1977/04/16 - 1977/04/20
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hy-2217さん
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生まれて初めての海外旅行は、1977年の4月に行った「グアム島5日間」でした。
今のネット社会とは違い情報が乏しい頃なので、事前にガイドブック(グアム島・サイパン・テニアン・ロタ)を購入して、グアム島に関する基本的な知識を勉強しました。
久し振りに45年前の旅行アルバムを開くと多くの写真が保存されていました。遠い過去の旅行を懐かしく思い出しながら、そして、グアム島の地図と写真を見ながら、備忘録として「旅行記」を作成することにしました。
そのような「旅行記」ですので、ミステイクもあるかもしれませんが、寛容な精神で一見、一読していただければ有難く思います。
〈グアム島の歴史に関する豆知識〉
16世紀、マゼランが初の世界一周航海の途中立ち寄ったことによって歴史上に名前を出したグアム島は、その後、スペイン、アメリカの影響下にあります。
〈余談になりますが、1977年頃は・・。〉
☆為替:$1=360円くらいだったと思います。
☆写真:白黒写真からカラー写真に変わりつつある頃でした。
☆酒類:ウイスキーの価格は、ジョニーウォーカー(黒ラベル)・オールドパー・シーバスリーガル等は、日本国内では約8000円、グアム島での免税価格では約2000円くらいだったと思います。
参考のため、日本の国産ウイスキーは、ブラック・ニッカが約1000円、サントリー・オールドが約2000円、サントリー・リザーブが約3000円くらいだったと思います。
ブランデー(ナポレオン)の価格は、ヘネシー、レミーマルタン、カミュ等が日本国内では約25000円、グアム島での免税価格では約5000円だったと思います。
ブランデー(エキストラ&カミュー・ブック&XO)も、日本より遥かに安く買えるのですが、その頃の私の収入ではギブアップしました。
結局、初めての海外旅行の土産として、ジョニーウォーカー(黒ラベル)・オールドパー・シーバスリーガル等、6本(免税範囲:3本/人×2人分)購入して帰国しました。
また、グアム島は自由貿易港であったため、輸出入する商品には関税がかかりませんので、免税品の看板がかかっている一般の店でも高級ウイスキー等を購入することが出来ました。購入したウイスキーを宿泊していたホテルで”チビリ~チビリ”飲みながら、滞在期間を有効に過ごしました。
※写真は、「ココス島(Cocos Island)」の船着き場で出迎えてくれた、ヤシの木で作った風流なパラソルです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩
-
グアム島・中央部~北部の地図(1976年発行版)
〈グアム島の地理に関する豆知識〉
グアム島(GUAM)は赤道の北1280km、北緯13度27分、東経144度47分に位置する日本に最も近いアメリカ領で、西端の州ハワイのホノルルから、さらに6096km西にある。
東京からの距離は2520km。富士山火山帯の延長であるマリアナ諸島最南部の島である。面積は543.7k㎡で日本の淡路島とほぼ同じ大きさで、広大な太平上に、1200余りも点在するミクロネシア(Micronesia)最大の島である。
島の形は東北から東西にかけて細長くのび、中央部が少しくびれた形状になっている。南北の長さは約48km、幅にあたる東西は広い部分が13km、最も狭い中央部で6.4kmとなっています。 -
グアム島・南部の地図(1976年発行版)
グアム島・南部にある「タロフォフォ(Talofofo)」のジャングル内で、1972年1月、太平洋戦争後28年間の原始生活を続けていたところを発見され、世界の注目を浴び評判になった旧日本軍兵士、横井庄一さんの隠れ家も「〇横井さんの穴くら」として記載されています。 -
グアム島・中央部の地図(1976年発行版)
中央部には「グアム国際空港」があり、「イパオビーチ(Ypao Beach)海水浴場」周辺の主なホテルは「グアム・ヒルトン」「グアム・コンチネンタル・ホテル」「グアム第一ホテル」「グアム・カクエイ・ホテル」「グアム・スエヒロ・ホテル」「フジタ・タモンビーチ・ホテル」「グアム・リーフ・ホテル」「グアム・ホテル・オークラ」くらいしか掲載されていません。 -
〈1日目:4/16のスケジュール〉
☆大阪国際空港(出発) 8:00PM頃(日本時間)
☆グアム国際空港(到着) 0:00AM過ぎ(グアム時間)
〈参考〉
利用した航空会社:パン・ナム航空(PAN AM) 宿泊したホテル:グアム・ヒルトン 利用した旅行会社:忘れました。
大阪からグアム島までの距離は約2500km余り、飛行時間は約3時間余りでした。
日本とグアム島の時差は、グアム島が1時間進んでいます。
日本を出発した時の気温は約16℃くらい、グアム島に到着した時の気温は約26℃くらいだったので温度差は約10℃くらい、着陸後、飛行機を降りて空港の建物に移動した時、真夜中なのに”ムオ~ン”とした生暖かさを感じました。
その時、”南国の国にやって来たな”と言う感じがしました。
〈2日目:4/17のスケジュール〉
☆グアム島中央部の観光(トゥー・ラバーズ・ポイント~アガニア中心部)
先ず、観光に出かける前に、ホテル周辺を散策しました。
※写真は、今回宿泊した「グアム・ヒルトン」のビーチ側から見た、ホテル周辺の景色です。 -
※写真は、ホテルのビーチ側にあった「バー・ラウンジ」です。
人影は見当たりません。流石に朝から飲んでいる人はいないようです。 -
※写真は、ホテルのビーチ側にあった「あずまや」です。
-
※写真は、ホテルの敷地内で、「イパオ岬(Ypao Point)」側に設置されていた、旧日本軍の大砲です。
終戦から32年が経過していますが、太平洋戦争を身近に感じてきますね。 -
※写真は、ホテルの敷地内で、「イパオ岬(Ypao Point)」側から見た、「トゥーモン湾(Tumon Bay)」方面の景色です。
目の前には、大阪では見ることがない「パパイヤ」の木が数本・・。
湾の遥か向こう側には、「トゥ・ラバーズ・ポイント(Two Lovers Point)」が霞んで見えていました。
ホテルの庭を散歩した後、観光バスに乗って「トゥ・ラバーズ・ポイント」を目指して出発しました。 -
ホテルを出発した観光バスは、数十分で「トゥ・ラバーズ・ポイント(Two Lovers Point)」に到着しました。
岬は車が40台ほど駐車できる広さの台地となっていて、左端にあった一段高くなった小山に登ると岬周辺の素晴らしい景色を一望することができました。
正面を見ると「フィリピン海(PHILIPPINE SEA)」、南面を見ると「トゥーモン湾(Tumon Bay)」が見えていました。
右側を見ても、左側を見ても、海まで続く切り立った断崖になっていました。
また、「トゥ・ラバーズ・ポイント」は素晴らしい景色とは別に、”二人の恋人の伝説を伝える岬”でもありました。
☆二人の恋人の岬の伝説☆(参照:グアム島・ガイドブックより)
昔、グアム島に、この島を支配したスペイン人を父に、チャモロの女性を母にもつ美しい娘がいました。娘は美しいばかりでなく、優しい心を持ち合わせていたので、島の若者たちのあこがれの的でした。
ところがこの娘は、父親が決めた、ずっと年上のスペイン人の船長と結婚しなければならないことになっていました。娘は悩みました。随分年上と言うばかりではなく、婚約者は支配者ぶった高慢な態度の男で、娘にとっては、なんの魅力もなかったからです。
ある日の夕方、訪ねてきた婚約者から逃れようとして娘は森に入り込みましたが、いつしか道を失い、さらに足を痛めて動けなくなりました。そこへ偶然チャモロの青年が通りかかり、娘は助けられました。これがきっかけとなって、二人は愛し合うようになりました。
一方、煮え切らない娘の態度に業を煮やした婚約者は、父親にせまって式の日取りを決めさせました。追い詰められた娘は、いっさいを母親に打ち明けましたが、良縁と信じて喜ぶ父親は、それを伝え聞いてもまったくとりあわなかったばかりか、娘を家に閉じ込めて外へ出さないようにしました。
やがて結婚式の日がやってきました。スペイン人の花婿は、満足感に胸をふくらませ、征服者の高慢な笑いを頬に浮かべていました。
しかし、その式の日の夜、娘は僅かなスキを見つけると森に逃げ込みました。青年も後を追いました。
二人は必死に逃げました。再会を喜ぶ余裕もなく、走りに走りました。しかし、追手は迫り、二人は森から崖の上へと追い詰めれました。
”男を殺せ!”と叫びながら追手が近づいてきた時、二人はお互いの髪の毛を結び合わせると、崖の上から遥か下にある海に身を投じました。
追手がむなしく帰ってきたのを見ると、花婿は激しく怒りましたが、娘の最後の模様を耳にした父親は、はじめて娘の気持ちを悟って涙を流しました。
そして、船を出してなお娘を探そうとする婚約者と追手の動きを止めると、月の光を浴びて清らかに咲くポマリアの花を手折ってただ一人小船に乗り、娘と青年を飲み込んだ海に漕ぎだして行きました。月光を浴びて光る南の海は、静かに大きくうねっていました。父親は、改めて、最も大切な宝であった娘を失った悲しみと、娘と青年のひたむきな深い愛とを知らされました。 -
※写真は、「トゥ・ラバーズ・ポイント」から見た、南方面(トゥーモン湾)の景色です。
湾の向こうに見えるのは「イパオ岬(Ypao Point)」、岬の左側が「グアム・ヒルトン」周辺になります。 -
岬から真下の海を見ると、このような感じでした。
-
右側の景色を見ると、切り立った断崖が海岸までのびていました。
断崖の高さは、123mくらいある、と言われています。 -
南側を見るとこのような景色が広がっていました。
岬の周辺は、まるで、ジャングルに囲まれているような感じでした。 -
「二人の恋人の岬の伝説」を読むと、記念撮影どころではありませんが・・。
引き揚げる前に、ちょっと、一枚・・。
後方に見えている墜落防止のための金網は破られていました。誰かが、手すりの外に出るために破ったのかもしれませんね。 -
余談になりますが・・。
「トゥ・ラバーズ・ポイント(Two Lovers Point)」は約3年後の1980年12月にも再度訪れました。その時撮った写真を〈参考写真〉として6枚添付しています。
〈参考写真-1〉
展望台周辺の景色です。 -
〈参考写真-2〉
展望台から見た、南方面・「トゥーモン湾(Tumon Bay)」の景色です。 -
〈参考写真-3〉
展望台から見た、足元の景色です。 -
〈参考写真-4〉
展望台から見た、遊歩道周辺の景色です。 -
〈参考写真-5〉
展望台から見た、右側の断崖周辺の景色です。 -
〈参考写真-6〉
展望台から見た、左側の断崖周辺の景色です。 -
「トゥ・ラバーズ・ポイント」を見物した後、「Rout-1」を南西方面に進み、グアム島の首都「アガニア(Agana)」へ到着しました。
※写真は、グアムの首都「アガニア(Agana)中心部」の地図です。(1976年発行版)。
「アガニア」はグアム島の首都で、政治、経済、文化の中心地となっています。
グアム島の中央部北側にあって、北にアガニア湾(Agana Bay)を望み、南に丘陵を控えた平地に秩序ある市街を形づくっています。1976年頃の人口は約3000人と言われています。
また、スペイン時代の遺跡も多く残っていました。 -
「アガニア(Agana)」に到着すると、先ず、「アプガン砦展望台(Fort Apugan Lookout)」にて記念撮影です。
写真で参加人数を数えると、当時の美男&美女が総勢29名(添乗員含む)集まっています。今更ながら参加人数の多さに驚きですね。 -
※写真は、「アプガン砦展望台(Fort Apugan Lookout)」から見た、北方面(アガニアの街並み)の景色です。
正面に中央に見えている半島には、「パセロ・デ・スサンナ公園(Paseo De Susanna Park)」「バスケットボール・コート」「野球場」があります。
半島の右側には、「アガニア湾(Agana Bay)」が見えていました。
☆「アプガン砦(Fort Apugan)」は、1671年にスペイン統治の政策に反対したチャモロ族の起こした大掛かりな反乱の折、スペイン軍がチャモロ族を迎え撃った砦として知られています。 -
※写真は、「アプガン砦展望台」から見た、北東方面(アガニアの街並み~アガニア湾)の景色です。
写真のほぼ中央には、「マリア大聖堂(Dulce de Nombre Maria Cathedral)」の白い建物が見えています。 -
※写真は、「アプガン砦展望台」から見た、北西方面の景色です。
正面に見えている海は、「フィリピン海(PHILIPPINE SEA)」になります。 -
余談になりますが・・。
「アプガン砦展望台(Fort Apugan Lookout)」は、約3年後の1980年12月にも再度訪れました。その時撮った写真を〈参考写真〉として2枚添付しています。
〈参考写真-1〉
「アプガン砦展望台」から見た、北方面(アガニアの街並み~アガニア湾)の景色です。 -
〈参考写真-2〉
「アプガン砦展望台」から見た、北東方面(アガニアの街並み)の景色です。
写真のほぼ中央には、「マリア大聖堂(Dulce de Nombre Maria Cathedral)」の白い建物が見えています。 -
「アプガン砦展望台」から坂道を下り、「ラッテ・ストーン公園(Latte Stone Park)」へと移動しました。
この公園には、古代現地人が造った石柱”ラッテ”が集められています。 -
巨大なワイングラスのような、巨大なキノコのようにも見える奇妙な形の石造物は、グアム島に残る古代遺跡の”ラッテ”と呼ばれています。
ここに並べられている”ラッテ”は、いずれもジャングルの奥から発見されたもので、形の良い物だけが集められています。”ラッテ”は頭部と柱部では石材が異なり、頭部には「タサ(Tasa)」と呼ばれる石材が使われ、柱部は「サンゴ石」が使われています。 -
※写真は、「グアム行政府ビル(Administration Building)」です。
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※写真は、「スペイン広場(Plaza de Espana)」です。
スペインの統治時代には、総督の官邸があったところらしいです。
広場の中央にある六角形の建物は音楽堂で、総督邸の「あずまや」を模したものと言われています。 -
※写真は、「スペイン広場(Plaza de Espana)」にある建物だと思います。
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「スペイン広場」の東隣りには、グアム島最大のカソリック教会である「マリア大聖堂(ドウルセ・ノンブレ・デ・マリア:Dulce de Nombre Maria Cathedral)」が・・。
ひときわ目立つ白亜の教会は、約300年の昔に、チャモロの大酋長がローマ・カソリック教会に贈ったという由緒ある土地に建っている建物らしいです。
この教会は、「アプガン砦展望台」からも目立って、良く見えていました。 -
アガニア中心部を見学した後、「Route-1」を横切って、海側にある「パセロ・デ・スサンナ公園(Paseo De Susanna Park)」がある半島へと移動しました。
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半島には、「バスケットボール・コート&野球場&リトル・リーグ野球場」の施設があり、先端部分が公園になっています。
「バスケットボール・コート&野球場」等の横を通って、「パセロ・デ・スサンナ公園(Paseo De Susanna Park)」の入り口までやって来ました。
公園の正面にある「自由の女神像」と「国旗掲揚塔」は、アメリカ本土のボーイ・スカウトからグアム島のボーイ・スカウトに贈られたものらしいですね。 -
「パセロ・デ・スサンナ公園(Paseo De Susanna Park)」の遊歩道の両側には、ヤシの木が整然と植樹されていました。
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見上げると、多くのヤシの実が・・。
大阪では、見ることができない景色ですね。 -
半島の海側は、防波堤も兼ねて石積になっていました。
白い波の向こう側は深い海(フィリピン海)、手前は浅い海(アガニア湾)になっています。 -
「アガニア湾(Agana Bay)」を見ると、このようなのどかな光景も・・。
海に浮かぶヨットを見ていると、気持ちが穏やかになりますね。 -
運良く観光バスの出発までにフリータイムがあったので、半島内を自由行動しました。
早速、ヤシの木の下で記念写真を一枚・・。 -
屋根がある休憩所の下でちょっと休憩・・。
-
「アガニア湾(Agana Bay)」の防波堤の上に立って記念撮影を一枚・・。
-
「Route-1」側にあるヤシの木の下から「アガニア湾」を見るとこのような景色でした。
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半島の付け根から「Route-1」を見るとこのような景色でした。
道路は舗装されていますが、路肩は舗装がなく、土がむき出しの状態でした。
「トヨタ」「ニッサン」「マツダ」等の日本車をよく見かけましたが、車体本体の側面に穴が開いている車が多く走っていました。
住民にとっては、バス等の公共の交通機関がないため、いくらボロボロの車でも貴重な移動手段になっています。 -
〈3日目:12/18のスケジュール〉
☆「グアム島南部&ココス島観光」のオプショナル・ツアーに参加。
ザクッとした観光ルートは、「Route-1~2~4」を通って「各ホテル~アガット湾~スペイン古橋~サント・アンジェル砦~ソレダッド砲台跡~ココス島(海水浴)~ベア・ロック~タロフォフォ湾~各ホテル」です。
ホテルを出発したバスは「Routeー1」~「Routeー2」を経由して、「アガット湾(Agat Bay)」までやって来ました。
※写真は、「アガット湾」で海水浴を楽しむ現地の子供たち。 -
「アガット湾」~「ニミッツ・ビーチ(Nimitz Beach)」を過ぎて、「アガットのスペイン古橋(Old Spanish Bridge Agat)」に到着しました。
「スペイン古橋」は「首都のアガニア」の方がよく知られているらしいですが、「アガニアのスペイン古橋」はアーチ型、「アガットのスペイン古橋」は二重にアーチがついた眼鏡橋となっています。
1700年代に建造されたこの石橋は、現在グアム島に残る四つの石橋の中で、最も当時の交通状態や建築文化を推測できるものである、と言われています。 -
「アガットのスペイン古橋」を過ぎ、引き続き、「Route-2」を南方面へと進んで行きました。
※写真は、「Route-2」周辺の景色です。 -
観光バスは、「ウマタック湾(Umatac Bay)」の手前にある「サント・アンジェル砦(Fort Santo Angel)」にやって来ました。
石造りの砦跡で、1800年代にスペイン人の手によって構築されたものらしいです。かっては、「ソレダット砲台(Fort Soledod)」と共に、「ウマタック湾」を守る重要な砦であった、と言われています。 -
※写真は「サント・アンジェル砦(Fort Santo Angel)」周辺の景色です。
-
※写真は、「ソレダット砲台跡(Fort Soledod)」側から見た、「ウマタック湾(Umatac Bay)」の景色です。
三方を小高い山で囲まれた形の「ウマタック湾」は、波静かな小湾で、18世紀には当時の船の寄港地として最高の港であった、と言われています。 -
※写真は、「ウマタック湾」の湾内側の景色です。
波が穏やかで、非常にのどかな感じがしますね。 -
「ウマタック」から「Route-2」を南に進んで、「ウマタック湾」の全景を見下ろすことが出来る「ソレダット砲台跡(Fort Soledod)」にやってきました。
スペイン時代に砲台があったところで、今ではスペイン哨舎を残す廃墟になっています。この砦の下は、切り立ったような崖が海岸まで伸びているので、昔は海からの侵略者にとっては、まったく、手を出すことが出来ない難攻不落の要塞でした。 -
「Route-2」と「Route-4」が何処で切り替わったのかは判りませんが、この辺りは「Route-4」になっています。
※写真は、「トゥグアン湾(Toguan Bay)」周辺の景色です。
右前方、遥か向こうに「ココス島(Cocos Island)」が見えてきました。 -
観光バスは、グアム島の南西端にある村、「メリーソ(Merizo)」に到着しました。
※写真は、「メリーソ(Merizo)」から見た、「ココス島(Cocos Island)」です。
「ココス島」は、グアム南端にある離れ島で、「メリーソ」の沖合約2マイル半の距離にあります。
これから、ボートに乗って「ココス島」へ渡り、海水浴を楽しむ予定ですので、僅かの時間、船上の人となります。 -
しばらくすると、「ココス島」が目の前に見えてきました。
ボートが到着する前に・・。
ガイドブックには、「ココス島」について、このようなことが記載されていました。
〈ココス島〉
かってはアメリカ海軍警備隊の無線基地であったが、現在は島の半分が民有地となっているため、島へ渡って遊ぶことも出来ます。
緑の自然と美しい海岸は、探検ムードのピクニックや貝殻の蒐集場所としても、なかなか人気があります。今度、無線基地跡がグアム政庁の管理下に移されたため、近い将来は、この基地跡も美しい海上公園になる予定です。 -
※写真は、船着き場周辺の景色です。
雰囲気としては、南国らしい、良い雰囲気ですが・・。 -
到着すると水着に着替えて、「グアム島」に来て初めての海水浴を楽しみました。
どこで、水着に着替えたかは記憶にありませんが、水着姿になっています。
ビーチには、細長く&高さがある木の株がゴロリ・・。
自然のままで良いですね。 -
海で泳ぐと言うより、海に浸かった後で、しばらくの間日光浴を・・。
-
「ココス島」のビーチは、写真のようにサンゴ礁に囲まれているため、注意をしないと足を怪我してしまいます。
ガイドブックの説明のようなリゾート地になるには、もうしばらくの間、時間がかかりそうな印象を受けました。
これから、再び、ボートに乗って、「ココス島」から「メリーソ」に移動しました。 -
下船して、観光バスに乗り換え、「グアム島」の南西端の村「メリーソ」を後にして、引き続き、「Route-4」を利用して、「グアム島」の南東~北東方面へとドライブを続けました。
しばらく走ると、「アガファヤン湾(Agfayan Bay)」と湾の右側入り口にある「ベア・ロック(Bear Rock)」が見えてきました。
「ベア・ロック」は、クマのような形をしていることから、この名前が付いたらしいです。 -
引き続き、「Route-4」を北方面へと進んで行きました。
道路の周辺は樹木が茂って、まるでジャングルの中をドライブしている気持ちになりました。 -
引き続き、「Route-4」を北方面へと進んで行くと、タロフォフォ湾(Talofofo Bay)に到着しました。
周囲は、まったく、殺風景な感じがしました。 -
※写真は、「タロフォフォ湾」周辺の景色です。
目の前には多くのバナナの木が見えますが、その奥は、ジャングルになっています。
1972年1月、太平洋戦争後28年間の原始生活を続けていたところを発見された、旧日本軍兵士、横井庄一さんの隠れ家はこれよりもっと内陸側だと思います。
※「グアム島」の地図には、「〇横井さんの穴ぐら」として記載されています。 -
「タロフォフォ」を過ぎて、引き続き、北方面に進むと、「パゴ湾(Pago Bay)」に到着しました。
これ以降、「Route-4」を通って、アガニア~ホテルへ帰ったのか、「Route-10」を通って、「グアム国際空港~ホテル」ルートで帰ったのかは、全く記憶にありませんが、とにかく、無事にホテルへ到着しました。 -
〈4日目:4/19のスケジュール〉
今日は、終日フリータイムでした。
ショッピング&水泳&ホテル周辺を散歩、等をしながら一日を過ごしました。
先ず、散歩を兼ねて、近所のデパートへショッピングに出かけました。
舗装されていない駐車場には大きな外車が数台・・。
近くで見ると、ボロボロの車ですが、日本では見ることがありませんので、珍しい外車の横で記念撮影・・。
この後、熱帯地方の名物、「スコール」に出会いました。豪快で、日本の夕立とは比べ物になりません。突然、水平線上に入道雲が湧きあがり、内陸に近づいてきました。するとパラパラと水滴が落ち、やがて、目を開けていられないほどの激しい雨が降ってきました。
運よく、すぐ近くの建物に避難して雨宿りができましたが、避難する場所が無かったらずぶぬれになっていたところでした。
また、グアム島は自由貿易港なので、酒類等は正規の免税店でも、免税店の看板がかかっている土産物店でもほぼ同じ金額で買うことが出来ました。場所によっては、免税店より土産物店の方が安いところもありました。 -
ショッピングの後は、宿泊しているホテルのビーチ側にある「トゥーモン湾(Tumon Bay)」の「イパオ・ビーチ(Ypao Beach)」での水泳タイムです。
「イパオ・ビーチ」はガイドブックによると・・
「Two Lovers Point」を望む代表的な海水浴場。遠浅の海岸を泳ぎに適するよう人工的に掘り下げたもので、広大な天然プールと言えます。それだけに安心して楽しむことが出来ます。
ただ、注意すべきことは、海岸の砂質が粒子の荒いサンゴ砂であること、水際にサンゴ片が多いため、ここでの水泳には足袋は布製のズック靴などを用意していくと良い、と紹介されていました。
海水浴をして、ちょっと気になった事は、遠浅の海で水中に立っていた時、足の裏で何かグニャグニャとした柔らかい物を踏んだような感触を受けました。
足元を見ると、グニャグニャした、黒っぽい、「ナマコ」よりちょっと大きいくらいの軟体動物らしい生き物が海の底に多く生息していました。グニャグニャとした生き物は、人に対して何も危害は加えませんが、正体がわからないので気持ちが悪い印象を受けました。
※写真は、「イパオ・ビーチ」の南西側から見た、「トゥーモン湾」の景色です。 -
周辺を見ると、数組の家族連れが海水浴を楽しんでいました。
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泳いだ後は、日光欲をしながらちょっと一息。
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すぐ近くには、人が良さそうな外人のオッチャンが・・。
どこのどなたかは存じませんが、気軽にモデルになってくれました。 -
折角なので、ビーチで記念撮影を・・。
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水泳の後は、ホテルのビーチ側での~んびりと・・。
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大きな岩を背景にして記念撮影も・・。
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木にぶら下がっていたハンモックに乗って、の~んびりと「トゥーモン湾」ののどかな景色を独り占めにしながら・・。
グアム島ならではの、ささやかな、幸せなひと時でした。 -
再び、ホテル付近の「イパオ岬(Ypao Point)」側から、トゥーモン湾(Tumon Bay)」を眺めました。
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イパオ・ビーチで遊んで、ホテル周辺を散歩した後は、近くの「フジタ・タモン・ビーチ・ホテル」に出かけて、ホテル周辺を散歩しました。
公園の緑地には1台のジープが・・。
看板を見ると、”横井ケーブ ジャングル・ツアー SEE YOKOI CAVE TALOFOFO FALLS”と書かれていました。
1972年1月、「タロフォフォ」のジャングル内で発見された「旧日本軍兵士・横井庄一さん」が、戦後28年間原始生活を続けていた洞窟とその近くにある「タロフォフォの滝」の見学ツアーの看板でした。
頭が良い人は流石ですね。金儲けにつながることは”即、実行”ですね。 -
「フジタ・タモン・ビーチ・ホテル」敷地内の遊歩道は、このような感じでした。
ホテル毎に雰囲気が変わり、特徴がありますね。 -
※写真は、ビーチ側から見た、「フジタ・タモン・ビーチ・ホテル」周辺の景色です。
敷地内には、「グアム・ヒルトン」と同様、旧日本軍が使用していたと思われる大砲が設置されていました。 -
海側を見ると、女性が一人、海を独占していました。
グアムらしい、のどかな光景ですね。 -
沖合を見ると、珍しい形と派手な色をした一隻の船が・・。
おそらく、「サンセット・ディナー・クルーズ船」だと思います。 -
〈5日目:4/20のスケジュール〉
今日は、最終日です。グアム島から大阪に帰ります。
「グアム国際空港」を何時頃、出発したかはまったく記憶にありませんが・・。
ホテルを出発する前に、ホテルのガーデンを散歩しました。 -
赤色の花の前で、最後の記念撮影です。
赤い花は「ハイビスカス」のように見えますが、「ハイビスカス」にしては花輪が大きいようです。
これから、「グアム国際空港」に向かって出発します。
「トゥモン湾」周辺にあるホテルと空港までの距離は、約1kmくらいなので時間はあまりかかりません。 -
※写真は、「グアム国際空港」の玄関周辺の景色です。
「グアム国際空港」は、1967年3月に完成。
多くの伝説を持つ島にふさわしく、神秘の石柱”ラッテ”を近代建築に取り入れた建物である、と言われています。 -
飛行機に搭乗出来るまで、オープン・ロビーで待ちました。
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飛行機に搭乗するために、「ターミナル・ビル」から飛行機まで歩いて行きました。
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飛行機に搭乗する前に、多くの土産を持ったまま記念撮影です。
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離陸直後、窓の外を見ると、「トゥーモン湾」が・・。
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窓の外に広がる様々な形をした雲を見ながら・・。
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窓の外に広がる雲海を見ながら・・。
生まれて初めての海外旅行は、無事終了しました。
充実した「グアム島5日間」の旅でした。
時差は僅か1時間だったので、時差ボケもなく、翌日から、早速、仕事に出かけたと思います。
「グアム島」は今回旅行してから、2回目は1980年12月、3回目は1997年9月に訪れました。
1997年から25年間経過していますので、今では昔の面影は無くなっているかも知れませんね。おそらく、立派なリゾート地となって発展していると思います。
また、自分自身、1977年の初めての海外旅行から今日まで、遠い国、近い国は関係なく、50回以上の海外旅行をするとは夢にも思っていませんでした。
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この旅行記へのコメント (6)
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- よっしーさん 2022/02/23 18:18:47
- 私の初グアムは、2008年です
- 1977年って私はまだ中学生ですね♪1番遠くの観光は岡山ですね、1986年に結婚した時グアムに行こうと思ったのですが1$250円位で英語も全く出来ず妻しかパスポートを持っておらず、江戸時代の新婚旅行のように熱海に行きました❗️初グアムは2008年でその後、2回ほどグアムに行きました!ヒルトンの近くのビーチがシュノーケリングに良いという事でシュノーケリングをしてヒルトンのダイニングでお茶しました♪グアムは消費税がなく、いつもDFSのルイヴィトンで衝動買いをしていました♪昔のグアムは、日系のホテルが多かったんですね♪でもグアムのタモン湾の海は、身近な海としてはかなり綺麗なビーチだと思います♪ワイキキより綺麗です♪
- hy-2217さん からの返信 2022/02/26 22:37:19
- RE: 私の初グアムは、2008年です(書き込み、有難うございました)
- よっしー 様
「書き込み」&「いいね!の投票」有難うございました。
> 1977年って私はまだ中学生ですね♪1番遠くの観光は岡山ですね、1986年に結婚した時グアムに行こうと思ったのですが1$250円位で英語も全く出来ず妻しかパスポートを持っておらず、江戸時代の新婚旅行のように熱海に行きました❗?初グアムは2008年でその後、2回ほどグアムに行きました!ヒルトンの近くのビーチがシュノーケリングに良いという事でシュノーケリングをしてヒルトンのダイニングでお茶しました♪グアムは消費税がなく、いつもDFSのルイヴィトンで衝動買いをしていました♪昔のグアムは、日系のホテルが多かったんですね♪でもグアムのタモン湾の海は、身近な海としてはかなり綺麗なビーチだと思います♪ワイキキより綺麗です♪
↓
私はグアムには、1977年4月、1980年12月、1997年9月の計3回行きました。最後に行ったのは25年前ですから、私の記憶はその時点で止まっています。
最近、各トラベラーの「旅行記」を拝見しますと、当時より随分変わっていますね。私から見れば「浦島太郎」になったような気持ちになりますね。
1980年頃のタモン湾のビーチは、私の「旅行記」に記載させていただいていますように、海の底には「ナマコ」に似た軟体動物がうごめいていました。
当時は太平洋戦争の面影も残り、複数のホテルの庭には、元日本陸軍が使用していたと思われる大砲等が設置されていました。
私は初めてハワイへ行ったのは1984年です。それ以降、ハワイに魅せられて30回以上行っています。
しかし、まだまだ、知らない場所が多くありますので今でも飽きることがありません。
ワイキキ・ビーチは、一番身近なところにあるビーチですが、オアフ島だけでも、それ以外に、全米No1に選ばれたことがある綺麗なビーチが複数あります。
よっしー 様
返信が遅くなり申し訳ありませんでした。
今後も、「旅行記」「クチコミ」を拝読させていただきますね。
from hy-2217
-
- 快特さん 2022/02/19 09:22:43
- 1972年にguamに行きました・
- 初めての海外旅行は 昭和47年8月でした。家族4人(小学生の時)
JAL ホテルは 藤田観光 ★何しろ 近所で海外旅行した人は いませんでした。神社に参拝して 出発 旅行者の人が 自宅に来て説明してくれました。
タモン湾には戦争の残骸ありました。
- hy-2217さん からの返信 2022/02/20 12:45:18
- RE: 1972年にguamに行きました(書き込み、有難うございました)
- 快特 様
「書き込み」有難うございました。
> 初めての海外旅行は 昭和47年8月でした。家族4人(小学生の時)
> JAL ホテルは 藤田観光 ★何しろ 近所で海外旅行した人は いませんでした。神社に参拝して 出発 旅行者の人が 自宅に来て説明してくれました。
> タモン湾には戦争の残骸ありました。
↓
1977年(昭和52年)グアムに行った頃は、私の周辺でも、新婚旅行でグアムに行った学生時代の先輩と新婚旅行でサイパンに行った同期のカップルくらいでした。
その頃のグアム島は「リゾート地」と言うには、ちょっと、程遠い状況でした。
しかし、酒類&タバコ&化粧品等が免税範囲であれば安く買えたので有難かったですね。
最近の各トラベラーズの「グアム島旅行記」を拝見すると、まったく、別世界のグアム島になっていますね。
浦島太郎のような心境になっています。
しかし、昔は昔、今は今で、それぞれ、良いところがありますね。
from hy-2217
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- ohanaさん 2022/02/17 21:37:26
- なつかしいです
- hy-2217様
こんばんは
1977年にグアムへ行かれた
パンナム機が懐かしいですね。
私の初海外は1978年Hawaiiへサーフィン部の遠征。
ノールウエストで行きましたが今ではパンナムもノースウエストもないですね。
社会人になり初めての海外はグアム。確か社会人2年目1980年か81年
JALパックでしたが夜便で真夜中に着き翌朝市内観光!
パスしましたので殆ど観光なし。
ホテルはヒルトンでビーチを歩けばトーチカや壊れさびた戦車などがありました。
ドライブしながら朝食はマクドナルド、当時からホットケーキプレートがあって嬉しかった、夕飯はピザハットでLサイズピザを大人3名、幼児1名で2枚注文し食べきれないカルチャーショックを受けました。
アメリカの衣料品がKマートで購入でき嬉しかったです。
お写真拝見しなつかしい風景がよみがえってきました。
なんとなく青春を思い出しています。
為替は1978年は$=200円程度の記憶があります。
また寄らせていただきます。
ohana
- hy-2217さん からの返信 2022/02/20 12:20:07
- RE: なつかしいです(書き込み、有難うございます)
- ohana 様
「書き込み&いいね!の投票」、有難うございました。
> hy-2217様
> こんばんは
>
> 1977年にグアムへ行かれた
> パンナム機が懐かしいですね。
> 私の初海外は1978年Hawaiiへサーフィン部の遠征。
> ノースウエストで行きましたが今ではパンナムもノースウエストもないですね。
↓
私の初ハワイ旅行は1984年です。1回目はグアム、2回目はグアム&サイパン、そして、3回目にハワイへ行きました。
学生時代にサーフィン部に入部して、ハワイでサーフィンとはモダンですごいことですね。
航空会社もパン・ナムやノース・ウエストも良く利用しましたが、今ではありませんね。
私は大学4年間は剣道部に入部していましたので、毎年春&夏休暇になると、鳥取県浜村温泉・徳島県日和佐・長野県富士見・広島県三次市・和歌山県新和歌の浦・愛媛県松山市・岐阜県高山市の武道館を約一週間お借りして春季&夏季合宿をしていました。
稽古はしてもなかなか強くなるものではありませんでしたが、しんどい思いをした青春時代の経験は今でも懐かしく、よく憶えています。
>
> 社会人になり初めての海外はグアム。確か社会人2年目1980年か81年
> JALパックでしたが夜便で真夜中に着き翌朝市内観光!
> パスしましたので殆ど観光なし。
> ホテルはヒルトンでビーチを歩けばトーチカや壊れさびた戦車などがありました。
> ドライブしながら朝食はマクドナルド、当時からホットケーキプレートがあって嬉しかった、夕飯はピザハットでLサイズピザを大人3名、幼児1名で2枚注文し食べきれないカルチャーショックを受けました。
↓
外人さんは。我々、日本人と違って食べる量や飲む量が半端ではないですからね。
今のように、残った食べ物をお持ち帰りできる時代ではなかったと思います。
私は2回目のグアム旅行で、厚かましくも、アガニア地区までヒッチハイクをしたこと。
レンタカーを借りてグアム島南部地区をRoute−1〜2に向かってドライブしていた時、少し道に迷い、「アブラ海軍基地」のゲートまで行ってしまいました。その時、銃を持った兵士が基地内から出てきて、Uターンするように言われたことを今でもよく憶えています。
>
> アメリカの衣料品がKマートで購入でき嬉しかったです。
>
> お写真拝見しなつかしい風景がよみがえってきました。
>
> なんとなく青春を思い出しています。
> 為替は1978年は$=200円程度の記憶があります。
>
> また寄らせていただきます。
>
> ohana
ohana 様
懐かしい「書き込み」有難うございました。
今後も、誠意ある「旅行記」を拝見させていただきます。
from hy-2217
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