから、父の遺言どおりに
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さらにマルチアングルで
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撮ってみました。
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父の幼い頃からの家族写真も沢山入れてあげようと思って。
ここからは秘蔵画像w
両サイドは私の祖父母。
真ん中に立ってるのが、祖父母の長男で父の兄、つまり私の伯父。
祖父の膝に抱かれてる帽子の男の子が、次男坊で私の父です。
父はもともと伊豆長岡町の出身なので、これはおそらくお家の庭で撮った写真かと。
まだ戦時中の1940年代初頭だと思います。父が'39年生まれなので。
もう、往時を知る者は誰もいませんけどね。。 -
祖父と父。
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それから時は流れ・・
若かりし頃の父と母が出会いました。
たぶん二人とも26歳の頃(同い年なので)。
私が生まれる4年ほど前のようです。 -
二人で那須高原スキー場に行った時の写真みたい。
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なかなか当時のゲレンデの様子も分かる貴重な資料ですねw
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若い頃ってほんとにみんな
ころころきゃっきゃ♪していて、可愛いなぁって思う。
こんな時期が、あったんだものね・・ -
これらの写真は、このとき一緒に行ってた父の友人か誰かが撮ってくれたんだと思う。
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コケる父。
そんなに得意じゃないのに、きっとカッコつけてやってたんだろうなぁw -
これは松本城。
祖母と母と3人で旅行もよくしてたみたいです。 -
テーブルの上でボール転がしをする 父と わたくし。
1970年代初頭ぐらいでしょうか。 -
これはどこかの公園?か、もしかしたら動物園かな?
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どこかのお祭りかな。
私もだいぶ大きくなりましたw -
私の幼少期からは、ずっと両親と祖母と4人で都内で暮らしてましたが
このあと父は障がいを持ってしまったこともあって、家族での楽しそうな写真は、これ以降はあまりないのですが。
でもこの時代の写真を、母が几帳面にきれいな状態で保存しておいてくれたので、こうしてすぐ準備することが出来てほんとによかったです。 -
そして50年あまりが、あっという間に経ってしまったんですねぇ。
デジカメ時代に移行してからは、事あるごとに、
特に直近のこの10年間ほどは、実家へ帰るたび、両親の写真は撮り続けてきたので
それこそもう、膨大な数になってます。。 -
でもこういう
日常の何気ない様子の写真や動画を -
この頃にたくさん撮って残しておけたのは、本当に良かったです。
こんな写真を、全部で100枚ぐらい、棺に入れてあげるために
近所のイオンスーパーの複合機を占領して、ひたすらプリントしてました。 -
8月26日(月)
そして翌日。
台風からのジメジメと蒸し暑い風が吹く中、荷物を抱えて移動し、
小田原でレンタカーを借りて、実家へも寄ってまた荷物を整理してから、18時過ぎに、こちらへ到着しました。ホテルハーヴェスト伊東 宿・ホテル
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ロビーエリアとフロント。
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ライブラリーラウンジ。
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葬儀の支度でとっ散らかってしまったため、お部屋の写真は悪しからず撮っておりませんが、これと全く同じです。
一休で、18時チェックイン~10時チェックアウトのプランで、2名 朝食付き 17,000円でしたが、2連泊にしたのでもちろん荷物はそのままでOK。
多少の古さはやはり否めませんが、ソファも大きく、ゆったりと荷物を広げて準備が出来ました。ここにして正解だったと思います。 -
8月27日(火) 7:35 AM
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こんな時だというのに食欲だけは旺盛で
朝食おいしくいただきました。
このあと、車で移動し、 -
12:00
父の葬送の式が執り行われました。
私も若い頃、父に連れられて何度か来たことのある教会です。
父の好きだった聖歌「いつくしみ深き」や、「アメージンググレース」なども歌っていただき
喪主である母は参列出来ませんでしたが、私とツレと、少数の方々とで、しめやかながらも、アットホームであたたかいお式にしていただけました。 -
父の大好きだったKFCと、牛肉大和煮の缶詰、「祇園」の稲荷寿司もお供えしました。
同日内に納骨も終えて、時おり台風の激しい雨に見舞われる中でしたが、それでも何とか無事に、すべての行程を終えることが出来ました。
参列者の中には、みなご高齢の方々ですが、昔に父とこの教会で交流のあった方々もいて、その当時の父のエピソードなどを話してくださったのがとてもうれしかったです。
また、父の訃報を聞いてすぐに駆け付けてくださった牧師様にも、大変お力になっていただき、素晴らしいお話で式を執り行っていただけましたことに感謝しておりますが、それもこれまで父が、数少ないながらも交流のあった方々との繋がりを密に大切にしてきたおかげで、死後もいろんなことがスムーズに運んだのだと思います。
家とか土地とか、そういった物質的な遺産は何もありませんが、父のほんとうの意味で遺していってくれたものは、こういうものだったんだと、あらためてしみじみと思い入る一日になり、初めてほんとうの意味で父にも感謝したい一日にもなりました。 -
すべてが終了して、ホテルへ戻ったのはもう夕方でした。
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ここのホテルにはこんな本格的なプールがあってびっくり!
水着持ってきてたので、ツレと二人でガンガン泳いじゃいました。
全長15mぐらいのプールなんだけど、もう25mはきつくて泳げないから、これくらいでちょうどいいのかも。 -
久しぶりに泳げてうれしかったです。
悲しみの中ではあるのですが、こういう時はむしろ水中で無心で体を浮遊させてるのがいいのかもしれません。
スイミングはやっぱり、自分にとっては何よりのヒーリングになるようです。。 -
ジャグジーもあって最高でしたね。
なんかこうやって泳いでると、またバリ島なんかへ行きたくなってきましたw
この日もこれで、お部屋で軽く食事したあと、疲れ果ててグッタリ寝ました。 -
8月28日(水)朝
ひとまずは、ひととおり、いろいろ終わりましたので -
2日間、お世話になったハーヴェストを、これにてチェックアウトいたします。
今回はこんな形での滞在でしたが、ここはお風呂もなかなか良いので、また父のお墓参りがてらにでも、ぷらっと気軽に来てみるのもいいのかもしれません。 -
こんな露天風呂もあってなかなか良かったですよ。(^_^)
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帰り際、せっかくなので、一休ダイヤ特典 その①で
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こちらのカフェラウンジで
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コーヒーをいただきました。
写真撮り忘れましたが、一休ダイヤ特典 その②で、売店で使える1,000円クーポンもいただきました。
長いこと休んで迷惑をかけた職場の方々へのおみやげに使いました。 -
それでは、帰ります。
近々またすぐ来ることになるけどね。(^_^; -
遺影に使用したのは、おととし2022年、最後に父母と3人でクリスマスを実家で過ごした時に撮ったこの写真です。
父は人生の大半を障がいを持ちながら過ごしてきたこともあり、決して楽な平坦な道ではなかったですが、それでも85歳まで長生きして最後まで天寿を全うしてくれて、多くの大切なことにも気付かせていってくれた人だったと思います。
最後はあっという間に逝ってしまったため、生きているうちに直接伝えられることは結局なかったのですが、「お父さんの子供でよかった、また来世でも家族になろうね」と書いた手紙だけ、最後に棺の中に入れてきました。
これからまだまだ、実家じまいなどやらなければならないことが山のようにありますが、まあ一つ一つ、焦らずゆっくり整理して片付けていきます。いやー、歳を取るとはこういうことなんだなーと、しみじみ思いますです。。
ちなみにキリスト教には「喪中」とか「喪に服す」という発想はないそうで、死は永遠の別れではなく、死後も再び神の国で会えると信じられているため、天に召されることは幸福なこと、神のみもとでの永遠の命へと帰ること、と、されているのだそうです。なのでクリスマスやイースターなども、普通にお祝いしてもいいのだそうです。なんかそう聞くと、ちょっと気持ちが楽になるかな。 -
暗く悲しい旅行記を最後まで見ていただき、ありがとうございました。。m(__)m
少し落ち着いてから、また旅行にも行けたらと思っています。(^_^)
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この旅行記へのコメント (14)
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- sunさんさん 2024/10/01 18:11:39
- お悔やみ申し上げます
- 1度目に旅行記を拝見した際は言葉が見つからず何もコメントできませんでした。
悲しい中にも天寿を全うされて天に旅立たれたお父さま、
思い出のお写真やエピソード、おみヴぉさんはとても愛されてらっしゃったんですね。
お土産とても大切になさっていたのですね。おみヴぉさんのお父さまらしく、今は天空の旅をなさっているのでしょうか。
お寂しい気持ちはなかなか折り合いを付けるのは難しいと思います。
どうぞ時間が寄り添ってくださいますように。
Sun
- おみヴぉ333さん からの返信 2024/10/02 17:17:37
- RE: お悔やみ申し上げます
- Sunさん
ご無沙汰しております。このたびは、ご丁寧に本当にありがとうございます。こちらこそ突然あんな旅行記を出して申し訳ございませんでした。。
お陰様で先月24日に無事に1ヵ月の召天記念式も終え(父はキリスト教徒なので。。仏教でいうところの四十九法要に当たるものだそうです)、今はだいぶ気持ちも落ち着いてきましたが、たしかにいろいろな思い出の品を一つ一つ、片づけていくのがこれからはつらい作業になるだろうと思います。。自分が生まれてからずっと居た人がいなくなるというのは、なんだか信じられないような不思議なものですね。。
私は母との旅行は何度かありますが、じつは父とは泊りがけでの旅行を一度もしたことがないので、息子さんが幼い頃から親子旅行をたくさんされてるSunさんは素晴らしいなぁといつも思っております(^^)これからどんどん大きくなられていく中ですが、素敵な思い出を沢山作っていってくださいね♪ のちほど旅行記も拝見させていただきます。m(__)m 私もまた、来年あたりバリ島に戻りたいなーと思ってます。(^^)
おみヴぉ
-
- ボルさん 2024/09/16 23:33:18
- 素敵な家族写真
- 突然の訃報、こちらの旅行記が出てからすぐ拝見していたのですが、言葉が出て来なくてコメントが遅くなってしまいました。
お悔やみ申し上げます。
悲しいですね、、
昔の素敵なお写真をおみさんがたくさん整理して持っていたのがさすがですね。
お母さん、とってもお綺麗。おみさんに似ていますね。
お父さんお母さんのツーショット、おみさんが生まれてからの家族写真、瑞々しい思い出がしっかり残っていて愛がいっぱいのご家族だったのだなと感じられました。
なんだかおみさんバリに呼ばれているようですね。今までより強くバリ欲が出ているような、、
やっぱり不思議な国ですね(^^)
落ち着いたら行けますように。
- おみヴぉ333さん からの返信 2024/09/17 15:54:09
- RE: 素敵な家族写真
- ボルさん
ご丁寧にメッセージいただき、ほんとにありがとうございました。
お気遣いいただく形になってしまい、申し訳なく思ってます。。
写真はやっぱり、ないよりはあるといいですね。旅行に行った時などはもちろんですが、普段から日常の何気ない家族のショットや、出来れば動画も沢山撮っておくと、こういう悲しいシチュエーションの時は見ていて癒される気がします。。以前もボルさん、ご実家のご家族と旅行に行きたいと言われてましたが、ぜひぜひ、可能な時間のあるうちに実現されるといいですね♪
めちゃくちゃバリ行きたいです~w しかしもうコロナ前といろんなことがきっと変わり過ぎていて、5年も隔ててるとまたしても浦島太郎というか、カルチャーショックみたいなのを受けるかもしれないかな。。と (^^ゞ まずはパスポート申請からゆっくり始めてみます~。
おみヴぉ
-
- purplepokoさん 2024/09/14 17:31:51
- お悔やみ申し上げます
- おみヴぉさん
大変ご無沙汰しています。この度は、ご愁傷様でした、お悔やみ申し上げます。
突然のことで、びっくりしています。旅行記で何度もお父様のお姿は拝見していましたので、他人事とは思えませんでした。お母様のこともあるのに、さぞ大変だったことでしょう。少し時間が経った今頃にぐっと悲しみが来るのではないでしょうか。
そんな中でもきちんと旅行記を作成されるところは、さすがおみヴぉさん!と感心しています。悲しみの中でもでもきちんと記録に残したいというところは凄いなと思います。
まだまだ暑い日が続きますが、お体ご自愛くださいね。
それではまた!
P.S
先日、私も伊豆に行って来ました。近いうちに旅行記あげられたらと思っています。
purplepoko
- おみヴぉ333さん からの返信 2024/09/15 12:04:11
- RE: お悔やみ申し上げます
- purplepokoさん
このたびはご丁寧なメッセージいただき、本当にありがとうございました。
父が亡くなってからあっという間に3週間ほどが経ち、まだまだいろんな整理や召天記念日(仏教でいうところの四十九日)の準備などにも追われているところですが、おかげさまで少しずつ日常も取り戻していってるところです。
これまでに撮った両親の膨大な枚数の写真の整理などもしているのですが、やっぱりただ写真を撮っておくだけだと、10年も経てば「これ何だっけ?」「この時何したんだっけ?」となってしまうので、文章にして記録しておくことは大事だなあとつくづく思いました。やっぱりこんな時でも4トラベルの旅行記を淡々と書いてると、それだけで気持ちが癒される効果もあるなと気付かせてもらえました。(^_^)
purplepokoさんもまた伊豆に行かれたのですね!いやーさぞ暑かったことと拝察いたします。今年は残暑も10月まで続くとか・・どうぞご自愛くださいませ。旅行記もたのしみにしていますね。(^_^)
おみヴぉ
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- 暴れナメクジさん 2024/09/12 22:56:16
- そうでしたか…
- おみヴぉさま
書き込みが遅くなりましたが、突然の訃報に驚いております。
自分も8年半前に同様の辛い経験をして、ただひたすら耐え
忍ぶしかない日々を過ごしました(約1年ぐらい父が毎日夢に
出てきました)。
心からお悔やみ申し上げます
暴れナメクジ
- おみヴぉ333さん からの返信 2024/09/14 07:36:29
- RE: そうでしたか…
- 暴れナメクジさん
このたびはご丁寧に本当にありがとうございます。
もう8年半になりますか!お父様が亡くなられてから・・
でもつい昨日のことのようですよね・・
ちょうど私が真鶴シェネガの(2016年2月)旅行記を書いていた頃のことで
その旅行記と紐づいて記憶しておりました。
あの時に暴れナメクジさんが、
「入院した病院内では結局何をされてるか家族には分からない」
みたいなことをおっしゃっていたのを、今でも憶えておりますが
今回私の父も、それに似た部分があったのかもしれないと
あまりに突然のことでしたゆえ、考えさせられます。。
でもそうは言っても故人はもう戻ってきませんしね・・
後悔と無念さばかりが残りますが、
いつか自分も死んだら天国で会えることをひたすら祈って
それまで供養を続けつつ正しく生きていくことしか出来ないですね。。
1年間もお父様は毎日夢に出てきてくださったのですか!
やはり愛の深さを感じますね。いいなぁ~(^o^)
うちなんてまだ1度も出てきてませんよ(^_^;
あんないい葬式出してやったのに、薄情者~!と遺影に語りかけてますw
今とってもバリに行きたくなってて、つい昨日もSQを探しましたが
¥128,000してました。高~~~
おみヴぉ
-
- puyomushiさん 2024/09/10 20:13:41
- 驚きすぎて言葉がみつかりません。。。
- おみヴぉさん、
旅行記のタイトルをタイムラインで見つけて、旅行記を開くのをためらいました。
拝見すると、驚きの方がはるかに大きくて、、でも、本当にびっくりされたのはおみヴぉさんだと思います。
心からお悔やみを申し上げます。
333の数字の並びはおっしゃるとおり、おみヴぉさんにとって特別なものなのですね。不思議なめぐりあわせです。
お母さまのお若いころのお写真が、中条あやみさんのように美しいことが少しだけ心を癒してくれました。
レス不要でございます。
puyo
- おみヴぉ333さん からの返信 2024/09/11 16:24:27
- RE: 驚きすぎて言葉がみつかりません。。。
- puyoさま
お悔やみのお言葉をいただきまして、本当にありがとうございました。
なんかほんとに、いまさらですが申し訳ございませんでした。。
もう何も書かずにおこうかとも思いましたが、しかしこれまでいろいろ家族のことを書いてきて、やはり事実を伏せてると今後の文脈上おかしくなってしまいそうなことから、公表させていただきましたが、長年フォロー/フォロワーの関係を築いていただいてる皆さまにはお気遣いいただく形になり大変申し訳なく思っております。。
しばらくはまだ身辺が落ち着かないこと多いですが、もう少し余裕ができてから、弔い旅行などにも行きたいと思ってますので、もう少し明るい内容にできればと思ってます。またよろしくお願いいたします。m(__)m
おみヴぉ
-
- マズウェルさん 2024/09/09 19:29:38
- お悔やみ申し上げます。
- おみヴぉ333 さま
突然のことで、言葉も見つかりません。今はお辛い中、お仕事やお家のことでお忙しくされていることと思います。暑さも続きますので、おみヴぉさんもどうぞご自愛ください。
マズウェル
- おみヴぉ333さん からの返信 2024/09/10 09:25:31
- RE: お悔やみ申し上げます。
- マズウェルさん
このたびはご丁寧にありがとうございます。
突然の暗い旅行記ですみませんでした。。
まあいつかは来ると分かっていた時が、来た、という感じですかね~。
長期間、苦しむことがなかったのが幸いだったかななんて今では思っています。
これから実家の片付け(まるっと一軒)のほうがおそろしくて・・(^_^;
また身辺が落ち着きましたら、弔い旅行でバリ島にでも行ってこようと思ってます。
お心遣い、本当にありがとうございました。
残暑が厳しい毎日ですので、マズウェルさんもどうぞご自愛くださいね。
おみヴぉ
-
- まうまうさん 2024/09/08 19:22:11
- なんてことでしょう
- ほんとなんてことですか・・・実は父(脳梗塞で倒れた)の実兄(87歳)が今週、おみヴぉさんのお父さんと同じ旅先を選びました。突然でした。肺炎で救急搬送され、1日半でした。普通に退院できると皆が思ってました。一昨日、葬儀で車いすの父を連れていきました。もう私の前から誰も連れて行かないでー(叫び)。しばらく立ち直れそうにありません・・・おみヴぉさんもお力落としのないよう。
- おみヴぉ333さん からの返信 2024/09/09 11:15:07
- RE: なんてことでしょう
- まうまうさん
とてもご大変な折にメッセージありがとうございました。伯父様のこと、とても驚きました。心よりお悔やみ申し上げます。そうでしたか・・うちの父も、入院後同じく1日半で突然、でしたので全く同じですね。退院できると信じていると、本当につらいですよね。お父様のお気持ちを思うと言葉もありませんが、お式にご参列できたとのことで、お兄様をお見送りできてよかったです。うちの母は車椅子でも長時間は外に居られない状態ですので参列は無理でした。父が亡くなったことすらも伝えていません。。
ほんとに、私たちぐらいの年齢になると、親しい人との別れが多くなりつらいですよね。それでも近くにいて必ず見守ってくれていると信じてますので、残りの人生を楽しんで幸せに生きていきましょう。それが故人へのいちばんの供養ですよね。
ご大変な折に、バリ島の旅行記もたくさんUPしてくださりありがとうございました。変な言い方になってしまいますが(ごめんなさい)良いタイミングで行けてよかったですね。私もバリが恋しいので、落ち着いた頃にまたそろそろ考えようかと思ってます。まうまうさんの旅行記、たくさん参考にさせていただきます。(^_^)
まうまうさんも旦那様もどうぞお体お大事にゆっくり休まれてくださいね。そしてお父様、お母様とこれからも楽しい時間がたくさん続きますように。
おみヴぉ
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