2022/09/04 - 2022/09/04
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広島の県北に三次という町がある。三次市は江戸時代には三次藩が置かれ、県北エリアの中核をなす町として栄えた。西城川、馬洗川、江の川といった三本の川の合流地点であり、川を用いた運搬や漁業も盛んで、現在でもカワウによるアユ漁も継承されている。
初代藩主浅野長治により立藩され、三次藩の成立により三次は重要度が増した。そして三次藩の阿久利姫が赤穂藩の浅野内匠頭に輿入れしたことから、赤穂藩が浅野内匠頭の改易になった際に、三次浅野藩は行き場を失った多くの藩士などを受け入れた。私の祖先もそのうちの一人でもあった。
現在三次藩にかかわる建物は残念ながらほとんど残されていないので、ぜひ再建してほしいものだ。とはいえ、三次町には往年の繁栄を垣間見ることができるので、ぜひ訪れてみたい場所でもある。
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数十年ぶりの三次。祖母の故郷でもある。三次市は西城川、馬洗川、江の川の三つの河川が合流する場所が中心部となっている。そのうちこの巴橋は広島市民でも知っている三次の象徴的な橋だ。赤色の橋がとても印象に残る。
巴橋 名所・史跡
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三次市は三次駅周辺と三つの河川の合流地点の三次町の二つのエリアがかつて栄えていた場所だ。
三次駅の方では獣の売買が行われ、三次町界隈とはカラーが違うと、祖母が話していた。この三次町は浅野三次藩のおひざ元のエリアでもある。みよし本通り商店街 名所・史跡
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三次町でひときわ目立つ建物は旧広島銀行三次支店。元々は広島県農工銀行三次支店として大正13年(1924年)に建設された建物で、重厚なつくりで三次町の象徴的な建物であるともいえる。その後日本勧業銀行の三次支店を経て昭和25年(1950年)から平成17年(2005年)まで広島銀行三次支店として使われていた。
江戸時代にはこの場所には「堺屋」と呼ばれる商家があり、幕府の御用や藩の紅葉での休憩所や宿泊所にもなっていたという。 -
三次町のみよし本通り。江戸時代から戦前戦後まで三次の中心部として栄えていた城下町だ。元々そのすぐそばに三次藩の藩邸があり、このエリアは多くの商人たちで繁栄していた。げんざいもこうして当時の面影を残し、観光スポットとなっている。
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みよし本通りでは旧広島銀行三次支店と並び象徴となっている建物は旧三次銀行本店。昭和2年(1927年)に三次銀行本店として建設された建物だ。昭和20年(1945年)に芸備銀行の中町支店をへて三次郵便局としても使われた。現在は辻村寿三郎人形館として活用されている建物だ。
辻村寿三郎人形館 美術館・博物館
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Cafe 地球屋として使用されている建物。かつて庄屋や呉服店などが建ち並んだみよし本通り。江戸時代以来この周辺は栄えていた。当時の建物はうだつとよばれる防火壁が作られているが、うだつにはそれぞれ商店のロゴや名前が入っており、看板のような役割にもなっている。祖母の家もこの周辺で江戸時代以来この周辺で昭和初期まで呉服店を営んでいた。
Cafe 地球屋 グルメ・レストラン
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うだつが街並みを映えさせる
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みよし本通りに面するばしょに山門がある法音寺。
法音寺 寺・神社・教会
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日蓮宗の寺院だ。みよし本通りに面する山門の間口は狭いが、建物自体は平屋で小さな本堂だが趣があり、訪れてみたい寺院である。
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中に入ると意外と広く敷地には緑で覆われ美しい神社の社もある。
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みよし本通りを歩くともう一つ立派な寺院がある。それが照林坊だ。
照林坊 寺・神社・教会
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照林坊の山門1665年に建設されたものだ。
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親鸞六老僧の一人で、鎌倉最宝寺を開山した明光が備後の地に12世紀後半から13世紀に建設された。寺院だ。その後1507年に広島(安芸国)の高田郡に移設され、現在のこの地に移設されたのは1601年のことだ。国登録の有形文化財にも指定された寺院でもある。
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現在の本堂は1852年に建立された。
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みよし本通りの南端に位置するのが住吉神社。西城川、馬洗川、江の川といった三本の河川の合流地点でもある三次ではアユ漁は昔から盛んで、現在でもカワウを使ったアユ漁が伝承されていることで知られている。また筏師や船の運航も多かったことから河川の安全や豊漁を祈願するために作られたのが住吉神社だ。その起源は江戸時代にまでさかのぼる。
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住吉公園の目の前は昭和40年ごろまで松があった。三次藩主初代浅野長治が植樹したと言われているものだ。
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みよし本通りでひときわ目立つ看板がある。それは旧和洋酒サカキヤというお店の看板。以前はお酒が店頭に飾られていたのだと思われるが、現在は三次人形が置かれている。現在は介護施設となっているようだが、往年の繁栄を今に伝える看板として残されており、注目の建物だ。
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みほし本通りを北へ歩いていくとTの字になった交差点に差し当たる。因みに商店街自体はかぎ型に作られており、まだ先に続くわけだが、この突き当りには神社がある。それが胡子神社だ。両サイドの建物に押しつぶされそうになっておりとても圧迫感を感じさせる神社だ。
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鍵の字になった先のみよし本通りはこのような感じだ。
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みよし本通りと隣に並行して走る中通りの間にはいくつか「小路」と呼ばれる小さな脇道が存在する。その中でも景観が整えられているのは「万光小路」だろう。江戸時代を彷彿させるような大八車や植木、そして昔ながら建物が並び、タイムスリップしたようにも感じさせる。
万光小路 名所・史跡
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みよし本通りにある古い建物には酒造所もある。それが白蘭酒造。現在この酒造所が営業しているのかは不明だ。
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三次市の三次町と言えば、昔は三次一番の繁華街だった場所。今では信じられないほどひっそりとしている。現在三次町の商店街は再整備され観光地化されたが、そんな通りにできたお店が「よりんさい」。広島弁で一般的に言えば「きてみなはれ」といったところか。
よりんさい グルメ・レストラン
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定食が用意されており懐かしい塩味のうどん。祖母が作っていたうどんはまさにこれ!広島市内では同じ味のうどんにあったことがなかった。30年ぶりに祖母のうどんと全く同じ味に出会ったことに非常に驚かされた。
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醤油はほとんど使っておらず、とても懐かしい味つけ
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さて再び散策。
こちらは三次藩館跡。
関ヶ原合戦後に毛利輝元が広島から転封され、福島正則が広島藩に入封した。
しかしその後改易され浅野家が入ってきたが、その浅野氏は分家し、寛永9年(1632年)に三次藩が立藩され、浅野長治が初代藩主となった。石高は五万石。藩邸はこの地にあったと言われているが、ぜひ屋敷跡を再現してほしいものだ。三次藩館跡 名所・史跡
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三次藩館跡のすぐ近くには頼杏坪(らいきょうへい)の自宅がある。
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頼杏坪は文政11年(1828)から3年もの間、三次町奉行を務めていた。
頼杏坪役宅 名所・史跡
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頼杏坪は頼山陽の叔父にあたる人物でもある。
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頼杏坪は頼山陽の叔父にあたる人物でもある。頼杏坪が住んでいた当時のままを保存しており、内部も見学することができる
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飢饉備蓄用に穀物を保管しておいた三次社倉。広島県指定の史跡でもある。頼山陽の叔父、頼杏坪が三次郡の代官在職中に建てたと伝えられている。現在この倉は一般人が使用しており、内部の見学はできず、内装などはかえられているが、外観は当時の趣をそのまま残している。
三次社倉 名所・史跡
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銅板が焼けて何を書いているのかよく見えない。
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三次町の観光を終え、尾関山方面に車を向かわせた。尾関山といえば、三次の桜の名所でもある。その尾関山の向かいには比熊山城跡がある。戦国時代には毛利氏の城の1つとして築かれた
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尾関山の前には鳳源寺がある。1633年に創建された。浅野内匠頭の夫人は三次藩から輿入れする際、赤穂浪士で有名な大内内蔵助良雄もこの地に訪れ、桜を手植えしたと言われている。
鳳源寺 寺・神社・教会
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赤穂浪士の大石内蔵助良雄は、阿久利姫が浅野内匠頭長矩の輿入れの際、大石内蔵助が手植えしたと伝えられる桜
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三次藩初代藩主浅野長治により建立された寺院。
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鳳源寺には稲荷大明神がある
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神々しい場所だ。
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三次浅野藩の解説がある。
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瑤泉院像とは阿久利姫の名前としても知られている。三次藩浅野家から輿入れした。
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あこうろうしのぎしどう
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浅野家合塔
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浅野家合塔付近から見た三次市の風景
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菩提寺の横から初代藩主浅野長治の墓へのつながる道がある。
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次に浅野長治公墓所に行こうと浅野長治公墓所参道を進んだが、これがとんでもないことになっていた。一部は獣道二みたいになっているわ、倒木はあるわ、ひどい惨状だった。三次市ももう少し整備したほうが良い。
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ここなんてまだましだが、せっかくの初代藩主の参道だ。何とかしてほしい。
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ホンマこのみちであっとるんか?と思いながら進んでいき、ようやく看板があり、会っていたことが分かった
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やっとのことでたどり着いた。
備後三次藩初代藩主 浅野長治公の墓 名所・史跡
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廃墟に近い参道をこれはホンマ何とかしてほしい。駐車場の尾関山公園に戻る。
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尾関山公園には清心池がある。
枯山水の池だが,池の傍らに浅野長治の三女 阿久里姫(瑤泉院)の石像がたつ。 -
尾関山公園にも阿久利姫の像がある。
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祖母の子供のころ、祖母の叔父は尾関山を占有して遊女を集めて蛍を話して蛍狩りをさせていたり、豪勢な花見を開いていたりしていたのだとか。今では考えられない話だ。
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尾関山は意外と広い。桜の名所としても知られている
尾関山公園 公園・植物園
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三次を離れていく。
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安芸高田市にできた三矢の里、あきたかた。「三矢」とは安芸高田の地元が輩出した戦国武将、毛利元就の三子教訓状の3つの矢からきたもの。あきたかたは「安芸高田」だ。ここには食堂やたこ焼き屋、地元のお土産が販売されている。お勧めは地元のケーキやプリンといったスイーツ150~500円程度で手ごろな価格で売られているのでぜひ手に取ってほしい。
道の駅 三矢の里あきたかた 道の駅
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