2021/11/18 - 2021/11/18
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kimi shinさん
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松平郷
からおよそ六百年前、この地に発祥した松平氏は三河を平定し天下太平の礎としました。
徳川三百年の礎となった松平氏発祥の地がこの地で山里には松平東照宮や松平家の菩提寺高月院などあり紅葉意外のお楽しみもある。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 自家用車
-
2021/11/18
一日の始まりは思いもよらぬ光景から始まった。
日の出と共に空にぼんやりと虹がかかる幻想的な光景を見ることが出来た。
今日は以前から予定していた紅葉探しに出かける。
既に香嵐渓とか綺麗に色付いた紅葉が見れるとか、盛んにメディアに取り上げられ、若干煽られているかもしれない。
目的地は豊田市の松平郷、朝8:30に自宅を出て、猿投グリーロード経由で国道301号線沿いの松平郷に到着が10:00前、通勤渋滞もなくすんなり辿り着けた。 -
国道から松平郷に向かう分かれ道にある駐車場に車を停め、ここから徒歩で向かう。
駐車場に掲げられていた観光案内図、歩きたくない向きには奥に駐車場は何カ所かあります。
私らは3㌔ほど歩きたいので一番入口に近い駐車場に停めています。
松平郷は今からおよそ六百年前、この地に発祥した松平氏は三河を平定し天下太平の礎としました。
徳川三百年の礎となった松平氏発祥の地がこの地。
この奥には松平東照宮や松平家の菩提寺高月院などあり紅葉意外のお楽しみもある。 -
駐車場から東照宮に向け山里に付けられた歩道を登っていく。
今日見た紅葉で一番鮮やかだったがこの歩道沿いのもみじ。
高月院の住職によると「今年の紅葉良くない」そうだ。
確かに、紅葉しようとしながら枯れ始めたり、紅葉する前に葉が枯れ始めていたりする。
近年、山が鮮やかに赤く染まり「きれいだね」と感じる光景はあまり見なくなった気がする。 -
山道を歩く事しばし、正面が開け祭り広場のある駐車場が見えて来た。
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祭り広場に掲げられた観光案内図。
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その横に松平郷の観光スポットの解説板。
この地が徳川三百年の礎となった松平氏発祥の地、そこには松平東照宮や松平家菩提寺高月院など見所が集約されています。 -
祭り広場のすぐ隣が松平東照宮。
歩きはじめて10分少々で辿り着けます。
境内を落葉を始めたイチョウが黄色に染める、もみじも随分と色付いている。 -
松平東照宮拝殿全景。
ところどころにもみじがあり、状況によっては綺麗な写真が撮れるのではないかなぁ。
境内周囲には水濠や石垣も残っています。
これらは関ケ原の合戦の後、松平太郎左衛門家九代尚栄によって築かれたもので、水面に紅葉を写し込み趣のある光景を見せてくれます。
松平東照宮の始まりは八幡宮と称して松平家の屋敷神でした。
1619年(元和5)家康を合祀し1965年(昭和40)親氏公を合祀したもの。
松平太郎左衛門家は大正初期までこの地に居住していたという。
外観は贅を尽くした東照宮のイメージで訪れるとギャップを感じるかも知れません。 -
その代わりと云ってはなんですが、松平東照宮の売りは拝殿格天井絵かもしれない。
神職の方からは「写真撮影もOKだからね」と一言。
200円の拝観料は拝殿内の箱にセルフで入れる、信用あってのシステム。
108枚の天井絵は、白梅や紅梅など見慣れたものからアロエや朴葉など見慣れない草花が色鮮やかに描かれている。
上を仰ぐのもいい、一番の鑑賞法は仰向けになる、これに尽きる。
豊田市出身の漆芸家安藤則義氏の手により、2015年に松平東照宮の見所の一つとして新調されたもの。 -
境内右に産八幡の宮が鎮座し、右手の斜面に市杵嶋社(弁天様)が祀られている。
その手前の玉垣で囲われた一画が産湯の井戸。
神門前の「産湯井戸の由来」
1542年(天文11)岡崎城で生まれた家康、この井戸の水が産湯として竹筒に詰められ早馬で届けられたそうだ。
一の井戸、二の井戸とあったようにここには七つの井戸があったそうで、産湯井戸はその中でも最も古い物だという
石の切妻屋根で覆われ、井戸に下る入口は扉で塞がれている。
汲み上げるイメージの井戸ではなく、石段を下りて湧き出る水を汲み取るようです。
玉垣の紋には当然葵の紋が入る。
この水は水位で農作の吉凶を占い、御神水は健康長寿、出世開運、厄除け、安産に御利益があるそうで遠方からも訪れるそうで、この水は社務所で頂けるようです。
松平東照宮
所在地 / 豊田市松平町赤原13 -
松平東照宮から松平家菩提寺の高月院山門までは、松平郷をぐるっと一周する3㌔ほどの散策路「ふるさとの小径」を進みます。
松平家の所縁ある史蹟や自然を満喫でき、訛った体を呼び戻すには絶好の散策路。
松平郷を代表する松平東照宮から菩提寺の高月院までの約250㍍程の道周辺は「松平郷園地」として特に整備された道。
紅葉のピークは過ぎたとはいえ、のどかな里山の雰囲気を留めていて、ゆっくり歩きたい道が続きます。 -
松平東照宮から緩やかな坂を高月院に向け歩き出してすぐに写真のような石段と歩道が奥へと続いています。
稲わらを燃やす煙が霞の様に漂い、収穫を終えた後ならではの光景。
次の稲作に向けての伝統的な光景でしたが、最近は昔の様に藁焼きも思うようには出来ない、世の流れというものだろうか。
歩道脇の石柱は松平八代を象徴したもので七対の石柱が立っています。
その突き当りには松平家の始まり「松平太郎左衛門親氏」の銅像が立っています。
親氏の素性については僧侶だとされたり、ただの旅人としてこの地に辿り着いた、など諸説あるようです。
一つの説として、関東で鎌倉公方との戦に敗れ、足利氏の追ってから逃れるために父・有親と相模国の時宗総本山清浄光寺に出家し、徳阿弥(とくあみ)と称する僧侶だと云われ、徳阿弥は部下を伴い諸国を流浪し、三河国加茂郡松平郷に流れ着き、この地の領主松平信重(太郎左衛門少尉)の客人となり、和歌に通じた才能を認められ、末娘の水姫の婿養子となり松平太郎左衛門尉親氏と名乗ったようです。
この歩道は徳阿弥と水姫をつないだ、あやめにちなんでいるのだろう「あやめ恋路」と呼ばれているようです。
この辺りに天下池と呼ばれる小さな池があり、そにはあやめや蓮などが植えられ、そこに注ぐ流れ沿いは趣もあり散策にはいい。 -
「ふるさとの小径」沿いに高月院まで続く土塀の室町塀。
塀自体は室町時代の趣を再現したもので、名から室町時代の名残りと思われるかもしれないがそうではないようです。この時期は延々と続く塀と紅葉が綺麗な場所、塀の一部は苔むし、そこに赤い落ち葉やシダが自生する光景は日本の秋を感じさせる風情があります。 -
冠木門とその先が天下茶屋
室町塀の中ほどにある茶屋で門も含めて地域活性化のために作られたもののようです。営業時間は10時~16時で水曜定休、松平郷散策で唯一食事が摂れる場所。 -
松平東照宮から高月院駐車場まで普通に歩いてしまえば5分くらいでしょうか。
高月院まで訪れるなら「あやめ恋路」を歩くのをお勧めします。
せせらぎの音を聞きながら、こうした紅葉や山野草など探しながら歩いていると、とんでもない田舎に来た感じですが、ハッチョウトンボの飛び交うこの郷へは、豊田スタジアムから車で30分もあれば手軽に味わえる。
四季折々に表情を変える松平郷、お気に入りの場所になりそうです。 -
紅葉のトンネルも間もなく終わり視界も広がってきます。
目の前には高麗門の山門、1641年(寛永18)家光によって伽藍全て再建された当時のまま。
左手に「法然上人三河二十五霊場、第一番高月院」の石標、右に「愛知高原国定公園」の碑が建つ。
山門から眺める境内は、三段で造られた境内正面に中門、右手に庫裏に続く赤い通用門も見て取れる。
直角に近い石垣が積まれた光景は城のイメージ。 -
高月院の創建は1367年(貞治6年)、当時松平郷を治めた在原信重(松平太郎左衛門尉信重)を開基とし、その庇護を受けた見誉寛立(足助重正)が開山。
開創当時は寂静寺と号し、応安(1368年~1375年)の頃に松平親氏の歸依により現在の「本松山 高月院」に改め菩提寺として本尊や堂宇が整えられました。
また親氏は、高月院から少し上の観音山の岩洞に観音像を勧請し、七日間天を仰いで祈ったとされる『親氏公行場跡』も現存します。
親氏、松平氏第2代泰親の埋葬に伴い、高月院境内に廟塔が建立され、天文年間(1532年~1555年)には松平氏第四代親忠の五男(超誉)が住職となるなど強く結びつき、第五代長親が土地を寄進し、松平氏の始祖親氏、2代泰親、後に5代長親の母閑照院殿の廟として整えられた。
天下統一を成し遂げた徳川家康は、1602年(慶長7)に上洛の途上に高月院の祖廟を参詣したとされ、その後も1641年(寛永18)には家光によって伽藍全て再建されるなど、江戸幕府により明治維新まで厚遇されていた。
高月院
所在地 / 豊田市松平町寒ケ入44 -
高月院から更に山道を登っていくと『親氏公行場跡』に辿り着きます。
入口が分かり辛いかもしれませんが鳥居から真っすぐ上り、車道を越えた先に細い山道があり、そこを上っていきます。
山道入口には小さな案内板もありますが、踏み込むには多少躊躇するかもしれません。 -
落葉樹と熊笹が生い茂る荒れた細い参道?獣道?、足元は枯れ葉で滑りやすく足元は要注意。
こうした道はついつい良からぬ事を想像してしまう。
足元の長い物やら道の先に猪や熊がいるんじゃない?、足元も道の先にも気を使わなくては安心できない、坂道以上に気を使う。
ささやかでも安心の拠り所となる熊除け鈴は必需品か?
狭い山道から視界が開け、広くて平坦な空間が現れます。
そこは正面に山肌から露出した巨岩が屏風の様に並び、幾つかの石の社と岩の下に建つ社が視界に入る。
この場所が徳川家の根源となる松平親氏が行を行った場所という。
松平村史に親氏公行場跡と思われる記述も現れた。
内容は「高月院の後山を登ること四十五町、屏風を立てたる如き嶮山あり。観音山と称す。山の中腹に大岩石あり。松平親氏公観音を岩洞に勧請し、其ノ岩上に直立して七日間天に祈りし所なりと云ふ」ものです。
記述にある屏風の様な岩を背にするこの場所が行場で、岩の下の覆屋には松平親氏公観音が祀られている。 -
松平郷展望テラス。
親氏公行場跡から車道沿いに左に進んだ高台にある展望台。
道路脇には看板もあるので迷う事はないと思います。 -
テラスからの眺めは豊田スタジアムなど豊田の街並みを一望できる。
ここから再びふるさとの小径に戻り山中の歩道を松平城跡を経由し駐車場横に出る予定でした、途中で道に迷いなんと東照宮に出てしまった。ここから引き返す元気もなく潔く来た道を戻り家路に着く。
街からも近く、自然や歴史を満喫できる松平郷はお勧めです。
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