2024/07/10 - 2024/07/10
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ペコちゃんさん
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7月の〇〇会は、川崎大師~味の素工場見学~港町駅と京浜急行・大師線の沿線を巡りました。
午前中は「川崎大師」へ参拝。
明治神宮・成田山新勝寺に次いで、毎年300万人を超える初詣客が訪れる川崎大師は、文化10年(1813)に徳川十一代将軍・家斉が厄除けに訪れたことから「厄除大師」としての名が広まり、現在も多くの参拝者が訪れ賑わいを見せています。
午後は味の素・川崎工場の見学、その後は川崎河港水門から港町駅まで歩き、久し振りに美空ひばりと再会(?)した、梅雨の合間の一日でした。
写真は、川崎大師のシンボル・八角五重塔。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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今回の参加者は5名。
品川駅で京急線に乗り、京急川崎駅で大師線に乗り換えます。 -
11時に「川崎大師駅」へ到着。
京浜急行のルーツとなった京急大師線は、川崎大師への参詣客輸送のために1899年に「大師電気鉄道」として開業・・・電気鉄道として全国では3番目、関東では初めての大師線をもとに京浜急行は発展していきました。 -
川崎大師は駅の左側ですが、右側に京急発祥の地の記念碑があります。
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京急の創立70周年を迎えた1968年に、川崎大師駅前に建立された「京浜急行発祥の地 記念碑」。
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開業当時は「六郷橋~大師」の2kmで営業し、保有車両は5輌でしたが、1900年に作られた鉄道唱歌・東海道篇の4番目にも歌われています。
♪ 梅に名を得し大森を すぐれば早も川崎の 大師河原は程近し 急げや電気の道すぐに ♪ -
記念碑の手前にあるのは「けいきゅん」・・・2011年に開設した羽田空港第3ターミナル駅の1周年を記念して、京急のマスコットキャラクターとして誕生しました。
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駅前にある厄除門を通って表参道を進みます。
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街灯も雰囲気がありますね。
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表参道や仲見世通りに並ぶ「厄除・開運だるま」の店・・・事業繁栄・工場安全、選挙必勝など様々な目標達成祈願の縁起物として親しまれているだるまさんですが、祈願の際に男性は左眼、女性は右眼を書き入れ、願いが叶った時に両目を入れて開眼し満願成就を果たすのが大師だるまの慣習とか。
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矢印に沿ってここを右に曲がると仲見世通り。
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川崎大師の大山門へと続く仲見世通り・・・飴屋さんや漬物屋さん、煎餅屋さん等がズラリと並んでいますが、暑さのせいか、人影はまばらです。
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1128年に開創した川崎大師は真言宗・智山派の寺院・・・「厄除け大師」として庶民の信仰を集める川崎大師の正式名称は「金剛山 金乗院 平間寺 ( へいげんじ ) 」で本尊は「厄除弘法大師」。
昭和20年の川崎大空襲で伽藍の大半を焼失しましたが、戦後に再建された立派な山門や本堂を見ると、現在も川崎大師への信仰が続いていることが窺えます。 -
開創850年の記念事業として1977年に建立された「大山門」・・・門の四方に京都・東寺の国宝尊像を模した四天王像が奉安されています。
上層部分は薬師如来像を安置するほか、経庫になっており、同寺で行われる「写経会」で写経された経文や、奉納された写経が収められています。 -
浅草・雷門を思わせる大山門の巨大な提灯は「川崎大師 魚がし講」が奉納したもの・・・中央には「魚がし」の文字が、下の金属部分には魚のマークや青海波と呼ばれる波を表わす模様が描かれています。
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国家安穏・世界平和・伽藍守護・信徒安全のために大山門の前後左右に安置された四天王像。
(左上)東方を守護する「持国天」 (右上)南方を守護する「増長天」
(左下)西方を守護する「広目天」 (右下)北方を守護する「多聞天」 -
四天王に踏みつけられた邪鬼が、ユニークで面白い。
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境内から見た堂々たる大山門。
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1964年に落慶した「大本堂」・・・護摩祈祷が行われる川崎大師の中心道場で、堂内には本尊の厄除弘法大師や不動明王・愛染明王などの仏様が安置されています。
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大本堂の左側では、夏の風物詩「川崎大師風鈴市」の準備が進められています。
1996年に始まった風鈴市は、今年で29回目・・・夏の賑わい創出のために、先代住職と商店街のメンバーが全国から風鈴を集めて開催したことが始まり。 -
現在は全国47都道府県の風鈴が一堂に勢揃いし、約800種類・2万個の風鈴が並ぶ、全国最大規模の風鈴市・・・素材もガラスや陶磁器、金属など様々で、青森の「津軽びいどろ風鈴」、富山県の「高岡鉄風鈴」、徳島県の「大谷焼風鈴」など、地域の伝統文化を表現した風鈴が会場に並びます。
今年の開催は7月18日~24日で、期間中は涼やかな音とカラフルな色彩で境内が賑わいます。 -
大本堂の右側には、1966年に建立された「聖徳太子堂」・・・日本に仏教を根付かせた聖徳太子像が祀られ、聖徳太子の命日の2月22日には聖徳太子祭が行われます。
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参道の右側にある「お水屋」で手と口を清めます。
寺社の手水舎では「龍」をよく見かけますが、川崎大師は「蓮の花」。 -
大本堂の右側にある「お護摩受付所」。
男性の本厄は25・42・60歳、女性は19・33・60歳・・・多くの人が厄除けを申し込みます。 -
「献香所」で線香を焚いて煙を浴び、厄除けや無病息災を祈願します。
崇徳天皇の御代(1123~1142年)、尾張を無実の罪で追われた平間兼乗がこの地に住みつき、漁師をしていた時に夢のお告げに従って弘法大師の木像を引き揚げ、1128年に寺を建てて姓の平間から平間寺と号し、御本尊を厄除弘法大師と称して奉りました。
これが川崎大師の興りで、大きな香炉には「平間寺」と刻まれています。 -
古くから厄除けのお大師さまと親しまれ、大本堂では厄除けを始め、諸願成就の護摩祈願が行われます。
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正面天井の鰐口には「本所駒形講」の文字が刻まれ、軒下には風鈴が。
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ここで参拝。
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大本堂の内部。
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11時半からの護摩祈祷が始まりました。
お坊さんのお経と一緒に「南無大師 遍照金剛(なむだいし へんじょうこんごう)」と唱えると、弘法大師に願いが届くと言われています。 -
献香所の左側にある「経蔵」・・・戦後、再建が始まった川崎大師は、2004年の大開帳奉修記念事業として落慶したこの経堂で七堂伽藍が整い、戦後復興事業が完成したとされる記念すべきお堂です。
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正面に黄金の釈迦如来像があり、その前に置かれた法具の五鈷杵(ごこしょ)に金箔を奉納すると、仏様とご縁を結ぶことができます。
周囲には、中国最後の木版大蔵経「乾隆版大蔵経」7,240巻が収蔵されています。 -
天井中央の「双龍」は、韓国の人間国宝である李萬奉老師によって描かれました。
青龍は王を、赤龍は王妃を表し、また太極(万物生成の根源)の陰陽を表しており、宇宙の力を象徴しています。
龍は仏教の守護神(仏の化身)として日本に伝わり、日本の寺社ではお堂の天井や襖に描いて、龍の加護を願います。 -
天井中央の「双龍」を囲む四面には、仏画家・染川英輔による「飛天」が描かれています。
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空を舞い、音楽を奏で、花を撒き、香を薫じて仏を讃える見事な飛天図は、京浜急行電鉄が奉納しました。
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弘法大師1150年遠忌を記念して1984年に建立された金色に輝く「祈りと平和の像」・・・中央は富士山の上に光臨した観音をモチーフにした女神で「祈り」を表し、周囲は鹿野苑で楽器を奏でる天女で「平和」を表しています。(作者は文化勲章受章者の円鍔勝三)
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川崎大師の五重塔は、各層が八角型をしている「八角五重塔」・・・真言宗の宗祖・弘法大師の1150回忌を記念し、1984年に建てられました。
まだ新しい建物なので、歴史的な文化財とは言えませんが、形状の美しさは目を惹きますね。 -
高さは31.5mで、八角形は最も円に近い建造物の形といわれ、「包容力」「完全性」を象徴しているそうです。
寺院の五重塔といえば、普通は仏舎利(お釈迦様の遺骨)が納められているものですが、八角五重塔には曼荼羅や釈迦如来尊像などが奉安され、毎月、第1日曜日と縁日の21日に内部が公開されます。 -
1973年の弘法大師生誕1200年記念事業として建立された「遍路大師尊像」・・・菅笠・錫杖という遊行・遍路姿をとる弘法大師の立像の周囲には、新四国八十八箇所札所の石柱が立ち、開設当時の貫首が四国遍路をした際の砂が埋納されています。
この周りをお参りすることで、四国霊場参拝したのと同じご利益があるということでしょう。
また、諸国を巡錫された大師の健脚にあやかるために、この尊像の下の草鞋に水をかける方が多いそうです。 -
第55代横綱・北の湖親方の銅像・・・親方は川崎大師の檀徒だったそうで、2017年の三回忌の折、親族奉納により建立されました。
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昔、境内で若者の力くらべに使われた「力石」・・・左の2つは頭上にさし上げる「さし石」で左端のものは36貫(135kg)、右の3つは起こして真っ直ぐに立てる「おったて石」で、中央の石は100貫(375kg)もあり、これが出来た者は一人前とみなされたそうです。
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「鐘楼堂」は1948年の再建ですが、吊るされている梵鐘は1795年に鋳造されたもの・・・除夜の鐘のほか、3月11日の東日本大震災追悼・時の記念日・8月6日の広島原爆忌・8月9日の長崎原爆忌・終戦記念日に梵鐘が打たれます。
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1964年に再建された「不動堂」には、成田山新勝寺から勧請した大聖不動明王を祀っています。
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「信徒会館」の前には、1984年に建立された作曲家・古賀政男の胸像。
弘法大師への信仰が篤かった古賀政男は、 ” その大いなる霊験の法悦に感激し、報恩謝徳の誠心を以て、「川崎大師賛歌」を作曲し、昭和五十二年三月二十一日これを献歌 ” したそうです。 -
昭和9年に竣工した「大本坊」は、空襲を受けても外郭が残ったので改修を行い、大本堂が再建されるまで仮本堂となりました。
大本堂が完成した後は、寺務所として使用されています。 -
大本坊の玄関にあるのは「稚児大師尊像」・・・大本堂の稚児大師尊像のレリーフ版で、彫刻家・平野富山の作です。
稚児大師は5歳の弘法大師の姿ですが、その頃から大変聡明だったことから子育満足・学業成就の本尊として信仰されています。 -
『朝霧の 雫するなり 大師堂』・・・正岡子規が明治27年に川崎大師を参詣した際に詠んだ句碑です。
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境内の左側にある「つるの池」・・・かつては多摩川から水を引き、鶴やカモが悠々と遊んでいたそうです。
池の真ん中には亀を模した岩、その上には3羽の鶴の像・・・噴水のように勢いよく水が出ています。 -
「つるの池」に架かる「やすらぎ橋」は、この先に祀られているお釈迦様と薬師如来への架け橋。
2014年に建立され、災難消除・招福の朱色に塗られた欄干には、悟りへ向かう段階を表す梵字20文字が刻まれています。 -
池には美しい錦鯉やカモが。
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橋を渡った先には、黄金に輝く釈迦如来像、その先のインド風の堂宇は2008年に落慶した薬師如来を祀る「薬師殿」。
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「不動門」は1948年に有縁の地から譲り受け、山門の跡地に移築建立されましたが、1977年に現在の大山門が建立されたことに伴い、不動門として左側に移築されました。
不動門をまっすぐ進むと不動堂があります。 -
表参道で昼食をとり、川崎大師駅から1駅戻った鈴木町駅へ・・・開業当時は「味の素前駅」でしたが、昭和12年に味の素創業者の鈴木三郎助に因んで地域一帯が鈴木町に町名変更されたことから、昭和19年に「鈴木町駅」に改称されました。
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鈴木町駅のすぐそばにある2階建ての「味の素グループうま味体験館」が集合場所。
大正3年(1914)に操業を開始した味の素川崎事業所の創立100周年を記念し、2015年に開館しました。 -
先ずはエントランスの受付で手続きを。
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工場見学は6つのコースがありますが、今回は「クノール」スープコースに参加。
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参加者に渡される「素材研究員」の名札・・・スープの美味しさに欠かせない「素材」について研究し、クノールスープの美味しさのヒミツを探ってもらうという設定の工場見学です。
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見学開始までに時間があるので、1階の展示スペース「ディスカバリー味の素グループ」へ。
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写真は、うま味調味料の発見者・池田菊苗(左)と味の素の創業者・二代鈴木三郎助(右)。
湯豆腐の美味しさに関心を持った東京帝大教授の池田は、明治41年に昆布に含まれるアミノ酸の一つ・グルタミン酸が「おいしさ」の正体であることを突き止めて「うま味」と名付け、それまでの4原味(甘味・酸味・塩味・苦味)に加えて第5の味を発見し、翌年に鈴木商店が商品化したのが味の素の原点です。 -
当初は、こんな石臼や甕を使って味の素を作っていたんですね。
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歴代の「味の素」のパッケージがズラリと並ぶ展示コーナー。
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これは大正末期のパッケージ。
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アジパンダホールで記念写真。
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工場見学は約100分。
最初に建物中央のシアターで、味の素グループ創業の志と目指す姿、うま味やアミノ酸について360度の迫力映像で学びます。
見学中は撮影不可なので、写真はありません。 -
味の素川崎工場は鈴木町駅を中心に前後4駅分に亘る広大な敷地なので、工場見学は専用バスに乗って行きます。
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スープ工場では、「素材研究員」として大きなスクリーンの映像で「コーンの収穫」やコーンクリームスープが作られるまでの工程など、美味しさの秘密を学びます。
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工場見学の後は、再びバスでうま味体験館に戻り、2階でスープの試食。
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カップにコーンパウダーを入れてお湯を注ぎ、スプーンでかき混ぜて出来上がり・・・美味しいですね。
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お土産に「スープ素材博士認定証」や味の素の人気商品を頂きました。
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これは川崎大師に向かう途中、電車から見えた「川崎河港水門」・・・工場見学の帰りに行ってみました。
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大正時代末期、川崎市は物資の輸送をより円滑にするため、水運に利用してきた多摩川の堤防の一角から内陸部に運河を開通させ、開鑿により生じる土砂で両岸を埋め立てて工場や住宅地にするという大規模な運河・港湾計画をたてます。
第一次世界大戦による好景気の中、商工業用地の拡大と効率的な運輸の実現を図り、川崎市の更なる発展を図ろうとの期待が込められた一大計画でした。 -
川崎河港水門はこの運河計画の一環として、大正15年に着工、当時の予算で54万円の費用と1年半の歳月をかけて昭和3年に完成しました。
計画予定地内に工場や社宅が建てられましたが戦時体制へ突入し、社会情勢の変化から昭和18年3月に計画は中断し、運河は水門から約220m開鑿されただけで中断してしまい、幻の大運河計画となりました。 -
この水門は、2つの塔とそれをつなぐ梁、そしてゲートによって構成され、高さ:約20m、幅:約18.7mの鉄筋コンクリート造です。
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タワー頭頂部には当時の川崎の名産品だった梨・桃・葡萄をモチーフとした装飾があり、側面には大正14年に制定された川崎市の市章が刻まれています。
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水門建設は味の素がその建設費用を寄付金として負担し、現在も水門付近は味の素の管理地となっています。
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水門から歩いて港町駅へ・・・昭和4年に河川事務所前停留場として開設した臨時停留場でしたが、その後の変遷を経て2013年に現在の駅舎となりました。
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かつて駅の北側には日本コロムビアの工場があり(2007年に移転)、昭和7年に「コロムビア前駅」として正式開業しますが、戦争中のアンチ英語で昭和19年に「港町(みなとちょう)駅」と改称されました。
この工場で、石川さゆり・島倉千代子・都はるみ・藤山一郎・舟木一夫など昭和を代表する演歌歌手のレコードが作られていたのですね。 -
コロムビアの一番の大御所は、何といっても「美空ひばり」・・・駅メロには「港町十三番地」が流れ、南口には等身大の写真が飾られています。
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昭和32年(1957)に発売された「港町十三番地」。
♪ 長い旅路の 航海終えて 船が港に 泊まる夜・・・♪ -
改札口を入ると、レコード発祥の地・日本コロムビア川崎工場で生産された懐かしい名曲・名盤が並んでいます・・・こまどり姉妹・村田英雄・舟木一夫・ちあきなおみ・都はるみ・いしだあゆみ・弘田三枝子・細川たかし等々。
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駅のプラットホームの壁にも・・・
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『港町十三番地』の音符が・・・
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「美空ひばり一色」の港町駅でした。
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