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名古屋から豊橋までクルマで往復しました。

東海道をひとっ走り。鳴海宿から吉田宿へ。クルマならすぐです。

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2023/10/04 - 2023/10/04

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nomonomo

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名古屋から豊橋までクルマで往復しました。

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
ショッピング
4.5
交通
4.0
同行者
一人旅
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
個別手配

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  • 藤川駅で休憩。

    藤川駅で休憩。

  • ここの道の駅は比較的あたらしい。

    ここの道の駅は比較的あたらしい。

  • 認定証。

    認定証。

    道の駅 藤川宿 道の駅

  • 周辺案内。

    周辺案内。

  • ここも,徳川家康でもっています。

    ここも,徳川家康でもっています。

  • こんな石造。

    こんな石造。

  • 家康が,天下泰平をいうのも,不思議です。

    家康が,天下泰平をいうのも,不思議です。

  • こんな顔だったのでしょうか。

    こんな顔だったのでしょうか。

  • なにやら文章。<br />徳川家康公<br /><br />天文十一年十二月二十六日(西暦一五四二年)<br />岡崎城で生れた徳川家康公。幼少の頃は人質<br />として苦難の道を歩んだが,「厭離穢土欣求浄土」<br />の八文字を一生座右の銘として幾多の苦難を乗<br />り越え,天下統一を果たし,二百六十年余に及<br />ぶ天下泰平の世を導いた。<br />この石像は,鷹狩りを好んだ家康公が,昇る<br />朝日を眺め平和に満ちた世の中を築くために誓<br />いを新たにしている姿を現したものである。<br />「石都岡崎」の東の玄関口「道の駅藤川宿」<br />開業を記念し,地元産の御影石を使用し,岡崎<br />の石職人の優秀な技術で造り上げたものである。<br /><br />平成二十四年十二月吉日<br /><br />寄贈者<br />(株)永田石材問屋

    なにやら文章。
    徳川家康公

    天文十一年十二月二十六日(西暦一五四二年)
    岡崎城で生れた徳川家康公。幼少の頃は人質
    として苦難の道を歩んだが,「厭離穢土欣求浄土」
    の八文字を一生座右の銘として幾多の苦難を乗
    り越え,天下統一を果たし,二百六十年余に及
    ぶ天下泰平の世を導いた。
    この石像は,鷹狩りを好んだ家康公が,昇る
    朝日を眺め平和に満ちた世の中を築くために誓
    いを新たにしている姿を現したものである。
    「石都岡崎」の東の玄関口「道の駅藤川宿」
    開業を記念し,地元産の御影石を使用し,岡崎
    の石職人の優秀な技術で造り上げたものである。

    平成二十四年十二月吉日

    寄贈者
    (株)永田石材問屋

  • 名鉄の藤川駅。

    名鉄の藤川駅。

    藤川駅

  • 案内。<br />藤川の松並木<br /><br />「藤川の松並木」は藤川町の西端から<br />約1km の間に残っており、現在はおよ<br />そ110 数本のクロマツが立ち並び,最<br />大の木で幹周り約3m、樹高約20 数m &#39;  <br />あります。令和2 年に愛知県の天然記念<br />物に指定されました。<br /><br />松並木の整備は、慶長9 年(1604)  <br />に2代将軍徳川秀忠が家康の意向を受け  <br />て東海道を整備したことに始まります。 <br />道程の道標として一里塚を設置するとと<br />もに街道の両側に土塁を築き、松を植え<br />ました。主な目的は、夏の日差しを防き,<br />冬は防風林として街道を旅する人々のために役立てることでした。<br /><br />その後も幕府は松並木の保全に力を注ぎ、街道筋や周辺の農村に「往環通掃除丁場」 を割り当てて夫 <br />役を命じています。岡崎市内には藤川町の他に,本宿町・舞木町・美合町・太平町で,わずかではあり<br />ますが旧東海道の松並木の面影を見ることができます。 また、大平町には一里塚(国指定史跡:大平一<br />里塚)も残されています。<br /><br />愛知県指定文化財(令和2年8月7日指定)

    案内。
    藤川の松並木

    「藤川の松並木」は藤川町の西端から
    約1km の間に残っており、現在はおよ
    そ110 数本のクロマツが立ち並び,最
    大の木で幹周り約3m、樹高約20 数m '
    あります。令和2 年に愛知県の天然記念
    物に指定されました。

    松並木の整備は、慶長9 年(1604)
    に2代将軍徳川秀忠が家康の意向を受け
    て東海道を整備したことに始まります。
    道程の道標として一里塚を設置するとと
    もに街道の両側に土塁を築き、松を植え
    ました。主な目的は、夏の日差しを防き,
    冬は防風林として街道を旅する人々のために役立てることでした。

    その後も幕府は松並木の保全に力を注ぎ、街道筋や周辺の農村に「往環通掃除丁場」 を割り当てて夫
    役を命じています。岡崎市内には藤川町の他に,本宿町・舞木町・美合町・太平町で,わずかではあり
    ますが旧東海道の松並木の面影を見ることができます。 また、大平町には一里塚(国指定史跡:大平一
    里塚)も残されています。

    愛知県指定文化財(令和2年8月7日指定)

  • 文化財。<br />藤川宿に残る文化財<br />藤川宿には多くの文k財が残されています。関山神社には慶長6年(1601)に朝廷かた下付され<br />た「駒曳朱印状」や,藤川宿に法 ・触書などを掲示した「高札」といった歴史資料が残されてきました。<br />市指定史跡である「藤川宿脇本陣跡」(現在の藤川資料館)の石垣や門は江戸時代に築かれたもので,<br />門は享保4年(1719)の  後に再建さてたと言われています。「藤川の松並木」とともに宿場町の<br />景観を残しています。真言宗寺院の明星院には「蔵王権現懸仏」「那智参詣曼荼羅」といった熊野三山<br />信仰や修験道と関係が深い美術工芸品が残されています。

    文化財。
    藤川宿に残る文化財
    藤川宿には多くの文k財が残されています。関山神社には慶長6年(1601)に朝廷かた下付され
    た「駒曳朱印状」や,藤川宿に法 ・触書などを掲示した「高札」といった歴史資料が残されてきました。
    市指定史跡である「藤川宿脇本陣跡」(現在の藤川資料館)の石垣や門は江戸時代に築かれたもので,
    門は享保4年(1719)の  後に再建さてたと言われています。「藤川の松並木」とともに宿場町の
    景観を残しています。真言宗寺院の明星院には「蔵王権現懸仏」「那智参詣曼荼羅」といった熊野三山
    信仰や修験道と関係が深い美術工芸品が残されています。

  • 周辺。

    周辺。

  • 拡大。

    拡大。

  • ぺんぺん草がはえています。

    ぺんぺん草がはえています。

  • 道の駅の内部。

    道の駅の内部。

  • にぎやかです。

    にぎやかです。

  • こんなもの。

    こんなもの。

  • 五平餅。

    五平餅。

  • こんな大きさ。

    こんな大きさ。

  • 団子も。

    団子も。

  • 岡崎は「かき氷街道」も有名です。

    岡崎は「かき氷街道」も有名です。

  • 岡崎は美人ぞろい。

    岡崎は美人ぞろい。

  • 藤川宿でした。

    藤川宿でした。

  • 名古屋から豊橋までの全行程です。往路は高速に乗り,音羽蒲郡ICでおりて,1号線を走りました。復路はずっと1号線を走りました。

    名古屋から豊橋までの全行程です。往路は高速に乗り,音羽蒲郡ICでおりて,1号線を走りました。復路はずっと1号線を走りました。

  • 音羽蒲郡ICのカーブ(上り線)。

    音羽蒲郡ICのカーブ(上り線)。

  • 道の駅藤川宿は駐車場に入るのにぐるぐるまわります。

    道の駅藤川宿は駐車場に入るのにぐるぐるまわります。

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