2022/12/08 - 2022/12/08
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Donkyさん
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大泉学園の駅からほど近い東大泉の住宅街の片隅に、ひとりの植物学者の庭が公開されている。
「日本の植物を最もよく知る男」と呼ばれた牧野富太郎博士の自邸の庭は、植物をひたすら愛し、破天荒な学者人生を歩んだ博士が現代に残した宝物。
◆練馬区立牧野記念庭園
大泉学園の駅からほど近い住宅街に、ひと際背の高い樹木が空に向かって枝を広げ、涼やかな植物の気配に包まれた一角が現れる。
牧野博士の軌跡を辿る常設展とゆかりのある植物画など企画展示を開催する記念館。
その庭を誰もが自由に散策できるよう60年以上前から門を開く記念庭園。
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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西武池袋線 大泉学園駅 徒歩5分
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撮影所やアニメのメッカとして知られる反面
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今日は日本初の本格的な植物図鑑を出版した“日本の植物分類学の父”牧野富太郎の世界へ
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牧野富太郎博士は キンモクセイ、ケヤキ、ヘラノキなど、日本の四季を彩る身近な草木1,500種あまりの新種・新品種を発見、命名し、日本初の本格的な植物図鑑を出版した“日本の植物分類学の父”。
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練馬区立牧野記念庭園。所在地 東京都練馬区東大泉6-34-4
電話番号 03-6904-6403(記念館)
開園時間 9:00~17:00 入園料 無料
休園日 火曜(祝日の場合は翌平日)
http://www.makinoteien.jp/ -
その庭を誰もが自由に散策できるよう60年以上前から門を開く
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その偉業は植物学の記録に残っても、学位や名誉や金銭に無頓着で、ひたすら植物を愛した破天荒な人間、牧野富太郎の魅力を雄弁に物語る場所はこの庭をおいて他にない。
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1862年、幕末の動乱期に高知、佐川の造り酒屋の一人息子として生まれた富太郎は、生来の好奇心から寺子屋や藩の教育施設で旺盛に学び、明治の新制小学校の入学時はすでに12歳。
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飛び級で次々上級に上がる途中で、もう学ぶことがないと辞め、小学校中退。
これが牧野博士の最終学歴となる。 -
故郷の山谷を巡り、幼い頃から無性に植物に惹かれた少年は、向学心のすべてを植物に注ぎ、
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「高知の外にはまだ見たことのない植物がある」との思いに駆られて19歳で初めて上京した際には本やドイツ製顕微鏡を携えて帰郷。
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独学で植物の分類法を学び、さらに先へ進むには「日本中、世界中で集めた標本と比較する必要がある」と、
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22歳で東京大学理学部の植物学教室の扉を叩く。
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市井の植物学研究者として。
(庭園での作物をおすそわけ 花梨の実・・・など) -
大学の出入りを許され、思う存分研究に没頭する牧野青年の熱意と知識に勝る者なく、日本で初めて新種ヤマトグサに学名をつけて発表し、研究成果の発表の場を求めて雑誌や図鑑の編纂など、植物分類学者としての躍進は続く。
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が、何の肩書きもないうえに、大学との軋轢も絶えず、結婚するも生活費さえままならない。
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幼少時に両親を亡くし番頭に任せきりの実家の造り酒屋も破綻。大学助手として、後に50歳を超えて講師として勤めたが借金は絶えない。
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大勢の子どもを抱え苦労ばかりかけた妻寿衛に感謝を捧げ、新種のササに「スエコザサ」と名付けている。
以上 博士と庭園について 「CREA Traveller」より抜粋 -
2023年春からの放送が予定されているNHK連続テレビ小説「らんまん」。
モデルは、日本の植物分類学の父と称される牧野富太郎博士。 -
NHKが公開している番組紹介によると、激動の時代の渦中で、ただひたすらに愛する草花と向き合い続けた植物学者・槙野万太郎の波乱万丈の物語が描かれる。
むらさきしきぶの実 木々の成長にびっくり・・年月を感じます。 -
1862年、現在の高知県高岡郡佐川町の裕福な商家「岸屋」の一人息子として生まれた。幼少期に父母と祖父を相次いで亡くし、体の弱かった牧野は、祖母・浪子によって大切に育てられた。
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小学校に通うも、授業に飽き足らず自主退学を決める。一方で、幼い頃から植物に興味を持った牧野は独学で植物の知識を身につけ、植物学を志すようになった。
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1884年、22歳で2度目の上京。東京帝国大学(現在の東京大学)の植物学教室に出入りを許され、植物研究に打ち込むようになる。熱心に研究を重ね、『日本植物志図篇』や『大日本植物志』などの刊行に携わった。
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1889年には、大久保三郎と日本で初めて新種ヤマトグサに学名をつけて『植物学雑誌』に発表した。
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めざましい活躍の一方、研究のために郷里の財産を使い果たすなどして実家の経営は傾いた。その後帝国大学理科大学の助手となり東京を基盤に活動するが、生活は困窮。多額の借金をしながらも、植物の研究に没頭し、全国をまわって膨大な数の植物標本を作製した。 奇人変人扱いされた面もあるが、波乱万丈の人生を生き抜いた偉大な人物であった。 (お正月の栗きんとんに欠かせないクチナシの若い実)
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牧野は1957年、94歳で亡くなった。生涯で収集した標本は約40万枚といわれる。新種や新品種など1500種類以上の植物を命名し、日本の植物分類学の基礎を築いた一人としても知られる。1940年に刊行された『牧野日本植物図鑑』は改訂・増補により版を重ね、今なお広く親しまれている。
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この日の朝
西武池袋線東久留米駅 富士見テラスより
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