2023/08/12 - 2023/08/12
11位(同エリア181件中)
はんけんさん
台風7号が発生してしばらく外出は難しいか?と思っていましたが、台風7号の進みが遅いので、8/12に18きっぷで小旅行。このところ猛暑が各地で続いており、この日も場所によっては、36-39℃という酷暑予想が出ていたが、長篠城は34℃と涼しい(?:完全にマヒしています)ので、子供の頃から訪れたかった長篠城と決戦場へ行ってきました。
鴨居 5:03 -> 東神奈川 5:17
東神奈川 5:19 -> 横浜 5:22
横浜 5:28 -> 小田原 6:21
小田原 6:22 -> 熱海 6:45
熱海 6:49 -> 浜松 9:17
浜松 9:43 -> 蒲郡 10:32
蒲郡 10:43 -> 豊橋 10:56
豊橋 11:42 -> 長篠城 12:43
鳥居 14:26 -> 三河東郷 14:35
三河東郷 15:27 -> 豊橋 16:16
豊橋 16:23 -> 浜松 16:57
浜松 17:21 -> 熱海 19:52
熱海 20:03 -> 横浜 21:13
横浜 21:25 -> 東神奈川 21:29
東神奈川 21:33 -> 鴨居 21:47
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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横浜線の始発に乗ります。台風7号の接近に伴い、運休や間引き運転の可能性があるとのこと。とはいえ、この日は全く問題なしでした。
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熱海で浜松行きに乗り換え。
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その浜松行きは、大抵大混雑で座れないことが多いので、三島で下車し、三島始発の列車でのんびり座って行くことがパターン化していました。
が、この日は熱海発の浜松行きも座れちゃいました。したがい、三島での下車せず、浜松まで乗り続けました。 -
車窓の風景、富士山。
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朝食でパンは食べたのですが、お腹が減って来ました。ファーストフードで手早くしっかり食べたいと考えていたら、久しぶりに吉野家の牛丼をすごく食べたくなりました。
豊橋駅もしくは浜松駅付近に吉野家が無いかを調べてみると、浜松駅近くにあることが分かり、やって来ました。 -
牛丼並と生野菜サラダで599円。
吉野家に来るのは数年ぶりですが、かなり価格上がりましたね。
かつては、牛丼並280円、生野菜サラダ110円、だったかな? -
サクッと食べて、すぐに浜松駅に戻ります。
この大垣行きに乗れば、豊橋10:42発の本長篠行きに余裕で間に合います。 -
しかし、座れたのが運の尽き?食後のため、急に眠くなりました。で、眼が覚めると「次は蒲郡に停まります」と車内アナウンス。蒲郡と豊橋の位置関係が良く分かっていなかったので、調べてみると、豊橋は既に過ぎておりました。
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慌てて折り返して豊橋駅に戻って来ましたが、次の本長篠行きは11:42。ちょうど1時間ロスしてしまった、、、、。
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飯田線。岡谷からの数駅を乗ったことがあるが、豊橋から乗るのは初めて、初乗り区間です。
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飯田線の駅は、途中からICカードが使用できなくなるようで、ワンマンカーの運転手さんが大変そうでした。特に三河一宮駅で大勢下車したのですが、そのうちの半分ぐらいが「すみません、知らずにICカードで乗ってきました」と。その全てのお客さんに、精算対応と証明書を渡していたので、時間がかかるかかる。
結局「お客様対応にて、この電車5分の遅れが生じております。すみません」とのこと。 -
車窓の風景。
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長篠城駅の時刻表。昼間は1時間に1本ペース。
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JR飯田線の長篠城駅。無人駅なので小ぢんまりとしていますが、城を模した駅舎が良いですね。
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長篠なので、射的も火縄銃?
ちょっと笑いました。 -
長篠城址にやって来ました。鳥居強右衛門って誰やねん!って思うかもしれませんが、この磔の絵は見たことある人、多いのではないでしょうか?
どうでも良いことですが、この磔の絵、遠くから見ると「本」の字の様で、「本屋さん?」と思ってしまいます。 -
「長篠・設楽原の戦い」布陣図。私が子供の頃は「長篠の合戦」と習った記憶があるのですが、最近は「長篠・設楽原の戦い」と呼ばれている様です。確かに、武田軍に攻められた奥平氏は、ひたすら防戦し長篠城に籠城。その後、織田・徳川連合軍は設楽原に陣を敷いて、武田勝頼を誘いだして鉄砲隊で武田騎馬隊を一網打尽にした。つまり合戦場は設楽原なので、設楽原という名を軽んじてはいけないわけですね。
時間があれば、織田信長が本陣を構えた茶臼山にも登りたかったです。 -
長篠城址史跡保存館、入館料220円。
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長篠城址史跡保存館のコインロッカーにも、あの磔の絵が!
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館内は、一部を除いて撮影OKだが、写真は個人の記録にとどめ、SNSやネットでの公開はNGとのこと。なので、残念ながら館内の写真のアップロードはできません。
武田信玄の遺書がありました。さすがに原本では無くて写しだったけど、所有者の意向で所有者に返還されるまでは、この長篠城址史跡保存館に原本が展示されていたとのことです。
館の規模は小さいですが、内容は濃いし、合戦前の武田軍の狙い、長篠籠城戦、鳥居鳥居強右衛門の活躍、設楽原での合戦という流れがわかるし、鎧や槍、刀、そして火縄銃などの武具も見られるので城址を歩く前に是非入館をお薦めします。 -
お堀の跡。
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長篠城の概要図
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歴代の城主
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土塁に登ります
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長篠城址。
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久邇宮良子女王の「御手植の松」
今は、切り株しか残っていない様です。 -
城内にあったお稲荷様は、「城址が文化財として保存されるため」他所へ移転されたそうです。
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本丸跡
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あそこに見えるのが、武田軍が陣を構えた鳶ヶ巣山です。
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すぐ隣には、JR飯田線の線路。というか、鉄道を通す時に、城をぶった切っていますよね。ナスカの地上絵をハイウェイがぶった切っているのをみて、非常にショックを覚えましたが、日本も各地で同じようなことをしていたのでしょう。
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2年後の2025年は、長篠・設楽原の戦い450周年です。
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武田軍の五つの砦
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奥平氏の一足軽であった鳥居強右衛門。この男がなぜ、それほど有名になったのか?
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武田軍の攻撃に落城目前の奥平氏長篠城。
織田・徳川連合軍の援護を要請すべく、65km離れた岡崎城まで1日で往復し、織田信長の援軍を取り付け、長篠城にあと2日で援軍が来ることを伝えたのが、鳥居強右衛門です。 -
長篠城に戻る直前で武田軍に捕らえられ、殺されました。
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そこから見える対岸、
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ズームアップ、これが鳥居強右衛門磔の跡の碑
後ほど、訪れます。 -
不忍の滝。葉が茂っていて良く見えません。
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「呼びかけ」の伝承地
武田軍に捕らえられた鳥居強右衛門は、「援軍は来ないから城を明け渡せ」と言うことを迫られましたが、自分の命と引き換えに、この場所から長篠城に籠城する仲間に「あと二日で援軍が来るから何とか守り抜け」と呼びかけました
その結果、武田軍により死刑となりました -
家老屋敷跡
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馬場美濃守信房の墓。馬場美濃守信房は、別名 馬場信春。武田3代に仕えた40数年の間、70回を越える戦闘に参加したが、かすり傷一つ負わなかったという。
長篠・設楽原の戦いでは、勝頼が退却を始めると、迫りくる連合軍の大軍を阻んだ。勝頼が退却したのを見届けると、織田軍に首を差し出した。享年62。
信長に「馬場美濃守手前の働き、比類なし」と評されました。 -
戦国時代とは全く無関係ですが、何と中央構造線の露頭があるそうです。もちろん、行ってみます。
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豊川と長篠大橋
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中央構造線の露頭。この写真の右上から左下に断層があります。
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長篠大橋からの豊川の眺め
中央構造線が川を横切っているため、河床には断層岩が観察されます。 -
ズームアップすると、先ほど訪れた露頭の見える場所
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対岸を歩いてきました
白い看板が、鳥居強右衛門磔の説明板です。 -
鳥居強右衛門磔の跡の碑。
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実際に磔された場所は、飯田線の線路近くらしいですが、飯田線の敷設時に移設されたらしいです。
おそらくこの辺りかと思われます。 -
鳥居強右衛門磔の跡の碑から長篠城址方面。
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ズームアップ。先ほどいた城址の説明看板がみえます。
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鳥居強右衛門磔の跡の碑へクルマで行く場合は、踏切そばのこの路を進むと良さそうです。
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信昌寺、戦国の陣没将士墓苑。
新東名高速道路の開通工事に際し、ここに移転してきました。 -
戦国の陣没将士墓苑
武田軍と長篠籠城隊のお墓です。
その隣には、 -
鳥居強右衛門のお墓。
一足軽であった鳥居強右衛門の活躍/殉死に感銘を受けた織田信長が命じて立派に弔われました。 -
鳥居強右衛門のお墓は2か所にあり、この信昌寺には鳥居強右衛門の胴体が、甘泉寺には鳥居強右衛門の頭部が埋葬されているそうです。
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JR鳥居駅。もちろん、地元の英雄である鳥居強右衛門に因んで名づけられました。設楽原まで歩くつもりでしたが、運よく1時間に一本の飯田線が来たので、飛び乗りました。
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JR三河東郷駅で下車。
駅舎には馬防柵が! -
首洗池。この池で戦死者の首を洗ったそうです。
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信玄塚の小塚。両軍合わせて15,000人もの死者が出たとされる「長篠・設楽原の戦い」。それら戦死者を弔ったのが信玄塚です。
小塚には、織田・徳川連合軍の戦死者が弔われています。 -
信玄塚の大塚。大塚には、武田軍の戦死者が弔われています。
既に逝去していた信玄の名を冠することで、戦国最強と謳われた「武田家」の終わりを告げるという意味合いを込めて、信長が命名したとされています。 -
武田軍と織田・徳川連合軍が対峙した、設楽原古戦場へ。
写真では分かりづらいですが、河岸段丘となっていて、かなり下ります。 -
設楽原の合戦跡にやってきました。
兵どもが夢の跡、、、、 -
馬防柵。復元されています。
合戦当時は、2kmもの馬防柵を1日にして築き上げ、大量の火縄銃で、無敵の武田騎馬軍をわずか8時間で打ち破りました。
バカ殿と言われる勝頼、信長の作戦に乗りノコノコと設楽原に誘い出されました。歴史に「タラレバ」はありませんが、もし信玄が存命だったら、、、、全く違った戦い方になっていたでしょう。ていうか、信玄存命だったら、そもそも長篠城を徳川家康に取られていないですかね。 -
ズームアップ、復元された馬防柵。
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古戦場
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ズームアップ、これなんだろう?人工的な形状に見えます。復元された砦?
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三河東郷駅、豊橋行きに乗車。
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豊橋駅に到着。
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浜松駅の構内、いつも気になっていたソバ屋さん
初めて食べます -
天ぷらそば、500円
フツーでした。期待しすぎてしまったか、、、、。 -
熱海行きは、クロスシート。快適でした。
熱海-浜松の区間は、2時間半も乗るのに、いつもロングシートで疲れるのです。
が、クロスシートの列車も走っているのですね。朗報です。
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