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【思い出の旅 番外編】<br />夏の一日、ふらりと東京の坂道を歩いてみた。この時巡ったのは、神田駿河台界隈。歩いてみると、そこかしこに、江戸から東京へと紡いで来た、この街の歴史が見えて来た。<br /><br />(2022.08.21投稿)

東京坂道散歩~神田駿河台界隈~

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2006/08/13 - 2006/08/13

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旅猫

旅猫さん

【思い出の旅 番外編】
夏の一日、ふらりと東京の坂道を歩いてみた。この時巡ったのは、神田駿河台界隈。歩いてみると、そこかしこに、江戸から東京へと紡いで来た、この街の歴史が見えて来た。

(2022.08.21投稿)

旅行の満足度
3.5
観光
3.5
交通
4.0
交通手段
JRローカル 徒歩
  • 秋葉原駅から街歩きを始める。神田駿河台へは、電気街を過ぎ、万世橋を渡って行く。橋の上からは、南詰に煉瓦造りの長い建物が見える。国鉄中央本線の旧万世橋駅の高架橋である。高架橋がある場所は、江戸時代、江戸城三十六見附に数えられた筋違見付があった場所で、神田川には筋違橋が架けられていたが、その面影は今は無い。<br />※現在は、商業施設『mAAch ecute(マーチエキュート) 神田万世橋』となり、外観が変わっています。

    秋葉原駅から街歩きを始める。神田駿河台へは、電気街を過ぎ、万世橋を渡って行く。橋の上からは、南詰に煉瓦造りの長い建物が見える。国鉄中央本線の旧万世橋駅の高架橋である。高架橋がある場所は、江戸時代、江戸城三十六見附に数えられた筋違見付があった場所で、神田川には筋違橋が架けられていたが、その面影は今は無い。
    ※現在は、商業施設『mAAch ecute(マーチエキュート) 神田万世橋』となり、外観が変わっています。

  • 万世橋も神田川に架かっている。現在の橋は、関東大震災後の帝都復興計画により、昭和5年(1930)に架けられたものである。その親柱は、とても立派なものである。昭和47年まで都電が走っていたのが、嘘のような風景であった。

    万世橋も神田川に架かっている。現在の橋は、関東大震災後の帝都復興計画により、昭和5年(1930)に架けられたものである。その親柱は、とても立派なものである。昭和47年まで都電が走っていたのが、嘘のような風景であった。

  • 橋を渡り切ると、歩道脇に古びた鉄柱が立っている。気に留める人もいないほどさり気無く立っているが、103年前に建てられた、今は無き都電の架線柱である。貴重な歴史の生き証人である。<br />※現在は撤去されています。

    橋を渡り切ると、歩道脇に古びた鉄柱が立っている。気に留める人もいないほどさり気無く立っているが、103年前に建てられた、今は無き都電の架線柱である。貴重な歴史の生き証人である。
    ※現在は撤去されています。

  • 旧万世橋駅の跡地に建てられた交通博物館の前を通る。子供の頃、何度か訪れたことがあるが、5月に閉館となってしまった。<br />※現在、跡地にはJR神田万世橋ビルが立っています。

    旧万世橋駅の跡地に建てられた交通博物館の前を通る。子供の頃、何度か訪れたことがあるが、5月に閉館となってしまった。
    ※現在、跡地にはJR神田万世橋ビルが立っています。

  • 交通博物館の前から歩き、須田町交差点を渡る。休日なので、交差点から北側は歩行者天国となっている。この辺りは、江戸時代、神田須田町一丁目の街並みがあったのだが、区画がすっかり変わってしまっている。<br />※現在、歩行者天国は、万世橋から北側のみとなっています。

    交通博物館の前から歩き、須田町交差点を渡る。休日なので、交差点から北側は歩行者天国となっている。この辺りは、江戸時代、神田須田町一丁目の街並みがあったのだが、区画がすっかり変わってしまっている。
    ※現在、歩行者天国は、万世橋から北側のみとなっています。

  • 交差点を渡り、反対側の歩道を万世橋へと戻る。その途中、神田駅へと向かう高架橋が横切っている。第2小柳町橋高架橋と呼ばれるもので、大正9年(1919)の東京駅延伸に際して造られたものである。この部分はコンクリート造りだが、万世橋駅までの煉瓦造りと連続性を持たせるために、煉瓦タイルを張り付けてある。

    交差点を渡り、反対側の歩道を万世橋へと戻る。その途中、神田駅へと向かう高架橋が横切っている。第2小柳町橋高架橋と呼ばれるもので、大正9年(1919)の東京駅延伸に際して造られたものである。この部分はコンクリート造りだが、万世橋駅までの煉瓦造りと連続性を持たせるために、煉瓦タイルを張り付けてある。

  • コンクリート造りではあるが、煉瓦造りと同じように装飾が施してある。とは言え、万世橋駅までのものと見比べると、簡素な造りである。

    コンクリート造りではあるが、煉瓦造りと同じように装飾が施してある。とは言え、万世橋駅までのものと見比べると、簡素な造りである。

  • 高架橋を潜ると、万世橋の南詰に出る。袂から眺めると、北詰に窓のようなものと吐口が見える。後で調べてみたが、よく分からない。ただ、窓がある場所は、警察署の倉庫として使われていたという記録があるそうだ。

    高架橋を潜ると、万世橋の南詰に出る。袂から眺めると、北詰に窓のようなものと吐口が見える。後で調べてみたが、よく分からない。ただ、窓がある場所は、警察署の倉庫として使われていたという記録があるそうだ。

  • 橋から下流側へ歩いて行くと、柳森神社がある。かの太田道灌が江戸城の鬼門封じとして伏見稲荷を勧請したと云われる社である。境内は狭いが、富士塚の跡や力石などを観ることが出来る。

    橋から下流側へ歩いて行くと、柳森神社がある。かの太田道灌が江戸城の鬼門封じとして伏見稲荷を勧請したと云われる社である。境内は狭いが、富士塚の跡や力石などを観ることが出来る。

  • その片隅に、おたぬき様と呼ばれる社が鎮座している。小さな社であるが、徳川5代将軍綱吉の生母桂昌院が江戸城内に勧請した福寿神で、百姓の娘から将軍生母にまで昇り詰めた院にあやかろうと、大奥の女中たちに信仰されていたそうである。

    その片隅に、おたぬき様と呼ばれる社が鎮座している。小さな社であるが、徳川5代将軍綱吉の生母桂昌院が江戸城内に勧請した福寿神で、百姓の娘から将軍生母にまで昇り詰めた院にあやかろうと、大奥の女中たちに信仰されていたそうである。

  • 柳森神社から引き返し、再び交通博物館側へと戻る。手前の中央線の高架下には、秋葉原らしい電気部品を商う店が軒を連ねている。ラジオガァデンと呼ばれる場所で、戦後、移転してきた露天商が前身だそうである。<br />※現在は、ほとんどの店が閉店しています。

    柳森神社から引き返し、再び交通博物館側へと戻る。手前の中央線の高架下には、秋葉原らしい電気部品を商う店が軒を連ねている。ラジオガァデンと呼ばれる場所で、戦後、移転してきた露天商が前身だそうである。
    ※現在は、ほとんどの店が閉店しています。

  • 交通博物館の前を通り、かつて、都電が四方向へ線路を伸ばしていた須田町の交差点に出る。そこを北へと曲がり、交通博物館沿いに歩いて行く。その辺りは、かつて、八辻原と呼ばれる火除地があり、駿河台や小川町などへ至る八つの口があったことから、八辻小路とも呼ばれていた場所である。振り返ると、その先には、中山道沿いに続く神田須田町があった。

    交通博物館の前を通り、かつて、都電が四方向へ線路を伸ばしていた須田町の交差点に出る。そこを北へと曲がり、交通博物館沿いに歩いて行く。その辺りは、かつて、八辻原と呼ばれる火除地があり、駿河台や小川町などへ至る八つの口があったことから、八辻小路とも呼ばれていた場所である。振り返ると、その先には、中山道沿いに続く神田須田町があった。

  • さらに進むと、神田郵便局前交差点に出た。江戸時代、そこは八辻原の北端に当たり、北側には昌平橋があり、南側には将軍御成道が続いていた。中山道は、ここから昌平橋を渡り、江戸城の外へと出て行くのである。

    さらに進むと、神田郵便局前交差点に出た。江戸時代、そこは八辻原の北端に当たり、北側には昌平橋があり、南側には将軍御成道が続いていた。中山道は、ここから昌平橋を渡り、江戸城の外へと出て行くのである。

  • 昌平橋に出て、上流側の景色を眺める。神田川の上を総武緩行線の鉄橋が横切っている。右岸には中央本線が走り、左岸には川際まで建物が迫っている。雑多な建物がひしめき合う左岸は、江戸時代、昌平河岸があった場所であるが、その面影は全くない。

    昌平橋に出て、上流側の景色を眺める。神田川の上を総武緩行線の鉄橋が横切っている。右岸には中央本線が走り、左岸には川際まで建物が迫っている。雑多な建物がひしめき合う左岸は、江戸時代、昌平河岸があった場所であるが、その面影は全くない。

  • 神田郵便局前交差点から、この日最初の坂を上る。淡路坂である。坂の上に、鈴木淡路守の屋敷があったことが坂名の由来とされている。別名を一口坂と言うが、これは、太田道灌の娘が疱瘡 (いもあらい)に罹った際、その治癒に感謝して勧請した一口稲荷(太田姫稲荷神社)に因むものである。坂の途中には柳があり、なかなか風情があった。<br />※現在、柳の木はありません。

    神田郵便局前交差点から、この日最初の坂を上る。淡路坂である。坂の上に、鈴木淡路守の屋敷があったことが坂名の由来とされている。別名を一口坂と言うが、これは、太田道灌の娘が疱瘡 (いもあらい)に罹った際、その治癒に感謝して勧請した一口稲荷(太田姫稲荷神社)に因むものである。坂の途中には柳があり、なかなか風情があった。
    ※現在、柳の木はありません。

  • 柳の木があるところから脇道へと入る。すると、その先に突然、昭和の町並みが現れた。懐かしい東京の下町の風情も感じる。ビルばかりの都心部にあって、奇跡のような街並みである。角の家の前では、ムクゲが白い花を咲かせていた。<br />※この街並みは、再開発による区画整理が行われ、失われています。

    柳の木があるところから脇道へと入る。すると、その先に突然、昭和の町並みが現れた。懐かしい東京の下町の風情も感じる。ビルばかりの都心部にあって、奇跡のような街並みである。角の家の前では、ムクゲが白い花を咲かせていた。
    ※この街並みは、再開発による区画整理が行われ、失われています。

  • この界隈は、若狭小浜藩酒井家上屋敷の北西端に当たる場所である。明治以降は、病院や学校があった場所だが、その後、住宅地となったようだ。木造の民家や細い路地などが残り、東京らしさを感じる場所である。<br />※この街並みは、再開発による区画整理が行われ、失われています。

    この界隈は、若狭小浜藩酒井家上屋敷の北西端に当たる場所である。明治以降は、病院や学校があった場所だが、その後、住宅地となったようだ。木造の民家や細い路地などが残り、東京らしさを感じる場所である。
    ※この街並みは、再開発による区画整理が行われ、失われています。

  • 戦前の建物らしき民家の玄関脇には、琺瑯製の古い住居表示が残っていた。東京府東京市時代、まだ35区あった頃の『神田區』のものである。

    戦前の建物らしき民家の玄関脇には、琺瑯製の古い住居表示が残っていた。東京府東京市時代、まだ35区あった頃の『神田區』のものである。

  • そこから西へと登る坂がある。幽霊坂と言う少々不気味な名の付いた坂である。坂は緩やかに曲がりながら続き、坂の上では南側へ直角に折れていた。その折れ曲がりは、江戸時代にそこにあった火消役斎藤家の屋敷の名残である。当時、坂はその先にある紅梅坂へと続いていたが、今は本郷通りにより寸断されている。<br />※現在、再開発による区画整理により、大きく様変わりしています。

    そこから西へと登る坂がある。幽霊坂と言う少々不気味な名の付いた坂である。坂は緩やかに曲がりながら続き、坂の上では南側へ直角に折れていた。その折れ曲がりは、江戸時代にそこにあった火消役斎藤家の屋敷の名残である。当時、坂はその先にある紅梅坂へと続いていたが、今は本郷通りにより寸断されている。
    ※現在、再開発による区画整理により、大きく様変わりしています。

  • 本郷通りを渡り、紅梅坂を登る。名の由来は、昔、坂上に紅梅で知られた光感寺と言う寺があったことによるらしい。坂の両側には旗本の屋敷が建ち並んでいたが、今は南側に東京復活大聖堂が、その威容を誇っている。

    本郷通りを渡り、紅梅坂を登る。名の由来は、昔、坂上に紅梅で知られた光感寺と言う寺があったことによるらしい。坂の両側には旗本の屋敷が建ち並んでいたが、今は南側に東京復活大聖堂が、その威容を誇っている。

  • その大聖堂は、ニコライ堂と言う名で知られている。重要文化財に指定されている日本最大のビザンチン様式の建物だが、何度観ても、この街には不釣り合いである。

    その大聖堂は、ニコライ堂と言う名で知られている。重要文化財に指定されている日本最大のビザンチン様式の建物だが、何度観ても、この街には不釣り合いである。

  • 坂を上り切ると、御茶の水仲通りに突き当たる。そこを南へと折れると、下り坂となる。そこは、駿河台から小川町へと下る池田坂である。坂沿いに、旗本池田家の屋敷があったことから名付けられたそうである。

    坂を上り切ると、御茶の水仲通りに突き当たる。そこを南へと折れると、下り坂となる。そこは、駿河台から小川町へと下る池田坂である。坂沿いに、旗本池田家の屋敷があったことから名付けられたそうである。

  • 池田坂の途中から西へと緩やかに下る坂は願木坂と呼ばれる。昔は急な坂で雁木が組まれていたそうである。坂沿いには、大学病院などがあった。

    池田坂の途中から西へと緩やかに下る坂は願木坂と呼ばれる。昔は急な坂で雁木が組まれていたそうである。坂沿いには、大学病院などがあった。

  • その雁木坂の南側に並行している坂は、甲賀坂である。旧北甲賀町の南に沿って続く坂で、その先には有名な『山の上ホテル』が建っている。名の由来は諸説あり、よく分からない。ただ、昔、光感寺があったことから、訛って『甲賀』と言う町名となったとも云われている。

    その雁木坂の南側に並行している坂は、甲賀坂である。旧北甲賀町の南に沿って続く坂で、その先には有名な『山の上ホテル』が建っている。名の由来は諸説あり、よく分からない。ただ、昔、光感寺があったことから、訛って『甲賀』と言う町名となったとも云われている。

  • さらに池田坂を下って行くと、駿河台道灌道との交差点の北西角に、樹々に覆われた社が鎮座していた。淡路坂上に鎮座してた太田姫稲荷神社である。昭和6年(1931)に、総武線の御茶ノ水駅への乗り入れによる線路拡張に伴い、ここに遷座したそうである。なかなか風情のある社であった。<br />※再開発により改築され、かなり綺麗に整備されています。

    さらに池田坂を下って行くと、駿河台道灌道との交差点の北西角に、樹々に覆われた社が鎮座していた。淡路坂上に鎮座してた太田姫稲荷神社である。昭和6年(1931)に、総武線の御茶ノ水駅への乗り入れによる線路拡張に伴い、ここに遷座したそうである。なかなか風情のある社であった。
    ※再開発により改築され、かなり綺麗に整備されています。

  • 道灌道を西へと進むと明大通りに出る。そこを南へ少し下ると、右手に分かれて下って行く坂が見えて来る。これが、富士見坂である。今は見えないが、江戸時代には、富士山が奥に見えていたのだろう。

    道灌道を西へと進むと明大通りに出る。そこを南へ少し下ると、右手に分かれて下って行く坂が見えて来る。これが、富士見坂である。今は見えないが、江戸時代には、富士山が奥に見えていたのだろう。

  • 明大通りを北へ進むと、歩道の片隅に『文坂』と刻まれた石柱が置かれていた。しかし、古地図に記載のある『文坂』の場所とは位置が違うようである。江戸切絵図を信じるとすれば、『文坂』は、先ほど歩いた幽霊坂の上部となる。

    明大通りを北へ進むと、歩道の片隅に『文坂』と刻まれた石柱が置かれていた。しかし、古地図に記載のある『文坂』の場所とは位置が違うようである。江戸切絵図を信じるとすれば、『文坂』は、先ほど歩いた幽霊坂の上部となる。

  • 明治通りは、御茶ノ水駅のお茶の水橋口前の交差点に出た。そこの北西角に、お茶の水の石碑が建ってる。江戸時代の初め、この辺りにあった高林寺と言う寺に湧き出していた清水を、江戸幕府2代将軍徳川秀忠が気に入り、お茶用の水として使ったことから、お茶の水と言う地名になったと云うことが刻まれている。

    明治通りは、御茶ノ水駅のお茶の水橋口前の交差点に出た。そこの北西角に、お茶の水の石碑が建ってる。江戸時代の初め、この辺りにあった高林寺と言う寺に湧き出していた清水を、江戸幕府2代将軍徳川秀忠が気に入り、お茶用の水として使ったことから、お茶の水と言う地名になったと云うことが刻まれている。

  • お茶の水橋の上から眺めると、眼下に渓谷のような地形を流れる神田川を望むことが出来る。元々、この辺りは神田山と呼ばれる山があり、武蔵野台地の東端の一部である本郷台地の先端部に当たる。江戸時代の初め、将軍秀忠の命を受け、仙台藩主伊達政宗により開削されたのが今の神田川なのである。このため、仙台堀とも呼ばれている。高林寺は、この掘割の北側にあったそうである。

    お茶の水橋の上から眺めると、眼下に渓谷のような地形を流れる神田川を望むことが出来る。元々、この辺りは神田山と呼ばれる山があり、武蔵野台地の東端の一部である本郷台地の先端部に当たる。江戸時代の初め、将軍秀忠の命を受け、仙台藩主伊達政宗により開削されたのが今の神田川なのである。このため、仙台堀とも呼ばれている。高林寺は、この掘割の北側にあったそうである。

  • お茶の水橋を渡ると外堀通りである。通り沿いに東へと下る坂は相生坂。坂の北側には、湯島聖堂の塀が続いている。

    お茶の水橋を渡ると外堀通りである。通り沿いに東へと下る坂は相生坂。坂の北側には、湯島聖堂の塀が続いている。

  • その塀が尽きた所から北へと登る坂が、昌平坂とされている。

    その塀が尽きた所から北へと登る坂が、昌平坂とされている。

  • 昌平坂を登り切ると、広い通りに出る。旧中山道である本郷通りである。そこも緩やかな坂となってて、これが湯島坂である。

    昌平坂を登り切ると、広い通りに出る。旧中山道である本郷通りである。そこも緩やかな坂となってて、これが湯島坂である。

  • 湯島坂を下ると、神田旅籠町となる。その南側の一角に、講武稲荷神社と言う小さな社がある。この地にあった講武所に因んで名付けられたようである。この辺りは、加賀前田家の中屋敷があったため、加賀原と呼ばれていた時期もある。鬼平犯科帳では馴染みの地名となっている。

    湯島坂を下ると、神田旅籠町となる。その南側の一角に、講武稲荷神社と言う小さな社がある。この地にあった講武所に因んで名付けられたようである。この辺りは、加賀前田家の中屋敷があったため、加賀原と呼ばれていた時期もある。鬼平犯科帳では馴染みの地名となっている。

  • 石丸電機本店の前から総武線の高架沿いに歩いて行けば、秋葉原駅が見えて来る。駅に併設された秋葉原デパートの前まで来ると、物凄い賑わいとなった。これで、今回の街歩きは終わりである。駿河台は坂が多く、なかなか面白い。歴史を感じる場所もあり、思いの外楽しむことが出来た。<br />※現在、秋葉原デパートは閉館となっています。

    石丸電機本店の前から総武線の高架沿いに歩いて行けば、秋葉原駅が見えて来る。駅に併設された秋葉原デパートの前まで来ると、物凄い賑わいとなった。これで、今回の街歩きは終わりである。駿河台は坂が多く、なかなか面白い。歴史を感じる場所もあり、思いの外楽しむことが出来た。
    ※現在、秋葉原デパートは閉館となっています。

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この旅行記へのコメント (12)

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  • hot chocolateさん 2022/08/25 15:39:07
    江戸の街歩き・・・
    旅猫さま

    こんにちは。
    ご無沙汰しております。

    秋葉原! 総武線で20分ほどの近さなのに、あまり用がないせいか大抵素通り・・・
    それでも昔、秋葉原の電気街で買い物したり、万世橋近くの「肉の万世」で肉みそラーメンを食べたことがあります。
    明治大学の坂道を下って、スポーツ用品店でスキー道具を買ったり、総武線沿線の丸善や三省堂で洋書やイギリスやアメリカ発の英語教材を探したりしました。
    Amazonの無い時代でしたから・・・

    秋葉原や神田は、大名や武士の屋敷があった所なので、坂や町の名にその名がつけられていますね。
    由来を確かめながら、街歩きをするのも楽しいでしょう。
    でも、江戸・明治・昭和の情緒が残るお茶の水・神田界隈も、再開発で見る影もなく、寂しいかもしれませんね。

    旅猫さんの旅行記に時折登場する、池波正太郎の「鬼平犯科帳」、実在の人物で、江戸の町を守っていたのですね。
    今度読んでみようかな。

    そうそう、春の京都の旅行記が書き上がりましたので、お時間がありましたら、お遊びにいらしてくださると嬉しいです。

    hot choco

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2022/08/28 08:20:22
    RE: 江戸の街歩き・・・
    hot chocoさん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    秋葉原は、電気街と言う印象が強いので、あまり行かないですよね。
    今は、アニメとメイドの街とも。
    肉の万世は、一度も利用したことはありません。
    気にはなるのですが、いつも素通りしてしまい。。。

    駿河台下は、古本屋やスポーツの店が多いですね。
    昔は良く行きましたが、最近はやはりご無沙汰。

    この界隈は、旗本の屋敷が集まっていたので、武士の街ですね。
    神田界隈は、旧町名に近いものが多く残っているのも魅力的です。
    ただ、再開発の波には勝てず、今や味気の無い街となりつつあります。

    長谷川平蔵は、実在の人物で、非常に優秀な方でした。
    盗賊の捕縛率も群を抜いていたそうです。
    「鬼平犯科帳」を読んでから、江戸の街が身近になりました。
    江戸の地名や景色が浮かびあがってくるようで、とても面白いです。
    ぜひ、読んでみてください。

    旅猫
  • tacさん 2022/08/25 15:13:34
    訂正です。
    ラーメンみすずでした、多分。失礼しました。

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2022/08/28 08:12:25
    RE: 訂正です。
    > ラーメンみすずでした、多分。失礼しました。
    訂正、ありがとうございます!
  • tacさん 2022/08/25 12:52:11
    昔の神田界隈、懐かしいです。
    旅猫さん

    旅行記、拝見して、懐かしくてコメントしちゃいます!
    というのもワタクシ、幼稚園が淡路町で中学が外神田だったんです。

    交通博物館、幼稚園の遠足で行きました!その後も小学生の時に近くへ行けば、
    たしか子供料金が50円をお小遣いからひねり出して伺ってた記憶があります。
    入口脇にあった新幹線が大好きでした。
    幼稚園の帰りに見るニコライ堂が何だか怖かったのも思い出しました。

    また常にお腹が空いていた中学生の時、アキハバラデパートはまさにオアシス
    でした!1Fのテイクアウト出来るお好み焼きやラーメンいすず、3F(かな?)
    にあったデイリークイーンにはとてもお世話になっていました。本来、買い食いは
    いけなかったんですが、当然我慢出来るはずもなく(笑)。

    拝見していて色々な思い出が蘇って来て、とても嬉しい思いをさせて頂きました。

    ありがとうございました!

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2022/08/28 08:07:31
    RE: 昔の神田界隈、懐かしいです。
    tacさん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます!
    tacさんは、子供の頃、神田界隈に通われていたのですね!
    交通博物館に遠足って、いいなぁ
    そうそう、入口脇に新幹線の頭が置かれていましたよね。
    懐かしいです。
    ニコライ堂は、どうも暗い感じの印象しか無くて。

    アキハバラデパートで買い食いですか。
    それは貴重な思い出ですね。

    淡路町や駿河台は、大きく変わってしまいました。
    秋葉原の電気街も違う街の様です。
    ちょっと寂しいですね。

    旅猫
  • norio2boさん 2022/08/23 10:10:10
    旅行記拝見
    旅猫さん

    神田の坂道探訪記
    楽しく
    懐かしく
    拝見拝読させて頂きました

    2006年の画像を順番に並べる
    今はどうなっているか
    大変な作業の力作
    と拝察しました

    今では
    スマホなら撮影時刻と撮影場所がついているので保存も利用も楽になりました

    引退後
    地方に引っ越しましたが
    次回
    上京の折にはこのエリアを訪ねたいと思います

    淡路町はちょう
    小川町はまち
    隣り同士の町なのに
    何故なんでしょうね

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2022/08/23 10:30:44
    RE: 旅行記拝見
    norio2boさん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。

    2006年当時の街歩きを投稿してみましたが、その際、現在の状況をネットで確認しながら書きました。
    すると、駿河台周辺は、かなり変貌してしまったことがわかり、ちょっと寂しくなりました。
    でも、なかなか面白い作業でしたよ。
    ぜひ、東京へお越しの際は、歩いてみてください。
    「まち」と「ちょう」の付け方の違いって、何なのでしょうね。

    旅猫
    P.S. 最初の書き込みを残して、残りは削除させていただきました。
  • ポテのお散歩さん 2022/08/22 01:43:36
    神田須田町一丁目
    旅猫さん こんばんは。

    神田須田町という地名を聞くと、東京に住み始めて一番初めに
    お蕎麦を食べたお店である『神田まつや』さんが思い浮かびます。
    関西の柔らかい蕎麦しか食べた事が無くて、関東の蕎麦に憧れていたので
    有名なお蕎麦屋さんで食べたかったのです。

    辛いと思っていた『つゆ』は、それほどでもなく、びっくりしたのは
    麺の固さでした。 ポキポキするなぁ~と思いました(^-^;
    住んでいた4年の間に その固さは美味しさに変わり、
    再び関西へ戻った時は しばらく蕎麦を食べませんでした。
    あれから20年ほど経つので、また関西の柔らかい蕎麦に慣れて
    美味しく感じるようになりました(^^)

    江戸時代から時が過ぎ 見る影もなくなってしまったと思うのですが、
    地名を聞くだけでも江戸が感じられる界隈なので
    旅猫さんが歩かれる道に歴史を感じます。

      ポテ

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2022/08/22 08:18:56
    RE: 神田須田町一丁目
    ポテさん、こんにちは。

    いつもありがとうございます。

    『神田まつや』でそばを食べたことがあるのですね。
    私は、何度も前を通っていますが、未だに入っていません。
    どうも入りづらくて。。。
    つゆは、そんなに辛くないのですね。
    個人的には、麺は硬めが好きなので、気に入りそうです。

    駿河台界隈は、この時はまだ江戸から昭和にかけての風情を感じることが出来ましたが、今は再開発が進み、冷たい感じの街になってしまいました。
    まさに、見る影もありません。。。

    地名もかなり失われましたが、神田界隈はそれでもまだましな方ですね。
    旅猫
  • あるき虫さん 2022/08/21 17:32:36
    駿河台。。
    旅猫さん、こんにちは。

    ひと昔前の神田駿河台界隈、とても懐かしいですね。私は学生時代、この界隈まで学校に通っていたので、その頃の雰囲気がよく伝わってきます。街並もそうですし、中央線もオレンジの201系電車で馴染み深いです。

    万世橋を中心に、だいぶ界隈の眺めも変わってしまったようで、当時の感覚で上京したら、きっと違う街に来てしまった錯覚を覚えるコトでしょう。でも、秋葉原~万世橋~駿河台~神保町あたりは、機会をつくってゆっくり散策してみたいなと思いました。

    軒先に琺瑯看板の貼ってある旧居のお写真、とても良いですね。神田区という字づらが、感慨深いです。。

    あるき虫

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2022/08/22 08:12:57
    RE: 駿河台。。
    あるき虫さん、こんにちは。

    書き込みありがとうございます。
    16年前の神田駿河台や秋葉原です。
    学生時代は、この界隈に通われていましたか。
    私は、その西の麓の方の大学でした。
    電車も一昔前と言う感じで、懐かしいですよね。

    あれほど目立っていた石丸電気すら今は無く、本店の場所には高層ビルが建っています。
    駿河台界隈の変貌は特に激しく、この時歩いた街並みはほぼ無くなっています。
    訪れたら、きっと驚かれることでしょう。
    神保町は最近歩いていませんが、三省堂本店も建て替えが進み、ガラッと変わりそうです。

    琺瑯製の住居表示なんて、今は無いですからね。
    しかも、今は無き神田區。
    この建物も撤去され、周辺は跡形も無くなり、大規模な建物が建っています。

    旅猫

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