2021/10/31 - 2021/10/31
232位(同エリア93件中)
junさん
前々回、本門寺の有名人のお墓を散策しましたが、再訪しました。
今回は、慰霊碑と本門寺通りのレストランの訪問です。
50年程前に近くに住んでいたのですが、
本門寺には多くの慰霊碑があることを今回初めて知りました。
今回は以下をまわりました。
1.日本看護婦会慰霊塔
2.大田区戦歿者慰霊塔
3.日露戦役忠魂之碑
4.満洲国軍戦没者之碑
5.郡司成忠墓 幸田露伴の隣
6.池上妙見堂シンガポール チャンギー殉難者慰霊碑
写真にはGPS情報を入れているので慰霊碑位置の参考にしてく下さい。
表紙は妙見堂のシンガポールチャンギー殉難者慰霊碑です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
今回は池上線の始発駅、蒲田駅をスタート地点とします。
-
池上線の池上駅に到着です。
大分前ですが、「池上線」(西島三重子)と言う曲が有名でした。 -
平屋の駅舎が駅ビルに変わっています。
-
本門寺の総門です。
-
仁王門です。
-
大堂では七五三の写真を撮っていました。
-
仁王門の東に大田区戦没者慰霊塔があります。
-
日露戦争の碑もあります。
-
慰霊塔は昭和37年(1962年)に建設されたとあります。
-
前田利家側室の供養塔とのことです。
-
五重塔西側の坂の途中に「満洲国軍戦死没者の碑」があります。
今回の一番の目的碑です。 -
背景に五重塔が見えます。
-
建立した蘭星会とは、元満洲国軍日系軍官(日本人士官)の集まりです。
1945年8月のソ連侵攻に際しては、多くの人々が無くなりました。
私が数年前に訪問したハイラルでは、当時の満洲国軍の満系(満人、漢人、朝鮮人)と蒙系(モンゴル人)の人々に殺された日系軍官もいました。
傀儡であった旧満州国の、日本の国策による犠牲者でもありました。 -
球状の碑は、旧満洲の赤い夕陽を表しています。
-
昭和51年(1976年)建立とのことです。
-
郡司成忠の墓です。
彼は海軍を退役して予備役大尉として、北千島を探検、開発しました。
南千島の北方領土問題を考えると、彼の功績の大きさを感じます。 -
墓の後面の彼の功績が書かれています。
-
郡司予備大尉は、幸田露伴の弟です。
幸田家の隣地にお墓があります。
写真の左端が幸田露伴、前面に幸田文子、後面の右端から二つ目が郡司成忠の墓です。小説家の幸田文(あや)は、郡司の姪になるわけです。 -
大映社長の永田雅一のお墓です。
前回来た時は、広すぎてわかりませんでした。
正面の門を入り、次の門をまた入り、その右がお墓です。
つまり右隣のお墓の奥に、永田家のお墓があります。
ちなみに、左のお墓は閔妃殺害事件の岡本柳之助です。 -
敷地奥の永田雅一のお墓です。
道路側から見ることはできません。脇道から見れます。
個人でこのような広大なお墓を見たことはありません。 -
日本看護婦会慰霊塔です。
-
最後は妙見堂です。
正面からだとこの坂を上ります。
本門寺の墓地から裏門に行くこともできます。 -
妙見堂です。
-
お堂の左側に、シンガポールチャンギー殉難者慰霊碑があります。
「第二次世界大戦の後、シンガポールのチャンギーではBC級戦争犯罪人とされた日本の軍人軍属の裁判が行われました。
多くの被告が極刑を宣告されチャンギーに於いて処刑されました。」
とのことです。 -
平成元年に書かれた碑誌があります。
-
碑の裏面
昭和58年の文字は、かなり読みにくくなっています。
殉難者芳名の最後の方に、当時の近衛師団長の西村琢磨中将の名前があります。
彼はマレー戦時のオーストリア捕虜の殺害の責任を取り、刑死しています。 -
今回の散策最後は、本門寺通り商店街のヴェールエブランで食事しました。
-
テレビの「アド街」でも紹介されたレストランです。
-
魚料理のランチコースも美味しいです。
-
デザートのカヌレを食べて、今回の池上本門寺散策ブログも終了です。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
馬込・池上(東京) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
30