2022/08/17 - 2022/08/17
287位(同エリア367件中)
ムッシュさん
広島県散策:築城400年の福山城
福山城は1615年(慶長20年)の一国一城令発布後(1622年)に竣工した城である。大規模な新規築城による近世城郭では最後の例となった。備後福山藩の藩庁かつ藩主の居城であった。形式は輪郭式の平山城だが、2重の堀や瀬戸内海へ抜ける運河を持つために海城としても知られる。五重の天守と7基の三重櫓を有していた。
1873年(明治6年)の廃城令によって、大蔵省の所管となり、建物の払い下げ、取り壊しが実施されていたが、翌1874年(明治7年)に福山町などの請願によって、本丸の天守(付櫓を含む)・筋鉄御門・伏見櫓・御湯殿・鐘櫓の5棟の建築物が残されることとなった。その内鐘櫓を除く4棟について、国宝保存法の国宝に指定された。天守以外のこれらの現存建築は、福山城の築城時に伏見城から移築されたものであったが、福山大空襲によって、伏見櫓、筋鉄御門(ともに、国の重要文化財)を残して焼失。
現在の天守(付櫓含む)、月見櫓、御湯殿は1966年(昭和41年)に鉄筋コンクリート構造で復興されたもの。(ウイッキドぺリアより)
- 旅行の満足度
- 4.5
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(右側)月見櫓と(左奥)天守
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【徳川家康の従兄弟である水野勝成】
毛利氏など西日本の有力外様大名に対する抑え(西国の鎮衛)として備後国東南部と備中国西南部の計10万石を与えられ、大和国の郡山藩から転封する。入封時の領地目録上は備後神辺城主であったが、勝成の進言により神辺城はやや内陸にあり過去に何度も落城した歴史があったことなどから、一国一城令が徹底されていたこの時期としては異例の新規築城が行われることになったといわれる。 -
再建天守(南面)と鐘櫓(鉄筋コンクリート造)
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【再建天守(北面)】
全国唯一といわれる天守北壁の鉄板張り(黒い部分)を復元
天守北面に張り合わされた小さな鉄板 -
鐘櫓
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鐘櫓
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二の丸南側の石垣
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【筋鉄御門(重要文化財)】
筋鉄御門脇の多聞櫓を模した塀
現存。本丸の正門に位置する櫓門である。「筋鉄」の名称のとおり、1階の扉や門柱に筋状の鉄板が打ち付けられている。2階の門櫓には白漆喰総塗籠の柱に長押形が施され隣接する伏見櫓と意匠を合わせた可能性が指摘されている[38]。門櫓の内部は公開されていない。重要文化財。 -
二の丸南側の石垣
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南側に新幹線”福山駅ホーム、2階部はJR在来線
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