2019/09/02 - 2019/09/02
35位(同エリア148件中)
Tomさん
約2年半前(2019年8月20~9月6日)の旅行レポートです。
この旅行に関する最初のアップロード以来2度の中断を経て今回は最後(9月6日)まで辿り着けることができればと思っています。ということで、以前の投稿と同じく、情報が古かったり、写真の状態が良くなかったりします。
イングランド第3日目(9月2日)はシェークスピアが洗礼を受けた教会等や親族縁の場所を訪ねた後、そこからヒースロー空港でレンタカーを返却し、ロンドン市内に投宿までをレポートします。
シェークスピア関連で初めて訪問する場所は、彼が通った学校、彼の娘スザンナ夫婦の家(ホールズ・クロフト)、母親の実家(メアリー・アーデンの家)です。今まで訪問した場所を含め、これでシェークスピアに関連する施設を全部訪問することができたことになります。思えば最初は四半世紀以上前の彼の生家とアン・ハサウェイの家だけの訪問から長い時間かかりました。今まではストラトフォードで宿泊したことはなかったのですが、今回は1泊した甲斐がありました。
表紙の写真は有名なアン・ハサウェイの家です。ここへは3度目の訪問ですが、例によって家屋内の巡回ルートに違いがありました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
本日の行程、ストラトフォードのホテルを出てヒースロー空港のレンタカー返却まで約162km。
-
ストラトフォード近辺のルート。
ホテル(A地点)を出て、B地点でホーリー・トリニティー教会、ニュー・プレイス、学校、ホールズ・クロフトを訪問。
C地点でアン・ハサウェイの家、D地点でメアリー・アーデンの家を訪問し、E地点のM40号線に至る。 -
ホテルを出てハイ・ストリート(High Street)を南へ。書面に小さく見えるのがギルド・チャペル。
-
今日最初の訪問先はシェークスピア縁のホーリー・トリニティー教会。他の施設よりも早く9時から一般に公開されている。
先ずは入り口の金具、サンクチャリー・ノッカー(Sanctuary Knocker)。金具は13世紀製で扉は15世紀製。このノッカーに触れた逃亡者は誰でも37日間の保護を求めることができた。 -
入り口を入ったところから東側の主祭壇方向を見る。前方の通路は身廊(Nave)の通路。
-
身廊を進み、振り返って西側のステンドグラスを見る。
下大きく黒く見える部分はトーマス・ア・ベケット礼拝堂への扉。
この教会とベケットとは直接の関係はないようだが、殉教者ベケットを称えるために、シェークスピアの時代より前に礼拝堂が造られたようだ。 -
身廊と翼廊が交わる地点。奥は聖歌隊席や主祭壇がある内陣。
-
主祭壇の前のシェークスピアの墓。
これだけのものがあれば一目で分かる。 -
彼の妻アン・ハサウェイの墓。他に娘スザンナや娘婿ジョン・ホールの墓も隣にある。
-
シェークスピアの洗礼と会葬の記録。
-
言わずと知れたシェークスピアの胸像。
-
シェークスピアの胸像とステンドグラス。
右上の2人の胸像は1400年代半ばにこの教会の内陣建設のきっかけを作った人物とその妻。残念ながら名前は失念。 -
1564年4月25日、シェークスピアの洗礼に使われたとされる洗礼盤。
-
現在の洗礼盤。
後ろにトーマス・ア・ベケット礼拝堂への扉が見える。
ベケット(1118-1170)はヘンリー2世(1133-1189)との確執から王の家臣にカンタベリー大聖堂内で暗殺された。 -
改めて西側のステンドグラスを見る。
-
ギルド・チャペル付近を撮影。通りのこちら側端はパーキング・ロットになっていて、料金の領収書をフロントガラスの内側に乗せておく。2時間までの駐車が認められている。
実はギルド・チャペルのすぐこちら側隣にシェークスピアが通った学校の入り口があるのだが、見逃してしまった。グーグルマップでは反対側に目印があるように見えたので、この通りの左側ばかりを見てしまった。 -
シェークスピアが通った学校を探し、ニュー・プレイス(生垣に囲まれた場所)とナッシュの家(正面のチュダー様式の家)を通り過ぎ・・・
-
約100m進んだ場所がここ。
チュダー様式の建物がメルキュール・ホテル。その先が町役場(Town Hall)。 -
町役場に対面しているのが銀行。
他の建物とは雰囲気が違うので撮影。 -
戻って、学校よりも先にニュー・プレイスを訪問。
16世紀のガレオン船の模型が庭にあった。 -
シェークスピアが生きていた時代の金庫。
-
シェークスピア家が使った井戸。
このように金属製の覆いがしつらえてあった。 -
シェークスピアが使った椅子と机。もちろんレプリカ。
-
ニュープレイスに隣接するノット・ガーデン。ニュー・プレイス・ガーデンズの一部。
1570年出版の本の挿絵を基に1920年頃造られた。シェークスピアもこのような庭を持っていたはずとのこと。 -
ニュー・プレイスの入り口を入ると、ガイドによる説明開始時間を教えられたので、その時間に行ってみると、この場所について約15分ほどこのような絵図を見せながらシェークスピアが住んでいた時の家について説明してくれた。
切妻のあるチャペル通り(Chapel Street)に面した部分はテナントとして貸したこともあったらしい。 -
当時の中庭の様子。
シェークスピアはこの家で作品の半分以上を書き上げた。
この家の最後の所有者は牧師だったが、シェークスピアのファンが大勢訪れることと重税に腹を立てて邸宅を壊してしまった。とても残念なことをしたものだ。 -
ナッシュの家から見るノット・ガーデン。
トーマス・ナッシュはシェークスピアの孫娘エリザベスの最初の夫。エリザベスはナッシュの死後ジョン・バーナードと結婚し、ストラトフォードに住んだこともあったが、最終的にはそこを離れた。
前回、ナッシュの家を訪れた時のレポート: https://4travel.jp/travelogue/11043906 -
ナッシュの家の前からニュー・プレイス入り口とギルド・チャペルを見る。
-
シェークスピアが通った学校の生徒用机。
立って学習する際に使われたようだ。 -
低学年が座るベンチ兼学用品入れ。
-
当時の教室の様子。正面が教師用机といす。
-
ホールズ・クロフト。
最上部がシェークスピアの娘スザンナと夫ジョン・ホールが建築した時のもの。 -
エントランス・ホール。右側の扉から出入りしていた(今は別な入り口から)。
暖炉の石と床の敷石はオリジナルのもの。 -
エントランス・ホール。敷石が大きいことからジョンとスザンナが裕福であったことが分かる。
-
パーラー(応接室)。
建築当時の一番良い部屋。 -
パーラー(応接室)。
ここで親しい裕福な友人たちをもてなした。 -
パーラーに置かれたダイニング・テーブル、食器棚、椅子は当時の様式。
-
パーラーの裏側、廊下として機能していたパントリー(キッチン等に隣接して設けられる収納のためのスペース)。
-
パントリーの隣のバタリー(食品貯蔵庫)。ジョンはここを調剤室として使った。
-
調剤室を別な角度から。
中央の窓から薬を手渡していたのだろう。 -
キッチン。
ホール家がニュー・プレイスに移住後、スミス家が1630年に増築したもの。 -
2階のマスター・ベッドルーム。
スミス家が1630年頃増築した。 -
1627年に描かれた裕福なオランダ人母子。
スミス家とは関係ないが当時の服装資料として展示されていた。 -
17世紀初頭の男女の服装。
-
同じく2階の展示室。
1616年までホール家はここを2・3室に仕切り、寝室として使っていた。 -
残念ながらどんなソファーだったか失念。
-
ジョン・ホールの道具等。
-
ジョンとスザンナの一人娘、シェークスピアの血を引く唯一の孫エリザベスの寝室。
-
次に向かったのはシエークスピアの妻アン・ハサウェイの実家。家は駐車場から100m強離れている。
これで3度目の訪問。四半世紀以上前の訪問の時、入り口は建物のこちら側の角にあったが、2度目の訪問(2014年)以降は向こう側の角を左に折れて50mほど行ったところの入場券売り場が入り口になっている。
2度目の訪問記: https://4travel.jp/travelogue/11043906 -
入場手続きを終えて出たところにあるギフトショップ等がある家屋。
-
これがアン・ハサウェイの家。
向こう側(東側)が家への入り口になっている。 -
庭から家全体を撮影。16世紀の農家の様子を現在に残している。
-
屋内のルートは前回の訪問(2014年8月)とは異なる。
ここはキッチン。 -
キッチンからすぐに2階に上がった最初の部屋にあった(と記憶している)ハサウェイ家にあった一番良いベッド。1500年度後半のスタイルでその家の裕福さを象徴するものとして置かれていた。多分ここではなく他の場所に置かれていたのだろう。今回の訪問で初めて目にした。最近復元されたものと思われる。
-
2番目に良いベッド。
シェークスピアが妻に残したベッドの部品が使われている。
シェークスピアの孫娘エリザベスからハサウェイ家に贈られたもの。 -
客間の一部。
-
客間の一部。
ランプが置かれている奥の肘掛け椅子はシェークスピアが孫娘エリザベスに贈ったもの。 -
客間の一部。
客間があること自体裕福な農家であることを示している。 -
客間の一部。
家具等は当時のもの(に近いらしい)。 -
西側の階段を1階に降りる。
これは食糧貯蔵室として使われた北側の部屋。 -
これも食糧貯蔵室兼家事室。
-
1階の入り口、キッチン隣のダイニング・ルーム。
中国の伝説を題材にした陶器の皿が飾られていた。 -
再び庭から家屋を見る。
-
次に向かったのは、シェークスピアの母の実家、メアリー・アーデンの農場。
この建物は入場手続をしたり、お土産を売ったりしている場所。 -
これがメアリー・アーデンの家。
けっこう大きな家。 -
他の訪問先でも触れたが、良い家具を人目に付く応接間やエントランスを兼ねた部屋に置くのは裕福さを示す当時の慣習。
この家で一番良い家具であるベッドが置かれていた。 -
2階に上がって主寝室を見る。夫婦用ベッド(狭い!)と共に幼児用ベッドとこちら側には子供用ベッドが置かれていた。
-
主寝室を別角度から。子供用ベッドとチェスト(箪笥)がある。
-
背を屈めて次の部屋へ。
なぜ背を屈めるようになっているかは説明表示があったけれど失念してしまった。 -
これは子供部屋らしい。
-
更に奥に行くと・・・
これも子供部屋。 -
貰った案内図には Falcony となっている場所。
フクロウのパフォーマンス。 -
人に慣れていて、こんな近くに来ることも。
-
こんな動物も。山羊のようだがヒゲがないので羊かな?
-
農機具を収納する納屋。
-
同じ納屋の別な部分。
-
農場を後にして、A46号線→M40号線→M25号線→M4号線と辿り、レンタカーを返却。約150km。
-
高速道路M40号線。
-
M4号線へと向かう。レンタカー返却まであと約8km。
返却後、ヒースロー空港から地下鉄でロンドン市内のホテルに向かう。 -
ロンドンで4泊したホテル、プレミア・イン・ケンジントン。
Premier Inn London Kensington Earls Court ホテル
-
部屋の中から入り口方向を見る。
-
ロンドンはイギリスの中でも物価が高い。
それでもここは1泊£122で朝食付き。 -
洗面所とトイレ。
-
バスタブもあった。
-
ホテルのレストランで夕食。
米を食べたくなったのでタイ料理のカオマンガイ(だと思う)野菜炒め付きと飲み物はシャンディー(ビールとレモネードを5分5分に混ぜたもの)。
後はおとなしく就寝。
9月2日は以上で終了。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
ストラトフォードアポンエイボン(イギリス) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
85