2023/09/29 - 2023/10/01
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鯨の味噌汁さん
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9月29日から10月1日まで、四国の松山までかーちゃんと二人で野球を見に行った。
日本の独立リーグ優勝チームが糾合し、トーナメントで日本一を決める大会だ。全5地区から5球団、それに開催地枠を加えて6球団が参加。
わがBCリーグからは埼玉武蔵が出場する。
ワシは過去にBCリーグの職員だったので、リーグ戦を見物するとき特定の球団の応援はしない。
だがしかし、この大会は別。埼玉武蔵はBCリーグの代表であるから、遠慮なく応援できる。
知ってる人は知ってるが、野球の応援で飛んだり跳ねたりするのは楽しいのものなのである。
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- ジェットスター
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
とはいえ、3日で5試合、野球だけ見に四国まで行く、なんてのはほとんどキチ〇イの所業であって、カタギのかーちゃんにそれを課すのは不憫である。
よって埼玉武蔵が出場しない初日は自由行動とした。
ド安めのジェットスターで成田から出発。
写真は第三ターミナルのガラスにへばりつくカメムシである。ワシの足よりくさい数少ない生き物である。
田舎の旅館でうっかり窓を開けた海外客が、鼻つまんで部屋から逃げ出すのは秋の風物詩となった。(違う違う)
1時間西に飛び、松山空港。
ワシは空港からタクシーでまっすぐ「坊っちゃん球場」へ。
かーちゃんは今治城としまなみ海道を見物したいそうな。
夕方にホテルで落ち合うことにする。 -
10分ほどで坊っちゃん球場着。
この日は準々決勝が2試合だった。
カードは石狩(北海道代表)-愛媛、富山(日本海代表)-徳島(四国代表)。愛媛は開催枠での出場だ。
旅装のまま、ネット裏でじっくり見物する。
富山と徳島に「ドラフト確実」といわれる快速球投手がいるので、NPBのスカウトが目立つ。その数30人。
なじみの顔もいくつか。ドラフトまで一か月を切っている。うちの選手もよろしく頼んます。 -
試合は愛媛と徳島がそれぞれ勝ち上がった。
トーナメント方式なので負けたらおしまい。
富山はその日のうちにバスで帰っていった。
独立リーグはみんなギリギリの予算でやっているから「せっかく来たんだから道後温泉」なんてノリはない。シビアなのである。 -
帰りはJRを使う。
松山までひと駅なのだが、1時間に1-2本。
ちなみにJR四国はsuicaが使えない。とゆうか、関西・中部・関東のメジャーな交通系カード全部ダメとゆう潔さ。
とゆうわけで四国は日本のフリをした外国と判明した。 -
特急通過の後、各停が二両編成でやってくる。当然のようにワンマン運転。平日夕方のせいで学生さんが多く、乗車率はそこそこいい。
この駅は球場から徒歩3分、アクセスは抜群なのだが、駅の利用客は20人程度だった。地元の方々は車を使うのである。(だから場内のビールが売れない) -
JR松山駅を降りたら、バスロータリーに「道後温泉行」が停まっていた。
これ幸いと乗り込む。
だがしかし、これが失敗で、バスは大通りをそれ、市内の小道に入り込んでしまう。お客さんは地元民ばかり。
それでも車内に若くてきれいなお姉さんたちが増えてきたので「それもまたよし」と一人頷いていたら、「愛媛大農学部前」でお姉さんたちがいっぺんに下りていき、車内はすっかり寂しくなり、日も暮れてきた。
するとかーちゃんからLINE。
「今松山駅に着きました。ホテルに向かいます」
1時間バスに揺られてホテルに着いたら、かーちゃんがすぐに部屋に入ってきた。
バスではなく路面電車を使ったそうで、料金も時間もバスの半分だそうな。
どうりで降りるときバスの運転手さんが気の毒そうな顔をしていたわけだ。 -
宿は道後の坂上にある「道後山の手ホテル」。
いわゆるクラシックホテルだが一泊二人で2万円以下なので、ギリギリ鯨家の予算内だ。 -
ここのところの円安で、西欧だと2万円出してもバックパッカー御用達レベルだが、日本だときちんとした宿に泊まれる。
いまや日本は、先進国のなかで宿と食事は一番安い。外国人観光客がよろこんで来るわけだ。 -
このホテルは冠に「オールドイングランド」がついているので、ロビーの調度品もそれらしいグッズで埋まっている。小物の販売もしている。
ここに泊まってグッズ買って「ロンドンに行ってきました」なんてホラ吹くやつもいるんだろうなぁ。(⇒ボンビーな発想) -
「なんで松山でロンドンなんだろうねぇ」
するとかーちゃん
「夏目漱石がロンドンに留学してたからじゃないかしら」
あーなるほど。やや牽強付会な気もするが、当たりかもしれん。 -
朝はゆっくり起き、8時から朝メシ。
バイキングではなく、和洋食のどちらかを選ぶスタイル。われらジジババはこのほうがいい。
そもそもバイキングは本能でどんどん食ってしまい、テレビ東京大食い選手権みたいになり、あとでパンシロンなど飲むハメになる。 -
朝食会場は家族連れで埋まっていた。
礼服の紳士もいるし、かわいいドレスで着飾った少女もいる。
きょうは大安の土曜日。
きっとおそらく、結婚式が何組もあるんだろうな。 -
ロビーの朝刊をチェックする。
朝日・読売・毎日。
独立リーグ日本一決定戦の記事は、読売だけが大きく扱っていた。
ほかの2紙には一行も載ってない。
「やっぱ野球は読売だなー」
妙に納得する。
朝日毎日も結果くらい載せてくれ。 -
ちなみにコンビニで買った愛媛新聞には、ちゃんとカラー写真付きで取り上げられていた。
つまり独立リーグは地元の新聞に支えられているわけだ。
ありがとう愛媛新聞、えらいぞ読売新聞。
朝日毎日は頭丸めて出直してきなさい。 -
さて準決勝である。
わが埼玉武蔵は第2試合の登場。
試合前、球場の回廊で応援団が「決起集会」を開く。
トランペット20人。なかなかの迫力だ。
それをファンが取り囲み、おおいに気勢を上げる。
さあ、お祭りの始まりだ。 -
相手は四国の優勝・徳島。前日に富山を破って準決勝に出てきた。今大会の本命チームだ。
遠路駆け付けた埼玉武蔵のファンはおよそ200人、うちガチの応援団は50人。ワシもその中に混じり、一所懸命声を出す。
かーちゃんは少し離れたところからあきれつつ見物。 -
強い徳島相手に埼玉武蔵は先制し、そのまま逃げ切った。
おお、これであすも野球が見られるぞ。
決勝の相手は火の国(九州代表)、昨年の優勝チームだ。 -
翌日曜。
決勝は午前11時からだった。
埼玉武蔵、ここまでよく戦ったのだが、火の国の投手を打てず、1-6で完敗。
選手も大変だったろうが、ワシも疲れた。
埼玉武蔵の応援は過激で、浦和レッズや千葉ロッテマリーンズに近い。
歌い、こぶしを振り上げ、踊り、時にジャンプ。
これを3時間やると、腰と膝がダメになる。さらにはノドもつぶれる。
二日間やるとほぼ廃人である。
さすが年金老人だけのことはあるわい。 -
後ろで見てたかーちゃんによると、
「おっさん(ワシのこと)だけジャンプしてなかった。怠けてた」
たしかに飛ぶフリだけで、カカトの上下だけで勘弁してもらっていた。
若いもんに混じってやるのはもうムリだ。 -
だがしかし、悪いことばかりではなく。
浦和に戻って体重を計ったら2キロ瘦せてた。年度の最低体重更新。
ジャンプしつつ声を出し続けるとゆうのは、相当カロリーを消費するらしい。
「野球応援ダイエット」なんて本が書けそうだ。 -
さて、ここからは野球以外の話。
松山は四国第一の大邑で人口51万人を誇る。同時に観光都市であり、その要素は五つある。
(1)松山城
(2)道後温泉
(3)坊っちゃん(夏目漱石)
(4)正岡子規
(5)坂の上の雲(秋山好古・真之兄弟)
この町の観光対象は、ほぼこの五つの組み合わせと思ってよい。 -
ちなみに夏目漱石・正岡子規・秋山兄弟は同時代を生きた人だ。
司馬遼太郎が「坂の上の雲」の執筆を思い立ったのは、子規と真之が幼馴染にして生涯の親友だったことを作家が「発見」したのがきっかけだった。
さらに漱石と子規は大学予備門の同級生として知り合い、長く友情をはぐくんだ。
漱石が松山中に英語教師として赴任してきたとき、松山に帰っていた子規はよろこび、同じ宿に住まった。
子規の名は升(のぼる)、号として「子規」を名乗ったが、ほかにも数多くの雅号を使った。そのなかに「漱石」もあった。
子規は漱石に師匠として号を授けた。友人ではあるが、俳句に関して漱石は子規に門下の礼を取った。
その後、漱石がロンドンに留学している間に子規は亡くなる。
そして帰国後、子規主宰の「ホトトギス」に「猫」や「坊っちゃん」を発表し、夏目金之助は夏目漱石ととなり、世に出た。
子規は小説家を目指した時期があり、漱石もそれを知っていた。
「坊っちゃん」を夏目金之助ではなく夏目漱石の名で発表したのは、漱石の友情だったと思われる。人は死んでも友情は続く。 -
とゆうわけで、試合のあいまに、観光もちょっとだけした。
二日目は道後温泉にある子規記念館を訪ねた。
入ってみると子規の関連の展示は半分くらいであり、残りは松山の歴史や人物の展示だった。
入口に元気なころの子規が旅姿になった等身大パネルがあった。 -
子規は旅が好きな青年だった。結核になる前は関東のあちこち、帰省の折には関西にも旅に出た。
柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺
有名なこの句も旅先で作られた。
ワシは学校で日本文学をかじったので子規もひととおり読んだが、この句はあんまり好きではない。法隆寺のコマーシャルみたいでイヤだ。
好きな作品をひとつあげろと言われたら、俳句ではないが下記を推したい。
瓶にさす藤の花ぶさ みじかければ たたみのうえにとどかざりけり -
最終日、飛行機に乗る前には「秋山兄弟生誕地」を見に行った。
秋山兄弟生誕跡は大街道から一本北の通りにある。
生家が再現されており、和室が四つに土間の小さな造作だ。
秋山家は代々徒士(かち)の身分で、禄はわずかに十石、絵にかいたような貧乏武士、おまけに子だくさんだった。
坂の上の雲は何回か読み返したので、この二人の経歴はほぼ頭に入っている。今回も文庫本の1巻を持っていった。
小説が始まったころ、兄好古は銭湯のかまだき、弟真之は近所で評判のガキ大将だった。
とはいえ「坂の上の雲」は小説であるから、エピソードの中には司馬遼太郎が作り出したフィクションも入っているはずである。
小説のラスト、好古は71歳で亡くなる。その最期のことばが
「前へ」
だった、と作家は書いている。満州の戦場を思っていたと。
「できすぎだ」
読むたびにワシは疑っていた。
これは司馬遼が脳内でこしらえたエピソードではないのかと。
だがしかし。
今回見た施設内のVTRで、臨終に立ち会った子孫が「『前へ』が最期の言葉でした」と回想していた。
作り物ではなかったのである。
好古は最期、たしかに戦場に立つ騎馬隊司令官だった。
明治の男は偉いな、とシミジミしながら空港へ向かったのである。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- willyさん 2023/10/14 22:32:20
- 単純にして明快
- 鯨さん
こんにちは。鯨さんはさほどの野球ファンでいらっしゃいましたか。ちょっと意外でした。それならば子規に敬意を表して?ゆかりをたずねられたのも納得です(笑)
わたしの一句は「くれなゐに二尺のびたる・・」です。オタガイ花がらみですね。
我が家は実は子規庵至近にも拠点があるのですが、訪ねてみようと思ったらコロナで閉鎖になって久しく。そろそろ再開したかしら。
真之に視点がありますが、わたしは好古の、あの豪快さが大好きです。
実はちょっと司馬はクサイところがあるな、と思ってます。
willy
- 鯨の味噌汁さん からの返信 2023/10/15 05:20:02
- Re: 単純にして明快
- Willyさん
お手紙ありがとうございます。
子規は花の歌が多いですね。特に晩年。庭しか見るものがなかったからでしょうか。
司馬遼はちょっとクサイ、アリだと思います!
特に歳を取ると胡散臭くなるの。
若い頃はうんうん感心して読んでたのにね、ジジイになると「け、カッコつけてんじゃねーよ、さっきと言ってること逆じゃん」みたいな。修辞に騙されなくなったとゆうか。すくなくとも最近のワシは司馬遼マンセーではないです。
作家じゃなくて舞台の上に乗った役者さんの朗読劇みたいなノリで読んでます。
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