2022/04/29 - 2022/04/29
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Donkyさん
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新緑あふれる飯能 「店蔵 絹甚 」訪れました。
飯能市の指定文化財「店蔵 絹甚 ( きぬじん ) 」は、平成19年度に復原修理工事が終了し、毎週水~日曜日に一般公開を行っています。
飯能大通り商店街は古くから「縄市」と呼ばれた六斎市が開かれていました。
明治初頭になると、常設店舗が軒を連ねるようになり、現在の街並みの原型が形づくられたのですが、「絹甚」が建てられたのは、明治37年(1904年)でした。
「樟庵」で手打ちうどんランチ
休業期間が未確定、移転・閉店の事実確認が出来ないなど、店舗の運営状況の確認が出来ておらず食べログでも今なお掲載を保留するほどですが 2020年1月より営業を再開しています。
ただし 営業日・時間は「樟庵」HP 参照は必須です。
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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飯能河原畔にある手打ちそば・うどん店「櫟庵」 毎週 水・木 定休日
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手打ちそば・うどん店「櫟庵」店舗前周辺
休業期間が未確定、移転・閉店の事実確認が出来ないなど、店舗の運営状況の確認が出来ておらず食べログでも掲載を保留するほどです。同店 営業時間は 同店HPを参照してから行くのが良いでしょう。
https://www.kunugian.com/?msclkid=d7f8cb0ec81d11ecb8a88fb03ac91d84 -
風情のある風景と店舗。 老舗のお蕎麦屋さんです。
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「櫟庵」くぬぎあん 店舗前 手打ちそばと手打ちうどんのご案内です。
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「櫟庵」店舗前
2022/04/26 櫟庵からのお知らせ 同店HPでは
GW期間中(4/29(金)~5/6(金))の営業に関して
4/29(金)~5/1(日) 営業 5/2(月) 休業 5/3(火)~5/5(木) 営業
5/6(金) 休業 営業時間:AM11:00~PM3:00(L.O:PM2:30)
※当日分のそば・うどんが売り切れ次第営業終了となります。 -
「櫟庵」店内にて 器は飯能焼きで販売もしています。
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「櫟庵」店内にて 飯能焼きの器(七味唐辛子)とお茶
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「樟庵」で手打ちうどんの昼食
いつもはせいろそばを頂きますが、あまりの寒さに温かい細打ちのおうどんとカリカリの天ぷら(海老・しめじ・えのきだけ・茄子・南瓜・三つ葉)、お薬味は胡麻とねぎ、天ぷらには抹茶塩です。 -
「櫟庵」店舗前周辺 バーベキューの施設とソフトクリーム屋さんがあります。
連休初日とはいえ、余りの寒さと雨の予報に人出はさっぱりでした。
その分、新緑の美しさ・・・! -
飯能市(はんのうし)は、埼玉県の南西部に位置する市。
人口は約8万人。ムーミンのテーマパーク「メッツァ」が所在する。
お庭先に「鈴蘭・すずらん」裏道に咲いていました。今が見頃の麗しの花でした。 -
歴史 : 飯能は中世より林業で栄えました。
江戸時代 - 江戸での相次ぐ火事により木材の需要が増え、入間川や高麗川の水運により10日ほどで運ばれる飯能の材木は「西川材」と呼ばれ栄えた。
1852年 - 当地で医者の岡部均平と秩父市の医者伊古田純道により、日本初の帝王切開が行われる。 私もマンホールの蓋・マニアです。 -
1868年7月12日(旧暦5月23日) - 渋沢成一郎の率いる振武軍が当地の能仁寺などに屯集。これを追討する新政府軍と23日未明より戦闘となり、半日ほどで新政府軍が勝利。民家200軒、4か寺が焼失する被害を受けた(飯能戦争)。
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1889年 - 町村制施行に伴い、高麗郡飯能町・中山村・久須美村・小瀬戸村・大河原村・小岩井村が合併、飯能町となりました。
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その後の経緯
1896年3月29日 - 高麗郡が廃止され入間郡に編入、入間郡飯能町となる。
1943年4月1日 - 入間郡飯能町・精明村・南高麗村・加治村・元加治村が合併し、飯能町となる。
1954年1月1日 - 市制施行により飯能市となる。 -
飯能河原 : 駅から徒歩15分と近く、夏は多くの人で賑わう飯能市の観光スポットです。 西武線沿線の小学生の遠足のメッカ(^^♪
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深緑の木々と赤い割岩橋が映え、楽しい夏休みの思い出にぴったりの川遊びスポットです。
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器材・材料は周辺店舗でレンタル・調達が可能、手ぶらでバーベキューができます。
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河原の有料化実証実験検討中
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西武池袋線飯能駅から国際興行バスで約10分。「飯能河原」バス停下車。徒歩3分。
大人のハイキングにも人気です。 -
「店蔵 絹甚きぬじん」(以下、絹甚)がある飯能大通り商店街は、古くから「縄市」と呼ばれた六斎市が開かれていました。
明治初頭になると、常設店舗が軒を連ねるようになり、現在の街並みの原型が形づくられました。「絹甚」が建てられたのは、明治37年(1904年)のことです。 -
飯能大通り商店街 見学可。(無料)今は5月のお飾り中。
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明治初頭になると、常設店舗が軒を連ねるようになり、現在の街並みの原型が形づくられる。
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飯能市の指定文化財「店蔵 絹甚きぬじん」は、平成19年度に復原修理工事が終了し、毎週水~日曜日に一般公開を行っています。
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明治30年代後半に建てられた土蔵造りの店舗で、ほとんど改変を受けておらず、建築当初の様子を良く残しています。飯能市を代表する産業であった絹関連の買継商を営んだ建物であり、市の歴史を考えるうえで貴重な文化財です。
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「絹甚」が建てられたのは、明治37年(1904年)。火災への備えという目的もあったのですが、当時流行っていた江戸の風情を感じさせる土蔵造りを採り入れました。
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篠原家は、江戸時代から当地にて商いを営み、明治期になると、絹関連の品物を取り扱うようになりました。商品構成は幅広く、絹織物や太物(綿や麻の織物)の小売りをしながら、周辺の関連業者向けに生糸、繭、蚕種(蚕の卵)などの売り買いを行っていました。
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「絹甚」は、篠原甚蔵、長三親子によって建てられたもので、「絹甚」という名称の由来もここから来ている。
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その頃の飯能は、どのような町だったのか。明治37年といえば、日露戦争がはじまった年。列強諸国に対抗するために日本が国力増強を図っていた頃であり、養蚕や生糸の製造は基幹産業に位置付けられていました。
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こうした時代背景のなか、昔からの養蚕地であった飯能は、その立地条件を活かしながら近代化への道を辿ろうとしていたと考えられます。「絹甚」がある大通りは、当時、商業地としてかなりの一等地であったことが想像され、ここへの出店は商人たちにとって誇らしいことであったに違いありません。
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明治42年、「絹甚」は人の手に渡っています。その後、甚蔵の娘で川越の小池家に嫁いだ小池奈賀が買い戻しました。戦後は、奈賀の娘、小池トクが地元の教員をしていたため、昭和40年頃まで居住。トクの死後はトクの妹小池ヨシが相続するが、ヨシの死去にあたり直系相続不在となり、平成16年、相続財産管理人を経て 、取得を希望していた飯能市に修理費用と併せて寄贈されることとなったのです。
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平成19年、「絹甚」は飯能市の文化財に指定されました。以下はその指定文書である。
『指定文化財 店蔵絹甚 飯能市指定第第六十一号』 飯能市有形文化財(建造物)に指定されました。保存理由は次の通り。 -
明治時代の商家として当時の姿をよく残す建物であり、当市の近代化を支えた絹織物に関連する建物として貴重です。
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店蔵絹甚が所在する地域は近世から市として栄えた地域であり、店蔵絹甚は市場町の明治時代における土地利用の状況を残す建物群として貴重です。
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現在、「絹甚」の運営は、市民主体による「絹甚運営委員会」に任されている。開館時にはガイド1名が常駐し、「絹甚」の由来や規模、構造などの説明を行っています。その他の活用実績は次の3つにまとめられます。
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1)ギヤラリー
絵画、イラスト、書、オブジェ、クラフト、骨董などのギャラリーとして活用されています。地域に根ざした作品展示が多いのが特徴。飯能市内外の方から「ここでの展示は心地よく、作品に付加価値を与えてくれる」と、評価されています。 -
2)イベント
「飯能ひな飾り展」の展示会場や、「飯能まつり」の会所として活用されています。どちらも飯能らしさ満載のイベントです。その他にも、寄席や演奏会、茶会などが開かれています。 -
3)飯能布塾〈絹甚運営委員会企画事業〉
つるし雛を制作するボランティアグループ。 -
彼女らが手づくりする布小物は、艶やかでかわいらしく、多くのファンがいます。当所にて毎週水・木曜日に活動しており、春先に実施される「飯能ひな飾り展」で作品が展示されます。
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「絹甚」は、民間相続でなかったことが幸せだったという人がいます。民間相続されていれば、日常的に使用できるよう改修が施されるか、場合によっては解体されてしまうこともあります。そうされなかったため、今あるような良好な状態を留めているという考え方です。
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「絹甚」歴史的建造物マップ
効率重視の現代の生活スタイルと照らし合わせると、 重厚な土蔵での暮らしは不自由を余儀なくされることが多いであろうし、修理費用は一般住宅に比べて相当高額になります。 -
その保存について、歴史的価値がある、風情がある、観光資源になるという理由により、個人の管理に委ねられるとなれば、それはそれで 大変なこと。
大切なのは、当の建築物にそれを補う以上の価値や可能性を見いだせるかである。苦労はするけれど、深い思い入れがあるので何とか残していきたいものです。 -
そうした思いをできるだけ多くの人で共有し、課題については解決していく姿勢が問われています。飯能市内には「絹甚」の他にも、歴史的価値がありそうな建築物が多数あります。 町の景観や文化のためにどれだけコストをかけられるかは、市民みんなで考えるべきテーマなのだろうと思えます。(「飯能情緒」より引用)
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