2022/02/14 - 2022/02/14
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otayahikoさん
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九州の玄関口である小倉から江戸時代は唯一の外国との窓口であった長崎とを結んでいた長崎街道。
参勤交代の大名や長崎奉行をはじめ、坂本龍馬など幕末の志士に伊能忠敬やシーボルト、果てや象や孔雀も通ったとされるこの道を徒歩で巡る長編企画です。
第1弾は小倉を出発して最初の宿場となる黒崎を抜け、引野口までの区間を取り上げていきます。
私は地元がもろに長崎街道の沿線にあたるので、以前より関心を抱いていましたが、実際に歩いてみると今まで当たり前のように見ていた景色にも知らない歴史の1ページが隠れたりしていて、すごく新鮮な気持ちで楽しめました。
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いよいよ旅のスタートです!!
まずは魚町商店街で買った弁当を食べて英気を養い、長崎街道の起点である常盤橋に向かいます。 -
コロナの影響か魚町交差点の西鉄旅行が閉店していました。
まだ建て替えたばかりなので早いところ次のテナントが決まってほしいものです。 -
紫川に架かる常盤橋。
長崎街道だけでなく唐津街道や秋月街道など小倉から伸びている各街道の起点となっています。
いわば九州の日本橋ですね。常盤橋 名所・史跡
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現在の常盤橋は平成7年に江戸時代と同様の「木の橋」として架けられたものだそうです。
江戸時代当時は木がすぐに腐ってしまい、大雨の度に流されては架け替えられていたとの事。 -
長崎街道を示す道標が埋め込まれています。
イラストは小倉城ですね。 -
橋を渡った所には長崎街道の案内板もありました。
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江戸時代当時の小倉城下の地図。
当時、紫川に架かる橋は2つしかなく常盤橋の持つ重要性が感じられます。
橋の西側は江戸時代以前より城下町として栄えていたようです。 -
室町界隈を進んでいきます。
いかにも旧街道を思わせる道幅ですね。 -
北九州市は長崎街道の整備にも積極的なようで、所々で旧長崎街道を示す道標を見かける事ができます。
今後、木屋瀬宿まではこれを一つの目印として進んでいく事になります。 -
今後も長崎街道沿線でちょいちょい登場する黒ポスト。
明治の初めに郵便制度がスタートした際に設置されたものを再現しています。
九州の郵便ネットワーク構築はこの長崎街道沿線から始まっており、当時は九州で最も重要な幹線道路であった事が感じ取れます。 -
途中大きな通りに遮られている箇所も多数あります。
西鉄バスの連接車が元気に走っています。 -
旧街道は通りを挟んで正面の路地ですが、迂回するのに結構時間が掛かります。
バイクで長崎街道を走った動画をYouTubeで見ましたが、小倉市街地は一方通行のオンパレードでかなり大変そうでしたね。。 -
古めかしい喫茶ギャラリー。
いつごろまで営業していたのでしょうか。 -
小倉の街を順調に抜けていきます。
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小倉の街を走る都市高速
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到津口門跡に到着。
長崎街道における小倉の西の玄関として、
昼夜を問わず開門していたそうです。
今では当時を偲ぶものは何も無くなっています。 -
朝日新聞の販売店。屋根上の主張ぶりが凄い。。
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しばらく歩くと清水口門跡があります。
先程の到津口門とは違ってこちらはほとんど使われず、幕末になると外側に土手を築いて通行できなくなっていたそうです。 -
街道の雰囲気も街中の路地から閑静な住宅地へと変わってきました。
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この辺りは一部街道が切れているので迂回が必要です。
国道3号はやはり凄まじい交通量でした。 -
再び旧街道へ戻ると、古くから街道を行き交う人々に親しまれた水かけ地蔵尊があります。
隣にある泉はかつて神功皇后や弘法大師も飲んだとされ、奈良時代の板櫃川の戦いでは聖武天皇が守護仏を安置するなど、1,200年以上もの前からこの地に根付いていたようです。
かつてここを通った坂本龍馬やシーボルトも同じように地蔵に水をかけていたのでしょうか。 -
各逸話の由来となった泉は今も健在です。
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長崎街道跡の石碑もあります。
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遠くに到津の森公園の観覧車が見えます
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八幡東区へ入ると旧九州鉄道大蔵線の茶屋町橋梁があります。
現在は海沿いの戸畑を経由する鹿児島本線ですが、当初北九州に鉄道が引かれた際は内陸を経由するルートでした。
当時、街道を歩いていた人々にとって真横を猛スピードで駆け抜けていく列車のインパクトは凄まじかったでしょうね。旧九州鉄道茶屋町橋梁 名所・史跡
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旧街道も茶屋川橋を渡ります
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少し街道から外れた所に筑豊商店街なるものがあります。
北九州なのに何故に筑豊!?と思ったのですが、創業者が直方出身であった事がその由来だそうです。
調べてみると開設は1932年で北九州最古の商店街との事でした。 -
八幡東区に入り、改めて長崎街道の案内板が登場しました。
区内の主要な見どころが紹介されています。 -
旧長崎街道であることを示す標柱
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旧電車通りと合流する辺りで一気に視界が開けてきました。
街並みはすっかり都市化されていますが、遠くに見える山並みは当時も同じだったのではないでしょうか。 -
板櫃川に架かる五条橋を渡ります
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荒生田の一里塚跡。
一里(約4km)おきに設置されており、距離を知らせる目印として用いられていました。
これをもとに馬や駕籠などの料金も決められていたそうです。 -
一里塚跡の周辺は公園として整備されており、梅の花が綺麗に咲いていました。
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さらに街道を進むと新興住宅街に入りますが、その傍らに筑前国と豊前国の国境石があります。
北九州市は小倉と門司が旧豊前、八幡と戸畑と若松が旧筑前に分かれていますが、八幡東区の一部も豊前国であった事がわかります。 -
右奥に高見神社を見ながら進んでいきます
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長崎街道は右手の坂道を上がっていきます。
少し進んだ所に旅人が給水に使っていたという「清水の水場」があるのですが、気付かずに通り過ぎてしまいました。。 -
再び旧電車通りに戻って大蔵公園。
実はここ、旧九州鉄道大蔵駅の跡地だったりするのですが、当時を偲ばせるものは何もありませんでした。
西鉄バスの大蔵バス停も目の前にあり、30分おきに天神行きの高速バスが発着しているので、疲れたらここから直帰する事も可能です。 -
今は亡きスペースワールドの案内がまだ残っていました。
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八幡東区の中心部である中央区商店街付近。
この辺り旧街道についての明確な情報がなく、ひとまず国道3号に合流する事にしました。 -
都市高速5号線の高架下に旧街道を整備した遊歩道がありました。
しかし、付近には横断歩道も歩道橋もなくとてつもない迂回を強いられる事に。。 -
大迂回の果てに見つけた横断歩道を渡り、ようやく遊歩道の入口へ。
道路の反対側に行くだけで1km近く歩いた気がします。。
気を取り直して進んでいきましょう! -
遊歩道は地元の方の散歩などに活用されていました。
頭上を都市高速が走っていることもあり、あまり風情はないですが、ここにかつて長崎街道が通っていた事をアピールしようという意気込みを感じます。
奥には世界遺産に登録された八幡製鉄所の高炉も見えます。東田第一高炉史跡広場 公園・植物園
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先程の遊歩道を抜けて再び国道3号を渡り、旧街道へ復帰します。
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暫く進むと前田の一里塚跡がありました。
荒生田といい、この辺は一里塚跡を公園として整備している事が多いようです。 -
再び国道3号と合流。余談ですが、かつて北九州を走っていた路面電車もこの辺りから黒崎駅前までは国道3号を走っていました。
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趣のある大衆食堂。今は営業していないのでしょうか。
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国道3号と分かれて鹿児島本線の反対側へ。
ようやく最初の宿場である黒崎宿に到着です。 -
この辺りに黒崎宿の東構口(上り方面の出入口)があったようです。
黒崎湊で使用されていた常夜燈もありました。 -
案内板には黒崎宿本陣周辺で発掘された品々の説明がありました。
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道標にはかつてこの地にあった黒崎城が描かれていました。
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Googleマップで見る限りこの路地が旧街道のようなのですが。。この狭い道を象が果たして通れるのだろうか。
逆に昔はもう少し広かったのかもしれないですね。 -
舟町公園付近
黒崎には子供の頃から何度も来ていますが、駅の北側を歩いた事はこれまで一度も無かったので何だか不思議な感覚です。 -
黒崎宿を見守る城山。かつて山の上に黒崎城が聳えていました。
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みんなで守ろう黒崎宿
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かつてここには薩摩藩の定宿であった櫻屋がありました。
幕末になると長州や土佐の維新志士や三条実美など都を追われた攘夷派の公卿もここに宿泊したとのこと。
江戸時代後期に建築された離れ屋敷は惜しくも1990年に解体されています。 -
隣には歌碑があります。三条実美と櫻屋の主人である古海東四郎正顕が詠んだとされる和歌が刻まれています。
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北九州ではお馴染みのシロヤのパンですね
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歩道の柵に橋のようなオブジェがあり「なかばし川」と記載がありました。かつてここは本当に川があったのでしょう。
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熊手銀天街のアーケード入口
かつて長崎街道を通った偉人達のイラストが描かれています。 -
黒田官兵衛ゆかりの黒崎宿と描かれた幕が掲げられており、やはりアピールには余念がありません。
しかし、平日の昼下がりとはいえほとんど歩いている人が居ない現状は寂しくなります。
筆者が小学生の頃は黒崎といえばそごうを筆頭に、井筒屋、長崎屋、トポス、そして駅前の新店街に名店街(現:カムズ通り)と何処も人でごった返しており、まさに小倉に次ぐ繁華街として君臨していたのですが。。
古くから宿場町として繁栄を謳歌した黒崎にとって、今は最大の試練なのかもしれません。 -
かつての黒崎湊を描いた道標がありました
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ふれあい通りに出た所に西構口の跡があります。
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次の宿場、木屋瀬宿を目指します
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「長崎街道入口」と書かれた信号の横に曲里の松並木の入口があります。
Part1最大のハイライトとなる区間で、かつて木屋瀬宿まで続いていたと言われる松並木の風景が約1kmに渡って残されています。 -
もっとも江戸時代当時から残っている松は残り2本しかないとのこと。筆者はどれが江戸時代からの松なのか結局わからず仕舞いでした。。
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古街道を示す標柱もありました。
かつての街道歩きの風情を存分に味わう事ができます。 -
曲里の松並木に関する案内板
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石碑もありました
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今も犬の散歩など地元の方に愛されるスポットとなっています。
ほんと、いつまでも大事に残してほしいものです。 -
松並木を抜けて暫くすると国道200号に合流します。
左手に溜池を見ながら勾配を上がっていきます。 -
今日のゴールである引野口に到着!!
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今日はこのまま高速バスで福岡に帰り、後日再び引野口からスタートいたします。
次回は木屋瀬宿を抜けて一気にJR小竹駅まで歩く予定です!!
Part2へ続く
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小倉・北九州市中心部(福岡) の旅行記
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