2022/10/12 - 2022/10/13
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はなまりんさん
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振り返れば、ハナの人生の節々に、何度もアイヌ文化との出会いがありました。
最初は小学校低学年の頃。コロボックル(フキの下の小人たち)という、アイヌに伝わる伝承物語の童話を、夢中で読んでいました。
2回目は小学校高学年の頃。担任の先生のつてで、北海道アイヌの女の子と1年ほど文通をしました。その子の名前だけは今でもはっきり覚えています。珍しいお名前だったので。 懐かしい・・・
3回目は学生時代。初めての一人旅の行き先が北海道でした。阿寒湖畔でお土産屋さんを営むアイヌの方のおうちに数日間泊めてもらいました。日本各地からのカニ族(今で言うバックパッカーですね)が何人もたむろしていました。阿寒の町でアイヌの踊りや儀式も見せてもらいましたが、観光客に見せるためのショーと化していて、踊り手さんたちには覇気が感じられませんでした。見ている私たちも寂しかったです。
4回目は大人になってから見た、NHKの「その時歴史が動いた」という番組。言語学者金田一京助と、アイヌの少女知里幸恵(ちりゆきえ)の出会いのお話。アイヌ文化がかろうじて消滅を免れたのは、この二人の出会いがあったからなのだという事を初めて知りました。和人とアイヌの間には厳しい歴史があったし、今も解消されている訳ではないということも…… この事は、ずっと心に引っかかったままでした。
そして5回目。今年ついに完結編が発売されたあの漫画! 「ゴールデンカムイ」! その出現と爆発的人気!
めちゃくちゃ面白い! 莫大な金塊をめぐるバイオレントな展開の中に織りなされる、賢く大自然を生きるアイヌの人と文化の物語!
はまっちゃいました!
しかも今年、白老町に国立民族学博物館ウポポイが誕生!
。。。この数年の間に北海道には何度も行ってるのに、不覚にもアイヌ関連の事をほとんど忘れてた。。。
これは、もう一度北海道に行くしかない!!
折に触れよみがえり、いつも心のどこかにあった、懐かしいアイヌの郷を訪ねる旅! 寒くなる前にレッツゴー!!
☆もちろん、温泉と、グルメを組み込むことも、ちゃっかり忘れませんでしたけれど。
というか、どっちがホンボシなんだか・・ ( ;∀;)
そちらの方は、もう一つの旅行記にまとめましたので、よかったら覗いてみて下さい。
https://4travel.jp/travelogue/11786910
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
なんと言っても、旅立ちの決め手は、この「ゴールデンカムイ」です。
北海道を舞台にした、金塊争奪戦のハチャメチャ冒険歴史漫画。
主人公は、日露戦争帰りの不死身の杉本と、可愛くもサバイバルなアイヌの少女アシリパちゃん。
読んだ人なら今更解説は不要でしょうし、読んでない人には何のこっちゃ分からないと思いますが、とにかく今、一大ブームを巻き起こしているコミックですね。
私らもすっかりはまっちゃいました。なにしろ、面白くって!!
狩猟民族であるアイヌの技術や生活の知恵がかなり正確かつ丁寧に書き込まれているのが、大きな魅力。
ウポポイに行かなくちゃ! -
道南を選んだのは、そりゃ何と言っても白老の「ウポポイ」見たさですが、超有名な温泉、登別にも泊まりたかったからです。
その、北海道最初の地、登別温泉で、いきなり驚かされました。
ここはお宿「滝乃家」のロビーの一隅ですが、書棚の本の中に、ビックリするような物を見つけたんです!登別温泉郷 滝乃家 宿・ホテル
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えっ?! 知里幸恵のノート!?
登別温泉郷 滝乃家 宿・ホテル
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なっなんと、知里幸恵の書いたアイヌ語日本語対訳ノートです。
まさか原本ではないでしょうね?!たぶん出版されてはいないと思います。コピーかしらん??
でも、なんでこの旅館に??
・・・え?! 知里幸恵はこの辺りの出身なんですか!!知らなかった! -
彼女がこの辺りの出身だということは、ほんとに知りませんでした。
だから、こんなノートが置いてあるんだろうか?
明治維新後の北海道では、アイヌの邦人への同化政策が進められており、言葉も日本語を習得することが奨励されていました。文字を持たないアイヌにとって重要な文化の伝達・継承手段であるアイヌ語がまさに消え去ろうとしていたのでした。
そんな時に言語学者金田一京助に出会ったアイヌの少女知里幸恵は、アイヌ文化の大切さに目覚め、これを守り残すために、自分の語学力のありったけを使って、「神謡集」を世に問うたのです。
「神謡集」は、アイヌに伝わるカムイのお話です。 -
知里幸恵19歳の写真。上京して、金田一の家で神謡集に取り組んでいた頃のものでしょう。
彼女は「神謡集」を書き上げたまさにその晩、心臓の発作で亡くなりました。享年19歳。今から100年前のことです。
1903年生まれの幸恵は、当時珍しかった女学校に、ただ一人のアイヌとして入学を果たしています。その彼女の類まれな才能の故に世にアイヌ文化を知らしめることとなったその「神謡集」。 -
嬉しくてたまらないハナ。
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アイヌ語と和語(日本語)の対訳。知里幸恵の仕事です。
文字を持たず、口頭での伝承で伝えて来たアイヌの文化を残すには、録音も大事ですが、文字に残すことこそ喫緊の課題でした。それを、知里幸恵がアイヌ語と日本語の文章能力のありったけを駆使して成し遂げたのです。
女学校に学んだ彼女は、ひらがなや漢字のほかにローマ字も読み書きすることが出来ました。幸恵は、発音やイントネーションの難しいアイヌの言葉をローマ字に起こし、更に日本語の訳を付けたのです。
これによって、アイヌ文化が絶滅から救われる道を開いたと言っても過言ではありません。知里幸恵、すご~い!
そのノートをここで見ることができるなんて!!
ハナは驚きでハイテンション! \(◎o◎)/! -
こんな本も。
「神謡集」の解説本かな? -
銀の滴 降る降る まわりに
金の滴 降る降る まわりに -
更に本棚を探すと、こんなにたくさんアイヌの関連本が見つかりました。
貴重な蔵書です。
滝乃家さんに、幸恵の事をもっと聞いてくればよかった・・・
後の祭り・・・ いつか、もう一度お訪ねしよう。
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次のワンダーポイントも、やっぱり登別温泉郷でした。
ロープウエイでクマ牧場へ上がり、プラプラ歩いていると、こんな看板を見つけたんです。
何々? アイヌコタンの再現?! 1966年にすべてアイヌの伝統の手法により作られたアイヌコタンですって!!のぼりべつクマ牧場 テーマパーク
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ロープウエイの駅を降りて右手に歩いて行くと、素朴な小道の先にコタンのチセが見えて来ます。
へぇ~~ こんな所にアイヌの村を再現してあるんだね?!
知らなかった。 うっかりスルーしちゃうとこだったよ ('ω')のぼりべつクマ牧場 テーマパーク
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代表的なコタンのチセ。
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お部屋はワンルーム。真ん中に炉がきってあります。吊り棚は、魚や肉を上に置いて燻製にするためにも使われました。
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天井に上がった煙には、殺菌や消毒の役目も。
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こちらは倉庫ですね。高床式で、ネズミ返しが付いています。
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大きい家。共同祭りや集会に使われたそうです。全体の写真は撮り損ねました・・
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ここは、今では見ることのできなくなった生活用品を復元して、展示してあるようです。
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「ご自由にお入りください」とあり、もちろん無料、管理人の姿もありません。
興味津々入ってみました。 お邪魔しま~す (^^♪ -
わーお、お宝の山!!
様々な道具や雑貨がギッシリ詰まっています! -
刺繍をほどこした着物。土台の着物は、木の皮や草を編んだものもありますが、日本やロシアから交易で手に入れた木綿の着物が使われることが多かったそうです。
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儀式や祭りの主役、イナウと呼ばれる御幣。
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イオマンテで魂をカムイモシリへ送られた子熊の頭骨でしょうか?
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様々な狩りの道具。
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こちらは女用小刀、メノコマキリ。アシリパちゃんが使ってるよね (*´▽`*)
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アシリパちゃんが頭に巻いてるのはコレだ!
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祭祀用の椀などの塗り物は、交易によって日本からもたらされたものでしょう。
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「靴を脱いで、どうぞお上がりください」って。
わ~い こんなこともさせてくれるんだね! -
川下りの気分♪
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ガラスケースの中の物以外は、自由に手に取っていいんですって。
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まな板です。ゴールデンカムイにもしばしば登場しましたね。
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ユーカラの伝承者、金成マツさんのお写真。
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このコタンの入り口辺りに売店があります。この方がお店のおねえさん。
実はアイヌの踊りを踊るダンサーさんなんですって。ウポポイでも踊るし、全国を回ったこともあるそうです。
アイヌの踊りは中腰の振り付が多く、見た目以上にきついんだとか。
とっても優しい方でした。で、勧められて、ハナはアイヌの衣装を着せてもらいました。これも無料です。のぼりべつクマ牧場 テーマパーク
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そのいで立ちで、記念撮影。
マリン君が一言。 「あ、フチ(おばあちゃん)だ!」
ウッムムム・・・ さすがにアシリパは無理か・・・ だよね・・・のぼりべつクマ牧場 テーマパーク
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このお店でゲットした、アシリパちゃんのキーホルダー!!
一番人気で、すぐに売り切れるんだそうです。 (*^^)v
登別温泉郷、面白かった~! -
翌日、念願のウポポイに行きました。
ウポポイ (民族共生象徴空間) 美術館・博物館
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うわ、イオマンテの熊の仔?!
ウポポイ (民族共生象徴空間) 美術館・博物館
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カラフルな刺繍の衣装は珍しい。
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さすがにウポポイは展示品も豊富です。
でもね、ぜ~んぶガラスの中。お行儀よく並べられています。分類され整理された品々は、学術的には価値が高いのかも知れませんが、生活感などはあまり伝わって来ません。ウポポイ (民族共生象徴空間) 美術館・博物館
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こんなパネルを見つけました。
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左上の写真は、樺太アイヌの人たちと日本兵の図ですね。
明治維新後、日本政府によってサケ漁を始めとする狩猟の権利を奪われ、生活の術を失っていったアイヌたち。アイヌ語が禁止され、日本語を使うよう強制されたアイヌたち。そういった、アイヌにとっても日本にとっても不幸な負の歴史も、忘れる訳にはいきませんね。 -
アニメ風の展示。分かりやすい工夫もしてあります。
でもやっぱり、昨日のコタンの方がよっぽど良かったよね~~ などとつぶやきながら、半分も回らずに出てきてしまいました。
なんというか、アイヌ文化が大事にされているというより、記念物のように祭り上げられちゃってる、、、そんな感じがして・・・
せっかくはるばる行ったのに、もったいなかった気もするけど、なんかこう、違うよね~~ って感じで・・・
決してウポポイをけなしているのではありません。
・・・アイヌ文化のこれだけ大がかりで丁寧な展示は、今後多くの関心を日本の国内外にもたらしてくれるのだろうと思います。
それだけに、それだからこそ、ウポポイには期待する気持ちがいっぱいなのです。 -
福岡に戻ったら、博多リバレインのアジ美で「ゴールデンカムイ展」をやっていました。早速日時指定の予約を取って見に行きました。
大盛況でしたが、ほぼコミックの拡大パネル展示。グッズ目当てのファンも多いのようです。
それにしても凄い人気だね~ ((+_+))博多リバレイン 名所・史跡
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もう一つ、たまたま福岡で上映中だったこの映画の事を。
衝撃をうけました。
30年前のフィルムです。やっと映画として完成して日の目を見たのだとか。
実際のイオマンテを終始追ったドキュメンタリーです。このチラシにある狐の仔をカムイモシリに送る儀式の、その一部始終。
右側にいる老人が、当時まだアイヌの儀式をアイヌの言葉で執り行うことのできた、数少ない古老の一人。
祭りのクライマックス、狐の仔の皮剥ぎと解体も撮影されていました。
儀式の祈りは何とも長々しく、時に単調とも言える映画でしたが、やらせでも何でもない本当の儀式の様子に、観客はほぼ全員釘付けになっていたと思います。
心底、震えました。
動物の肉や毛皮は、カムイからの贈り物であり、その魂を肉体から解放してやるのが、カムイモシリ(カムイたちの暮らす所)へ帰してやる唯一の方法なのだと、本気でアイヌの人たちが考えていたのだと、よく分かりました。
狩猟民族であるアイヌは、動物や植物の恵みによって生きながら、決してそれらを粗末に扱うことなく、深い感謝の心をささげていたのでした。世の中のほぼすべての物はカムイなのだ、という考えです。
現代の私たちはどうでしょう。思わず、考え込んでしまいました・・・
アイヌのことを考えていたこのタイミングでこの映画に出会えた奇跡に、スピリチュアルなものを感じずにはいられません・・・
出会うべくしての出会いだったのか・・・ -
最後に、忘れてはならない、中川裕先生。
千葉大学の教授で、アイヌ語研究の第一人者。野田サトル氏の漫画「ゴールデンカムイ」のアイヌ語監修者です。
この本「アイヌ文化で読み解く『ゴールデンカムイ』」は超おススメ。ゴールドラッシュに沸いた北海道の歴史も、アイヌの文化も、これを読めば超納得なこと請け合い!!
NHKの「百分で名著」にも登場。中川先生なかりせば、コミックもこうまでヒットしたかどうか!
えへへ、肩入れし過ぎ??!
だって、中川先生の解説では、
カムイとは、「環境」と言い換えてもいい と。
なるほどなるほど、そうか、そうなんだ!!
現代では忘れられようとしている、環境への感謝の気持ち・・・
深いですよ~
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この旅行記へのコメント (2)
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- ねんきん老人さん 2024/08/28 11:36:30
- 異文化への傾注、その感性に羨望します!
- はなまりんさん、こんにちは。 漫画を読んだりテレビ番組を観たりという体験から現実のアイヌ文化に傾注されてゆくはなまりんさんの感性に驚くと同時に、羨ましいというか、追いつけないという劣等感を抱いてしまいました。
コロボックルは私も小学生のころに不思議な世界として驚かされましたが、いつの間にか関心が薄れてしまいました。
やはり小学生のときに、今でいう演劇鑑賞か異文化講習のような形でアイヌの一団が学校に来て、歌や踊りを披露してくれたことがありましたが、なんだか垢ぬけない見世物だぐらいに受け取ったような記憶しかありません。
後年、旭川でアイヌ文化村に行ったときも、退屈な印象しかありませんでした。
そういう私が「そのとき歴史が動いた」を観たとしても、たぶん、あーそうかで終わっていたと思います。
それに比べてはなまりんさんは千里幸恵さんのノートを手に記念写真を撮るほど感動なさって、また漫画の中に散りばめられたアイヌの歴史と文化をむさぼるように勉強され、我が事のように理解なさっているのですから、この違いはどこからくるのだろうと思ってしまいました。
それは、同じものを見聞きしても、そこからあれこれを感じ取って自分の世界を広げてゆく感性の違いなのですね。
私の歳ではもう手遅れですが、はなまりんさんがそれほど傾注なさったアイヌ文化というのはどんなものなのだろうという気持から、パソコンで「ゴールデンカムイ」の無料試し読みというのを覗いてみました。 むろん断片的で、何が何やらさっぱり分からないのですが、あとで改めてゆっくり読んでみます。
それと、はなまりんさんが登別に再現されたアイヌコタンを見学なさったときのお話で、いろいろな展示物を触って学べることに感心なさっていましたが、まったく同感です。
触るということは対象を理解する上でとても大切なことで、海外の美術館や博物館が絵画以外の展示物についてはかなり緩い規制しかしていないのに比べて、日本では大抵が「お手を触れないでください」という注意書きやガラスケースによって見るだけの鑑賞になっていることに憤慨してしまいます。
さすがに今はあの「ミロのビーナス」の周りにちゃちなモールが張られていますが、私が学生時代に行ったときは、ビーナス像はいつも3か所が汚れている、と言われていたくらいで、触り放題でした。 (むろん私も触りました)
ビーナス像を触ったからといって理解が深まるものではありませんが、縄文土器などは触らなければ実用品としての価値はまったく感じられませんね。
ウポポイにも行ったことがありませんが、行けばたぶん、はなまりんさんと同じく生活感などを感じられずに終わると思います。
ねんきん老人
- はなまりんさん からの返信 2024/08/28 16:47:12
- おっしゃる通り、『触ること』って大切ですよね?!
- 年金老人さん、こんにちは。
書き込みをありがとうございます。
いつもながら、深いところまで読み取って頂けることに驚くやら嬉しいやら、感謝です!
そうですよね。触ることって大事ですよね。五感フル動員でなければ、分かることはとても少なくなってしまうような気がします。見る、だけでなく、聞く・嗅ぐ・触る も、とても大事だと思います。
年金老人さんも同感なんですね?! 同志ですね! ハイタッチ~~♪♪!!
ところで、漫画やテレビからインスパイアされて、という下りのご指摘は、ちょっと面映ゆいです… 私はただのミーハーに過ぎません。
小学校に上がるか上がらないかの年頃から、漫画にどっぷり浸っていました。漫画文化の草分けの頃にすでにはまってた、いわばマンガオタクみたいなものです。
手塚治虫・水野英子・石森章太郎・萩尾望都・・・ああ懐かしい・・・・
アイヌ文化への関心というのは、何故なのか自分でもよく分かりませんが、人生の折々でふっと現れるアイヌという文字に、なんとなく惹かれるものを感じてしまいます。たぶん、アイヌの人たちの価値観や世界観にいつの間にか魅了されているのでしょう。
はなまりん
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