2023/10/17 - 2023/10/17
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ペコちゃんさん
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埼玉県の南東部に位置し、南側は荒川を挟んで東京に接する川口市・・・人口は約60万人で、さいたま市に次いで県内2位の大きな街です。
江戸時代には日光御成道の川口宿と鳩ヶ谷宿が置かれ、古くから鋳物の街として発展しましたが、これは
・荒川や芝川岸から鋳物に適した砂や粘土が採れた
・大消費地の江戸(東京)に隣接していた
・日光御成道や舟運によって原料・燃料・製品の運搬が便利だった
等の条件が揃っていたためで、1964年に開催された東京オリンピックの聖火台も川口の鋳物でした。
昭和37年(1962)に公開された吉永小百合・主演の日活映画『キューポラのある街』で一躍有名になった川口ですが、1970年代のオイルショックにより、川口の中心部にあった鋳物工場は移転・廃業し、その跡地には中高層のマンションなどが建ち並んで東京のベッドタウンとなり、現在はキューポラの面影はありません。
そんな、過去と現在の川口の街を歩いてみました。
写真は、国指定の重要文化財・旧田中家住宅。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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今回は池袋から埼京線に乗り、赤羽駅で埼玉高速鉄道に乗り換え。
かつての赤羽駅は高架でなく、朝のピークは駅付近の踏切は、まさに「開かずの踏切」でしたが、東北新幹線を上野まで開通させるため、1990年から約8年かけて駅の高架化工事を進め、1998年12月に完成しました。
現在は一番上(3階)を新幹線が快適に走っています。 -
赤羽駅から埼玉高速鉄道の赤羽岩淵駅までは、東口から歩いて約10分。
気楽に昼間から安く飲める「赤羽せんべろ」・・・呑ん兵衛には堪らない賑やかな飲み屋街を横目で見ながら進みます。 -
東通りに出て、見えてきたのは「カトリック赤羽教会」。
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麻袋などの製造をしていた日本製麻(現・帝国繊維)の赤羽工場の跡地に、1949年に建てられました。
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聖堂の内部は、高い天井と美しいステンドグラスが印象的です。
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アーケード型の商店街「LaLaガーデン 赤羽スズラン通り商店街」。
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赤羽岩淵駅の道路標識は見当たらず、代わりに歩道に小さくありました。
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1991年に東京メトロ・南北線の終点駅として開業した「赤羽岩淵駅」。
2001年に開業した埼玉高速鉄道の始発駅ともなり、相互直通運転を行っています。 -
埼玉高速鉄道は、赤羽岩淵駅と終点の浦和美園駅を除いて、中間の6駅は全て川口市にあります。
赤羽岩淵駅から1駅の川口元郷駅で下車。 -
川口元郷駅の地下通路の壁には、キューポラの街・川口を表す鋳造の作業風景が金属プレートに描かれています。
これは、足踏み式の大型フイゴ(たたら)で溶解炉に風を送っている『たたらふみ』。 -
(上の写真)伝統的に使われてきた溶解炉で、白石炭と銑鉄を交互に入れて溶解する『こしき溶解』。
(下の写真)溶けた鉄を「湯」と呼び、鋳型に流し込む作業を「湯入れ」と言う『鍋釜小物の鋳込み』。 -
(上の写真)炉から直接樋で「湯」を流し込む『大物の鋳込み』。
(下の写真)出来た製品のバリを取り、表面(鋳肌)を綺麗にする『仕上げ』。 -
<1>旧田中家住宅
田中家では、代々嫡男が家督を継ぎ「徳兵衛」を襲名してきました。
2代目徳兵衛は、大麦と豊かな地下水を利用して明治4年(1871)に麦麹味噌の醸造業を始め、その後の田中家発展の基礎を築きました。
この邸宅は、4代目徳兵衛(1875~1947)が築いた洋館と和館で、国の重要文化財に指定されています。 -
旧田中家住宅は、1923年に完成した木造煉瓦造3階の洋館と、1934年に増築された2階建和館の他、茶室・文庫蔵・煉瓦塀・池泉回遊式庭園で構成されています。
和館が建設された時期は、4代目徳兵衞が貴族院議員として政界に進出していた時期と同じであり、大勢の来賓を迎えて行事を行うため、洋館に増築して建設したものと考えられます。 -
西側中央の玄関を入り、奥にある券売機で入場券(210円)を買います。
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玄関を入った所は帳場になっており、ここで客を迎えて商売がなされました。
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帳場で受付の女性から、簡単な説明を受けます。
上部には、扉付きの神棚。 -
正面玄関の左にある応接室・・・少人数やちょっとした来客への接待はここで行われました。
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応接室脇の通用口・・・家人が使用する玄関で、ステンドグラスが飾られています。
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赤い絨毯が敷かれた重厚な階段を上って、3階から見学します。
階段の手すりには松カサのような彫刻が施されています。 -
3階を上った所にある「控えの間」・・・大広間におけるパーティなどの接客の際、控え室として使われました。
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迎賓のために、眺望を重視して3階に設置された「大広間」・・・窓からは味噌醸造蔵や芝川・荒川、晴れた日には富士山が眺められたそうです。
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漆喰の天井には、花弁をモチーフにしたゴージャスな照明。
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ゆったりとした応接セット。
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イオニア式の柱とグランドピアノ。
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洋館の北側に造られた蔵は、貴重な家財道具の保管場所でしたが、現在3階の蔵は常設展示室になっれいます。
旧田中家住宅がある南平地区では、江戸時代後期から昭和50年代まで麦味噌の醸造が盛んで、往時には市内に数蔵がありました。
「上田一(じょうたいち)」は、田中家の銘柄。 -
展示室では味噌の醸造過程を紹介する資料や当時の写真などが展示されています。
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洋館の2階には蔵・書斎・和室があり、和館は本格的な数寄屋風書院造りで、8畳の座敷、6畳の次の間、畳張りの広縁から成っています。
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ここは主人の「書斎」・・・窓は開放的な二重窓。
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菱形の中心飾りを持つ折り上げ格天井と、レトロモダンな書斎の照明。
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書斎から続くこの部屋は、洋館の中で唯一の和室・・・本格的な数奇屋風書院造りの和室で、主に接客に使われました。
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檜や屋久杉がふんだんに使われ、欄間は1階の和館と同じく、桂月山人画の彫り物です。
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和館の2階の客間・・・8畳の座敷と4畳の次の間があり、障子は桐柾目腰板付きで、左側の変わり組み子格子も素晴らしい。
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全ての和室の天井は屋久杉・・・見事な美しさです。
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2階の蔵のテーマは「人・歴史・文化」・・・田中家の歴史などがパネルで紹介されていますが、この写真は昭和23年に川口を視察した高松宮殿下が、旧田中家を訪れた時の写真です。
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1階の間取り図・・・数寄屋造りの和館には、10畳の仏間、12畳の次の間、14畳の座敷の3つの和室があり、細部にわたって凝った嗜好がみられます。
かつて田中家では、多い時には一度に70人程の来賓を迎え、フォーマルな行事を行ったと伝えられ、このため洋館にこの和館を増築しました。 -
太陽の光が燦々と降り注ぐ、庭に面した板張りの南側廊下・・・ここからの眺めは最高です。
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10畳の仏間・・・天井には屋久杉が使われていて、吊り照明も各部屋ごとに異なったものを使用しています。
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一番奥の座敷は、本格的な書院造り。
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床の間の床框は黒漆、桐の欄間や額は松林桂月作の水墨画が用いられています。
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庭園から見た和館。
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県下最大の味噌メーカーだった田中徳兵衛商店・・・昭和35年からは味噌の卸・販売へと転身し、昭和48年に味噌蔵などを一部取り壊して庭園と茶室を整備・・・2005年に6代目・田中徳兵衛が亡くなってから川口市が取得し、翌年から「川口市立文化財センター分館」として一般公開されています。
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和館や茶室から眺められるよう配慮された池泉回遊式庭園。
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立派な池や枯山水、灯篭・手水鉢などを配し、建物の重厚さを更に際立たせています。
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京都から職人を呼び寄せ、味噌蔵の建築材を一部用いて造られた「茶室」・・・8畳と小間の二つの茶室などがあります。
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旧田中家住宅から川口の中心街に向かいます。
この超高層ビルは、市内のどこからでもよく見える「エルザタワー55」。
1998年に日本ピストンリング川口工場跡地に建てられた55階のマンションで、高さ:185.8m、総戸数:650戸・・・埼玉県で最も高いビルです。 -
川口元郷駅まで戻り、右に曲がって伝右川に架かる「さくら橋」を渡りながら川を見ると、カメさん達がノンビリと甲羅干し。
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<2>錫杖寺
山門に着くと、丁度葬儀が終わったところ・・・これまで多くの寺を訪れましたが、葬儀と重なったのは初めて!!
錫杖寺は天平12年(740)に、行基よって開山された真言宗智山派の寺院・・・行基は聖武天皇の命により光明皇后の病の平癒のため当地にて草庵を結んだのが当寺の起源です。
かつての山門は嘉永5年(1852)の川口の大火により焼失し、現在の山門は宇都宮城の城門を移築したもの。 -
錫杖寺の御詠歌講・創立60周年を記念して建立された「かわぐち地蔵」・・・頭を撫でて、健康と学業を祈りましょう。
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鐘楼の前に立つ弘法大師像。
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寛永18年(1641)に奉納された梵鐘・・・川口の地場産業・鋳物工業の歴史の深さを象徴する作品ですね。
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境内に鎮座する「十三仏」。
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昭和50年(1975)に再建された本堂・・・かつての本堂は、徳川13代将軍・家定が寄進したものでした。
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本堂の扁額には、徳川家の三つ葉葵・・・江戸幕府2代将軍・秀忠が日光参拝の途中、錫杖寺を休憩所と定めて以来、これが吉例となって徳川家と深い関わりを持つことになりました。
3代・家光は昼食を摂り、4代・家綱は病気平癒祈願、8代・吉宗は鷹狩りでしばしば錫杖寺を訪問した記録が残っています。 -
内陣にも葵の御紋。
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<3>凱旋橋跡
錫杖寺の前にあるこの橋跡は、日露戦争終結の翌年の明治39年(1906)に挙行された川口出身兵士の凱旋祝賀会に際し、凱旋パレードの通過点として当時ここを流れていた錫杖寺杁(いり)用水に架設された石造アーチ型の凱旋橋の遺跡です。 -
<4>文化財センター
国道122号沿いのUR賃貸住宅の2階が展示室(入場料:100円)、3階は実習室・図書室になっています。 -
2階に上がると、大きな藁蛇が迎えてくれます。
ここは、川口の歴史と文化を学ぶコーナー。 -
江戸時代から続く「安行原の蛇造り」・・・川口市の東部にある安行原で、毎年5月24日に五穀豊穣・天下泰平・無病息災を祈願して行なわれる行事で、藁で全長10mほどの蛇(じゃ)を造り、御神木である大欅(おおけやき=現在は櫓)に掛け、最後に百万遍を唱えます。
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これは縄文時代の関東の海岸線と貝塚の分布を表した地図・・・川口の遺跡からは、旧石器時代から江戸時代までの長期間にわたる多様な出土品が発見されています。
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(上の写真)縄文時代の土器
(下の写真)弥生時代の土器 -
奥のコーナーは「川口の産業に関する展示室」。
砂型に入れて鋳造した鋳物のストーブ・・・最盛期には全国で使われる鋳物ストーブの8割が川口で作られていました。 -
これは「たたら祭りの山車」の飾り。
「たたら」とは、鋳物を造る時に風を送る「ふいご」のこと。 -
かつて別々に行われていた祭りをひとつにして、市民全員が参加できる祭りとして誕生したのが川口市の夏の恒例行事「たたら祭り」・・・今年は川口オートレース場で7月29日・30日の2日間、開催されました。
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これは「ロウ型造型法」で作られた美術鋳物。
ロウ型造型法は、蜂蜜の巣から作った蜜蝋をこねて作った模型に真土(鋳物土)を塗り重ね、乾燥後に加熱して蝋を溶かし、その空間に溶かした金属を流し込んで成形するもので、芸術的な表現に適した奈良時代からの伝統的な鋳造法です。 -
<5>増幸産業の大砲
増幸産業の敷地にある「18ポンドカノン砲」(全長:3.5m、射程距離:2,500m)・・・この大砲は幕末の嘉永5年(1852)に津軽藩の依頼により、川口の鋳物師・増田安次郎と、後の砲術奉行となった高島秋帆が協力し、当時不可能とされていた大型砲を鋳造しました。 -
嘉永5年から安政5年までの5年間(1852~1857)に、213門の大砲と41,323発の砲弾が作られ、諸外国から日本を守るため全国各地に配備されました。
これはレプリカですが、当時作られた大砲の一つがパリのアンバリッド軍事博物館に展示されているそうです。 -
<6>善光寺
建久8年(1197)に創建され、長野・甲府と共に三大善光寺の一つに数えられる真言宗智山派の寺院で、「一生に一度は長野の善光寺、一年に一度は川口の善光寺」と言われ、江戸時代は江戸庶民の参詣で賑わいました。
荒川の近くにありますが、改修中です。 -
これは改修前の写真ですが、現在進められている荒川のスーパー堤防工事が完成するのを待って本堂等の再築が予定されています。
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1970年代以降、JR川口駅の周辺には鋳物工場の跡地に高層マンションの建設が続いています。
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<7>川口神社
川口神社は天慶年間(940年前後)に大宮の氷川神社より分祀勧請し、「氷川社」としたのが創基と伝えらます。
明治になって町内の天神社・稲荷社(三社)・ 金山社を合祀し、明治42年(1909)に川口神社と改称し、川口市の総鎮守となりました。 -
毎年12月15日には「川口神社おかめ市」が開かれ、境内には熊手などの露店が並び、多くの人で賑わいます。
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神門は昭和18年の建立。
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神門をくぐると、右手に手水舎。
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神楽殿も昭和18年の建立。
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拝殿・幣殿は昭和4年、本殿は昭和18年の建立。
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拝殿前には狛犬が川口鋳物の天水桶と共に並んでいます。
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見事な彫刻の扁額。
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この神鏡は、享保18年(1733)に見沼の新田開発を担当した杉島貞七郎保英が氷川神社に工事の完成を祈願し、祈願が成就したことにより奉納されたものです。
直径30cm、厚さ0.5cmで、裏面には川口神社の旧名「氷川大明神」と三つ巴紋などが鋳出されています。 -
可愛い絵馬。
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金(かね)の祖神(おやかみ)「金山神社」・・・暦応年間(1338~1342)の創建と伝わり、江戸時代以降川口鋳物業の発展に伴い、鋳物師の「金山権現」として篤い崇敬を受けてきました。
かつては当地の南西約300mの地に鎮座していましたが、明治42年に当地に合祀されました。 -
戦後、川口神社の旧社殿を移築して、ご祭神・金山彦命(かなやまひこのみこと)の分霊を奉祀しました。
金山彦命は、日本の国土を創った伊邪那美命から生まれた鉱山や金属一切を司る神様で、鉄工業などに関する技工を守護する神とされており、山から物を産み出す神様であることから金運をもたらし、子授け安産の御利益があるとも言われます。 -
川口駅東口に到着・・・中央のビルは2021年に閉店した「そごう川口店」。
日本初の私鉄「日本鉄道」は、明治15年(1882)に川口~熊谷間で建設が開始され、翌年、上野~熊谷間が開通しましたが、当時の川口は東京との物流を荒川の舟運で行っていたため、「川口町駅」が開業したのは28年後の明治43年(1910)で、昭和9年(1934)の市制施行により「川口駅」となりました。 -
昭和49年に駅前の「キュポ・ラ広場」に設置された「働く歓び」像・・・鋳物の街・川口を象徴する像で、注湯作業に励む鋳物職人が鋳物と働くことの素晴らしさを表現しています。
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これがキューポラ・・・コークスの燃焼熱を利用して鉄を溶かす炉です。
かつて鋳物工場には、屋根の上に巨大なキューポラの煙突があり、川口の街の風景に溶け込んでいました。 -
〇〇会の仲間・8名で歩いた川口散策は、約14,000歩・・・爽やかな秋の一日でした。
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