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お伊勢参りと熊野詣に行ってきました。<br />2日目の11月8日は、安乗埼と大王埼と岬めぐりをした後、横山展望台で英虞湾を眺望します。<br />この後、海岸線を走り尾鷲へと向かい、ここで泊りとなります。<br />途中、清流と言われる銚子川に立ち寄り、尾鷲では熊野古道センターに行きます。<br />

お伊勢参りと熊野詣に行ってきました 志摩から尾鷲へ

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2023/11/08 - 2023/11/08

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いいちゃんさん

お伊勢参りと熊野詣に行ってきました。
2日目の11月8日は、安乗埼と大王埼と岬めぐりをした後、横山展望台で英虞湾を眺望します。
この後、海岸線を走り尾鷲へと向かい、ここで泊りとなります。
途中、清流と言われる銚子川に立ち寄り、尾鷲では熊野古道センターに行きます。

同行者
カップル・夫婦(シニア)
旅行の手配内容
個別手配

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  • 「たまや」の朝食、昨日食した伊勢海老は頭が味噌汁となって出て来ました。<br />食事目当てとしたら絶対におすすめの宿です。

    「たまや」の朝食、昨日食した伊勢海老は頭が味噌汁となって出て来ました。
    食事目当てとしたら絶対におすすめの宿です。

  • ご主人と奥様に見送られて出発です。<br />安乗埼に向かいます。<br />宿から直ぐの面白展望台で止まります。<br /><br />

    ご主人と奥様に見送られて出発です。
    安乗埼に向かいます。
    宿から直ぐの面白展望台で止まります。

  • 面白展望台からの眺望です。<br />正面は的矢湾です。<br />

    面白展望台からの眺望です。
    正面は的矢湾です。

  • 安乗埼の駐車場<br />朝早いので、作業をする人たちなどの車しか停まっていませんでした。<br />ここまでの道は海岸の堤防道路を走ってから民家の間を上がって来ます。<br />この間は1車線の道で、特に民家の間はかなり狭く急坂で、対向車をよける所も殆ど無いという状況です。<br />堤防から民家の中の道へ入る時は「ここを行くのか」と思われるくらいです。<br />

    安乗埼の駐車場
    朝早いので、作業をする人たちなどの車しか停まっていませんでした。
    ここまでの道は海岸の堤防道路を走ってから民家の間を上がって来ます。
    この間は1車線の道で、特に民家の間はかなり狭く急坂で、対向車をよける所も殆ど無いという状況です。
    堤防から民家の中の道へ入る時は「ここを行くのか」と思われるくらいです。

  • 安乗埼

    安乗埼

  • 安乗埼灯台<br />高さ16m、珍しい四角形の灯台です。<br /><br />

    安乗埼灯台
    高さ16m、珍しい四角形の灯台です。

  • 安乗埼灯台は、全国16か所にあるのぼれる灯台の一つです。<br />灯台が四角なので階段も螺旋階段ではありません。<br />

    安乗埼灯台は、全国16か所にあるのぼれる灯台の一つです。
    灯台が四角なので階段も螺旋階段ではありません。

  • 初点灯は明治6年4月1日です。<br />現在の灯台は2代目で昭和23年に建て替えられています。<br />

    初点灯は明治6年4月1日です。
    現在の灯台は2代目で昭和23年に建て替えられています。

  • 安乗崎園地、右は的矢湾、中央の建物はきんこ芋工房、売店とカフェです。(開店前でした)<br />この奥が駐車場となります。<br />左の建物は灯台資料館、今日はイベントの準備とかで閉まっていました。<br /><br />

    安乗崎園地、右は的矢湾、中央の建物はきんこ芋工房、売店とカフェです。(開店前でした)
    この奥が駐車場となります。
    左の建物は灯台資料館、今日はイベントの準備とかで閉まっていました。

  • 的矢湾

    的矢湾

  • 的矢湾の入口

    的矢湾の入口

  • 反対側、右奥にうすく見えるのが志摩半島

    反対側、右奥にうすく見えるのが志摩半島

  • 安乗崎園地の外れにあるビューポイントから

    安乗崎園地の外れにあるビューポイントから

  • 沖を行く船<br />大王埼に向かいます。<br />

    沖を行く船
    大王埼に向かいます。

  • 大王埼にやって来ました。<br />観光協会の駐車場の先にある波切漁協の駐車場、300円です。<br />この先に個人の駐車場もありますが、さほど距離的には変わらないので停めやすいこの場所が良いかと思います。<br />

    大王埼にやって来ました。
    観光協会の駐車場の先にある波切漁協の駐車場、300円です。
    この先に個人の駐車場もありますが、さほど距離的には変わらないので停めやすいこの場所が良いかと思います。

  • 岬への道<br />一寸、寂しい感じがします。

    岬への道
    一寸、寂しい感じがします。

  • 灯台に行く前に八幡さん公園に立ち寄ります。

    灯台に行く前に八幡さん公園に立ち寄ります。

  • 八幡さん公園からの大王埼灯台<br />ビューポイントです。<br />

    八幡さん公園からの大王埼灯台
    ビューポイントです。

  • 「絵かきさん」の銅像<br />ここ大王町は、灯台、石畳の坂道などの景色をモチーフにするため、「絵かきさん」がたくさん訪れることから、「絵かきの町」と呼ばれているそうです。<br />

    「絵かきさん」の銅像
    ここ大王町は、灯台、石畳の坂道などの景色をモチーフにするため、「絵かきさん」がたくさん訪れることから、「絵かきの町」と呼ばれているそうです。

  • 灯台に向かいます。<br />完全にさびれています。<br />

    灯台に向かいます。
    完全にさびれています。

  • 大王埼灯台<br />高さは22.5mあります。<br />

    大王埼灯台
    高さは22.5mあります。

  • 大王埼灯台も、全国16か所にあるのぼれる灯台の一つです。<br />どこも300円です。<br />ここは螺旋階段です。<br />

    大王埼灯台も、全国16か所にあるのぼれる灯台の一つです。
    どこも300円です。
    ここは螺旋階段です。

  • 初点灯は昭和2年10月5日です。

    初点灯は昭和2年10月5日です。

  • 大王埼は志摩半島の東南端にあり、東は遠州灘、西は熊野灘です。<br />灯台の東側、左は波切漁港です。<br /><br />

    大王埼は志摩半島の東南端にあり、東は遠州灘、西は熊野灘です。
    灯台の東側、左は波切漁港です。

  • 西の熊野灘を望みます。<br />右の突き出しているところが八幡さん公園です。

    西の熊野灘を望みます。
    右の突き出しているところが八幡さん公園です。

  • 灯台資料館

    灯台資料館

  • 中に入ります。

    中に入ります。

  • フレネルレンズが回転します。

    フレネルレンズが回転します。

  • 灯台のある志摩半島、英虞湾周辺の紹介です。

    灯台のある志摩半島、英虞湾周辺の紹介です。

  • 灯台の種類や役割などがジオラマと共に展示されていました。<br /><br />

    灯台の種類や役割などがジオラマと共に展示されていました。

  • 灯台前のトイレ(正面)はきれいですが、周囲の建物は廃墟でした。

    灯台前のトイレ(正面)はきれいですが、周囲の建物は廃墟でした。

  • 横山展望台にやって来ました。<br />駐車場への分岐に誘導員がいて満車なので、下の駐車場に誘導されます。<br />ここから歩いてくるか、道路脇に車を停めて待つかですが、待っている車が1台だけなので、待って上の駐車場に上がりました。<br />道路は1車線、急坂ということもあり注意が必要です。(特にMT車は)<br />平日の昼前ですが、かなりの混雑です。<br />

    横山展望台にやって来ました。
    駐車場への分岐に誘導員がいて満車なので、下の駐車場に誘導されます。
    ここから歩いてくるか、道路脇に車を停めて待つかですが、待っている車が1台だけなので、待って上の駐車場に上がりました。
    道路は1車線、急坂ということもあり注意が必要です。(特にMT車は)
    平日の昼前ですが、かなりの混雑です。

  • 駐車場からは階段を上がります。

    駐車場からは階段を上がります。

  • 天空カフェテラス、2階が展望台になっています。

    天空カフェテラス、2階が展望台になっています。

  • 英虞湾が一望です。

    英虞湾が一望です。

  • 東側の志摩半島方向です。

    東側の志摩半島方向です。

  • 西側です。<br />下のデッキの右側から遊歩道が続いていて、いくつかの展望台が設けられています。<br />時間もかかり元気もないのでここから戻ります。<br />

    西側です。
    下のデッキの右側から遊歩道が続いていて、いくつかの展望台が設けられています。
    時間もかかり元気もないのでここから戻ります。

  • 英虞湾に浮かぶ真珠の養殖いかだ

    英虞湾に浮かぶ真珠の養殖いかだ

  • 海沿いに車を走らせます。<br />志摩半島から南へリアス式海岸が続きますので、途中、このような入り江が多く見受けられます。<br />

    海沿いに車を走らせます。
    志摩半島から南へリアス式海岸が続きますので、途中、このような入り江が多く見受けられます。

  • 何をしているのでしょう?

    何をしているのでしょう?

  • 紀伊長島へやってきました。<br />国道42号線沿いの道の駅です。<br />

    紀伊長島へやってきました。
    国道42号線沿いの道の駅です。

  • 店内<br />海辺です。<br />干物などの海産物も売っています。<br />

    店内
    海辺です。
    干物などの海産物も売っています。

  • 温暖な地です。<br />ミカンもありました。<br />

    温暖な地です。
    ミカンもありました。

  • 銚子川にやって来ました。<br />便の山橋の上流側です。<br />

    銚子川にやって来ました。
    便の山橋の上流側です。

  • 下流側です。<br />右の山の切れた辺りの先は河口です。<br />河口付近まで清流というのでNHKのドキュメンタリー番組がありました。<br />

    下流側です。
    右の山の切れた辺りの先は河口です。
    河口付近まで清流というのでNHKのドキュメンタリー番組がありました。

  • 便の山橋から左岸をさかのぼると種まき権兵衛の里があります。<br />入場無料です。<br />

    便の山橋から左岸をさかのぼると種まき権兵衛の里があります。
    入場無料です。

  • 半世紀近く前に尾鷲に住んでいたことがありました。<br />この辺りは田んぼでしたが、突然、田の中に「種まき権兵衛の里」という標柱が立ち、驚いたことを覚えています。<br />平成のふるさと創生事業で作られたそうです。<br />

    半世紀近く前に尾鷲に住んでいたことがありました。
    この辺りは田んぼでしたが、突然、田の中に「種まき権兵衛の里」という標柱が立ち、驚いたことを覚えています。
    平成のふるさと創生事業で作られたそうです。

  • 立派な公園です。<br />誰もいません。<br />

    立派な公園です。
    誰もいません。

  • 種まき権兵衛

    種まき権兵衛

  • 中に入りました。<br />奥は、座敷になっていてかつての家屋を再現したものになっています。<br />

    中に入りました。
    奥は、座敷になっていてかつての家屋を再現したものになっています。

  • 種まき権兵衛の住居を再現したジオラマ

    種まき権兵衛の住居を再現したジオラマ

  • 尾鷲にやって来ました。<br />土井竹林に行きます。<br />パチンコキングの駐車場に車を停めます。<br />駐車場の外に道があります。<br />

    尾鷲にやって来ました。
    土井竹林に行きます。
    パチンコキングの駐車場に車を停めます。
    駐車場の外に道があります。

  • 先に進むと「人形の家」がありました。<br />土井本家が所有していた人形を公開していたようですが、現在は休眠状態でした。<br />家屋は、廃墟とまではいかないものの老朽化が見えます。<br />

    先に進むと「人形の家」がありました。
    土井本家が所有していた人形を公開していたようですが、現在は休眠状態でした。
    家屋は、廃墟とまではいかないものの老朽化が見えます。

  • 土井本家は林業を営み広大な森林を所有していて、かつては当主(土井八郎兵衛)が三重県の長者番付の上位に、その名が常にありました。

    土井本家は林業を営み広大な森林を所有していて、かつては当主(土井八郎兵衛)が三重県の長者番付の上位に、その名が常にありました。

  • 人形の家を過ぎると涌井井戸があり、更に横の道を進みます。<br />斜路の先が井戸になっているというもの。<br />こんな井戸もあるのですね。<br />空井戸でした。

    人形の家を過ぎると涌井井戸があり、更に横の道を進みます。
    斜路の先が井戸になっているというもの。
    こんな井戸もあるのですね。
    空井戸でした。

  • 素掘りのトンネル<br />ここまでの道が荒れていたので恐る恐る来ました。

    素掘りのトンネル
    ここまでの道が荒れていたので恐る恐る来ました。

  • どんなところだろうと思っていたらトンネルの先に竹林です。<br />ここから見るとなかなかです。<br />

    どんなところだろうと思っていたらトンネルの先に竹林です。
    ここから見るとなかなかです。

  • 土井竹林の由来が書かれています。<br />1751年、七世土井八郎兵衛が薩摩地方から母竹を運び分植したとありました。<br />NHKの朝ドラ「旅路」も書かれています。(昭和45年なので古いですね)<br />正面の戸が閉まっていて中に入れません。<br />

    土井竹林の由来が書かれています。
    1751年、七世土井八郎兵衛が薩摩地方から母竹を運び分植したとありました。
    NHKの朝ドラ「旅路」も書かれています。(昭和45年なので古いですね)
    正面の戸が閉まっていて中に入れません。

  • 中にはあずまやもありますが、竹林全体は手入れが行き届いていないようにも思えます。<br />土井本家は林業の衰退とともにかつての面影はないのでしょう。<br /><br />

    中にはあずまやもありますが、竹林全体は手入れが行き届いていないようにも思えます。
    土井本家は林業の衰退とともにかつての面影はないのでしょう。

  • 尾鷲市郊外にある熊野古道センターにやって来ました。

    尾鷲市郊外にある熊野古道センターにやって来ました。

  • 熊野古道センター<br />大きいですね。<br />三重県の施設です。<br />

    熊野古道センター
    大きいですね。
    三重県の施設です。

  • 交流棟

    交流棟

  • 交流棟の内部<br />ホールの前が事務室で研修室などが有りました。<br />

    交流棟の内部
    ホールの前が事務室で研修室などが有りました。

  • 展示棟

    展示棟

  • 展示棟の内部

    展示棟の内部

  • 常設展示室<br />熊野古道とは熊野三山に参るための道です。<br />センターのHPによれば、熊野古道には幾筋かのルートがあり、紀伊半島を西回りする「紀伊路」と、東回りの「伊勢路(東熊野街道)」が代表的なものとされています。<br />紀伊路は、平安中期から鎌倉期にかけて盛んに行われた法皇や上皇らの御幸ルートで、これに対して、江戸時代以降盛んに歩かれるようになったのが伊勢路だそうです。<br />伊勢神宮の参拝を終えた旅人や、西国三十三カ所めぐりの巡礼たちが辿った、いわば庶民の道だそうです。<br />今回の旅もこれに当てはまりそうですが、熊野古道と言えばここで言う紀伊路と思われるのではないでしょうか。<br />

    常設展示室
    熊野古道とは熊野三山に参るための道です。
    センターのHPによれば、熊野古道には幾筋かのルートがあり、紀伊半島を西回りする「紀伊路」と、東回りの「伊勢路(東熊野街道)」が代表的なものとされています。
    紀伊路は、平安中期から鎌倉期にかけて盛んに行われた法皇や上皇らの御幸ルートで、これに対して、江戸時代以降盛んに歩かれるようになったのが伊勢路だそうです。
    伊勢神宮の参拝を終えた旅人や、西国三十三カ所めぐりの巡礼たちが辿った、いわば庶民の道だそうです。
    今回の旅もこれに当てはまりそうですが、熊野古道と言えばここで言う紀伊路と思われるのではないでしょうか。

  • 聖地での巡礼を描いた現代版の巨大壁画「熊野旅曼荼羅図」です。

    聖地での巡礼を描いた現代版の巨大壁画「熊野旅曼荼羅図」です。

  • 伊勢路の尾鷲から熊野に向かう途中にある難所の八鬼山越えを模したジオラマです。

    伊勢路の尾鷲から熊野に向かう途中にある難所の八鬼山越えを模したジオラマです。

  • 千石船の模型

    千石船の模型

  • 等身大の修験者

    等身大の修験者

  • 企画展示もありました。

    企画展示もありました。

  • 尾呂志神社の例大祭の展示がなされていました。<br />尾呂志神社は一年中ミカンが取れる町、御浜町にあります。<br />

    尾呂志神社の例大祭の展示がなされていました。
    尾呂志神社は一年中ミカンが取れる町、御浜町にあります。

  • 古道センターからは尾鷲の街が一望できます。

    古道センターからは尾鷲の街が一望できます。

  • 尾鷲湾

    尾鷲湾

  • 消波ブロックで囲まれたエリアが中部電力旧尾鷲三田火力発電所、その後方が尾鷲港です。

    消波ブロックで囲まれたエリアが中部電力旧尾鷲三田火力発電所、その後方が尾鷲港です。

  • 広い空き地が旧尾鷲三田火力発電所、後方が尾鷲の市街地です。<br />尾鷲三田火力発電所は昭和39年(1964年)に運転開始した37.5万kw×2の石油火力発電所です。<br />エネルギーが石炭から石油に変わり、また旺盛な電力需要を賄うため水力発電から石油火力発電へと移行した時期に当たります。<br />更に、昭和62年(1987年)には3号機50万kwが増設され、この時高さ230mの集合煙突が作られました。<br />三田とは発電所の建設を指揮した人の名です。<br />平成30年(2018年)に全て廃止され、巨大な集合煙突も近年撤去されて跡地は更地になっています。<br /><br />

    広い空き地が旧尾鷲三田火力発電所、後方が尾鷲の市街地です。
    尾鷲三田火力発電所は昭和39年(1964年)に運転開始した37.5万kw×2の石油火力発電所です。
    エネルギーが石炭から石油に変わり、また旺盛な電力需要を賄うため水力発電から石油火力発電へと移行した時期に当たります。
    更に、昭和62年(1987年)には3号機50万kwが増設され、この時高さ230mの集合煙突が作られました。
    三田とは発電所の建設を指揮した人の名です。
    平成30年(2018年)に全て廃止され、巨大な集合煙突も近年撤去されて跡地は更地になっています。

  • 変電所<br />27.5万Vの送電線が伊勢・四日市方面に伸びています。<br />一般的な火力発電所などの大規模電源の電気は消費地に向けて送られていますが、尾鷲三田火力発電所は地元にも供給されていました。<br />このため、このような大きな変電所が残されたのでしょう。<br />また、送電線は電源開発会社の池原発電所にも伸びています。<br /><br />

    変電所
    27.5万Vの送電線が伊勢・四日市方面に伸びています。
    一般的な火力発電所などの大規模電源の電気は消費地に向けて送られていますが、尾鷲三田火力発電所は地元にも供給されていました。
    このため、このような大きな変電所が残されたのでしょう。
    また、送電線は電源開発会社の池原発電所にも伸びています。

  • シーバース跡です。<br />尾鷲湾付近一帯は志摩半島から続くリアス式海岸なので、水深が深く大型タンカーが入船出来ました。<br />尾鷲に大規模な火力発電所が立地した理由の一つでしょう。<br />

    シーバース跡です。
    尾鷲湾付近一帯は志摩半島から続くリアス式海岸なので、水深が深く大型タンカーが入船出来ました。
    尾鷲に大規模な火力発電所が立地した理由の一つでしょう。

  • パイプラインは撤去されています。<br />かつては発電所の南西に多くの石油タンクが並んでいましたが、今はすべて撤去され更地になっていました。<br />

    パイプラインは撤去されています。
    かつては発電所の南西に多くの石油タンクが並んでいましたが、今はすべて撤去され更地になっていました。

  • 揚油桟橋は残されていました。<br />これらの設備は中部電力の関連会社である東邦石油が担っていました。<br />東邦石油の基地は尾鷲だけでした。<br />

    揚油桟橋は残されていました。
    これらの設備は中部電力の関連会社である東邦石油が担っていました。
    東邦石油の基地は尾鷲だけでした。

  • 今夜の宿は、尾鷲市内の「ホテルビオラ」です。

    今夜の宿は、尾鷲市内の「ホテルビオラ」です。

  • ロビー<br />ビジネスホテルですが、広めです。<br />

    ロビー
    ビジネスホテルですが、広めです。

  • 部屋はツインベッドです。<br />ベッドが大きくゆったりしていました。<br />

    部屋はツインベッドです。
    ベッドが大きくゆったりしていました。

  • ユニットバス

    ユニットバス

  • 夕食が無いので、市内で頂きました。

    夕食が無いので、市内で頂きました。

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