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江戸時代、九州の玄関口である小倉から唯一の外国との窓口であった長崎とを結んでいた長崎街道。<br />参勤交代の大名や長崎奉行をはじめ、坂本龍馬など幕末の志士に伊能忠敬やシーボルト、果てや象や孔雀も通ったとされるこの道を徒歩で巡る長編企画です。<br /><br />第3弾はJR小竹駅を出発して飯塚宿を経由しJR筑前内野駅までの区間をを取り上げていきます。

長崎街道完全踏破の旅part3 小竹~飯塚~内野

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2022/02/26 - 2022/02/26

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otayahiko

otayahikoさん

江戸時代、九州の玄関口である小倉から唯一の外国との窓口であった長崎とを結んでいた長崎街道。
参勤交代の大名や長崎奉行をはじめ、坂本龍馬など幕末の志士に伊能忠敬やシーボルト、果てや象や孔雀も通ったとされるこの道を徒歩で巡る長編企画です。

第3弾はJR小竹駅を出発して飯塚宿を経由しJR筑前内野駅までの区間をを取り上げていきます。

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  • 第3弾は小竹駅からスタートです!!<br />予報では晴れマークだったにも関わらず、どんよりした空模様で寒かったです。。<br />とにかく歩いて暖めないとですね。

    第3弾は小竹駅からスタートです!!
    予報では晴れマークだったにも関わらず、どんよりした空模様で寒かったです。。
    とにかく歩いて暖めないとですね。

    小竹駅

  • 旧小竹町役場<br />数年前、小竹駅裏に新庁舎が完成し現在はそちらへ移転しています。

    旧小竹町役場
    数年前、小竹駅裏に新庁舎が完成し現在はそちらへ移転しています。

  • 国道から分岐して旧街道に入ります

    国道から分岐して旧街道に入ります

  • 民家の壁にも長崎街道の貼り紙があります

    民家の壁にも長崎街道の貼り紙があります

  • 少し進むと洞雲山龍屋寺への参道があります。<br />福岡市内にある安國寺の末寺にあたるそうで、本尊の聖観音像は奈良時代に行基が造ったものとされています。

    少し進むと洞雲山龍屋寺への参道があります。
    福岡市内にある安國寺の末寺にあたるそうで、本尊の聖観音像は奈良時代に行基が造ったものとされています。

  • この辺りが小竹町の中心部になりますが、江戸時代当時の小竹には間宿があり、旅人や参勤交代の大名も小休憩をしていたようです。

    この辺りが小竹町の中心部になりますが、江戸時代当時の小竹には間宿があり、旅人や参勤交代の大名も小休憩をしていたようです。

  • 明治~大正時代頃の小竹町中心部の地図。<br />今と比較すると商店等の数も多く、賑わっていた事がわかります。

    明治~大正時代頃の小竹町中心部の地図。
    今と比較すると商店等の数も多く、賑わっていた事がわかります。

  • 長崎街道といえば8代将軍徳川吉宗に献上された象の話が有名ですが、もちろんこの象は小竹の地にも足跡を残しており、その際のエピソードについても説明されていました。<br /><br />記録によるとベトナムのホーチミンからやってきた象は<br />1729(享保14)年3月13日に長崎を出発し、6日目には筑前国最初の宿場である原田宿へ到着。<br />その後、山家、内野、飯塚と各宿場で1日ずつ泊まりながら進み、3月21日に小竹で休憩し昼食を摂ったとのこと。<br /><br />昼食後は南良津唐戸の辺りから渡し舟で対岸の赤地(現在の平成筑豊鉄道あかぢ駅周辺)へと進み、次の宿場である木屋瀬まで歩いたそうです。<br /><br />巨大な象を乗せた渡し舟が遠賀川を渡る光景が俄には想像できませんが、2艘の馬舟を横に繋いで床板も加工して何とか乗せたみたいですね。<br /><br />もともと2頭いた象のうち、1頭は長崎で亡くなってしまいましたが、小竹を歩いた象は無事に江戸までたどり着き将軍吉宗への謁見を果たしました。<br />長旅に加えて慣れない日本の気候もあり、象にとっては相当に過酷な日々だったかと思います。<br />

    長崎街道といえば8代将軍徳川吉宗に献上された象の話が有名ですが、もちろんこの象は小竹の地にも足跡を残しており、その際のエピソードについても説明されていました。

    記録によるとベトナムのホーチミンからやってきた象は
    1729(享保14)年3月13日に長崎を出発し、6日目には筑前国最初の宿場である原田宿へ到着。
    その後、山家、内野、飯塚と各宿場で1日ずつ泊まりながら進み、3月21日に小竹で休憩し昼食を摂ったとのこと。

    昼食後は南良津唐戸の辺りから渡し舟で対岸の赤地(現在の平成筑豊鉄道あかぢ駅周辺)へと進み、次の宿場である木屋瀬まで歩いたそうです。

    巨大な象を乗せた渡し舟が遠賀川を渡る光景が俄には想像できませんが、2艘の馬舟を横に繋いで床板も加工して何とか乗せたみたいですね。

    もともと2頭いた象のうち、1頭は長崎で亡くなってしまいましたが、小竹を歩いた象は無事に江戸までたどり着き将軍吉宗への謁見を果たしました。
    長旅に加えて慣れない日本の気候もあり、象にとっては相当に過酷な日々だったかと思います。

  • 貴船神社<br />この地区を代表する神社で今でも2年に1度、小竹祇園山笠が町内を駆け巡っています。

    貴船神社
    この地区を代表する神社で今でも2年に1度、小竹祇園山笠が町内を駆け巡っています。

  • 何度も通ったはずの地元の風景。<br />何もない田舎だとしか思ってなかったのですが、<br />こうしてじっくり見てみると風情を感じるのが不思議ですね。

    何度も通ったはずの地元の風景。
    何もない田舎だとしか思ってなかったのですが、
    こうしてじっくり見てみると風情を感じるのが不思議ですね。

  • 長崎街道小休処跡(旧原田家)<br />庄屋であった原田家は薩摩藩や久留米藩などの参勤交代時の休憩所としての役割を担っていました。<br /><br />薩摩藩の武士が南良津で盗賊に襲撃される竹藪騒動が起きた際、当主が介抱に当たった縁で明治時代まで薩摩藩との交流が続いたそうです。

    長崎街道小休処跡(旧原田家)
    庄屋であった原田家は薩摩藩や久留米藩などの参勤交代時の休憩所としての役割を担っていました。

    薩摩藩の武士が南良津で盗賊に襲撃される竹藪騒動が起きた際、当主が介抱に当たった縁で明治時代まで薩摩藩との交流が続いたそうです。

  • 小竹地蔵尊<br />寛永3年(1750)に川上より流れ着いた地蔵を村人が引き上げて祀ったとされています。<br />境内には涅槃像もありますよ。

    小竹地蔵尊
    寛永3年(1750)に川上より流れ着いた地蔵を村人が引き上げて祀ったとされています。
    境内には涅槃像もありますよ。

  • これが小竹の涅槃像。<br />篠栗の南蔵院にあるやつと比べるとミニチュアのようなサイズですが、左手を枕にするスタイルは非常に珍しいそうです。

    これが小竹の涅槃像。
    篠栗の南蔵院にあるやつと比べるとミニチュアのようなサイズですが、左手を枕にするスタイルは非常に珍しいそうです。

  • 地蔵尊を過ぎると鞍手郡と穂波郡の郡境石があります。

    地蔵尊を過ぎると鞍手郡と穂波郡の郡境石があります。

  • 小竹町の前身である旧勝野村の村民が建てたそうです。<br />「従是北鞍手郡」と書かれているのが分かります。<br /><br />なお、「勝野」と呼ばれる地域はJR勝野駅の周辺ではなく、むしろ小竹駅の付近を指しています。

    小竹町の前身である旧勝野村の村民が建てたそうです。
    「従是北鞍手郡」と書かれているのが分かります。

    なお、「勝野」と呼ばれる地域はJR勝野駅の周辺ではなく、むしろ小竹駅の付近を指しています。

  • 郡境石を過ぎると飯塚市に入ります。<br />旧街道は目尾交差点で一旦国道を横切ります。<br /><br />ちなみに「目尾」は「めお」ではなく、「しゃかのお」と読むのが正解です。<br />福岡県内でも屈指の難読地名だと思います・・

    郡境石を過ぎると飯塚市に入ります。
    旧街道は目尾交差点で一旦国道を横切ります。

    ちなみに「目尾」は「めお」ではなく、「しゃかのお」と読むのが正解です。
    福岡県内でも屈指の難読地名だと思います・・

  • さらに進むと福北ゆたか線の遠賀川橋梁に突き当たります。

    さらに進むと福北ゆたか線の遠賀川橋梁に突き当たります。

  • 橋梁の全貌を反対側から撮影。<br />こうして見るとかなりの迫力ですね。

    橋梁の全貌を反対側から撮影。
    こうして見るとかなりの迫力ですね。

  • 遠賀川の堤防に沿って進んでいきます。

    遠賀川の堤防に沿って進んでいきます。

  • 鯰田渡のバス停<br />かつてはこの付近から対岸の鯰田への渡し舟が発着していた事からこの名が付いています。

    鯰田渡のバス停
    かつてはこの付近から対岸の鯰田への渡し舟が発着していた事からこの名が付いています。

  • ここから旧街道は一部途切れていますが、Googleマップを参考にギリギリまで忠実に辿りたいと思います。<br />ラブホの横を抜けていきます。

    ここから旧街道は一部途切れていますが、Googleマップを参考にギリギリまで忠実に辿りたいと思います。
    ラブホの横を抜けていきます。

  • 本来はこの草むらの先まで抜け道が続いていたようですが、登った先は工事で立入禁止になっていました。。

    本来はこの草むらの先まで抜け道が続いていたようですが、登った先は工事で立入禁止になっていました。。

  • 仕方ないので国道に戻って迂回します

    仕方ないので国道に戻って迂回します

  • 再び遠賀川の堤防に沿って歩き、奥に幸袋の市街地が見えてきたら左手に入ります。

    再び遠賀川の堤防に沿って歩き、奥に幸袋の市街地が見えてきたら左手に入ります。

  • 飯塚・幸袋の名所といえばここですね。<br />筑豊の炭鉱王として名高い伊藤伝右衛門の屋敷跡です。<br /><br />左下にはちゃっかり長崎街道の表記もあり、観光客とおぼしき男性がスタッフの方に「この道は長崎まで続いてるんですか!?」と訊ねている光景も見られました。<br /><br />筆者もちょっと絡んでみたかったですが、先を急ぐので写真だけ撮影して進む事にします。<br />

    飯塚・幸袋の名所といえばここですね。
    筑豊の炭鉱王として名高い伊藤伝右衛門の屋敷跡です。

    左下にはちゃっかり長崎街道の表記もあり、観光客とおぼしき男性がスタッフの方に「この道は長崎まで続いてるんですか!?」と訊ねている光景も見られました。

    筆者もちょっと絡んでみたかったですが、先を急ぐので写真だけ撮影して進む事にします。

    旧伊藤伝右衛門邸 名所・史跡

  • 伊藤伝右衛門邸の前から長崎街道小倉方を臨む

    伊藤伝右衛門邸の前から長崎街道小倉方を臨む

  • 幸袋界隈は明治・大正期を思わせる建物が比較的残っており、画像のような明治からの古民家を活用したギャラリーなんかもあります。<br /><br />国道沿いにも歴史を感じさせる民家や商店が多数あり、何度も車で通って見ているはずなのに、新たな発見をした気分になりました。

    幸袋界隈は明治・大正期を思わせる建物が比較的残っており、画像のような明治からの古民家を活用したギャラリーなんかもあります。

    国道沿いにも歴史を感じさせる民家や商店が多数あり、何度も車で通って見ているはずなのに、新たな発見をした気分になりました。

  • 許斐神社に到着しました<br />画像にある一の鳥居は伊藤伝右衛門が寄進したものだそうです。

    許斐神社に到着しました
    画像にある一の鳥居は伊藤伝右衛門が寄進したものだそうです。

  • 許斐神社の前にある歩道橋から撮影。<br />大きな道路が2本横に並んでいて不思議な光景ですが、<br />実は右側の道路は旧国鉄幸袋線の廃線跡だったりします。

    許斐神社の前にある歩道橋から撮影。
    大きな道路が2本横に並んでいて不思議な光景ですが、
    実は右側の道路は旧国鉄幸袋線の廃線跡だったりします。

  • 歩道橋を渡って左手の脇道へと入ります

    歩道橋を渡って左手の脇道へと入ります

  • 曹洞宗高林寺

    曹洞宗高林寺

  • しかし、考えてみれば木屋瀬から飯塚ってかなり距離がありますよね。<br />ずっと平坦でこれといった難所もないので、そもそも需要が無かったんですかね。<br /><br />個人的には直方か小竹に正式な宿場を設けても良かったのでは?と感じます。<br />

    しかし、考えてみれば木屋瀬から飯塚ってかなり距離がありますよね。
    ずっと平坦でこれといった難所もないので、そもそも需要が無かったんですかね。

    個人的には直方か小竹に正式な宿場を設けても良かったのでは?と感じます。

  • 筑豊ではお馴染みのスーパーあそう。<br />もちろん麻生グループの一員です。

    筑豊ではお馴染みのスーパーあそう。
    もちろん麻生グループの一員です。

  • 水江付近で建花寺川を渡ります

    水江付近で建花寺川を渡ります

  • 水江交差点<br />小竹方面からの国道211号と頴田方面からの国道200号が交差する交通の要衝となっています。

    水江交差点
    小竹方面からの国道211号と頴田方面からの国道200号が交差する交通の要衝となっています。

  • 公園のフェンスにもちゃっかり長崎街道の案内があります。

    公園のフェンスにもちゃっかり長崎街道の案内があります。

  • この辺りは旧片島村といったそうですが、遠賀川水運の船着場として栄えていました。<br />明治時代、周辺の炭鉱で採掘された石炭を川ひらたと呼ばれる舟で輸送していましたが、なんと村の7~8割の家でこれを所有していたそうです。<br />当時を思わせる古い街並みも一部残っています。

    この辺りは旧片島村といったそうですが、遠賀川水運の船着場として栄えていました。
    明治時代、周辺の炭鉱で採掘された石炭を川ひらたと呼ばれる舟で輸送していましたが、なんと村の7~8割の家でこれを所有していたそうです。
    当時を思わせる古い街並みも一部残っています。

  • 趣のある喫茶店

    趣のある喫茶店

  • 白藤醤油造元<br />江戸時代から創業していた歴史ある醤油屋で、当時は藤井善醤油と呼ばれていました。

    白藤醤油造元
    江戸時代から創業していた歴史ある醤油屋で、当時は藤井善醤油と呼ばれていました。

  • 左奥に見える鳥居が曩祖八幡宮です。<br />神功皇后が三韓征伐からの帰路にこの地にて別れを惜しむ兵士達に「何日可逢(いつのひかあうべし)」と告げた事をきっかけに、この地を「いつか」と呼ぶようになり、さらにそれが訛って「飯塚」に変化したともいわれています。

    左奥に見える鳥居が曩祖八幡宮です。
    神功皇后が三韓征伐からの帰路にこの地にて別れを惜しむ兵士達に「何日可逢(いつのひかあうべし)」と告げた事をきっかけに、この地を「いつか」と呼ぶようになり、さらにそれが訛って「飯塚」に変化したともいわれています。

  • 宝月楼跡の石碑。飯塚の商人であった古川直道の別荘として建てられ、著名な歌人も訪れるなど地域文化の中心地であったようです。

    宝月楼跡の石碑。飯塚の商人であった古川直道の別荘として建てられ、著名な歌人も訪れるなど地域文化の中心地であったようです。

  • 本町商店街の入口へ到着。<br />いよいよ飯塚宿の中心部に入っていきます。

    本町商店街の入口へ到着。
    いよいよ飯塚宿の中心部に入っていきます。

  • トイレ休憩で立ち寄った西鉄飯塚バスターミナル。<br />直方や後藤寺でも老朽化に伴い旧バスセンターが解体されましたが、筑豊でバスターミナルが建て替えられたのはここ飯塚のみです。

    トイレ休憩で立ち寄った西鉄飯塚バスターミナル。
    直方や後藤寺でも老朽化に伴い旧バスセンターが解体されましたが、筑豊でバスターミナルが建て替えられたのはここ飯塚のみです。

  • 本町アーケードの中を歩きます。<br />直方の商店街に比べるとマシではありますが、以前に比べてだいぶ寂れた感じがします。<br />筑豊唯一のデパートであった井筒屋が撤退した影響もあるのでしょうか。<br /><br />正直、飯塚の若者はみんな博多や天神に出るイメージが強いので、仕方がないんでしょうね。。

    本町アーケードの中を歩きます。
    直方の商店街に比べるとマシではありますが、以前に比べてだいぶ寂れた感じがします。
    筑豊唯一のデパートであった井筒屋が撤退した影響もあるのでしょうか。

    正直、飯塚の若者はみんな博多や天神に出るイメージが強いので、仕方がないんでしょうね。。

  • この時期の飯塚といえばひな祭りの催しなのですが、マンボウの影響で軒並み中止となっていました。

    この時期の飯塚といえばひな祭りの催しなのですが、マンボウの影響で軒並み中止となっていました。

  • 本町アーケードの名物であるからくり時計。<br />かつてはこの位置に脇本陣である「長崎屋」が立地していました。<br />

    本町アーケードの名物であるからくり時計。
    かつてはこの位置に脇本陣である「長崎屋」が立地していました。

    飯塚本町商店街からくり時計 名所・史跡

  • 通りがかった際はちょうど正午で上演されている最中でした。<br />街道を行く大名行列や、象やラクダといった献上される動物の姿も再現されています。

    通りがかった際はちょうど正午で上演されている最中でした。
    街道を行く大名行列や、象やラクダといった献上される動物の姿も再現されています。

  • ここにもありました明治の黒ポスト。<br />木屋瀬以来ですね

    ここにもありました明治の黒ポスト。
    木屋瀬以来ですね

  • 恵比須石跡の石碑。飯塚宿の町人たちは宿場の商売繁盛の願って宿場の中心部に恵比須の石像を安置していました。<br />その後は曩祖八幡宮の境内へと移されたため、現在この地には石碑のみが残っています。

    恵比須石跡の石碑。飯塚宿の町人たちは宿場の商売繁盛の願って宿場の中心部に恵比須の石像を安置していました。
    その後は曩祖八幡宮の境内へと移されたため、現在この地には石碑のみが残っています。

  • 壁に大きく描かれた「長崎街道筑前飯塚宿絵」<br />小倉から長崎までの各宿場の名前が刻まれています。<br />なお、歌川広重の絵が元になっているらしく、実際の飯塚宿を描いたものではないようです。

    壁に大きく描かれた「長崎街道筑前飯塚宿絵」
    小倉から長崎までの各宿場の名前が刻まれています。
    なお、歌川広重の絵が元になっているらしく、実際の飯塚宿を描いたものではないようです。

  • 本町商店街を抜けると東町商店街があります。<br />何処となく昭和の雰囲気ですね。炭鉱全盛期はさぞかし多くの人で賑わった事と思います。

    本町商店街を抜けると東町商店街があります。
    何処となく昭和の雰囲気ですね。炭鉱全盛期はさぞかし多くの人で賑わった事と思います。

  • アーケードを抜けて旧街道を進みます

    アーケードを抜けて旧街道を進みます

  • 曩祖八幡宮の末社であった大神宮跡の石碑。<br />最近までここには1909(明治42)年建築の麻生酒造が立地していましたが、解体され駐車場になっていました。。

    曩祖八幡宮の末社であった大神宮跡の石碑。
    最近までここには1909(明治42)年建築の麻生酒造が立地していましたが、解体され駐車場になっていました。。

  • 飯塚宿の西構口跡。石碑以外に当時の名残らしきものは見当たらず。

    飯塚宿の西構口跡。石碑以外に当時の名残らしきものは見当たらず。

  • 西構口の向かい側には向町観音堂があります。

    西構口の向かい側には向町観音堂があります。

  • 大正期に遠賀川の改修工事に伴い建設された向町橋の親柱が残っています。<br />当時は木造の橋だったそうですが、1972(昭和47)年に徳前大橋が完成して取り壊されたとのこと。

    大正期に遠賀川の改修工事に伴い建設された向町橋の親柱が残っています。
    当時は木造の橋だったそうですが、1972(昭和47)年に徳前大橋が完成して取り壊されたとのこと。

  • 徳前大橋を渡って進んでいきます。<br />隣の大通りにはトライアルなどもあり賑やかですが、旧街道沿いはひっそりとしています。

    徳前大橋を渡って進んでいきます。
    隣の大通りにはトライアルなどもあり賑やかですが、旧街道沿いはひっそりとしています。

  • 本来は飯塚の街中で昼食にする予定でしたが、何処にするか決めあぐねてしまい、結局こちらのパン屋に立ち寄る事にしました。<br />地元では有名な店のようで、多くのお客さんで賑わっていました。<br />もちろん他の方は車利用で私のような徒歩で来た人は居なかったですがw

    本来は飯塚の街中で昼食にする予定でしたが、何処にするか決めあぐねてしまい、結局こちらのパン屋に立ち寄る事にしました。
    地元では有名な店のようで、多くのお客さんで賑わっていました。
    もちろん他の方は車利用で私のような徒歩で来た人は居なかったですがw

    森のこぐま グルメ・レストラン

  • 堀池の歩道橋から筑豊名物のボタ山を臨む<br />なお、近隣のバス停からは天神行きの特急バスが頻発しているので、しんどくなったらここでリタイアも可能です!

    堀池の歩道橋から筑豊名物のボタ山を臨む
    なお、近隣のバス停からは天神行きの特急バスが頻発しているので、しんどくなったらここでリタイアも可能です!

  • 旧穂波町に入りました。<br />平成の大合併で飯塚市へ編入された町ですが、元々明治の頃より飯塚との合併話が出ては破談となっており、飯塚市からすれば悲願であったようです。

    旧穂波町に入りました。
    平成の大合併で飯塚市へ編入された町ですが、元々明治の頃より飯塚との合併話が出ては破談となっており、飯塚市からすれば悲願であったようです。

  • 飯塚市役所穂波支所の脇にある長崎街道を示す石碑。<br />小倉から42.4km。。思えば結構遠くまで来ましたね。

    飯塚市役所穂波支所の脇にある長崎街道を示す石碑。
    小倉から42.4km。。思えば結構遠くまで来ましたね。

  • 所々に飯塚市仕様の長崎街道の案内があります。

    所々に飯塚市仕様の長崎街道の案内があります。

  • 楽市の交差点付近。<br />

    楽市の交差点付近。

  • 楽市小学校の校門に設置されている石碑。<br />昔 この道 長崎街道<br />今 あいさつ街道<br /><br />なかなか良いフレーズだと思います。

    楽市小学校の校門に設置されている石碑。
    昔 この道 長崎街道
    今 あいさつ街道

    なかなか良いフレーズだと思います。

  • 右手にある住宅はかなり古くからあるようですが、崩れかかっていました。。

    右手にある住宅はかなり古くからあるようですが、崩れかかっていました。。

  • 旧街道は大通りを横切る形で進んでいきます。<br />あそう内科の看板が出ていますが、本当に筑豊は麻生という名字が多いですね。

    旧街道は大通りを横切る形で進んでいきます。
    あそう内科の看板が出ていますが、本当に筑豊は麻生という名字が多いですね。

  • 楽市焼肉ホルモンセンターがあります。<br />直売店を併設しており、ホルモンをはじめとする新鮮な肉を楽しめるようです。<br /><br />さっきのパン屋で買ったパンを食べたいのですが、なかなか座ってゆっくりできそうな場所がなく、より一層空腹を刺激されましたw

    楽市焼肉ホルモンセンターがあります。
    直売店を併設しており、ホルモンをはじめとする新鮮な肉を楽しめるようです。

    さっきのパン屋で買ったパンを食べたいのですが、なかなか座ってゆっくりできそうな場所がなく、より一層空腹を刺激されましたw

    楽市焼肉センター グルメ・レストラン

  • 凄まじく趣のある病院が現れたので撮影。<br />「内科 小児科 茅野醫院」とありますが、ググっても情報が見当たらず。。かなり昔に廃業されたのでしょうか。

    凄まじく趣のある病院が現れたので撮影。
    「内科 小児科 茅野醫院」とありますが、ググっても情報が見当たらず。。かなり昔に廃業されたのでしょうか。

  • JR天道駅に到着。<br />駅の裏には桜の名所である大将陣公園があります

    JR天道駅に到着。
    駅の裏には桜の名所である大将陣公園があります

    天道駅

  • 駅前の製菓業者には「銘菓 大将陣」との看板が出ていました。初めて聞く名前ですが、大将陣公園がモチーフになっているのでしょうか。

    駅前の製菓業者には「銘菓 大将陣」との看板が出ていました。初めて聞く名前ですが、大将陣公園がモチーフになっているのでしょうか。

  • 天道駅前の街並み。開いている店が全然なかったのですが、昔はそこそこ賑わっていたのでしょう。

    天道駅前の街並み。開いている店が全然なかったのですが、昔はそこそこ賑わっていたのでしょう。

  • 一旦大通りに合流して進んでいきます。

    一旦大通りに合流して進んでいきます。

  • 創業明治元年の瑞穂菊酒造<br />地元では有名な酒蔵みたいですが、一度も飲んだ事がないので時間ある時にゆっくり訪れたいですね。

    創業明治元年の瑞穂菊酒造
    地元では有名な酒蔵みたいですが、一度も飲んだ事がないので時間ある時にゆっくり訪れたいですね。

  • レトロな街並みが広がっています

    レトロな街並みが広がっています

  • 桂川町に入りました<br />この辺の市町村は平成の大合併で飯塚市か嘉麻市に統合されていますが、唯一桂川町だけが嘉穂郡の自治体として残っています。

    桂川町に入りました
    この辺の市町村は平成の大合併で飯塚市か嘉麻市に統合されていますが、唯一桂川町だけが嘉穂郡の自治体として残っています。

  • かつてはここに「瀬戸の渡し」があり、旅人は十間(約18m)ばかりの幅の川を歩いて横断したと伝えられています。<br />渡し場の近くには川庄屋と呼ばれた河波氏の屋敷や旅館・茶屋などがあり、ここを渡る旅人が休息に利用していたとのことです。<br /><br />明治になると木造の橋が架けられましたが、その後対岸に道路が開通したために使われなくなりました。

    かつてはここに「瀬戸の渡し」があり、旅人は十間(約18m)ばかりの幅の川を歩いて横断したと伝えられています。
    渡し場の近くには川庄屋と呼ばれた河波氏の屋敷や旅館・茶屋などがあり、ここを渡る旅人が休息に利用していたとのことです。

    明治になると木造の橋が架けられましたが、その後対岸に道路が開通したために使われなくなりました。

  • またこの地点は秋月街道との分岐点でもありました

    またこの地点は秋月街道との分岐点でもありました

  • 左へ進むと瀬戸の渡しへ行けるようなので、折角だし観てみることにします。

    左へ進むと瀬戸の渡しへ行けるようなので、折角だし観てみることにします。

  • こちらが瀬戸の渡し<br />当時はここから歩いて川を横断していたとの事ですが、写真だといまいち分かりにくいですね。。

    こちらが瀬戸の渡し
    当時はここから歩いて川を横断していたとの事ですが、写真だといまいち分かりにくいですね。。

  • 川庄屋の屋敷跡を示す石碑もありました。

    川庄屋の屋敷跡を示す石碑もありました。

  • 瀬戸の渡しから先は街道が一部消失しているため、迂回が必要になります。<br />国道200号の寿命交差点まで進み、ここから復帰する事にします。<br />「寿命」と書いて「じゅめい」と読むなかなか珍しい地名です。

    瀬戸の渡しから先は街道が一部消失しているため、迂回が必要になります。
    国道200号の寿命交差点まで進み、ここから復帰する事にします。
    「寿命」と書いて「じゅめい」と読むなかなか珍しい地名です。

  • 国道200号は北九州から佐賀・久留米方面への抜け道として機能しており、かなりの交通量となっています。<br />いわば現代の長崎街道ですね。

    国道200号は北九州から佐賀・久留米方面への抜け道として機能しており、かなりの交通量となっています。
    いわば現代の長崎街道ですね。

  • 国道200号を横断してJR筑豊本線の線路を跨越し、ようやく旧街道に復帰します。

    国道200号を横断してJR筑豊本線の線路を跨越し、ようやく旧街道に復帰します。

  • 天開稲荷大明神<br />太宰府天満宮の中にも同名の天開稲荷神社があり、何らかの関係性があるのかもしれません。

    天開稲荷大明神
    太宰府天満宮の中にも同名の天開稲荷神社があり、何らかの関係性があるのかもしれません。

  • 新茶屋踏切を渡って手前の脇道へと入ります。

    新茶屋踏切を渡って手前の脇道へと入ります。

  • この時点で既に14時を過ぎていたのですが、この日は18時から福岡市内で用事があるので何としても筑前内野駅16:15発の列車に間に合わせないといけません。<br /><br />森のこぐまで買ったパンもまだ食べれてないし、間に合うのか不安になってきました。。<br />最悪、1つ手前の上穂波駅まででリタイアする事も視野に入れて進む事にします。

    この時点で既に14時を過ぎていたのですが、この日は18時から福岡市内で用事があるので何としても筑前内野駅16:15発の列車に間に合わせないといけません。

    森のこぐまで買ったパンもまだ食べれてないし、間に合うのか不安になってきました。。
    最悪、1つ手前の上穂波駅まででリタイアする事も視野に入れて進む事にします。

  • 右奥にはJR桂川駅があります。

    右奥にはJR桂川駅があります。

  • 豆田天満宮の入口<br />座れるような所があればここで昼食とします。<br />できればトイレもあるとありがたい。。

    豆田天満宮の入口
    座れるような所があればここで昼食とします。
    できればトイレもあるとありがたい。。

  • 本殿は国道200号を跨いだ先にあります。

    本殿は国道200号を跨いだ先にあります。

  • 境内には道案内の神様とされる猿田彦大神の碑もあります。

    境内には道案内の神様とされる猿田彦大神の碑もあります。

  • ここが本殿。石の椅子があったのでお詣りを済ませて食事にします。<br />残念ながらトイレはありませんでした。。

    ここが本殿。石の椅子があったのでお詣りを済ませて食事にします。
    残念ながらトイレはありませんでした。。

  • 森のこぐまの海老カツドッグ。<br />ボリュームもそこそこでピリ辛なチリソースが良いアクセントになっています。

    森のこぐまの海老カツドッグ。
    ボリュームもそこそこでピリ辛なチリソースが良いアクセントになっています。

  • 食事を済ませて再び旧街道を進みます。<br />とりあえずトイレを見つけないと結構ヤバい状況に来てます。。

    食事を済ませて再び旧街道を進みます。
    とりあえずトイレを見つけないと結構ヤバい状況に来てます。。

  • 国道と合流して進んだ所にミニストップがあったので、こちらでトイレをお借りしました。<br />本当にありがとうございます。

    国道と合流して進んだ所にミニストップがあったので、こちらでトイレをお借りしました。
    本当にありがとうございます。

  • ここから暫くは国道200号に沿って進んでいきます。

    ここから暫くは国道200号に沿って進んでいきます。

  • ついに道路標識の案内に「冷水峠」の文字が現れました。<br />着実に長崎街道最大の難所へと近付いています。

    ついに道路標識の案内に「冷水峠」の文字が現れました。
    着実に長崎街道最大の難所へと近付いています。

  • 長尾の交差点で旧街道は国道と分かれます

    長尾の交差点で旧街道は国道と分かれます

  • 長尾の老松神社

    長尾の老松神社

  • この辺の民家もかなり歴史がありそうです。

    この辺の民家もかなり歴史がありそうです。

  • 旧筑穂町の中心部に入りました<br />奥に聳えている建物は飯塚市役所筑穂支所です。

    旧筑穂町の中心部に入りました
    奥に聳えている建物は飯塚市役所筑穂支所です。

  • 閉店してかなり経ってると思われるスーパー。<br />かつては地元の商業の中心だったような風格を感じます。<br />ちなみに「瓜生(うりゅう)」という姓は筑豊でよく見られます。

    閉店してかなり経ってると思われるスーパー。
    かつては地元の商業の中心だったような風格を感じます。
    ちなみに「瓜生(うりゅう)」という姓は筑豊でよく見られます。

  • あと一駅分ありますが、タイムリミットまでには何とか内野宿までいけそうです。

    あと一駅分ありますが、タイムリミットまでには何とか内野宿までいけそうです。

  • 原田線のJR上穂波駅。現在の駅舎は市の商工会館に併設されており、片隅におまけのように駅がある感じになっています。

    原田線のJR上穂波駅。現在の駅舎は市の商工会館に併設されており、片隅におまけのように駅がある感じになっています。

  • 原田線の時刻表。<br />福岡近郊区間にも関わらず、日中は3時間以上列車が来ない時間帯もあります。

    原田線の時刻表。
    福岡近郊区間にも関わらず、日中は3時間以上列車が来ない時間帯もあります。

  • 駅ホーム。画像左側の廃止されたホームにもかつては線路が敷かれており、交換可能な構造でした。<br />今では信じられない話ですが、篠栗線開業前に原田経由で博多へ向かっていた快速列車は桂川駅は通過してこちらの駅に停車していたそうです。

    駅ホーム。画像左側の廃止されたホームにもかつては線路が敷かれており、交換可能な構造でした。
    今では信じられない話ですが、篠栗線開業前に原田経由で博多へ向かっていた快速列車は桂川駅は通過してこちらの駅に停車していたそうです。

  • 街道へ戻って先に進んでいきます。<br />ここから内野宿にかけては老松神社が多く立地しており、<br />こちらは阿恵の老松神社になります。<br />鳥居は江戸時代からのものが残っています。

    街道へ戻って先に進んでいきます。
    ここから内野宿にかけては老松神社が多く立地しており、
    こちらは阿恵の老松神社になります。
    鳥居は江戸時代からのものが残っています。

  • すっかり周辺の景気も山里めいてきましたね。

    すっかり周辺の景気も山里めいてきましたね。

  • なんか意味深な茂みがあるので近付いてみます。

    なんか意味深な茂みがあるので近付いてみます。

  • 何でもここは虎御前の墓だそうです。<br />虎御前とは仇討ちで有名な曾我十郎の許嫁とされ、この墓石に溜まっている雨水は発熱や腫れ物に効くとの事で珍重されていたようです。

    何でもここは虎御前の墓だそうです。
    虎御前とは仇討ちで有名な曾我十郎の許嫁とされ、この墓石に溜まっている雨水は発熱や腫れ物に効くとの事で珍重されていたようです。

  • ここにも猿田彦大神の石碑があります。<br />旅そのものの危険度が今より格段に高かった時代において、こうして神様の御加護を受けられる事はとても心強かったのだろうと思います。

    ここにも猿田彦大神の石碑があります。
    旅そのものの危険度が今より格段に高かった時代において、こうして神様の御加護を受けられる事はとても心強かったのだろうと思います。

  • 内野地区の入口にあたる横山峠まで来ました。<br />ゴールまでもう少し、ラストスパートです!!

    内野地区の入口にあたる横山峠まで来ました。
    ゴールまでもう少し、ラストスパートです!!

  • 横山峠の頂上から飯塚方を臨む。<br />なかなか良い眺めです。

    横山峠の頂上から飯塚方を臨む。
    なかなか良い眺めです。

  • 並行しているJR筑豊本線も冷水峠へ向けて勾配を上っていきます。<br />画像ではわかりにくいですが、この時点で既に結構な登り坂になっています。

    並行しているJR筑豊本線も冷水峠へ向けて勾配を上っていきます。
    画像ではわかりにくいですが、この時点で既に結構な登り坂になっています。

  • ここには昭和50年代まで街道時代からの松が残っていたそうです。<br />やむを得ないとはいえ、長年内野を見守ってきた松を伐採するのは心苦しかったろうと思います。

    ここには昭和50年代まで街道時代からの松が残っていたそうです。
    やむを得ないとはいえ、長年内野を見守ってきた松を伐採するのは心苦しかったろうと思います。

  • 内野宿の電気屋さん<br />

    内野宿の電気屋さん

  • 今日の目的地、筑前内野駅へ到着です!!<br />結果的にリミットの30分前くらいに着く事ができたので一安心ですw<br /><br />次回はいよいよ最大の難所、冷水峠を攻略します!!<br />Part4へ続く

    今日の目的地、筑前内野駅へ到着です!!
    結果的にリミットの30分前くらいに着く事ができたので一安心ですw

    次回はいよいよ最大の難所、冷水峠を攻略します!!
    Part4へ続く

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