2024/06/11 - 2024/06/11
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ken-kenさん
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2024年5月末よりオーストリア旅行を楽しんできました
最終日にミュンヘンに滞在しアルテピナコテークを回ってきました
アルテピナコテークは旅行者にとってあまり有名ではないかもしれませんが、レオナルド・ダ・ヴィンチを始めとしたイタリア作品や、ドイツの国民的画家デューラーの傑作も展示されています
さらにフランドルの作品の収集も豊富であり、人も少なくゆっくり鑑賞出来て意外に穴場の美術館だと思っています
(自分的にはベルリンの絵画館、ウィーンの美術史館、フィレンツェのパラティーナ美術館、ミラノのブレア絵画館に並ぶ、傑作が多いわりに人が少なくていい美術館です)
その記録です
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ミュンヘンにあるアルテピナコテーク(古典絵画館)の建物
中央駅から約1キロメートル強の所にあります
近くにノイエピナコテーク(新絵画館 19世紀の絵画が中心 ただし現在は閉鎖中)
モダンピナコテーク(現代絵画館)があり、一大絵画コンプレックスとなっています -
アルテピナコテーク正面
入場料は9ユーロです -
展示物は全て2階にあります
この長い階段を登っていきます -
ドイツ絵画の部屋
ドイツの代表的画家アルブレヒト・デューラーを中心にして展示されています -
この絵画館の目玉とも言われる
アルブレヒト・デューラー「四使徒」 1526年作
デューラーの晩年の大傑作です
左からヨハネ、ペテロ、マルコ、パウロが描かれています -
ヨハネは開いた本を
ペテロは鍵を
マルコは巻物を
パウロは閉じた本を
持っています -
ヨハネとペテロ
また、この絵は人間の気質を表しているとも言われています
ヨハネは多血質(楽天的)
ペテロは黄胆什質(短気) -
マルコとパウロ
マルコは粘液質(鈍重)
パウロは黒胆汁質(憂鬱)
を表して描かれたと言われています -
アルブレヒト・デューラー「自画像」 1500年作
中年期の自画像です
パリのルーブル美術館に青年期の自画像が展示されています -
正面からだと光線が入ったので横からも取ってみました
-
アルブレヒト・デューラー「オズワルド・クレルの肖像」 1499年作
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アルブレヒト・デューラー「パウムガルトナー祭壇画」 1503年作
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アルブレヒト・デューラー「悲しみの聖母」 1496年作
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アルブレヒト・デューラーとルーカス・クラナッハの対照的な「ルクレティア」
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こちらがデューラーの「ルクレティア」 1518年の作品
なんか怒りの表情で怖いですw -
対照的に優美なクラナッハの「ルクレティア」 1524年作
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クラナッハ「キリストの磔刑図」
左下に描かれているのはこの絵の注文主でしょうね -
ハンス・ホルバイン(父)
「三連画」 1516年作
真ん中が聖セバスチャン 右が聖バルバラです
16世紀の作品としてはやや古さを感じてしまいます
ホルバインはドイツの画家で息子は有名な画家
どちらも名前はハンス・ホルバインなので「父」「子」で区別します
息子はイングランドに渡りヘンリー八世お抱えの宮廷画家となり、いろいろと傑作肖像画をものにしています
なのでホルバインと言った時は普通息子の方を指します -
アルブレヒト・アルトドルファー作
「アレキサンダー大王の戦い」 1529年作
アルトドルファーはドイツの画家でデューラーと競い合った人
純粋な風景画を描いた最初期の人と言われています -
アップです
兵隊の群れが素晴らしい筆致で描かれています
この絵はドイツで人気があるようで、いつも人だかりがしていました -
同じくアルトドルファーの「水浴するスザンナ」
1526年頃の作品
聖書の一説で水浴びをしているスザンナをスケベな長老二人がのぞき見し、さらに強姦しようとしたのにもかかわらず、それが失敗すると逆にスザンナを姦淫の罪で告発し、結局全てがバレて長老たちが石打の刑になるという話
普通スザンナをアップにするのですが、これはまるで城を描いたような絵です
デューラー、クラナッハ、アルトドルファーの死後、ドイツはプロテスタントの勢力に入り長い芸術不毛の時代がやってきます(プロテスタントは教会を飾り立てることがなかったため) -
ドイツ絵画の側にイタリア絵画の部屋があります
一番左にあるのがレオナルド・ダ・ヴィンチの「カーネーションの聖母」です -
レオナルド・ダ・ヴィンチ「カーネーションの聖母」 1478年頃の作品
世界でも数少ないダ・ヴィンチの作品がこの美術館にあります -
なのにあまり人だかりがしていません
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聖母がカーネーションを持っているので「カーネーションの聖母」と呼ばれていますが、日本人の感覚からするとカーネーションと言うより撫子ですね(カーネーションは撫子を品種改良したもの)
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こちらにはラファエロの三作品もあります
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ラファエロの三作品
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ラファエロ「カニジャーニの聖家族」 1507年作
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ラファエロ「テンダ(幕)の聖母」 1514年作
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ラファエロ作「テンピの聖母」 1508年作
テンピ家が注文主だったためにそう呼ばれているみたいです -
フィリッポ・リッピも二作品飾られています
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フィリッポ・リッピ「受胎告知」 1443年作
リッピの中でも優雅で気品あふれ、大好きな作品です -
フィリッポ・リッピ「聖母子」 1460年作
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その息子のフィリピーノ・リッピが描いた「キリストと聖母」
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ラファエロの師匠ペルジーノが描いた「聖ベルナルドの幻視」 1493年作
これも気品あふれて好きな作品です -
ドメニコ・ギルランダイオ「聖母の栄光」 1490年頃の作品
左は「シエナの聖カテリーナ」右は「聖ローレンツ」 -
ボッティチェリ「キリストの死」 1490年作
ボッティチェリがサヴォナローラの傾倒しまくってた頃の作品
そういう目で見たせいか、凡作感が漂っていました
正直「ヴィーナスの誕生」や「春」とは偉い差を感じました -
ルネサンスの創始者ジョット作「最後の晩餐」1320年頃の作品
小品ですが素晴らしい! -
ジョットの三枚の絵画
一番左が「最後の晩餐」
真ん中が「キリストの磔刑」
右が「リンボ(一種の地獄)からの救出」 -
フラ・アンジェリコの2枚
左「キリストの埋葬」 1438年頃
右「聖コスマスと聖ダミアヌスの磔刑」1438年頃
聖コスマスと聖ダミアヌスは双子の医者で片足のない白人に黒人の死体から足を切り取って移植手術をするほどの腕前だったそうです
キリスト教の信者で無料で医療をして布教したので時のローマ皇帝ディオクレティアヌスに睨まれ殉教しました
医者はメディチと言う言葉なのでメディチ家の守護聖人となりました
サンマルコ祭壇画の下にあった九枚の裾絵でメディチ家の為にフラ・アンジェリコが描いたものです
が、後にバラバラになってしまいました -
やはりフラ・アンジェリコの裾絵
左 「総督リシウスの前の聖コスマスと聖ダミアヌス」
右 「救出された聖コスマスと聖ダミアヌス」 -
アントネッロ・ダ・メッシーナ「受胎告知」 1473年頃の作品
シチリアのメッシーナ生まれの画家です -
ソドマ「聖家族」
十六世紀のシエナの画家です
一番有名な作品はフィレンツェのウフィッツ美術館にある「聖セバスチャン」です
レオナルド・ダ・ヴィンチの影響を受けていて、後世でダ・ヴィンチ作と間違えられたものもあります -
人間の顔を野菜や果物などで描いたジュゼッペ・アルチンボルドの絵画も三作飾られています
アルチンボルド「春」 1573年頃の作品 -
アルチンボルド「夏」 1973年頃の作品
アルチンボルドはミラノの生まれでしたが、後にウィーンに渡りフェルディナンド1世の宮廷画家になります
息子のマクシミリアン2世、孫のルドルフ1世にも仕えました
特にルドルフ1世はこんな風な手法で自分の肖像画を描かせていますから、よほどお気に入りだったんでしょうね -
アルチンボルド「冬」 1573年頃の作品
マニエリスムを代表する画家と言われていますが、実際はシュールレアリスムと言った方が良いような気がします(笑)
ダリの先駆者でしょう
と思って調べてみたら、実際に彼の没後は見向きもされなくなった作品をダリやルネ・マグリットらに評価され再び脚光を浴びたそうです -
グイード・レーニ「聖母被昇天」 1638年頃の作品
イタリアのボローニャ生まれの画家
カラヴァッジョの陰に隠れていますがイタリアバロックの巨匠
明暗をキッチリと描くバロックだけでなくラファエロ的な古典主義様式の絵も得意です
(この絵は古典主義様式だと思います)
ゲーテによって「神の如き天才」と呼ばれましたが、19世紀に入ると古典主義様式への反発で評価が下がります
が、現代になって再評価されている画家です -
ベネチア派の絵が沢山展示されています
ジョルジョーネ「ヴェネチアの紳士」 1508年頃の作品
大傑作「眠れるヴィーナス」と「嵐(テンペスト)」で有名な画家です
1510年に32歳と言う若さでペストに感染して亡くなっています
その一か月後、マントヴァ侯爵夫人のイザベラ・デステがヴェネチアの友人に「ジョルジョーネの作品を購入したい」という手紙を送りましたが、「いくら金を積んでも無理だった」という返事を貰っています
それほどの人だったのでジョルジョーネを影響を受けた画家が非常に多く(ティツィアーノもその一人)その人たちが作風を似て絵を描きました
なので完全なるジョルジョーネの絵と認定されているものは、意外に少ないとのことです
(「眠れるヴィーナス」もジョルジョーネの死後、まだ未完成の絵にティツィアーノが加筆して完成されたと言われています)
この絵もティツィアーノの作品ではないかと言う説もあります -
同じくジョルジョーネ「二人の紳士」
ただ、ジョルジョーネの作品って女性はこの上なく美しいのですが、男性の肖像画に関してはなんか気難しい人物が多いような気がします(笑) -
ティツィアーノ「茨冠のキリスト」 1572年頃の作品
ティツィアーノの晩年の作品です(すでに80歳を超えています)
三十年ほど前に同じタイトルで描いたものがパリのルーブル美術館に所蔵されていますが、大分雰囲気が違います -
初期の鮮やかな絵とはまるっきり違い、陰鬱な雰囲気です
実は最初見た時はティントレットの絵だと思ってました -
ティツィアーノ「紳士の肖像」 1520年頃の作品
これはいかにもティツィアーノらしい絵
ティツィアーノがまだ三十歳ころに描いた作品です -
やはりヴェネチアを代表する画家ティントレットの「ヴィーナスとヴァルカンとマルス」 1551年作
妻ヴィーナスの寝室に忍び込んだマルスを夫のヴァルカンが探している所です
マルスはベッドの下に隠れています(右側に描かれています) -
ティントレット「マリアとマルタの家を訪れるキリスト」 1570年頃の作品
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ロレンツォ・ロット「聖カタリナ神秘の結婚」 1508年頃の作品
やはりヴェネチア派の画家です
けれどもティツィアーノの陰に隠れヴェネチアを出てイタリア各地を歩き回りました
生活に窮し、精神も病んで晩年は修道院で暮らしています
没後完全に忘れ去られましたが十九世紀になって再評価された画家です -
ヴェネチア派三大巨匠(ティツィアーノ、ヴェロネーゼ、ティントレット)の死後、一時は停滞していたヴェネチア絵画も18世紀になってまた復活します
カナレット「サンマルコ広場と運河」1736年頃の作品
カナレットはヴェネチアを代表する風景画家
ヨーロッパ各地を旅してはその地の絵を描いています -
やはりカナレット「サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会と運河」 1736年頃の作品
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カナレットの三十年後に現れたのがフランチェスコ・グアルディ
まるで印象派の先駆のような人で大好きな画家です
フランチェスコ・グアルディ「リアルト橋付近の運河の風景」 1760年頃の作品 -
フランチェスコ・グアルディ「ヴェネチアの大運河の風景」 1760年頃の作品
どちらも印象派が現れる百年前、ターナーの五十年くらい前の作品です -
フランドル(オランダとベルギー)の画家の絵も沢山所蔵されています
ロヒール・デル・ウェイデン作「聖母を描く聖ルカ」 1450年作
ネーデルランドのトゥルネー(現在はベルギー)の出身です
ヤン・ファン・エイクと並ぶ初期フランドル派の巨匠と呼ばれています
この作品の構図はヤン・ファン・エイクの「宰相ロランの聖母」をもとにしていると言われています -
同じくロヒール・デル・ウェイデン作「コルンバの三連祭壇画」 1455年ごろの作品
ケルンの聖コルンバ教会の為に作成された作品です -
ディルク・ボウツ作「神の仔羊」 1464年ごろの作品
ディルク・ボウツはオランダのハーレム出身
ウェイデンやヤン・ファン・エイクより少し後の人です -
同じくディルク・ボウツ作「ブラバントの真珠」 1470年頃の作品
三連祭壇画です -
右に描かれているのが聖クリストファー、真ん中が「マギの礼拝」でしょう
-
そして左側に描かれているのが「洗礼者聖ヨハネ」です
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ディルク・ボウツ「キリストの復活」
ただ、これらのいずれもボウツのものかどうか長い間議論されてきました
特にこれはパネルの部分を測定した結果ボウツの死後のものだとされました
ボウツには息子がいますので息子の作品ではないかと言われています -
ハンス・メムリンク「キリストの降臨と勝利(聖母の七つの喜び)」 1480年頃の作品
メムリンクはドイツのフランクフルトで生まれたドイツ人ですが、ベルギーに渡りブリュッセルにあるロヒール・デル・ウェイデンの工房で修業し、後にブルージュで活躍しました(ブルージュにはメムリンク美術館があります)
この絵はさながら日本の絵巻物のような形で25の場面からなり、キリストと聖母マリアの物語を構成しているようです -
アップです
中央は「マギの礼拝」でしょう -
ヤン・ホッサールト(ヤン・マビューズとも言われます)「ダナエ」1527年頃の作品
ヤン・ホッサールトは現フランスのモブージュ出身
モブージュ出身なのでマビューズとも呼ばれています
オランダのアントワープで活躍しました
これはギリシア神話のダナエの絵です
妻のヘラの目を盗んで黄金の雨になってダナエの元にやって来るゼウスと言う場面
黄金の雨がダナエの股間に降っているのが酷くエロチックです -
アップです
-
さらにアップです
ダナエの恍惚とした表情がいいです -
ピーテル・ブリューゲル(父)「怠け者の天国」1567年頃の作品
アントワープとブリュッセルで活躍した画家
聖書を主題にしたスペクタクルな絵を描いていましたが、晩年になって農民の生活を描き始め農民画家と言われるようになりました -
ピーテル・ブリューゲル(父)「老女の肖像」1564年頃の作品
この頃の農民の絵は非常に珍しいです(肖像画を描いてもお金にならなかったから)
生活も安定して趣味として描いたものだったのかもしれません
ただしウィーンの美術史館にある連作月暦画はアントワープの裕福な商人が発注したものみたいです(一年後に借金の担保としてアントワープ市に没収されてますが・・・・) -
(父)と書きましたが、ブリューゲルの子孫からは有名な画家が何人も出ていて、しかも同じ名前が多いので、区別するために(父)とか(子)とか書かなくてはならないのです
ピーテルにはピーテルとヤンと言う二人の息子がいますが、二人とも有名な画家になりました
更にヤンの息子のヤンもそしてヤン(息子のほう)の子アブラハムも有名な画家です
つまり子供から曾孫まで有名な画家となったのです
この絵はヤン・ブリューゲル(父)の描いた「魚市場」 1603年頃の作品
一般的には「花のブリューゲル」と呼ばれ、花の絵を描いていましたが後には風景画で評判をとるようになります
父と同じようなスペクタクルな絵を描きます -
ヤン・ブリューゲル(父)「スキピオの自制」1600年頃の作品
スキピオはローマとカルタゴが戦った第二次ポエニ戦争の時のローマの将軍
スキピオが包囲したスペインの街で人質として娘が差し出されましたが、その娘に婚約者がいると知ったスキピオは何もせずにその娘を親元に返したという話です
ただし風景の一部になっているのでなにがなんだかさっぱりわかりません(笑) -
同じくヤン・ブリューゲル(父)「港で説教するキリスト」1598年頃の作品
キリストですら風景の一部にしてしまうんですから凄いです(笑)
ちなみに兄のピーテル・ブリューゲル(子)は地獄の絵をよく描いたので「地獄のブリューゲル」と呼ばれたみたいです -
そして三部屋くらいがルーベンスの絵で埋め尽くされています
(ただ自分はルーベンスがあまり好きではないので写真は2枚だけです)
真ん中にある大作は「最後の審判」1617年頃の作品 -
ピーテル・パウル・ルーベンス「ウェディングドレスを着たエレーヌ・フールマンの肖像」1631年頃の作品
エレーヌ・フールマンはルーベンスの二度目の妻
結婚当時ルーベンスは53歳、エレーヌは16歳だったそうです
エレーヌは裕福な商人の娘だったそうですが、ルーベンスは当時画家として大成功しフランス王妃マリー・ド・メディチの生涯の連作を頼まれていますし(何枚か下絵がこの美術館にも飾られています)外交官としても活躍しています
なのである種玉の輿だったのかもしれません(じゃなかったら40歳近く年上の男と結婚しませんよねw)
ルーベンスとの間に5人の子を成し、ルーベンスの死後にアントワープの市会議員と結婚し後に伯爵夫人になるのですから、ルーベンスの結婚を足掛かりに大出世するというわけです -
ルーベンスの弟子、アンソニー・ヴァン・ダイク「自画像」1620年頃の作品
ホルバインと同じく後にイングランドに渡り、チャールズ一世のお抱え宮廷画家となります
代表作に「チャールズ一世の肖像」があります -
レンブラントも多数あります
レンブラントはオランダはライデン出身
1632年、26歳の時に描いた「テュルプ博士の解剖学講義」のお陰で超人気画家となります
レンブラント・ファン・レイン「イサクの犠牲」 1636年頃の作品
信仰心篤かったアブラハムがある日、神の声を聞きます
それは年老いてから出来たたった一人の息子イサクの命を神に捧げろと言うもの
アブラハムはイサクを指定された丘の上に連れて行き、そこで息子を殺そうとすると、天使が現れ「お前の信仰心の深さはよく分かった。息子を殺してはならない」と言ってハッピーエンドと言う、異教徒にとっては限りなく「?」と言う話
自分がイサクだったら、この後絶対にグレてますw
テーマはともかく緊迫感に溢れた良い画だと思います -
同じくレンブラント
「聖家族」1634年作
一転して静かな美しさがある作品です -
そしていかにもバロックと言う感じの絵
レンブラント 「キリストの十字架降下」 1633年頃の作品
イタリアのカラヴァッジョ、オランダのレンブラントと言う感じでバロック絵画を代表する画家になりました -
レンブラント「キリストの十字架の屹立」 1633年頃の作品
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レンブラント 「キリストの埋葬」 1639年頃の作品
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レンブラント 左が「羊飼いの礼拝」 右が「キリストの十字架の屹立」
バロック絵画は写真に撮るのが難しい・・・・・
1633年にサスキアと言う美しい妻と結婚し(彼女の肖像画がレンブラントによって何枚も残されています)私生活も仕事も順風満帆と思われていましたが、1640年、彼の代表作とも言える「夜警」で躓いてしまいます
市の名士が参加した夜警団の集団肖像画を描いたのですが、隊員全員が平等に代金を支払ったにも拘わらず二人だけに焦点が当てられて、他の隊員が不満を持ち(しかも二人のうちの一人も自分の背の低いのを気にして、追加料金を払って高く描くように依頼したのに構図の関係で実際より低く描かれて怒り狂ったそう)一気に依頼が減ったらしいです
まあ、この辺りは俗物の依頼主と芸術家の葛藤と言う良くある話ではありますが(ダ・ヴィンチも最初に描いた「岩窟の聖母」が教会の不興を買い二枚描かされました)その他にも肖像画に自分のペットの猿の死骸を描きこんじゃったり、そりゃ依頼主も怒るだろうと言う事件を起こし続け、どんどん依頼は減っていきます
なのになまじ売れっ子になったのが災いして浪費壁は収まらず、どんどん貧乏になり、貧困のうちに亡くなりました -
スペイン絵画に移ります
エル・グレコ「キリストの聖衣剥奪」 1584年頃の作品
エル・グレコはスペイン語で「ギリシア人」の意味
マニエリスムの巨匠です
ギリシアのクレタ島出身です
エル・グレコが生まれた1514年当時クレタ島はヴェネチアの支配下にありました
その為ヴェネチアを経てローマに渡りましたが、ローマで神の如く思われていたミケランジェロを批判し、おかげでイタリアに居られなくなりスペインのトレドに移ったと言われています -
アップです
この絵はさほどではありませんが極端に顔の長い人を描くのが特徴です
トレドのサント・トメ教会に描かれた「オルノス伯爵の埋葬」が代表作です -
スペインバロック期の天才ヴェラスケス 「若い男の肖像」 1629年頃の作品
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やはりスペインバロック期の画家ムリーリョ 「パイを食べる子供」 1670年頃の作品
ムリーリョは世にも美しい聖母マリアと可愛らしい子供を描くことで有名 -
ムリーリョ「ブドウとメロンを食べる子供」 1646年頃の作品
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ムリーリョ 「花売りの子供」 1675年頃の作品
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フランスです
ロココ絵画になります
ロココを代表する画家 フランソワ・ブーシェ「ポンパドール夫人の肖像」
1756年頃の作品 -
アップです
ポンパドール夫人はルイ15世の公妾です
単に美しいだけでなくヴォルテールやディドロなど一流の文化人と親交を持ち、芸術家のパトロンとなって芸術を保護し、政治に関心のなかったルイ15世に代わり、政治にも口を出しました
特に7年戦争でロシアのエリザベータ女帝、オーストリアのマリア・テレジアと手を組みプロシアのフリードリヒ大王に対抗したことで有名です
俗にこれをペチコート同盟と呼んでいます
なのに妖艶と言うより可愛らしい感じの肖像画です
そう言えばルイ15世の晩年の愛人デュバリー夫人の肖像画も楚々とした可愛い女性でしたので、ルイ15世は肉感派より清純派を好んだのでしょう
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この旅行記へのコメント (3)
-
- 旅するうさぎさん 2024/06/25 22:15:58
- 美術の教科書片手に拝見しました
- ken-kenさん
こんばんは。
今回の旅行記は、最終日のアルテ・ピナコテークから始まるのですね。
私はミュンヘンには何度か行っているのですが、このアルテ・ピナコテークや、もう一つのノイエ・ピナコテークにはまだ行ったことがないのです。ですので、じっくり拝見しました。「この絵、見たことがある」という絵がいくつかあったので、大学時代の美学芸術史の授業で使っていた教科書(「美術の歴史」という、ニューヨーク大学の先生が書いた日本語訳の本)を引っ張り出してきて、一緒に見ました。ちょっと見ただけでも、デューラーの「自画像」「4人の使徒」、ブリューゲルの「逸楽の国」などが載っていました。その他にも、本には載っていませんが、ロヒール・デル・ウェイデンの「聖母を描く聖ルカ」の構図が、どこかで見た他の画家の構図にとっても似ているなぁと思ったら、ヤン・ファン・エイクの「宰相ロランの聖母」をもとにしているとken-kenさんが書いていらして、何の絵だったか思い出せました。ありがとうございます。
それで一か所、誤植を見つけちゃいました。
レンブラントのところで、「1940年、彼の代表作とも言える夜警」の年号が、1900年代ではなく、1600年代かと思います。
ところでken-kenさん、私、St. Magdalenaの Hotel Tyrolに昨年の12月にお問い合わせしたのですが、お返事が来なかったのです。最初の「お問い合わせありがとうございます」のメールは来たのですが、「では5泊お願いします」とメールしたら、その後、何の返事もなかったのです。実は問い合わせるのはこれで2回目で、数年前にもお問い合わせしたことがあったのですが、1か月間お返事が来なかったことがありました。最近、4トラのトラベラーさんでこのホテルに泊まったという旅行記がほとんどないのは、こういう理由なのかなと思いました。だからもう、このようなホテルはきっぱりあきらめることにしたのですが、そんなことをしているうちに、第2希望のお花が美しいペンションがいっぱいになってしまいました(そのペンション、凄い人気の宿なのです)。それで、南チロルはいつでも行けるので、北チロルの別の谷に行くことにしました。そちらの谷のホテルは親切な予約時の対応だったのでホッとしました。ゲストを下の名前で呼んでくれるフレンドリーなホテルで、予約の段階でも私の下の名前で返事がきました。行ったら本当に下の名前で呼んでくれるのか、たぶん日本人で泊まるのは私たちが初めてかと思いますが、ちょっと楽しみにしています(^^)
ken-kenさんは今回、ベルヒテスガーデンやマイヤーホーフェンにも行かれたのでしょうか?
旅するうさぎ
- ken-kenさん からの返信 2024/06/28 05:30:41
- RE: 美術の教科書片手に拝見しました
- > ken-kenさん
>
> こんばんは。
> 今回の旅行記は、最終日のアルテ・ピナコテークから始まるのですね。
>
> 私はミュンヘンには何度か行っているのですが、このアルテ・ピナコテークや、もう一つのノイエ・ピナコテークにはまだ行ったことがないのです。ですので、じっくり拝見しました。「この絵、見たことがある」という絵がいくつかあったので、大学時代の美学芸術史の授業で使っていた教科書(「美術の歴史」という、ニューヨーク大学の先生が書いた日本語訳の本)を引っ張り出してきて、一緒に見ました。ちょっと見ただけでも、デューラーの「自画像」「4人の使徒」、ブリューゲルの「逸楽の国」などが載っていました。その他にも、本には載っていませんが、ロヒール・デル・ウェイデンの「聖母を描く聖ルカ」の構図が、どこかで見た他の画家の構図にとっても似ているなぁと思ったら、ヤン・ファン・エイクの「宰相ロランの聖母」をもとにしているとken-kenさんが書いていらして、何の絵だったか思い出せました。ありがとうございます。
旅するうさぎさん、おはようございます
コメントと投票を有難うございました
ミュンヘンのアルテピナコテークは前にも一度行ったことがあったのですが、軽い気持ちで行ってその作品群の豊かさに圧倒された思い出があります
それで今回は少し詳しく見てやろうとの思いで行きました
日本の旅行者にはあまり有名な美術館ではありませんが、ベルリンの絵画館とともに、人が少なくゆっくり見られるわりに作品の質は高いと言う、大好きな美術館なんです
> それで一か所、誤植を見つけちゃいました。
> レンブラントのところで、「1940年、彼の代表作とも言える夜警」の年号が、1900年代ではなく、1600年代かと思います。
すみません
直しておきました(その他にもいくつか間違っていたので直しましたw)
ご指摘有難うございます
> ところでken-kenさん、私、St. Magdalenaの Hotel Tyrolに昨年の12月にお問い合わせしたのですが、お返事が来なかったのです。最初の「お問い合わせありがとうございます」のメールは来たのですが、「では5泊お願いします」とメールしたら、その後、何の返事もなかったのです。実は問い合わせるのはこれで2回目で、数年前にもお問い合わせしたことがあったのですが、1か月間お返事が来なかったことがありました。最近、4トラのトラベラーさんでこのホテルに泊まったという旅行記がほとんどないのは、こういう理由なのかなと思いました。だからもう、このようなホテルはきっぱりあきらめることにしたのですが、そんなことをしているうちに、第2希望のお花が美しいペンションがいっぱいになってしまいました(そのペンション、凄い人気の宿なのです)。それで、南チロルはいつでも行けるので、北チロルの別の谷に行くことにしました。そちらの谷のホテルは親切な予約時の対応だったのでホッとしました。ゲストを下の名前で呼んでくれるフレンドリーなホテルで、予約の段階でも私の下の名前で返事がきました。行ったら本当に下の名前で呼んでくれるのか、たぶん日本人で泊まるのは私たちが初めてかと思いますが、ちょっと楽しみにしています(^^)
ドロミテに行かれるんですね
旅行記楽しみにしております
(実は自分も8月末に行くつもりでおります)
> ken-kenさんは今回、ベルヒテスガーデンやマイヤーホーフェンにも行かれたのでしょうか?
ベルヒテスガーデンは行ったのですが、その時バイエルン地方が長雨の次期に当たってしまい、ほぼホテルで過ごしておりました
なので写真も取っておらず、今回はアップはしないと思います
マイヤーホーフェンは比較的天気が良かったので、アップさせていただく予定です
旅するうさぎさんの行かれたオルペラーヒュッテにも行ってまいりました
(ただあそこはやはり6月下旬以降に行くべきところだと身を持って知りましたw)
またよろしくお願いいたします
ken-ken
- 旅するうさぎさん からの返信 2024/06/29 20:04:58
- Re: 美術の教科書片手に拝見しました
- ken-kenさん
ベルヒテスガーデンは雨が降ってしまったとのことですが、ツィラータールは晴れたことで良かったです。オルペラーヒュッテのあたりは雪があったのでしょうか…。以前、6月にシュトゥバイタールに行った時は、山に雪が残っていました。
私は今回、ドロミテのあるイタリア側の南チロルはやめて、オーストリア側の北チロルの2つの谷に行くことにしました。
ken-kenさんは今回の旅行記を書いたら、次はドロミテに行かれるとのこと。そちらの旅行記も楽しみにしています。
旅するうさぎ
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