2023/08/03 - 2023/08/03
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ペコちゃんさん
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今年になって2回目のミステリーツアー・・・今回はY旅行社の「夏のお中元ミステリーツアー」で横須賀に行きました。
コースのポイントは、ツアータイトルにもなっている【夏のフルーツ&夏野菜のお中元付!】・・・網目メロン・小玉スイカ・夏野菜(茄子・キュウリ・トウモロコシ)の重いお土産と、横須賀の観光スポットめぐりです。
写真は、記念艦「三笠」の前甲板から見た30センチ主砲。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 読売旅行
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3市から参加者をピックアップした観光バス・・・今回は43名と満席で、8時過ぎに出発して圏央道を走ります。
八王子を通過して神奈川県に入ると、夏空に青々とした田んぼが眩しく見えます。 -
バスは順調に走り、厚木PAでトイレ休憩。
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商業棟とトイレの間にある通路の先には、相模川を望むウッドデッキが・・・小休止に丁度良いスペースです。
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ガラスに描かれているのはカモメ。
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厚木PAからは東名~横横道路を走り、11時前に横須賀へ。
港には、2022年に就役した海上自衛隊の新型護衛艦「くまの」が停泊中。 -
交通船「YF-1031」から乗組員が下りてきました。
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「くまの」の奥に停泊しているのは、1994年に進水した護衛艦「みょうこう」。
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軍港の街・横須賀・・・1865年に江戸幕府が設立した横須賀製鉄所がスタートで、1871年に横須賀造船所となり、1903年以降は大日本帝国海軍の横須賀海軍工廠となって、海軍砲術学校や横須賀海兵団、海軍工機学校などが置かれました。
1945年の敗戦後はアメリカ海軍に接収され、現在に至っていますが、海上自衛隊・横須賀基地もあります。 -
最初の立ち寄りは、横須賀新港埠頭近くの「YOKOSUKA PORT MARKET」で、広い駐車場には何台もバスが駐車中・・・横須賀の観光スポットなんですね。
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駐車場から歩いて数分の「三笠公園」へ・・・海に面した公園の岸壁には日露戦争を戦い抜いた戦艦「三笠」が記念鑑として保存されています。
こちらは後方で、艦名の文字は「さかみ(?)」・・・右読みです。 -
現存する世界最古の鋼鉄戦艦「三笠」・・・左側の艦首は皇居に向き、その先はロシアへ向けられています。
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三笠の前には、1967年に建立された東郷平八郎像・・・右手に愛用のツァイス社製双眼鏡、左手に皇太子(後の大正天皇)より下賜された軍刀を持つ凛々しい姿です。
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明治35年(1902)にイギリスで建造された戦艦・三笠・・・日露戦争で東郷平八郎司令長官が乗艦する連合艦隊の旗艦として日本海海戦でバルチック艦隊に勝利した後、1926年に記念艦として横須賀に保存されました。
シニア料金:500円を払って入艦します。 -
三笠の排水量は15,140トンで、長さ:122m、幅:23m。
見学の所要時間は30分~1時間。 -
これは三六式無線通信機の操作室・・・当時、世界最高性能を誇った無線技術で、日露戦争で日本を勝利に導く大きな要因になりました。
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15センチ砲による攻撃の様子・・・砲室には砲員長以下10名が配置され、砲員はここで寝起きや食事もしていました。
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被弾鉄板雪見燈籠・・・日本海海戦で射抜かれた三笠の艦材で作られたもので、伊藤博文に贈られましたが、伊藤家から三笠に返還されました。
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8センチ砲台・・・当時は20門ありました(現在は10門)。
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人力操舵用舵輪・・・舵取機械が故障した時、人力で直接操舵する大きな舵輪です。
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艦首には日の丸。
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前甲板と30センチ前部主砲、その後ろの高い所は艦橋。
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30センチ主砲は艦橋の前後に2本ずつ装備されています。
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目の前には、東京湾に浮かぶ唯一の自然島・猿島・・・三笠桟橋から約10分の船旅で気軽に訪れることができますが、かつては旧日本軍の要塞として一般人の立ち入りは禁止されていました。
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一段高い「艦橋」は、日本海海戦で東郷平八郎連合艦隊司令長官が5時間立ち続け、戦闘の指揮をとった場所です。
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この絵は、展示室に展示されている「艦橋の図」・・・日本海海戦直前の艦橋の様子を描いたもので、中央の東郷平八郎司令長官はZ旗を掲げて『皇国の荒廃この一戦にあり 各員一層奮闘努力せよ』という号令を各艦に伝えて奮戦し、勝利を収めました。
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明治38年の日露戦争に勝利した後、ルーズベルト大統領の仲介で米国・ポーツマスで日露講和条約(ポーツマス条約)が締結されましたが、条約の内容は、ロシアは日本に対して一切の賠償金を支払わず、領土については日本軍が占領していたサハリン島のうち南半分を日本の領土とし、ロシアが有していた中国東北部の権益は日本に譲渡される、というものでした。
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日露戦争の勝利は、日本が国際的地位を高めただけでなく、有色人種として抑圧・蹂躙されていたアジア・アラブ諸国に希望を与え、独立の気運を促進しました。
展示室には三笠を訪れたトルコやスリランカなど各国からの記念品が飾られています。 -
日本の「三笠」とイギリスの「ヴィクトリー」及びアメリカの「コンスティチューション」は、自国の独立を守るための重要な海戦において勇敢に戦い、歴史的な勝利を収めたことから「世界の三大記念艦」と言われます。
これは、日露戦争時の連合艦隊の戦艦模型(右から三笠・富士・八島)。 -
アメリカの「コンスティチューション号」は、1797年から1812年の米英戦まで40数戦不敗の記録を持ち、現役で航行できる世界最古の木造帆船軍艦。
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艦内は資料館になっており、明治期の日本海軍の品のほか、日露戦争時の日露両軍ゆかりの品が展示されています。
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東郷平八郎が着用した衣服。
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日清戦争に勝利し、下関条約で清国から遼東半島を割譲された日本ですが、露・独・仏の三国干渉を受け、遼東半島を清国に返還します。
時の政府は、欧米列強の軍事脅威から主権と領土を守るため、軍事力の強化が急務と痛感し、戦艦などの整備計画を推進・・・「三笠」は英国ヴィッカース造船所に発注し、明治35年に竣工して横須賀に回航され、連合艦隊にの旗艦になりました。
この写真は、三笠がヴィッカース造船所で進水した時の様子です。 -
もともと三笠の艦首にあった菊花紋章の艦首かざり。
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日露戦争にも参画した皇族・海軍軍人の伏見宮博恭殿下が、各国から頂いた勲章・・・日本贔屓のハワイ・カメハメハ勲章もあります。
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食事などをした場所でしょうか。
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東郷平八郎が使った長官浴室。
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艦長の公室。
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作戦会議や来賓の応接などに使われた長官公室・・・バルチック艦隊の降伏文書調印もここで行なわれました。
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海軍には楽団がつきものですが、管楽器だけでなくバイオリンもありました。
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後部甲板30センチ主砲・・・これで艦内見学は終了。
終戦後、ロシアからの解体要求があり、アメリカの尽力で難を逃れた三笠・・・一時は荒廃が進みましたが、復元保存運動が徐々に盛り上がり、1961年に復元工事が完成し、今もこの歴史遺産に触れることが出来るのです。 -
三笠から海岸沿いを歩くと、横須賀新港埠頭には船積みを待つ大量の新車が・・・
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「YOKOSUKA PORT MARKET」は、1987年に建設された冷蔵倉庫を活用し、2022年にリニューアルオープン。
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店内には横須賀の美味しい有名店がズラリと並び、三浦半島の新鮮な農海産物など、お土産も充実・・・写真の「HONEY BEE」は横須賀ネイビーバーガーの老舗。
バスの中で受け取った地域クーポン券も、ここで使っちゃいました。 -
昼食は東京湾フェリーの発着港・久里浜の・・・
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港の近くにあるこの建物で・・・1階左側が「漁師料理 よこすか」、右側は「おみやげ市場」、3階は何と「天然温泉 海辺の湯」。
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広々とした食堂。
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昼食は、三崎マグロ入り『8種の海鮮丼と天ぷら膳』。
「YOKOSUKA PORT MARKET」で食べたかった、との声も。 -
食後は右側の「おみやげ市場」でショッピング。
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久里浜港の目の前にあるのは横須賀火力発電所。
東京電力が1960年に操業を開始した火力発電所は、老朽化や燃料情勢の変化などにより2004年から段階的に停止しましたが、設備を更新して2023年6月から新1号機が営業運転を開始しています。 -
ブイに泊まるカモメ。
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久里浜から観音崎に向かいます。
途中の道路にはフェニックスが植えられ、南国・宮崎のよう。 -
電線にとまるウミウ・・・珍しい光景です。
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最後の立ち寄りは、観音崎にある「横須賀美術館」。
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横須賀市制100周年を記念して、2007年にオープンした横須賀美術館・・・建物や庭園がフォトジェニックなスポットで、目の前には東京湾の大海原が広がる絶景美術館です。
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コレクションは日本の近現代美術の作品を中心に約5,000点を所蔵し、また『週刊新潮』の表紙絵でお馴染みの谷内六郎の作品を展示する「谷内六郎館」もあり、屋上には広場と展望デッキがあります。
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長い坂道を登って行くと・・・
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建物自体がアート作品のような本館があります。
本館の外側は、透明感のあるガラス張り・・・塩風による劣化を防ぐためだとか。 -
内側には鉄板を用いたダブルスキン(二重皮膜)構造になっており、鉄板に開けられた穴の大きさや数で光の量を調整しています。
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本館入り口の手前は、海を見ながらイタリアンを楽しめるレストラン「アクアマーレ」・・・テラス席もあります。
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入口から渡り廊下を通って受付へ。
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渡り廊下から見た地下の常設展。
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受付の上に描かれた『new born 荒井良二』・・・企画展のテーマです。
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常設展を観た後、ガラス張りのエレベーターで屋上へ。
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エレベーターホールからは、青空と海が・・・
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本館のガラス屋根の上は、広々としたグレーチング床の「屋上広場」。
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遮るものがない大パノラマ・・・いつまでも眺めていたい美しさです。
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真夏の太陽が創り出す、群青色の海と空・・・東京湾を臨むこの建物が最も映えるのは、今の時期かもしれません。
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本館から谷内六郎館へ。
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ここからの眺めも素晴らしい。
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東京生まれの谷内六郎(1921~1981)は、十代の頃から新聞や雑誌に漫画を投稿し、1955年に第一回文藝春秋漫画賞を受賞すると、翌年創刊される「週刊新潮」の表紙を描くことが決まりました。
急性心不全で亡くなる迄の二十五年間、谷内は「週刊新潮」の表紙を描き続け、郷愁に満ちた童画は「週刊新潮」の顔でした。 -
1956年2月19日の創刊号表紙は、喘息の転地療養で馴染みのある千葉県御宿のイメージで、「上總の町は貨車の列 火の見の高さに海がある」の一文が添えられています・・・創刊号の定価は30円だったんですね。
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谷内六郎は生前、観音崎公園にほど近い場所にアトリエを構え、その縁で遺族が週刊新潮の表紙絵・約1300点をはじめとする作品を1998年に横須賀市に寄贈しました。
谷内六郎館では年に4回テーマ展示を開催しており、今回の展示テーマは絵本作家の荒井良二が選ぶ『毎週ぼくは谷内六郎に会っていた 』。 -
館内は撮影OKなので、心にとめた作品をいくつか紹介します。
『早いお客』
早朝に花火を買いにきた男の子と、開店前で歯を磨きながら出てきた店の女の子・・・夜中に寝付かれずに欲しい物を思ったことは、誰にでもあるでしょう。 -
『青い曲』
先生が学芸会で♪浜千鳥♪を演奏・・・何と、クジラのお腹をピアノにしています。 -
『雨の波止場』
雨の波止場には、白いカモメと寂しい女がよく似合う・・・まさに演歌のテーマです。 -
『みかんの灯る晩』
みかん山がある夕方の岬・・・辺りが薄暗くなると、みかんがほんのりとオレンジ色に映えて、小さな提灯が灯っているようです。 -
『月光の曲』
月の夜、草の中で演奏会をする虫たち・・・谷内が留守番をした夜の思い出です。 -
『迷子になった夢』
迷子になった夢をよく見た谷内・・・それはいつも同じ場所(少年時代を過ごした世田谷の竹藪がある四辻)で、この絵は夢の世界を描いたものです。 -
『こずえの音』
雑木林の焚火からパチパチ音をたてて木々の間をゆっくり飛ぶ火の粉は、キツネの嫁入りの提灯のよう・・・谷内の少年時代の思い出です。
谷内六郎は人間の心の奥底に沈んでいる原風景を、あるがままに描きつづけた画家で、私達がどこかで見失ってしまった風景を、決して見失ってはいけない風景として描き続けました・・・だからいつ見ても懐かしく温かく、涙が出そうになります。 -
これが「お中元ミステリーツアー」のお土産。
横須賀は他にも見どころが沢山あり、また来たくなる街でした。
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