2014/05/23 - 2014/05/23
377位(同エリア9602件中)
FUKUJIROさん
- FUKUJIROさんTOP
- 旅行記458冊
- クチコミ159件
- Q&A回答111件
- 654,885アクセス
- フォロワー354人
この旅行記のスケジュール
2014/05/23
-
バスでの移動
新さっぽろ駅前からバスで移動
-
北海道開拓の村
この旅行記スケジュールを元に
2月にメニエール病が再発してしまい、しばらく自宅療養していました。
思い返すと、このフォートラベルを始めたのも自宅療養をしていたときでした。
久しぶりに時間があったので机の中をゴソゴソしていたら、昔の写真データが出てきたので、簡単にまとめてみました。
10年ほど前に札幌へ出張した際、野外博物館・開拓の村を観光したときのものですが、とても広い施設なのでもう少しゆっくり見学したかったですね。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
-
札幌出張の用務が終わったので、帰京する前に観光します。
新さっぽろ駅前のホテルエミシア札幌、31階建て。
この当時はシェラトンホテル札幌という名前でした。 -
新さっぽろ駅のバスターミナル。
-
開拓の村へ行きます。
-
野外博物館・北海道開拓の村へ到着。
北海道開拓の村は、明治から昭和初期にかけて建築された北海道各地の建造物を、54.2haの敷地に移築復元・再現した野外博物館です。昭和58年(1983年)4月に開村しました。
白い壁に赤い屋根の旧札幌停車場が出入口となっています。
建物は明治41年(1908年)に建てられ、昭和27年(1952年)まで使われた札幌停車場の正面外観と形状を4/5に縮小し、管理棟として再現しました。移築ではありません。外観は、当時の米国風スティックスタイルです。 -
旧開拓使札幌本庁舎(ビジターセンター)。
明治6年(1873年)10月に竣工した開拓使札幌本庁舎を再現した建物です。当時の建物は、明治12年(1879年)に火事で焼失しました。 -
昔のランプ。
-
ズンドウストーブ。
鋳物製の石炭ストーブで、灰取台の上に燃焼胴をのせただけの簡単な構造。国産の石炭ストーブとしては、初期の形を留めています。
大型の鋳物が製造可能になってからは、学校や工場、駅などで「ダルマストーブ」と呼ばれ広く利用されました。 -
地球型ストーブ。
石炭ストーブの一種で、列車の暖房具として用いられました。明治30年代から使用され、通称「タコストーブ」と呼ばれていました。
燃焼筒の丸い独特な形は、乗客が魚や餅などを焼いて臭いや煙で車内が汚れるのを防ぐためともいわれています。 -
ルンペンストーブ。
石炭ストーブの一種で広く家庭で用いられました。
通風と灰取り口、そして燃焼室だけの簡易な構造で、燃焼途中に石炭を追加できないことから、2台のストーブを交互に使いました。常に1台が遊んでいる(働いていない)ことから、ルンペンストーブと呼ばれるようになりました。 -
貯炭式ストーブ。
貯槽に石炭を詰め、長時間燃え続け、また煤煙が部屋に充満することもなく、お座敷でも使えるストーブとして人気がありました。昭和初期には国産の安価な貯炭式ストーブが普及し、長い間家庭用石炭ストーブとして使われました。 -
迎賓馬車。
この馬車は、明治39年(1906年)から札幌の鉄道作業局北海道出張所において使用されていたもので、大正10年(1921年)に王子製紙江別工場が購入し、エ場長や事務長の公務、来客の送迎に昭和20年代まで使用されていました。 -
旧来正旅館。
東永山兵村に屯田兵として入植した来正策馬は、明治31年(1898年)に退役後、開通直後の宗谷本線の永山駅前(旭川市)に移り、待合所を開業しました。
大正7年(1918年)に大水の被害を受けたため、翌年に旅館兼待合所を新築し営業を再開しました。 -
馬車鉄道の客車。
-
馬車鉄道の線路が真っ直ぐに延びています。
-
旧小樽新聞社。
小樽新聞は明治27年(1894年)に創刊され、函館毎日新聞、北海タイムスとともに道内の代表的新聞の一つでした。
この建物は、木造の骨組に札幌近郊で産出する札幌軟石(溶結凝灰岩)を外壁に積みあげた構造で、明治期石造建築の特徴を示しています。明治42年(1909年)建築。 -
馬車鉄道の後ろ姿。
-
旧ソーケシュオマベツ駅逓所。
喜茂別村と徳舜瞥村(現在の伊達市大滝)の中間地点で、明治42年(1909年)から昭和9年(1934年)まで営業していた官設駅逓所です。希少な建物です。
駅逓は、明治・大正・昭和にかけて、荷物の搬送や郵便・宿泊などの業務を行ない、北海道の発展に大きな役割をはたしました。
主屋は明治40年(1907年)頃、厩舎は大正4年(1915年)の建築。 -
道内に設置された官設の駅通所は、延べ517カ所(千島列島41カ所)に及びましたが、鉄道など交通機関の発達にともない、しだいに機能が失われ、昭和22年(1947年)3月に全廃されました。
-
旧岩間家農家住宅。
-
旧田村家北誠館蚕種製造所。
絹(糸)の原料となる蚕の卵(蚕種)をとる建物です。浦臼村の養蚕伝習所教師だった田村忠誠が、当時模範とされた東京蚕業試験場の蚕室を参考に、明治34年(1901年)から同38年にかけて建築しました。
ここでは蚕種の製造販売を行なうかたわら、多くの養蚕技術者を養成しました。 -
旧農商務省滝川種羊場機械庫。
-
池。
-
旧青山家漁家住宅。
青山家は安政6年(1859年)に山形県から渡道し、小樽沿岸を中心に鰊建網などを経営した漁家です。建網経営には、番屋をはじめ網倉、船倉のほか海産干場、船入澗など多くの施設、設備を必要としました。大正8年(1919年)建築。
旧所在地の小樽市祝津町3には、小樽貴賓館(旧青山家、ニシン御殿)が建っています。 -
釜焚き作業場。
当時の全漁獲高の約7割がニシン漁でした。食用として「身欠きニシン」や「塩カズノコ」も生産されましたが、大量に獲れたニシンはもっぱら肥料(ニシン粕)に加工されて、北陸や関西方面など「内地」に出荷されました。
ニシン粕の製造は、大きな鉄釜に生ニシンを数百から約一千尾入れて煮ます。煮えたぎる鉄釜から煮ニシンを圧搾器に移してフタをして上から圧力を加えると圧搾器のすき間から水分・油がしみ出てきます。この際に生じる油分は魚油として商品になります。
圧搾し、内部に残った粕玉を取り出して砕いて充分に乾燥させれば、〆粕(しめかす)ができあがります。 -
船倉。
-
旧龍雲寺。
篠路山 龍雲寺は明治19年(1886年)頃、村民の努力によって創建された浄土宗のお寺です。この建物は、明治26年(1893年)頃に新築落成した本堂で、開拓期の農村の寺院建築の様式をよくあらわしています。正面入口の向拝部分は大正年間に増築されたものです。 -
旧龍雲寺の内陣。
-
メインストリートを道産子と呼ばれる農耕馬が馬車鉄道を曳いています。
-
旧藤原車そり製作所。
明治31年(1898年)、兵庫県出身の宮大工藤原信吉が深川に入植し、同36年(1903年)には妹背牛で車そり製造を開業しました。
この建物は、開業以来使われてきた車そり製作所兼住宅を再現したものです。 -
旧藤原車そり製作所、作業の模型。
-
旧開拓使札幌本庁舎(ビジターセンター)に戻ってきました。
-
札幌の中心部に戻ったようです。
さっぽろテレビ塔。 -
東方向。
-
西方向。
-
テレビ父さん神社です。
鳥居の手前には、テレビ父さんと母さんが狛犬となって鎮座しています。 -
石川啄木像歌碑。昭和56年(1981年)設置。
しんとして
幅廣き街の
秋の夜の
玉蜀黍の焼くるにほひよ
揮毫は中野北漠氏。
高さ152cm、幅200cm、奥行100cmのブロンズ製。
石川啄木が札幌に滞在したのは明治40年9月14日から27日までの2週間でした。 -
泉の像。
札幌出身の彫刻家本郷新の作品、昭和34年制作のブロンズ像です。
この作品は、ニッカウヰスキーの会長だった竹鶴政孝氏が「ヨーロッパの広場などに見られるような芸術的な彫刻」を置きたいと発案し、寄贈したものです。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
札幌(北海道) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
37