2023/06/26 - 2023/06/29
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6月26日~29日にかけてトラピックスツアーで岡山、島根、鳥取を旅行してきました。
ミステリーツアーという行き先が事前に知らされないツアーなので何の知識もないまま出発しました。
①6月26日(月)
自宅→静岡駅7:18→11:06岡山駅→吉備高原リゾートホテル(「ジャパンレッド膳」の昼食)→吹屋ふるさと村→玉造温泉(湯之助の宿 長楽園泊)
②6月27日(火)
ホテル8:30→日御碕神社→出雲大社→松江フォーゲルパーク→堀川めぐり→城下町自由散策→玉造温泉(湯之助の宿 長楽園泊)
③6月28日(水)
ホテル8:00→足立美術館→由志園(昼食)→水木しげるロード→堺港(買い物)→皆生温泉(皆生つるや泊)
④6月29日(木)
ホテル8:00→木矢沢渓流→蒜山高原センター(各自昼食)→神庭の滝→新大坂駅19:51→22:19静岡駅→自宅
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 観光バス 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
6月26日(月)
静岡7:18発のこだま767で名古屋駅へ。 -
名古屋駅でひかり501に乗り換えました。
京都駅を通過したところで、東寺の五重塔が見えています。 -
11:06岡山駅に到着しました。
ここからはバスで観光します。 -
岡山道を総社市方向へ進みます。
雨が降り出しました。 -
吉備高原リゾートホテルで「ジャパンレッド膳」の昼食です。
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食事場所に岡山県加賀郡吉備中央町で生誕した岡崎嘉平太記念館がありました。
厳しい労使紛争のなかでの企業再建や、全日空の前身となる会社の設立に携わり、日本の航空事業の発展に尽くした実業家だそうです。 -
岡山県高梁市にある吹屋ふるさと村に到着しました。
吹屋は標高約500mの高原上に出現する赤い町並みです。
かつては弁柄と銅(あかがね)生産で繁栄した鉱山町でした。
吹屋で生産された赤色顔料の弁柄は全国の社寺建築や九谷焼や輪島塗等に使われ、「ジャパンレッド」と呼ばれる日本のイメージカラーを生み出しました。 -
江戸末期から明治にかけ、吹屋の長者達は赤い瓦と弁柄で彩色された格子で家を作り、独特の町並みを作り上げました。
吹屋の特異な点は、個々の屋敷が豪華さを纏うのではなく、旦那衆が相談の上で石州(今の島根県)から宮大工の棟梁たちを招いて、町全体が統一されたコンセプトの下に建てられたという先進的な思想にあります。 -
自由散策となり、メイン通りを歩きます。
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旧片山家。
片山家は、1759年の創業以来、200年余りにわたって吹屋ベンガラの製造・販売を手掛けた老舗です。
その家屋はベンガラ屋としての店構えを残す主屋とともにベンガラ製造にかかわる「弁柄蔵」をはじめとする付属屋が建ち並ぶ「近世ベンガラ商家の典型」として評価され、2006年に国の重要文化財に指定されています。 -
旧片山家の内部を見てみます。
ここは炊事場かな。 -
昔のベンガラの製造の様子を描いた絵や表彰状などが展示されていました。
ベンガラは昔は「紅柄」と表記されていたようです。 -
本山山神社。
本山山神社の創建は不詳ですが1765年に吉岡銅山の水抜きが完成した時から1770年に手水鉢が寄進されている間に勧請されたと推定されています。
江戸時代末期には宮大工によって本殿が再建されています。
1972年に廃山になると衰微し御神体が高草八幡神社に移されています。 -
こちらの郵便局は1875年に開局したらしいです。
しかし、現在は使われておらず隣に新しい郵便局があります。 -
こちらが新しい郵便局。
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ベンガラ紙工房や土産屋・喫茶店が並ぶメイン通り。
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吹屋小学校校舎。
明治時代に建築され2012年の閉校まで「現役最古の木造校舎」として使用されていたもので、岡山県指定重要文化財に指定されています。
吉岡銅山本部跡地の寄付を受けて1900年に東西2棟の平屋校舎、1909年に二階建ての本館が建てられました。
洋風の本館の左右に和風建築の東西校舎が並び立つ、当時としては珍しい和洋折衷のモダンな建物で町予算の数倍という巨費を投じて建築されました。
当時の吹屋は吉岡銅山とベンガラの生産で繁栄しており、1918年には最大369名の生徒が在籍していました。 -
吹屋小学校は高台にあり、戻る道から見た町の様子です。
赤銅色の屋根が目立ちます。 -
赤銅色の石州瓦とベンガラ色の外観で統一された古いい町並み。
「紅商店」には柚子胡椒などが売られていました。 -
再びバスで日本海側の米子方面に向かいます。
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島根県松江市にある長楽園に到着しました。
長楽園は明治元年の創業以来、令和5年(2023年)に創業155周年を迎えた旅館です。
こちらの宿に2泊します。 -
夕食。
面倒なビュッフェでなく、落ち着いて食事ができます。 -
後から、あかむつの塩焼きと茶碗蒸しが出されました。
熱々で出してくれるのはありがたいです。 -
6月27日(火)
ロビーで朝食時間まで待っています。 -
ロビーに飾られてあった棟方志功の絵。
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朝食。
朝食もビュッフェでなく良かったです。
落ち着いて食事が出来ます。 -
8:30ホテル発。
宍道湖(しんじこ)を見ながら進んでいきます。 -
夕日にちなんだ社である「日沉宮(ひしずみのみや)」が祀られている日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)に到着しました。。
島根半島西端の日御碕に鎮座する古社で、厄除けや縁結びをご利益としています。
日御碕神社は、天照大神を祀る「日沉宮(下の宮)」と素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀る「神の宮(上の宮)」からなります。 -
日御碕神社は、戦国時代以降、朝廷や幕府、大名から崇敬を集め、寄進された宝物は社宝として現在まで数多く伝えられています。
主なものとしては国宝の「白糸威鎧(しろいとおどしよろい) 兜・大袖付(かぶと・おおそでつき)」をはじめ、重要文化財「藍韋威腹巻(あいかわおどしはらまき)」があります。
さらに貴重な古写本として県の文化財に指定されている尾張藩主・徳川義直寄進の『出雲国風土記(日御碕神社本)』などがあります。 -
現在の社殿は、江戸幕府3代将軍・徳川家光の命により、1644年に建立されました。
本殿が幣殿(へいでん)を挟み、拝殿に続く権現造で、同じく家光により建てられた日光東照宮と同じ構造です。
朱塗りの社殿で、蟇股(かえるまた)などの彫刻や彩色も鮮やかです。
江戸時代初期の貴重な建築として、1953年に社殿及び石鳥居が重要文化財に指定されています。 -
楼門の正面には下の宮「日沉宮」があります。
日沉宮拝殿は、日御碕神社社殿の中で最大の建物です。
内部は上段の間と下段の間に分かれており、古文書によれば上段の間はかつて「神楽所」と呼ばれていたとされます。 -
日沉宮は今から約1000年前(948年)にウミネコ繁殖地として有名な経島(西に向かって200m)から遷されました。
日御碕神社は海に近く、風の影響を多く受ける立地であるため、これまでに幾度となく塩害や大風の被害を受けてきました。
専門家には、日本で最も過酷な場所にある国指定建造物であると言われています。 -
神の宮(かんのみや)拝殿。
奥に本殿があります。
素盞嶋尊を祀り、背後の隠ヶ丘から遷されたものです(安寧天皇の13年)。
歴史をたどると、「出雲国風土記」に「美佐伎の社」、「延喜式」に「御崎社」と記されている古社です。 -
現在の社殿は、日沉宮、神の宮ともに背後には丘陵があり、高低差のある地形を巧みに利用して建てられています。
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和布刈(めかり)神事の様子。
「成務天皇6年1月5日の早朝、一羽のウミネコが海草を日御碕神社の欄干に3度掛けて飛び去った。不思議に思った神主がそれを水洗いして乾かしたところ、ワカメになった」という故事にならって行なわれる神事です。 -
日本海を見ながら近くにある出雲大社に向かっています。
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出雲大社に到着し、自由行動となりました。
出雲大社は「縁結びの神様」として大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)」を祀っています。
大国主大神は、幾多の困難を越えて国土を開拓した国造りの神であり、さらにその国土を天照大御神に譲った国譲り神話でも知られています。
出雲大社は、国譲りの代償として造営されたのが起源とされます。 -
出雲大社の主祭神である大国主大神と因幡の素兎(いなばのしろうさぎ)がモチーフとなった大黒様とウサギの青銅の像がありました。
大黒様が大きな袋を背負いながら因幡の国へ赴かれている途次、赤裸となって苦しみ悩んでいるウサギに出会い治療したという「因幡の素兎」の古事記に記された話によるものです。 -
銅鳥居は出雲大社の神域の荒垣正門に建ちます。
鳥居は神域への入り口を示すもので、人が住む俗界との区切りとされています。
この碧銅の鳥居は、1666年6月に毛利輝元の孫、綱広の寄進になるものです。 -
現在の拝殿は1963年に新築され、大社造と切妻造の折衷様式で戦後最大の木造神社建築といわれています。
通常はここで参拝者の祈祷や、古伝新嘗祭(こでんしんじょうさい)をはじめとした様々な諸祭事が行われています。 -
本殿は中央の八足門(やつあしもん)、右手の観察楼の奥にあり屋根だけ見えています。
平成の大遷宮で、御本殿の大屋根や千木(ちぎ)などが新装されました。 -
境内のすぐ後ろには八雲山の森が続いています。
八雲山は禁足地であり、一般の人は入ることができない聖域となっています。
八足門の右前には平成の大遷宮神饌料謝礼の献辞があります。
天皇や皇族が神饌料を2008年からの平成の大遷宮時に支払ったらしいです。 -
大国主大神の鎮まる御本殿。
出雲大社御本殿と八足門の周囲は瑞垣で囲われて入場出来ないので、観光客は八足門で参拝しています。
正月三が日は八足門が開放されて、御本殿を囲む瑞垣(みずがき)の楼門前まで入ることができるそうです。 -
八足門から中には入れないので、八足門の所から楼門と神饌所を眺めます。
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出雲大社十九社の奥で木立に守られるようにたたずむ彰古館。
1914年に出雲大社全体の宝物館として造られたものです。
大国様、恵比寿様がずらりと並ぶほか、神楽用の笙やひちりきなどの楽器類、神社に伝わる古文書類も多数展示しています。 -
正面奥に宝庫、そこから(北)氏社、(南)氏社(うじのやしろ)と続いています。
氏社(北)の御祭神は天穂日命(あめのほひのみこと)で天照大御神の第二子、出雲國造の始祖であり、大国主大神の祭祀を司り出雲大社の宮司家として今日に至っています。
氏社(南)の御祭神は宮向宿禰(みやむきのすくね)で天穂日命(あめのほひのみこと)より十七代目の神裔で允恭天皇の元年はじめて國造出雲臣の姓(かばね)を賜りました。 -
本殿を中心として東側と西側に細長い社 十九社(じゅうくしゃ)があります。
これは出雲大社の独特な社で、毎年旧暦10月は全国の神々が出雲へ集まって留守になるため、一般的には神無月と呼ばれますが、出雲地方では神在月と呼びます。
十九社はこの神在祭の間(旧暦10/11~17)神々の宿となり、全国の神々にお参りできるとあって、神在月には十九社の前にも行列ができます。 -
瑞垣越しに見る本殿は高さ約24m、厚い桧皮葺きの屋根の上には、長さ7.9mの二組の巨大な千木が交差しています。
切妻、妻入りの構造で、九本の柱が田の字型に配置された正方形の間取りとなっていて、中心には心御柱があります。
平安時代には本殿は高さ約48mあったと伝えられてきましたが、当時の技術では不可能ではないかとも言われてきました。
しかし2000年に本殿の南側で鎌倉初期の造営と推定される三本一組の巨大な柱根が発掘され、巨大な神殿の存在を裏付ける発見となりました。 -
本殿は1744年に再建され、平成の大遷宮で大屋根や千木などが新装されました。
御神体は稲佐の浜のある西の方角を向いて鎮座されており、本殿正面からは神様を横から参拝する形になります。
神座は本殿と同じ南向きではなく、西向きに鎮座されています。
したがって、神座正面に当たるこちら側から最後に拝礼します。 -
荒垣の外に出て、素鵞川を渡って神楽殿に向かいます。
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神楽殿は本来、千家國造家(出雲大社宮司家)の大広間として使用され、「風調館」と呼ばれていました。
明治時代からは出雲大社教の神殿としても使用され、御祈祷や結婚式をはじめ様々な祭事行事が執り行われています。 -
神楽殿正面の大しめ縄は長さ約13m、重さ5.2tもあり、日本最大級の大きさです。
出雲大社では、古くから向かって左方を上位、右方を下位とする習わしがあるため、しめ縄のかけ方が一般的な神社と逆になっていることが特徴的です。
この大しめ縄は数年に一度、新しいしめ縄へと懸け替えられるそうです -
千家國造家永職館前に置かれた2羽のうさぎの石像。
「因幡の素兎」がモチーフとなったウサギの青銅の他、現在66羽のウサギの石像があるそうです。
白うさぎは大国主大神と八上姫(やかみひめ)の仲を取り持った、縁結びのシンボルとして人気者です。 -
神前結婚式を行う結婚式場。
式は平素祈祷などを行う神楽殿、またはおくにがえり会館2階の結婚式専用の神殿で行われるそうです。 -
出雲大社に奉仕される出雲國造が住むのが國造館です。
國造館にある斎火殿は國造家の潔斎所(奉仕するにあたって身を清める所)です。
國造代替り毎に火きり臼、火きり杵によって神火がおこされ、一度鑽りだした火は斎火殿の中にあって、その國造在世中は絶やしてはならないとされています。 -
祖霊社。
人々が亡くなった後、その御霊が家の守護神として鎮まって戴けるよう葬祭(葬式)を行い、御霊に安らかに鎮まる時の追遠のお祭り(仏教での法事)を行う処として建てられました。 -
島根半島宍道湖北岸の出雲縁結び街道(R431)を走って、次の観光場所へ進みます。
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花と鳥のテーマパークである松江フォーゲルパークに到着しました。
宍道湖を望む丘陵地にあり、2つの鳥温室と花の展示温室など様々な施設が屋根付き回廊でつながる全天候型のテーマパークです。
大輪のベゴニアが綺麗な「センターハウス」から見ていきます。 -
花の展示温室は国内最大級の規模で、ベゴニア・フクシアをはじめ、コリウス・ブルグマンシア・ゼラニウムなど約1万株の花々が一年中満開に咲き誇ります。
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広い園内は屋根付きの歩廊で結ばれていて、標高53mの「くにびき展望台」からは、宍道湖を眺められます。
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水鳥が住む鳥舎(Waterfowl Aviary)に来ました。
水辺に住む、美しい羽を持ったたくさんの水鳥たちを目の前で見ることができます。こちらは美しいホオジロカンムリヅル。 -
ウォーターフォール・エイビアリー(水鳥温室)はたくさんの水鳥たちが住む温室。
多くの水鳥たちを身近に見ることができます。 -
枝に止まっている多くのショウジョウトキ。
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ペンギンプールではペンギンのお散歩メンバーが仲良く暮らしています。
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芝生広場で行われるバードショー。
小動物や虫類を獲る大型のタカ「ワシノスリ」が鋭い爪で獲物に飛びかかる豪快な狩りが魅力です。 -
のんびり歩いているマガモ?
タカの獲物になるのかと思いましたが、違いました。
そんな残酷なショーはやらないようです。 -
松江フォーゲルパークを出て、松江市内に入りました。
宍道湖の東端、大橋川をはさんで位置する「水の都」松江も、かつては白潟郷と末次郷からなる寒村にすぎませんでした。
毛利氏支配下の出雲国に堀尾吉晴が1611年築城し、松江の開発がはじまります。
その後は京極氏が継承し,1638年に松平直政が信州松本から18万6千石をもって襲封。
その後は松平氏10代‐230余年の長きにわたり城下町松江として栄えました。 -
予定には無かったのですが、添乗員の提案で堀川めぐりをすることになりました。
松江城築城時に造られた城を囲む堀を、屋根つきの小さな船でゆったり遊覧します。
四季折々の自然と江戸時代の風情を味わいながら船の上からの景色を楽しむことができます。 -
遊覧船は大きく分けて3つのエリアを運航します。
空と森だけを映し出し静かにゆれる水面を見ながら進む「自然地区」。
亀田橋が見えています。 -
待ち構えるは個性豊かな17の橋。
高さが低いうべや橋に差し掛かると船の屋根が下がります。
船の屋根を下げないと通過できない低い橋が4箇所あり、名物の「屋根下げ」が体験出来ます。 -
甲部橋でも船の屋根が下がり、身を屈めます。
レトロモダンな建物が立ち並び、ちょっぴり懐かしさも 感じられる松江の中心、「市街地区」。 -
マンゲキョウという種類のあじさいが咲いています。
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遊覧船から見る松江城。
松江のシンボル松江城は、全国で現存する 12 天守のうちのひとつで、国宝です。
川面から城下町の風情を感じることができます。 -
新米子橋でも身を屈めて通過します。
船頭さんがガイドしながら良い声で歌ったりしてくれます。 -
国宝松江城をはじめとして、 石垣や武家屋敷など昔の日本の姿をそのまま残す「歴史地区」。
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船を降りた後、松江市内を自由散策します。
江戸時代、雲州と呼ばれた出雲国の中心地松江は、松江城天守をはじめ造成当時の掘割やまち並みを今に残す城下町です。 -
国指定史跡 小泉八雲旧居から見ていきます。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は1890年8月には松江にある島根県尋常中学校に英語教師として赴任します。
さらに熊本第五高等中学校、神戸クロニクル社の勤務を経て、1896年9月から帝国大学文科大学講師として英文学を講じます。
1903年には帝大を解雇され、後任を夏目漱石に譲り、早稲田大学で教鞭を執ります。 -
小泉八雲記念館。
小泉八雲は1896年に松江の士族の娘、小泉セツと正式に結婚し、日本に帰化します。
文学者としての八雲の功績は広範囲に渡り、翻訳(フランス文学の英訳)、紀行文、随筆、文芸批評、民俗学などの分野で多くの作品を残しています。
特に「耳なし芳一」や「雪女」などの怪談の著者として知られます。
八雲は、当時の西洋人としては珍しいほど日本に対する偏見がなく、むしろ好意的な目で当時の日本を世界に紹介しました。
1904年9月26日心臓発作で54歳の生涯を閉じました。 -
道を渡ったところに小泉八雲の像がありました。
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田部美術館は日本の茶の湯文化が盛んな松江の地に、田部家伝来の美術品の寄贈を受け、田部長右衛門朋之氏により設立され、1979年11月3日に開館しました。
江戸時代の松江藩7代藩主であり大名茶人の松平不昧公ゆかりの茶道具や、楽山焼や布志名焼をはじめとする出雲地方の美術工芸品が主なコレクションです。
季節に合わせた茶道具や、出雲地方の美術工芸品を紹介展示しています。 -
田部家の第23代当主田部長衛右門朋之氏は政治、経済および芸術を含む多くの分野において著名であり、島根県知事、島根新聞社の社長を歴任しました。
陶磁器、絵画の分野においての芸術家であり、「松露亭」の号をもっていました。
田部氏の美術品は多くの人々に鑑賞されるべきだとの願望で、約600年に亘り田部家が収集した美術品を公開するために財団を設立いたしました。
この美術館は氏の遺志を継ぎ、美術品を社会に公開し、文化の振興に貢献することを目的として運営されています。 -
松江歴史館は敷地面積約5,500m?、延床面積約4,200m?、中心施設である『本館』と、市指定文化財『松江藩家老朝日家長屋』、館の入口として新設する『長屋門』などの建物で構成され、屋外には日本庭園も設けています。
『本館』内には松江の歴史・文化について紹介する『展示エリア』、各種講座やくつろぎのスペースとなる『体験・交流エリア』、歴史資料の調査研究や収蔵などをおこなう『調査研究・管理エリア』があります。 -
松江歴史館は武家屋敷をイメージした和風の外観で、外壁は、松江城の堀や櫓にも見られる「漆喰塗り」と「下見板張り」です。
屋根には、約6万枚の「いぶし瓦」が載ります。
また館の周囲に残る江戸時代からの石積み水路なども整備しています。 -
出雲そば処 八雲庵。
出雲割子そばは日本三大そばの一つです。
朱塗りのおわんに重ねて盛り、薬味をのせ、辛口のそばだしを注いで食べる甘皮ごとひきこんだ香りの強い冷たいそばです。
お弁当箱のように外に持ち運んで食べたともいわる出雲地方独特のそばです。 -
武家屋敷は、主屋、長屋門・塀などからなり、江戸期の面影を今に伝えています。
塩見縄手の名前の由来となったとされる塩見小兵衛も住んだ屋敷で、500~1,000石程度の藩士が屋敷替えによって入れ替わり住んでいました。
現屋敷は1733年の焼失後に再建され、主屋はその後も幾度かの増改築を経ています。
2016年度から3カ年に及ぶ保存修理工事において、解体調査や資料調査により明らかとなった明治期の図面をもとに復元されました。
築山式の庭園は、飾りを省いた素朴なつくりで、質実剛健の気風がうかがえます。 -
松江城は全国に12城しか残っていない現存天守の1つです。
現存天守は江戸時代またはそれ以前に建てられ、現代に姿を残す特別な存在です。
その中でも、1611年完成の松江城天守は、彦根城、姫路城と並び、近世城郭最盛期を代表する天守として2015年に国宝に指定されました。
石垣は「野面積み」と「打ち込み接ぎ」(全体の6割)という石積み手法で、築城工事にあたって、全体の半分以上の労力を要したと云われています。
松江城は5年間で完成しましたが、そのうち3年間を石垣に費やしました。 -
鯱は木彫り銅板張り、向かって左が雄で鱗が荒く右が雌です。
高さは2.08mあり(雄)、日本現存の木造のものでは最大です。
最上階の5階は手すり(高欄)を巡らし、壁のない360度展望の望楼となっています。
三層の中央に配置されている花頭窓は禅宗寺院の窓の意匠が始まりといわれ、飾りの一種である釣り鐘型の窓です。
天守入口の防御のためにとりつけた附櫓は入ると枡形の小広場が二段あって、侵入しにくいようになっていて、石落とし、鉄砲狭間を備えています。
また城の大部分が湿気防止の為、下見板張りという黒い雨覆板で覆われています。
石垣は石の大きな部分を内に、小さな面を表に出す牛蒡積みで仕上げられています。
石組にしてはもっとも頑丈な積み方で、400 年を経ても崩れず現存しています。 -
松江神社。
旧松江藩の人々が藩主松平直政公の遺徳を称え、1877年に松江市郊外西川津楽山(現在松江市西川津町)に社殿を創建し、楽山神社として県社とされました。
朝酌村西尾(現松江市西尾町)に鎮座の東照宮を合祀し、1899年現在地に移転、社名を松江神社と改め、1931年に松江藩第7代の松平治郷(不昧)公と、松江開府の祖堀尾吉晴公の神霊を配祀し今日に至っています。
社殿は、元東照宮の旧社殿を移し建立したもので、権現造りとなっています。 -
興雲閣は、松江市工芸品陳列所として1903年9月に完成した建物です。
装飾・彫刻を用いた華麗な 仕上げで、1907年皇太子嘉仁親王の宿泊所となりました。
その後、1973年からは「松江郷土館」として活用してきましたが、2011年3月に閉館し、階段室を移設して現在の形態に復原するとともに、2013年度から2015年度にかけて保存修理工事を行いました。
現在は歴史に関する展示コーナーと喫茶店があります。 -
松江城 南櫓。
二ノ丸の南東角に設けられた2階建ての櫓です。
明治維新の際に取り壊され、現在の櫓は昭和時代に再建されたものです。 -
松江城 三之丸跡。
江戸時代には藩主のための御殿が建っていました。
現在は島根県庁が建っています。
南側に松平直政公の像がありました。
これで、自由散策を終えて、バスへ戻ります。 -
連泊なので、また長楽園へ戻ります。
戻る途中、バスから見えた白潟公園は、宍道湖大橋南側にあり、松が多く植えられた和風調の公園です。
かつて灯台として使われた「青柳楼の大灯籠」が立ち、和の風情が漂います。 -
宿に戻ってすぐに夕食です。
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揚げたての天麩羅の後、ご飯と吸い物とデザート。
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6月28日(水)。
綺麗に手入れされた旅館の庭園です。
庭園は約1万坪の広さがあるそうです。 -
朝食。
品数が多く、しじみの味噌汁が美味しかったです。 -
3日目。
最初の観光は足立美術館です。
足立美術館は1970年、地元安来出身の実業家、足立全康によるものです。
足立全康が蒐集した横山大観、竹内栖鳳、橋本関雪ら近代日本画コレクションを始め、院展作家を中心とした現代日本画、陶芸、彫刻などの作品を所蔵しています。
横山大観のコレクションは120点を数え、質量ともに日本一と評されています。 -
また、料理人としても名を馳せた北大路魯山人の陶芸作品、林義雄、武井武雄らの童画も展示しています。
「白砂青松庭」は横山大観の名作「白沙青松」をイメージした庭で、白砂と松のコントラストが印象的。
残念ながら、絵画などの美術品はすべて撮影禁止でした。 -
池庭。
石橋から右の部分は、一番古く1968年頃から作庭されたものです。
煎茶室「清風」と松江市より譲り受けた多行松が並んでいます。
池の水は地下水を使っているそうです。 -
「生の掛け軸」という仕掛けがありました。
床の間の扉から庭が見えるという仕掛けです。 -
歩き疲れたので、池庭に囲まれた喫茶室 大観でケーキセットを味わいながら、休憩しました。
小さなケーキとコーヒーで1,100円(税込)で客がほとんどいないのも納得。 -
しばらく喫茶室から庭園を眺めて、時間を潰しました。
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足立美術館を後にして、中海沿いの道を走って行きます。
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松江市から車で約30分、中海に浮かぶ大根島(だいこんしま)は、約20万年前の噴火によって形成された火山島です。
かつては船でのみ渡ることができた小島ですが、現在は本土とは陸路で繋がっていています。
この島の約1万2000坪の敷地に、池を中心に、滝や枯山水庭園などを配した「日本庭園 由志園」があります。 -
まずは、由志園内の食事処で蟹しぐれごはん の昼食です。
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食後は各自で庭園を見て回ります。
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由志園の庭園は1970年に第一期工事を開始し、造成を重ねて現在では約1万2千坪(4万平米)の池泉廻遊式日本庭園となりました。
奥出雲の鬼の舌震、斐伊川の豊かな流れ、宍道湖の水面、中海の岩礁や水面に映る
霊峰大山など、庭園各所で出雲の風景を模した出雲の國の箱庭です。 -
竜渓滝は落下する水流を二分する水分石が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)が川を昇る姿のように見える迫力の滝です。
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通年で牡丹が見られる「牡丹の館」。
大根島に牡丹が伝わったのは江戸時代中期に大根島にある全隆寺の住職が、遠州(静岡県)の秋葉山から薬用として持ち帰り、境内に植えたのが最初とされています。 -
開花調整の難しい牡丹を温度、湿度、日照管理に細心の注意を払って一年中大輪の牡丹を咲かせているそうです。
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左手に牡丹の花を携えた「牡丹観音菩薩」。
戦後、全国各地を牡丹の行商に歩き回った島の女性たちへの感謝の気持ちと功徳を讃えて初代園主の門脇栄が建立しました。 -
池泉に架かる風雅な赤橋。
橋の朱色が緑の彩りの中で際立っています。 -
枯山水庭園は湖岸の風景を模した庭です。
黒松は「新田松」を、島石は湖面に顔を出す岩肌を表現しているそうです。 -
6月上旬~8月下旬にかけて、ドライミストの噴霧を実施しています。
霧の中を歩いているような幻想的な景色が見られます。 -
池に蓮の花が綺麗に咲いていました。
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中島千波の富貴花瞥艶という名の絵。
中国が原産である牡丹は、その豪勢な花姿から「花王」もしくは「富貴花(ふうきか)」と呼ばれ、富貴と栄誉の象徴として親しまれています。 -
由志園門前に大根島で栽培された雲州人蔘を集荷・加工・販売する「牡丹と雲州人蔘の里」があります。
まちの駅としても機能しています。 -
雲州人蔘ミュージアムは雲州人蔘の歴史を「松平治郷が成功させた人蔘」、「江戸から続く伝統的な栽培」、「御種人参の加工と製品化」の3部構成で紹介しています。
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由志園を出て、水木しげるロードへ向かいます。
テレビCMで登場した「ベタ踏み坂」と名付けられた「江島大橋」は、島根県松江市八束町から鳥取県境港市渡町へ中海をまたいで結ぶ、日本一のPCラーメン橋です。 -
ある場所から、望遠レンズで撮映するとすごい急坂に映るようです。
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江島大橋は全長1,446.2メートルで、5千トン級の船が下を通れるよう最上部は高さ約45メートルに達します。
橋の上から中海の眺め。 -
境港駅から「水木しげる記念館」まで、1993年に誕生した妖怪のブロンズ像が立ち並ぶ全長約800mの水木しげるロードに到着。
「ゲゲゲの鬼太郎」の作者・水木しげるの故郷であり、妖怪の街、鳥取県・境港市にある水木しげるロードには177体の妖怪ブロンズ像、妖怪神社などがあります。
最初に注目したのは「ゲゲゲの鬼太郎」の主人公の「鬼太郎」とその父親である「目玉おやじ」。 -
寝そべっているねずみ男は不潔で、ものすごく臭いらしい。
金もうけのためなら平気で仲間を裏切るが、何故か憎めないキャラクター。 -
豆腐小僧。
手に持ったお盆に豆腐を載せ、大きな笠をかぶった子供の姿をしています。
この豆腐を食べてしまうと、体にかびが生えてしまうらしいです。 -
こなきじじい。
漫画「ゲゲゲの鬼太郎」では鬼太郎の仲間として登場します。 -
妖怪神社は、2000年1月1日午前0時に落成入魂式を行い創建されました。
1999年の年末から、2000年の年始にかけて『妖怪神社落成法要式典』が行われ、全国からたくさんの人や妖怪が集まりました。
妖怪神社には、水木しげるロードにいる妖怪たちのふるさとして、また妖怪達が住みやすい自然環境を守り育てるための≪妖怪の郷≫の意が込められています。 -
汚水桝の蓋にも妖怪が描かれています。
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雪女は主に豪雪地方の雪の降る夜に現れる顔の白い女の妖怪。
言葉を交わすと食い殺されてしまうといいます。 -
「河童」は全国各地に出没する水の妖怪。
カッパ、ガタロ、カワワロというように土地ごとに名前があり、姿の特徴も細かい部分では異なります。
共通した特徴は、相撲が大好きで、馬を川に引きずりこむいたずらをします。 -
大漁市場なかうらで海産物のお買い物。
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全長7.7メートル重さ約90トン白御影石の巨大石像「がいな鬼太郎」が市場の前に立っています。
「がいな」とはこの辺りの方言で「おおきな」という意味だそうです。
頭の上には目玉おやじ、左手には鳥取特産の松葉ガニを抱えています。 -
ねずみ男の等身大石像とは、握手が出来るようになっています。
しかし、コロナが怖いので写真を撮るだけにしておきます。 -
市場では美味しそうな生牡蠣が並んでいました。
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思わず、生牡蠣を一つ賞味しました。
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美保湾に面した弓ヶ浜半島の東端に、皆生温泉があります。
皆生温泉は、鳥取県の西の端、島根県と県境を接する米子市に位置し、日本海に面した海辺の温泉郷です。
1900年、皆生海岸の浅瀬に湧き出す熱湯を漁師が発見したのが始まりだそうです。 -
本日の宿泊は皆生温泉の皆生つるやです。
温泉は国引き神話で「黄泉がえりの湯」とも呼ばれ、皆生温泉の名前の由来「皆、生きる」にもなったといわれる素晴らしい泉質を誇ります。 -
部屋は和室で広かったです。
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ホテルの部屋から眺める米子市内。
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夕食は日本酒を飲みながら、ゆったりといただきます。
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鯛のかぶと煮が美味しかったです。
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ホテル内に地元作家の美術品のギャラリーがありました。
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6月29日(木)
美味しい朝食を食べて、最終日の観光に向かいます。 -
お菓子のテーマパーク「お菓子の寿城」で、買い物タイム。
店舗は、米子城をモデルに造られたものです。
瓦葺入母屋造りのお城は、天守閣の高さ27メートル、石垣約6メートル、屋根には105センチの立派シャチホコが設置されています。 -
奥大山の癒しスポット奥大山 木谷沢渓流(きたにざわけいりゅう)に到着。
講習を受けた地元のガイドが案内をします。 -
奥大山の清流に親しめる場所として人気のある自然歩道です。
ブナやミズナラの深い緑に包まれた神秘的な空間の中、水音が耳に心地良い。 -
長い年月をかけてできた苔とブナ林の自然に溢れた場所です。
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ヒルゼン高原センター・ジョイフルパークで各自昼食。
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バスから見えた真庭市蒜山ミュージアムCLTパビリオン「風の葉」。
東京・晴海に建設された隈研吾氏設計監修の「CLT PARK HARUMI」が真庭市蒜山高原に移築され、“GREENable”の想いを具現化する蒜山の新たな観光文化発信拠点施設として、生まれ変わりました。
真庭市産のCLT(直交集成板)を使った木製パネルを組み合わせたデザインは、蒜山の葉と森をイメージしています。 -
かつての出雲街道の宿場町で、三浦藩の城下町として栄えた岡山県真庭市勝山。
勝山の町並み保存地区をバスから眺めます。 -
ツアー最後の観光地、神庭の滝にやってきました。
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神庭の滝は「日本の滝百選」にも選ばれた、高さ110m、幅20mの中国地方随一のスケールを誇る名瀑です。
整備された遊歩道を約5分ほど歩いて滝下へ行けます。
断崖絶壁を流れ落ちる滝の風景に圧倒されます。
滝の中央には黒い岩が突起し、落下する水しぶきに逆らってのぼる鯉に似ていることから「鯉岩」と呼ばれています。 -
滝の特徴は落差の小さい滝が何個も点在する段瀑であるということです。
まさに自然が創り出した芸術です。
周辺の渓谷美が素晴らしく「日本百景」「日本の滝百選」に選ばれています。
また、当日は見かけませんでしたが、滝近くには200匹近い野猿がいるそうです。 -
中国縦貫自動車道を走っていきます。
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17:40に新大坂駅に到着しました。
新大坂駅のレストランで夕食を食べ、19:51のこだま760号で静岡駅へ。
静岡駅着は22:19分でした。
今回のツアーは内容盛り沢山でしたが、宿泊したホテルも良く、満足出来るものとなりました。
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