![8月2日(火)宿泊したボタニック・レストで朝食を済ませて、ベルファストのヨーロッパ・バス・センターからデリーに向かう。デリーのフォイル・ストリート・バスセンターに到着して、ホテルにチェックイン。一服してホテルの前の城壁から市内の散策を始める。聖コロンバ大聖堂、聖アウグスティヌス教会、包囲博物館、タワー・ミュージアム、ギルド・ホールを見学して近くのカフェで昼食。午後はフリー・デリー・コーナーに行き、血の日曜日事件や公民権を求めるカトリックの運動をアパートの壁面に描かれた壁画を見て回る。血の日曜日事件記念碑を見て夕食。北アイルランドを巡っていると、その過酷な歴史の一端でも学べた思いだ。](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/11/71/78/650x_11717806.jpg?updated_at=1636788943)
2016/08/02 - 2016/08/02
2位(同エリア3件中)
旅四郎さん
8月2日(火)宿泊したボタニック・レストで朝食を済ませて、ベルファストのヨーロッパ・バス・センターからデリーに向かう。デリーのフォイル・ストリート・バスセンターに到着して、ホテルにチェックイン。一服してホテルの前の城壁から市内の散策を始める。聖コロンバ大聖堂、聖アウグスティヌス教会、包囲博物館、タワー・ミュージアム、ギルド・ホールを見学して近くのカフェで昼食。午後はフリー・デリー・コーナーに行き、血の日曜日事件や公民権を求めるカトリックの運動をアパートの壁面に描かれた壁画を見て回る。血の日曜日事件記念碑を見て夕食。北アイルランドを巡っていると、その過酷な歴史の一端でも学べた思いだ。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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8月2日(火)ベルファストで宿泊したボタニック・レストの朝食。写真のアイリッシュ・ブレックファーストにパンやコーンフレーク、飲み物はコーヒーやジュースがあった。
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ボタニック駅から電車でグレート・ビクトリア駅に行き、すぐ近くのヨーロッパ・バス・センターを午前9時発のバスでデリーに向かう。ゲール語で「樫の木」を意味するデリーは17世紀にプロテスタントによるアルスター入植が進む中、1613年にロンドンのギルドによる市の設立を反映してロンドンデリーに名称が変更された。
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デリーのフォイル・ストリート・バスセンターに午前10時30分に到着。歩いて6分ほどの写真の手前のナンバー・エイトにチェックイン。城内にあるクラシックモダンなB&B。ホテルの前が城壁になっていて、大砲も据えられていた。
Number 8 The Townhouse ホテル
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まず、ホテルから歩いて3分ほどの聖コロンバ大聖堂に行った。6世紀にデリーにキリスト教の集落を設立したアルスターの僧侶である聖コルンバに捧げられた教会。1633年に建てられたプロテスタント教会で、1688~89年の包囲にちなんだものが数多く見られる。
聖コロンバ大聖堂 寺院・教会
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聖コロンバ大聖堂の敷地内には、写真のヒーローズ・マウンド・メモリアルと呼ばれる円形の塚の上にオベリスクが立てられた記念碑がある。1689年のデリー包囲戦で13人の見習い少年団が町の城門を閉めた勇気に敬意を表したもの。
聖コロンバ大聖堂 寺院・教会
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大聖堂の中に入ると、ポーチには写真の右下の270ポンドの重さの大きな迫撃砲弾が展示されている。これは1689年の包囲の中で発砲されたもの。
聖コロンバ大聖堂 寺院・教会
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城壁を歩いていると南西の角に写真のダブル・バスティオンがある。1689年の包囲戦で使用された市内で最大の大砲が2門あり、右側の大砲は「咆哮するメグ」として知られている。17世紀のモールの壁と二重の要塞になっており、カトリック居住区のボグサイドを見下ろす最適な場所で、遠くに聖ユージーン大聖堂が見える。
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「壁の上の小さな教会」として親しまれた聖アウグスティヌス教会は546年に聖コルンバによって設立された修道院の跡地に建てられたと考えられている。現在の教会は1872年にネオゴシック様式で砂岩の装飾が施された玄武岩で建てられた。
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教会の中に入ると、見事な木造の天井、美しいステンドグラスの窓がある。内陣には三枚組のステンドグラスの窓があり、上部には良き羊飼いのたとえ、下部には放蕩息子のたとえが描かれている。
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包囲博物館は3階建てで、デリーのユニオニストの歴史を紹介している。デリー包囲戦と見習い少年団などの歴史を常設展示している。
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1階には写真の包囲戦で使用された砲弾やマスケット銃、撃発雷管ピストル、斧、有名なアダムマレーの剣も展示されている。
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「LUNDY THE TRAITOR」のプラカードが付けられた写真の裏切り者ランディの人形が展示されている。デリー包囲戦で知事だったロバート・ランディは街の防衛を十分せずに、市民を裏切ってスコットランドに逃げた。デリーの門が閉ざされた記念日に裏切り者として、この人形が燃やされる。
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2階には写真の見習い少年団のリーダー、ヘンリー・カンプシーの人形がある。包囲戦の初めにジェームズ2世の軍隊に対してヘンリーの要請で城壁の門を閉鎖した。彼らが市の弾薬庫と兵器を確保したが、ヘンリーは重傷を負い、包囲戦で最初に血を流した人物とされている。隣には1689年 の包囲戦中にデリーの共同知事だったジョージ・ウォーカーの像もある。
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写真はl見習い少年団記念館で、デリーの歴史をプロテスタントの視点で眺めている。記念館は、1688年に市の城門を閉めた13人の見習少年団を記念して1877年に完成した。ネオゴシック様式で、スコットランドのバロニアル様式のファサードの建物。
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写真はファースト・デリー長老派教会で、1689年にデリー包囲戦が解除された直後、現在の教会の場所に、新しい長老派集会所が建てられた。メアリー女王はデリーの防衛における長老派教会の犠牲を認めて多額の寄付をして建設を支援した。現在のファースト・デリー長老派教会は1780年に開館し、1690年の初期の教会の跡地にある。コリント式の柱が印象的。
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マガジン門の近くに1992年に開館したタワー・ミュージアムがある。1992年に開館し、2つの常設展示がある。町の歴史を初期の先史時代から現在までを時代順に紹介し、映像やコンピュータを使って町の発展や重要な歴史的事件をカラフルで劇的に紹介している。
タワー ミュージアム 博物館・美術館・ギャラリー
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常設展示は「デリーの物語」と「ラトリニダードヴァランセラ-アルマダ難破船」で構成されている。写真は「デリーの物語」の入口で、トンネルを通って展示室に行く。「デリーの物語」の展示は初期キリスト時代、聖コルンバの修道院集落、英国の征服、入植、17世紀の市の城壁、デリー包囲戦、飢餓と移民、工業都市、世界大戦、最近の紛争となっている。
タワー ミュージアム 博物館・美術館・ギャラリー
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先史・古代のエリアで、写真は聖マルティンズ・クロスで、「ハイクロスは初期アイルランドの修道院の多くの特徴がある。今日、デリーにはクロスは残っていないが、1つ以上のハイクロスがあった可能性が高い」と説明板には記されている。
タワー ミュージアム 博物館・美術館・ギャラリー
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中世では英国の征服、入植、市の17世紀の城壁がテーマ。写真は「地図作成と征服」というタイトルで、頭上にエリザベス1世の肖像画が掲げられ、その下にアイルランドの地図を掲げるイギリスの貴族。1595~1603年のエリザベス1世の時代に地図作成が本格的に始まり、政治的、軍事的に王国をより高度に支配しようとする試みだった。
タワー ミュージアム 博物館・美術館・ギャラリー
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写真はウィリアマイト戦争中の1689年のデリー包囲戦で見習少年団が城門を閉めている場面を再現している。最近の紛争や1969年のボグサイドの戦いと血の日曜日事件まで、デリー市の歴史の中で最も重要な事件のいくつかを紹介している。
タワー ミュージアム 博物館・美術館・ギャラリー
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写真は1824年~46年にアイルランドで実施された最初の陸地測量の様子。イギリスの王立工兵隊によって、アイルランドではかつてない大規模な地図作成の最初のものだった。調査はデリー県のフォイル湖の入口、マジリガン・ストランドで始まった。調査は土地の評価による地方税の徴収と軍事計画の両方の面で英国政府にとって非常に役立った。
タワー ミュージアム 博物館・美術館・ギャラリー
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タワー・ミュージアムの最上部には、市内中心部で唯一の屋外ビューイング施設があり、都心部とフォイル川の素晴らしいパノラマの景色を眺めることができる。
タワー ミュージアム 博物館・美術館・ギャラリー
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もう一つの常設展の「ラトリニダードヴァランセラ-アルマダ難破船」は1588年にドニゴール海岸で沈没したスペインのアルマダで最大の船の1つであるラトリニダードバレンセラの物語。写真は沈没船で発見された大砲だが、テキスタイル、靴、陶器、木製のボウル、ピューター皿、ゴブレット、コインなどが展示されている。
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城壁は1613~19年にプロテスタントの入植者たちによって造られた。3度の包囲戦に耐えてきたので、プロテスタントにとっては町を救った城壁といえる。城壁の全長は約1.6㎞あり、完全な形で保存されている。写真のジップキー門付近には多くの大砲が置かれている。
城壁 史跡・遺跡
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ジップキー門に掲げられたロンドンデリーの紋章。紋章は上部に、赤十字と剣のシティ・オブ・ロンドンの旗が描かれ、十字の真ん中に金色のハープがあしらわれている。その下に頬杖をついたポーズの骸骨が描かれてる。骸骨はデリー包囲戦で犠牲になったプロテスタントを意味している。
城壁 史跡・遺跡
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タワー・ミュージアムのすぐ近くにギルド・ホールがある。1887年に建設された赤い砂岩のネオ・ゴシック様式で、チューダー様式が特徴の建物。1908年の火事と1972年の爆弾テロで被害を受けたが修復されている。2013年にかつての姿に修復された。ビッグベンに似せて設計された巨大な4面時計が特徴的。
ギルドホール 寺院・教会
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メインホールにはパイプオルガンがあり、現在のオルガンは1914年に設置され、ウォルター・パラット卿によって設計され、3,132本のパイプを備えている。
ギルドホール 寺院・教会
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ホール内には23枚の美しいステンドグラスで飾られている。ステンドグラスはデリーの町の物語を語っている。
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ギルド・ホールを出て、フォイル川に行くと235mのピース橋が見える。2011年に完成した市内で最新の橋。東岸のユニオニストの「ウオーターサイド」と西岸のナショナリストの「シティサイド」の関係改善を目的にしている。2つの傾斜した柱で支えられており、2つのコミュニティの集まりを象徴している。
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ギルド・ホールの近くにあるウェアハウス・カフェで昼食。
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本日のスープを注文。地図アプリで検索しても出てこないので、閉店したのだと思われる。
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昼食を済ませて、1960~70年代の公民権運動の中心地フリー・デリーへ。1969年1月にボクサイドのレッキー・ロードとファハン・ストリートの角にある廃屋の切妻壁に、写真の「あなたは今フリー・デリーに入っています」という言葉が走り書きされ、フリー・デリー・コーナーが生まれた。
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デリーのボグサイド地区にあるアパートの建物に、市民権、反セクト主義、「信条ではなく仕事を」や「一人一票」などカトリックに対する差別や公的権利をテーマにした壁画が多く描かれている。写真は英軍に撃たれた男性を抱え、エドワード・デイリー牧師が白いハンカチーフを手に持って、安全な場所に連れて行く姿で、血の日曜日事件の印象的な場面を描いている。
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1972年1月30日、デリーでカトリックのデモ隊とイギリス軍が衝突で、イギリス軍の発砲によって14人が死亡、13名が負傷した血の日曜日事件。写真の血の日曜日事件記念碑は、円形の土台の上に石灰岩のオベリスクが据えられている。死者の名前と年齢を一覧表示し、1974年1月26日に公表した。
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血の日曜日事件記念碑から北に歩いて8分ほどのトラベロッジ・デリーの1階にあるジ・アイス・ワーフで夕食。
Travelodge Derry ホテル
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8オンスのサーロインステーキと赤ワインを注文。
Travelodge Derry ホテル
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デリーの中心部にダイアモンド広場があるが、ここには写真のダイアモンド戦争慰霊碑が建っている。第一次世界大戦中に兵役で命を落としたデリー市民に捧げるために1927年に建てられた。石碑には命を落とした756人の名前が刻まれている。午後9時過ぎにホテルに戻った。
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