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2022年5月14日(土)、この日午後2時から行われた亀岡のサンガスタジアム by KYOCERAで行われた京都サンガの試合観戦前に足利高氏(尊氏)の倒幕挙兵地として知られる篠村八幡宮にお参りした。<br /><br />12時前、嵯峨野線(山陰本線)亀岡駅の一つ京都寄りの馬堀駅に到着。この駅で乗り降りするのは初めて。1899年(明治32年)に開業した鉄道省山陰本線に1935年(昭和10年)に新設開業した駅。1989年の嵯峨(現嵯峨嵐山)・馬堀間の複線新線化に伴い、旧駅の北側の現在位置に移転した。2008年末には亀岡までも複線となった。<br /><br />相対式ホーム2面2線を持つ地上駅。改札及び駅舎は駅南側のみで、上り1番ホームには跨線橋で連絡している。かつては無人駅だったが、周辺の宅地開発に伴う利用客数増加に伴い有人駅化され、みどりの窓口も設置されている(下の写真1)。<br /><br />馬堀はかつてあった村の名前。亀岡城築城時には大工が居住する村だった。1889年(明治22年)の町村制施行により9村が合併して篠村となって消滅した。その名は軍馬を養った中世の馬堀城から来ている。<br /><br />馬堀城は現在の馬堀駅の南側一帯に築かれていた城。詳細は不明だが、室町時代後期にあったようで、天正年間(1573~92)に山田五兵衛なる人物が馬堀城を拠点にしていたとする資料が残る。<br /><br />この山田氏、亀岡城天守建築に関わっており、絵図面などを所持していたが、代替わり後その提出を求められ、男子は全員姿を消したとか。姿を消された男子たちは亀山城の大堀の鯰になったと云い伝えられ、馬堀の人々は決して鯰を口にする事は無かったそうだ。ああ、怖・・・<br /><br />駅から南西に進むが、この辺りは上述した篠村だった一帯。1959年(昭和34年)に亀岡市に編入され、今は亀岡市篠町として残る。篠は平安時代に記録のある地名だが、由来は不明。元々は平安時代の貴族・藤原氏の荘園だったそうだが、いつの頃からか源氏が統治するようになった。<br /><br />その一人、河内源氏初代棟梁・源頼信の嫡男で2代目棟梁・源頼義が創建した篠村八幡宮が駅から約20分南西に歩いたところにある。足利高氏(尊氏)の倒幕挙兵地として知られる神社。<br /><br />社伝や本殿の棟札によれば、後三条天皇の治世(1071年)、勅宣により河内国・誉田八幡宮から勧請され創建されたと伝わる。その翌年(延久4年)の頼義の社領寄進状が現存する。頼義が自分の荘園であった篠村に、国守を勤めていた誉田八幡宮の分霊を勧請したものと云われる。<br /><br />河内源氏は第56代清和天皇の皇子・諸王を祖とする清和源氏の21の流派の一つで、清和天皇の玄孫の源頼信(頼義の父)を祖とする。河内国古市郡壷井(現在の羽曳野市壷井)を本拠地とし、香呂峰の館を建てる。本拠地が河内国であることから河内源氏と呼ばれる。鎌倉幕府を打ち立てた源頼朝は7代目の棟梁。<br /><br />頼信は1028年の平忠常の乱を鎮定し坂東に勢力を扶植し、頼義とその息子の義家の時に、前九年・後三年の役で坂東武士の一部を傘下に治め、武家棟梁と見なされるようになる。その後、院と結んだ伊勢平氏に圧倒され、保元の乱と平治の乱を経て没落したが、頼朝が河内源氏の嫡流の価値を生かしつつ治承・寿永の乱を制し、鎌倉幕府を開き、征夷大将軍に任ぜられた。<br /><br />足利高氏は3代目義家の三男義国の次男の足利義康を祖とする(共に鎌倉幕府を倒したが、最終的には敵対した新田義貞は義国の長男の新田義重を祖とする)。1333年に篠村八幡宮に戦勝祈願の願文を奉じ10日間滞在したのち、六波羅探題を滅ぼして建武中興の礎を築いた。<br /><br />また後醍醐天皇と決別した後、1336年に京都攻防戦で敗れ、篠村八幡宮で敗残の味方の兵を集めるとともに社領を寄進して再起祈願を行なっている。その後九州へ逃れ、体勢を立て直すと京都に戻り室町幕府を開くこととなる。<br /><br />高氏にとっては2度の岐路で篠村八幡宮により大願が成就したことから、1349年に自身がお礼参りをしたほか、歴代足利将軍からも多くの社領を寄進され、盛時にはその社域は篠の東西両村に渡った。だが、後の応仁の乱や明智光秀の丹波侵攻によって社伝・社域の多くを失った。<br /><br />江戸時代に入り、寛永年間(1624-1643年)、亀山城主・菅沼定芳によって本殿が改修され、以後亀山城主の直轄神社として庇護された。現在も高氏旗揚げの願文や御判御教書が伝わるほか、境内には矢塚や旗立楊が残されている。<br /><br />駅前から山陰街道(国道9号線)へ続く京都府道402号王子並河線側から表参道を東北東に折れると石鳥居。幕末の1865年に建てられたもの。掛かる扁額の「八」の字は鳩を模している。1966年に新調されたもの。<br /><br />鳥居を抜けて参道の突き当りを左に曲がると右手に手水舎(下の写真2)、左手に社務所(下の写真3)があり、奥に拝殿。手水舎の横には瀬織津姫神、速秋津比売神、気吹戸主神、速佐須良比売神を祀る祓戸社がある(下の写真4)。<br /><br />拝殿は1923年(大正12年)に建てられたもので、京都府登録文化財。拝殿の奥に一間社流造の本殿。これも京都府登録文化財。主祭神は誉田別命(ほむだわけのみこと=応神天皇)。1980年に屋根が檜皮葺から銅板葺に改修された。<br /><br />本殿の左手には稲荷神社、矢塚、祖霊社が並ぶ。稲荷神社は伏見稲荷大社から勧請されたと云われ、1984年に改築されている。祖霊社は歴代神職御霊を祀る。1977年に靖国神社から勧請した太平洋戦争の55柱の戦没者が合祀された。<br /><br />太平記によれば、高氏は旗揚げ時に戦勝を祈願して篠村八幡宮に願文とともに玉串代わりの鏑矢を供え、多くの武将もそれに続き、矢がうず高く積み上げられたと云う。矢塚は、これらの矢を埋納した場所とされる。その奥には亀岡の名木に選ばれているツブラジイ(下の写真5)。縄文時代末には西日本一帯を覆っていた照葉樹林の代表的なもので、実は食べられ、材は薪炭、建築、家具、船舶などに重用された。<br /><br />本殿拝所の右手前に立つ足利高氏旗あげの地の碑は1991年に建てられたもの。そのさらに右手にあるのは乾疫神社。奈良時代以来の御霊信仰に基づき、平安京の乾(= 北西)の方角の丹波国・山城国の国境に勅願で創建された疫神社とされる。八幡神が勧請される以前からの神社で日本最古の疫神社の一つとされる。祭神は建速須佐之男神、大己貴神、少彦名神。<br /><br />さらにその右には小宮社四社。右より秋葉神社・愛宕神社、住吉神社・春日神社・日吉神社、皇大神宮・豊受大神、天満宮を祀る。近代に入り、近郷で祭祀していた神社を境内に遷したと云う。その南側には常設の相撲土俵場がある。1965年に設置されたもの。<br /><br />2000年に建立された裏参道の東鳥居を出て、左手、北側に進むと旗立楊がある。挙兵した高氏が味方武将に所在を知らせるため、家紋入りの旗を掲げたという楊。現在の木は1992年に挿し木された6代目もしくは7代目で幹周3m足らずだが、高氏挙兵時はそびえ立つ大木だった。なお、この楊はマルバヤナギ(アカメヤナギ)で、柳(カワヤナギ)とは樹種が異なる。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.24850505211259502&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />篠村八幡宮参拝を終えて、サンガスタジアムへ歩く。トロッコ亀岡駅(下の写真6)の手前、京都市内の大原野の奥の小塩山北麓から流れ出し保津川(桂川)が保津峡に入る直前の右岸に注ぐ鵜の川に架かる橋に、「からと越」の案内があるが(下の写真7)、からと(唐櫃)越は亀岡と京都を結ぶルートの一つ。<br /><br />橋を渡った先の篠町山本地区と京都市西京区山田を結ぶ道で、山陰道の本道である老の坂の北側にあるみずぎ山・沓掛山を尾根沿いに結ぶ。明智光秀軍が本能寺の変の際には、この唐櫃越と本道の老ノ坂を越える北国街道、さらに北の亀岡市保津町と京都市右京区水尾を結ぶ明智越えの3本の道を使ったと云われている。<br /><br />トロッコ亀岡駅からは保津川下りの乗船場までを結ぶ馬車が出ていたが、頑張って歩く。この馬車、昔家族でトロッコ列車から保津川下りを楽しんだ時に乗ったことあるわ。もう15年も前の話やわ。<br /><br />トロッコ亀岡駅から保津川下りの乗船場までは歩いて約30分。だんだんとサンガスタジアムが近づいてくる(下の写真8)。1時半前に保津川下り乗船場に到着(下の写真9)。保津川下り、この時から8ヶ月あまり先の2023年3月終わりに転覆死亡事故を起こし、約4ヶ月運休していたが、その後復活している。<br /><br />2時からのJ1第13節の京都サンガと清水エスパルス戦を観戦。八幡宮にお参りして祈願したが、残念ながらスコアレスドローだった。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7656057381130886&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />以上、篠村八幡宮の記、終了

京都 亀岡 篠村八幡宮(Shinomura Hachimangu Shrine,Kameoka,Kyoto,Japan)

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2022/05/14 - 2022/05/14

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年5月14日(土)、この日午後2時から行われた亀岡のサンガスタジアム by KYOCERAで行われた京都サンガの試合観戦前に足利高氏(尊氏)の倒幕挙兵地として知られる篠村八幡宮にお参りした。

12時前、嵯峨野線(山陰本線)亀岡駅の一つ京都寄りの馬堀駅に到着。この駅で乗り降りするのは初めて。1899年(明治32年)に開業した鉄道省山陰本線に1935年(昭和10年)に新設開業した駅。1989年の嵯峨(現嵯峨嵐山)・馬堀間の複線新線化に伴い、旧駅の北側の現在位置に移転した。2008年末には亀岡までも複線となった。

相対式ホーム2面2線を持つ地上駅。改札及び駅舎は駅南側のみで、上り1番ホームには跨線橋で連絡している。かつては無人駅だったが、周辺の宅地開発に伴う利用客数増加に伴い有人駅化され、みどりの窓口も設置されている(下の写真1)。

馬堀はかつてあった村の名前。亀岡城築城時には大工が居住する村だった。1889年(明治22年)の町村制施行により9村が合併して篠村となって消滅した。その名は軍馬を養った中世の馬堀城から来ている。

馬堀城は現在の馬堀駅の南側一帯に築かれていた城。詳細は不明だが、室町時代後期にあったようで、天正年間(1573~92)に山田五兵衛なる人物が馬堀城を拠点にしていたとする資料が残る。

この山田氏、亀岡城天守建築に関わっており、絵図面などを所持していたが、代替わり後その提出を求められ、男子は全員姿を消したとか。姿を消された男子たちは亀山城の大堀の鯰になったと云い伝えられ、馬堀の人々は決して鯰を口にする事は無かったそうだ。ああ、怖・・・

駅から南西に進むが、この辺りは上述した篠村だった一帯。1959年(昭和34年)に亀岡市に編入され、今は亀岡市篠町として残る。篠は平安時代に記録のある地名だが、由来は不明。元々は平安時代の貴族・藤原氏の荘園だったそうだが、いつの頃からか源氏が統治するようになった。

その一人、河内源氏初代棟梁・源頼信の嫡男で2代目棟梁・源頼義が創建した篠村八幡宮が駅から約20分南西に歩いたところにある。足利高氏(尊氏)の倒幕挙兵地として知られる神社。

社伝や本殿の棟札によれば、後三条天皇の治世(1071年)、勅宣により河内国・誉田八幡宮から勧請され創建されたと伝わる。その翌年(延久4年)の頼義の社領寄進状が現存する。頼義が自分の荘園であった篠村に、国守を勤めていた誉田八幡宮の分霊を勧請したものと云われる。

河内源氏は第56代清和天皇の皇子・諸王を祖とする清和源氏の21の流派の一つで、清和天皇の玄孫の源頼信(頼義の父)を祖とする。河内国古市郡壷井(現在の羽曳野市壷井)を本拠地とし、香呂峰の館を建てる。本拠地が河内国であることから河内源氏と呼ばれる。鎌倉幕府を打ち立てた源頼朝は7代目の棟梁。

頼信は1028年の平忠常の乱を鎮定し坂東に勢力を扶植し、頼義とその息子の義家の時に、前九年・後三年の役で坂東武士の一部を傘下に治め、武家棟梁と見なされるようになる。その後、院と結んだ伊勢平氏に圧倒され、保元の乱と平治の乱を経て没落したが、頼朝が河内源氏の嫡流の価値を生かしつつ治承・寿永の乱を制し、鎌倉幕府を開き、征夷大将軍に任ぜられた。

足利高氏は3代目義家の三男義国の次男の足利義康を祖とする(共に鎌倉幕府を倒したが、最終的には敵対した新田義貞は義国の長男の新田義重を祖とする)。1333年に篠村八幡宮に戦勝祈願の願文を奉じ10日間滞在したのち、六波羅探題を滅ぼして建武中興の礎を築いた。

また後醍醐天皇と決別した後、1336年に京都攻防戦で敗れ、篠村八幡宮で敗残の味方の兵を集めるとともに社領を寄進して再起祈願を行なっている。その後九州へ逃れ、体勢を立て直すと京都に戻り室町幕府を開くこととなる。

高氏にとっては2度の岐路で篠村八幡宮により大願が成就したことから、1349年に自身がお礼参りをしたほか、歴代足利将軍からも多くの社領を寄進され、盛時にはその社域は篠の東西両村に渡った。だが、後の応仁の乱や明智光秀の丹波侵攻によって社伝・社域の多くを失った。

江戸時代に入り、寛永年間(1624-1643年)、亀山城主・菅沼定芳によって本殿が改修され、以後亀山城主の直轄神社として庇護された。現在も高氏旗揚げの願文や御判御教書が伝わるほか、境内には矢塚や旗立楊が残されている。

駅前から山陰街道(国道9号線)へ続く京都府道402号王子並河線側から表参道を東北東に折れると石鳥居。幕末の1865年に建てられたもの。掛かる扁額の「八」の字は鳩を模している。1966年に新調されたもの。

鳥居を抜けて参道の突き当りを左に曲がると右手に手水舎(下の写真2)、左手に社務所(下の写真3)があり、奥に拝殿。手水舎の横には瀬織津姫神、速秋津比売神、気吹戸主神、速佐須良比売神を祀る祓戸社がある(下の写真4)。

拝殿は1923年(大正12年)に建てられたもので、京都府登録文化財。拝殿の奥に一間社流造の本殿。これも京都府登録文化財。主祭神は誉田別命(ほむだわけのみこと=応神天皇)。1980年に屋根が檜皮葺から銅板葺に改修された。

本殿の左手には稲荷神社、矢塚、祖霊社が並ぶ。稲荷神社は伏見稲荷大社から勧請されたと云われ、1984年に改築されている。祖霊社は歴代神職御霊を祀る。1977年に靖国神社から勧請した太平洋戦争の55柱の戦没者が合祀された。

太平記によれば、高氏は旗揚げ時に戦勝を祈願して篠村八幡宮に願文とともに玉串代わりの鏑矢を供え、多くの武将もそれに続き、矢がうず高く積み上げられたと云う。矢塚は、これらの矢を埋納した場所とされる。その奥には亀岡の名木に選ばれているツブラジイ(下の写真5)。縄文時代末には西日本一帯を覆っていた照葉樹林の代表的なもので、実は食べられ、材は薪炭、建築、家具、船舶などに重用された。

本殿拝所の右手前に立つ足利高氏旗あげの地の碑は1991年に建てられたもの。そのさらに右手にあるのは乾疫神社。奈良時代以来の御霊信仰に基づき、平安京の乾(= 北西)の方角の丹波国・山城国の国境に勅願で創建された疫神社とされる。八幡神が勧請される以前からの神社で日本最古の疫神社の一つとされる。祭神は建速須佐之男神、大己貴神、少彦名神。

さらにその右には小宮社四社。右より秋葉神社・愛宕神社、住吉神社・春日神社・日吉神社、皇大神宮・豊受大神、天満宮を祀る。近代に入り、近郷で祭祀していた神社を境内に遷したと云う。その南側には常設の相撲土俵場がある。1965年に設置されたもの。

2000年に建立された裏参道の東鳥居を出て、左手、北側に進むと旗立楊がある。挙兵した高氏が味方武将に所在を知らせるため、家紋入りの旗を掲げたという楊。現在の木は1992年に挿し木された6代目もしくは7代目で幹周3m足らずだが、高氏挙兵時はそびえ立つ大木だった。なお、この楊はマルバヤナギ(アカメヤナギ)で、柳(カワヤナギ)とは樹種が異なる。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.24850505211259502&type=1&l=223fe1adec

篠村八幡宮参拝を終えて、サンガスタジアムへ歩く。トロッコ亀岡駅(下の写真6)の手前、京都市内の大原野の奥の小塩山北麓から流れ出し保津川(桂川)が保津峡に入る直前の右岸に注ぐ鵜の川に架かる橋に、「からと越」の案内があるが(下の写真7)、からと(唐櫃)越は亀岡と京都を結ぶルートの一つ。

橋を渡った先の篠町山本地区と京都市西京区山田を結ぶ道で、山陰道の本道である老の坂の北側にあるみずぎ山・沓掛山を尾根沿いに結ぶ。明智光秀軍が本能寺の変の際には、この唐櫃越と本道の老ノ坂を越える北国街道、さらに北の亀岡市保津町と京都市右京区水尾を結ぶ明智越えの3本の道を使ったと云われている。

トロッコ亀岡駅からは保津川下りの乗船場までを結ぶ馬車が出ていたが、頑張って歩く。この馬車、昔家族でトロッコ列車から保津川下りを楽しんだ時に乗ったことあるわ。もう15年も前の話やわ。

トロッコ亀岡駅から保津川下りの乗船場までは歩いて約30分。だんだんとサンガスタジアムが近づいてくる(下の写真8)。1時半前に保津川下り乗船場に到着(下の写真9)。保津川下り、この時から8ヶ月あまり先の2023年3月終わりに転覆死亡事故を起こし、約4ヶ月運休していたが、その後復活している。

2時からのJ1第13節の京都サンガと清水エスパルス戦を観戦。八幡宮にお参りして祈願したが、残念ながらスコアレスドローだった。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7656057381130886&type=1&l=223fe1adec


以上、篠村八幡宮の記、終了

  • 写真1 馬堀駅

    写真1 馬堀駅

  • 写真2 手水舎

    写真2 手水舎

  • 写真3 社務所

    写真3 社務所

  • 写真4 祓戸社

    写真4 祓戸社

  • 写真5 ツブラジイ

    写真5 ツブラジイ

  • 写真6 トロッコ亀岡駅

    写真6 トロッコ亀岡駅

  • 写真7 からと越案内

    写真7 からと越案内

  • 写真8 サンガスタジアム遠景

    写真8 サンガスタジアム遠景

  • 写真9 保津川下り乗船場

    写真9 保津川下り乗船場

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