2024/08/17 - 2024/08/19
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藤川文化堂さん
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キックボクシング教室で知り合った二人の男性。韓国によく行くという私に、今度行くときに誘ってくださいということから始まった韓国旅行の計画。ドラマで見るような普通の韓国を旅してみたい、本場の韓国料理を食べながらソジュやマッコリが飲みたい、日本人観光客が多いソウル以外のところがいいという要望がありました。
仁川は戦前私の母が育った場所で、私はほぼ毎年、もう20年以上は行っているところ。行き慣れている場所ということもあり、私を含めたおじさん三人で仁川を旅行することにしました。
日程
8月17日 高松空港11:00発 ジンエアー 仁川泊
18日 仁川歩き 仁川泊
19日 仁川空港8:35発 ジンエアー
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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仁川駅からタクシーで向かったのは万石洞に隣接する花水洞。公園の木の向こうに見えるのは、かつて朝鮮機械製作所の社宅だったところ。
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この社宅は昭和13年の年末ごろに完成したようで、それまで仁川府松坂町に住んでいた祖父一家はこの社宅の16号に引っ越してきた。母はまだ幼かったのでこの社宅の記憶はない。
祖父一家がここで暮らしていたことを知ったのは2014年頃、それ以降、仁川に来るたびに立ち寄っている。古い建物だが、現在も人が住んでいる。 -
花水洞から万石洞に歩いて移動。隣接しているので歩いても数分だ。写真は戦前、万石町9番地(現在の地番は万石洞9番地)だった場所。ここにも朝鮮機械製作所の社宅があり、祖父一家は昭和15年ごろ花水洞の社宅から万石洞の社宅に引っ越してきた。この一帯は小さい丘になっており、母は丘を上がる感覚を覚えている。左の壁の向こうは旧朝鮮機械製作所、母がいたころはこの丘を上がっていくと朝鮮機械製作所が見えたという。
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社宅があった万石洞9番地付近は、日本人が終戦で引き揚げたあと、朝鮮戦争で北から避難してきた人たちが住み着き、バラック小屋が目立つ貧困地域となった。2000年代から徐々に開発が進み、バラック小屋はほとんどなくなったが、現在でも写真の公園近くにはまだ一部残っている。
韓国映画「子猫をお願い」(2001年公開)には、万石洞のこの辺りが一つの舞台として登場していて、当時の貧困地域の様子がわかる。 -
万石洞歩きを終え、新浦のEマートに行こうとバスを探す。しばらくしてバスは来たが、一人がバス停にスマホを置いてきたことがわかり、すぐバスを降りてタクシーで戻った。タクシーの窓からバス停のベンチにスマホがあるのが確認できた時はホッとした。
この日は日曜日ということもあり、バス停がある工場地帯を歩いている人がいなかったのがよかった。 -
この写真は万石洞で写したものではないが、2015年に母たちといっしょに仁川を旅行した時、母が唯一覚えてたのがこの場所だ。短いトンネルのようなものは、日本時代に穴門と呼ばれていた。
東仁川駅方面からこの穴門を通ると旧日本人街に出る。
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旅行記グループ アジョシ三人、仁川を歩く
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