2019/11/16 - 2019/11/16
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摂津の国のマーガトロイドさん
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2019年11月16日&17日は関西文化の日。関西地方の博物館の一部が無料で入れるという日。
それならばと朝から奈良、大阪の博物館を巡りついでにダムカードも兼ねて信貴山に行くというとんでもコース。
思ったより写真が多いので3回に分けて書くことにします。
最終回の今回は大阪府に戻って大阪歴史博物館。
大阪府民だからこそなかなか行く事のない地元の歴史博物館。せっかく無料ならということで行ってみることに。
使用した列車は以下の通り。
森ノ宮812→環状線外回り→816鶴橋
鶴橋818→快速急行奈良行→845大和西大寺
大和西大寺849→急行橿原神宮前行→859平端
平端904→普通天理行→910天理
天理1029→急行京都行→1035平端
平端1038→急行橿原神宮前行→1042田原本
西田原本1102→普通新王寺行→1122新王寺
王寺駅1125→奈良交通信貴山門行→1141信貴山
王寺1317→大和路快速大阪方面行→1335天王寺
天王寺1340→環状線内回り→1349森ノ宮
森ノ宮1352→コスモスクエア行→1353谷町四丁目
谷町四丁目1628→コスモスクエア行→1630堺筋本町
堺筋本町1633→普通高槻市行→1636南森町
南森町1639→大日行→1641東梅田
梅田1645→千里中央行→1651新大阪
新大阪1657→天王寺行→1702梅田
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
旅は森ノ宮から…というかこの日の旅のスタート地点である森ノ宮まで戻ってきた。
…近鉄から離れたと思ったらまた近鉄電車w中央線の運用は地下鉄車の方が微妙に多いはずなのだが近鉄車ばかり当たる。 -
谷町四丁目で降りて難波宮跡と…
-
その上に建つ大阪歴史博物館にやってきた。
ちなみに左側の建物はNHK大阪放送局。一応建物自体で言えばまだ「ジャパン大阪馬場町の角」ともいえなくはないw -
関西文化の日で大阪歴史博物館も無料なので早速エレベーターで10Fへ。
まずは難波宮跡が見える南側へ向かう。
阪神高速も地上を走るのは遺跡保護と景観保護の為。
この地上部も特殊な構造で地下には影響が及ばないようにしているとか。 -
そして大阪城方面を望む。こちらは観光客でいっぱいだ。
旧陸軍第四師団総司令部の建物が見える。
今でこそリニューアルされたが長く廃墟の時期が続いた建物である。
というか廃墟になる前はこの大阪歴史博物館の前身である大阪市立博物館の建物だったわけだが… -
森ノ宮検車場になぜか近鉄7000系or7020系が停車していた。
-
ここは奈良かと思うがそうではない。
むしろ奈良時代よりもっと古い。
難波宮の大極殿である。
飛鳥時代(いわゆる前期難波宮)と奈良時代(いわゆる後期難波宮)に一時期だけ大阪に都があったのだ。
これは奈良時代の後期難波宮のもの。 -
ということでこの時代の人々の服装はまさしく宮廷という感じ。
それも平安時代以降の宮廷というよりやはり奈良時代以前のものである。
ちなみに隣に窓が見えるがこの窓もたまに閉まってシアターチックになる。 -
大宮人…なにあれか、浦和レッズが嫌いということか(ry
-
難波宮跡の遺構の解説模型がある。
先程難波宮には前期と後期があると書いたがこの2つの難波宮跡は同じ位置にある。
その為遺跡も重複しているのだ。
特に前期難波宮は掘立式建物の為基礎の木材を埋め込んだ跡が各所に見て取れる。 -
こちらは前期難波宮の復元模型。
なんとなく朝鮮半島や中国の古いスタイルの宮殿のイメージが見えなくもない。 -
後期難波宮になると色使いなどもいかにも宮殿らしくなってくる。
首里城も赤いことを考えるとやはり多大に中国王朝の影響を受けたと考えた方がよさそう? -
後期難波宮は2年弱と短命だったので建物などは基本的に長岡京へと移築された。
長岡京も短命な都だったのだがあれでも一時期は首都だったのである。 -
難波宮の朱雀大路はちょうど上本町駅の東側あたりにあった。
思ったより東に寄っているがそれもそのはず、西側は海である。 -
弥生時代中期から関西各地で集落跡の遺跡も見られるようになる。
北摂よりも河内方面に集中している辺り、古くからの都のあった奈良盆地とのつながりの様子が分かる。
また、現在の太子町周辺にも集中している。 -
エスカレーターで下るがここも眺望は良い。
大阪歴史博物館の隣には…
不 祥 事 の 殿 堂 大 阪 府 警 -
大阪城もきれいに見える。
背景に写る空気の読めない高層ビル群はOBP。 -
まだコロナ戦争前ということもあり、大阪城も観光客でいっぱいだ。
天守閣をズームしてみるとこの通り。 -
鳥飼大橋のアーチが見える。あれはモノレールのアーチ橋だ。
-
HEPの観覧車やOSビルが見えることから明らかだが梅田方面を撮影。
主に梅田の東側だが一応阪急百貨店もわずかに見える。 -
向きとしては千里方面だがこれはどこだ…?阪大か?
-
教育塔の前にも人がいるが…学生かなにかの撮影か?
-
大阪城公園も天気の良い休日を過ごすべくにぎわっている。
これがその1年後にはすべて消え去る。 -
中世の環濠都市の集落はこんな感じ。
これは中世の大都会、堺の一部を再現した模型である。
江戸の長屋らしい感じもするが家々の屋根などに中世らしさを見ることができる。 -
中世の大坂周辺には堺を筆頭に自治都市が多数存在した。
平野や吹田、港町として尼崎や渡辺、兵庫なども挙げられる。 -
これが江戸時代になるとこうなる。
大坂城が現在地に完成し(一度燃えるが…)新田開発が始まる。
特に大正区や港区はほぼ埋立地。
弁天町より海側はずっと新田開発によって姿を現した新田地帯が続く。
石田、田中、市岡、八幡屋など現在にも残る地名があるがこれらは全て開発者に由来した地名である。 -
橋の模型もあり、立体的に八百八橋といわれた大坂の様子が見て取れるようになっている。
-
浮世絵に浦江の聖天が描かれている。
浦江は北区の北西端、現在の大淀町一帯のかつての地名である。
浦江の聖天、野田のフジは古くから地域の名物として親しまれてきた。 -
時代の流れとともに「浦江」の地名も消え、野田の街からフジも姿を消したが、ウイステ野田阪神の名や海老江駅の壁面にその名残を残す。
-
海の上に鳥居のある蔵屋敷、これでどこの藩か薄々わかるかもしれないw
これは広島藩の蔵屋敷。厳島神社のように海上に鳥居があった。 -
大坂の中心地辺りを描いた浮世絵もある。
今と比べて水路も橋も多く、八百八橋といわれた様子がよくわかる。 -
四ツ橋もやはり描かれていた。
江戸から昭和中期に至るまで四ツ橋は大阪のランドマークのひとつとして親しまれていた。 -
四ツ橋にはこのような歌も残されている。
比較対象が長谷寺の廊下というのが面白いw -
だんじりというか神輿も展示されている。
船場であってもこの手の祭りはやはりそれなりにあったということである。
今でも少彦名神社(というより神農さんといった方が通りがよいか)では11月に神農祭が行われている。 -
江戸時代の船場の街が再現されている。
ちょうどここでは1人の商人に焦点を当てて分かりやすく船場の商人の暮らしが解説されていた。 -
江戸時代の大坂の経済の中心地は船場。そして文化の中心地は今も昔もミナミ。
今でこそ大阪の中心地である梅田も江戸時代には墓地と低湿地があるだけのエリア。
角の芝居と書かれているがこれが後に角座となる。
なお現在心斎橋で「角座」と名乗っているものは名称は松竹が引き継いでいるが場所と系譜でいえば江戸時代以来の角座とは異なるといえる。 -
ちょうど歌舞伎役者が登場しているところのようだ。
-
大坂にいかに橋が多かったかはこれでわかる。
赤い橋が幕府管理の公儀橋、白い橋は町人管理の町橋である。こうしてみると公儀橋が多いように見えるが町橋は一部の抜粋だけであるのに対し公儀橋はこの12橋で全部。 -
江戸から明治に時代が移り変わり、大坂が大阪となってもミナミの演芸文化は変わらない。
少し時代は進むがかつては大阪にも歌舞伎があったのである。それが上方歌舞伎である。
かつて難波にあった新歌舞伎座(名前自体は上本町に引き継がれたが)がその名残である。
その歌舞伎座、滅多に歌舞伎をやらない歌舞伎座だったわけだがそうなった理由がこの上方歌舞伎の没落である。 -
なのだが…実はこれがいつの時代かがいまいち判別できない。
ある意味一人で上方歌舞伎を盛り上げ、そして一人で滅ぼした(これは厳密には表現が違う)初代中村鴈治郎はここには名前が登場しない辺り、おそらく明治時代か1935年以降ではないかと思われる。 -
1932年、まさに大大阪時代といわれた頃の大阪市の地図である。
ちなみに大正区に注目してみると、大正内港が存在せず区内中央部を小林運河が横切っているなど地形が今と大きく異なることが分かる。
また、東淀川区と西淀川区が淀川の南側にも存在する(後に東淀川区の淀川以南は大淀区→北区となり西淀川区の淀川以南は福島区などとなる)など色々と違いは大きい。 -
その大正区周辺を鉄道路線図入りの地図で見てみる。
大阪環状線というものはまだ存在せず、関西本線支線の貨物線(環状線の境川信号場からは後に大阪臨港線と呼ばれた区間である)と西成線(後に環状線と桜島線になる)しかなかった。
大阪臨港線に関しては一部の区間を「大阪市内渡船コンプリートレポ(2019/5/2)」で紹介している。 -
一方梅田周辺では阪神北大阪線が現役である。
また、阪急梅田駅がJRより南側にあるのも現在と異なる。 -
吹田駅周辺には北村化学専用線とされる軽便路線がある。
実際はアサヒビールが吹田工場からかつて船便輸送していた神崎川へと向けて敷設した路線である。
1936年頃には廃止され現在は道路となっているが、跨線橋の跡が残されている。 -
展示も大大阪時代にふさわしい力の入ったものである。
博物館の中とは思えない、これは昭和初期の大阪の再現である。
かなり気合が入っていてリアルにも見える。 -
文化住宅、これは千里山の文化住宅を模しているらしい。
この当時から千里山は田園調布と並ぶ文化の香りがする高級住宅地。
まだ千里ニュータウンは田畑と森林の中である。 -
このタイルは懐かしいwリニューアル前の御堂筋線の駅のタイルはだいたいこれだったイメージが強いw
-
ということで地下鉄の駅の模型である。
車両の色がないのが残念だが…
なお、大阪市営地下鉄の歴史などに関してはこの日の旅行記の最初に詳しく記載している。 -
ちなみにこの地下鉄の模型はこのように上の階から見下ろすこともできる。
大大阪時代を取り扱っているだけあり規模も大きい。 -
これはどこの駅かというと…
-
阪神出入橋駅である。
四ツ橋筋の西端に駅があったので今よりもさらに遠い場所にあった。
その後地下で現在の梅田駅に延伸するが、長い間この出入橋辺りが地上と地下の境界だった。
現在のように野田の手前まで地下線となったのは1993年のことである。
最後は映像ライブラリーを見て行く。ここには大阪市交通局が制作した映像がいくつか残っている。天理参考館で上映されていた「大大阪観光」も普段はここで見ることができる。
旅先の歴史博物館に行くことはあっても、大阪府民だからこそ普段なかなか地元のこの手の施設へ行くことは無い。
そういう点では非常に有意義な企画だったといえる。 -
大阪歴史博物館の隣はNHK大阪放送局。
ということでNHK朝の連続テレビ小説レミリア…ではなくフランドール…でもなくスカーレットの宣伝がされていた。 -
ということでここからは地下鉄に乗り込む…
-
…谷四から乗った中央線を堺筋本町で降りるw
時間調整もあり堺筋線と谷町線を乗り継ぎつつ東梅田へ。
なら谷四で最初から谷町線に乗っていればというツッコミは受けないw -
梅田の地下に巨大カラーバー…
ではなくアーチ部分の半分を使った看板の試験である。 -
友人が遅れるとのことで定期もあることだしと新大阪へ向かう。
新大阪駅と西中島南方駅はほぼ直線の為、こうして西中島南方駅に停車中の電車も撮れる。 -
30000系もすっかり主力となっている。
むしろ今となっては10系の方が多少珍しいかもしれない。 -
再び梅田に移動して市バスの新塗装を眺めて友人と合流。
また御堂筋線に乗るw -
江坂に移動して焼肉。
こうして満腹で帰宅し今回の充実した休日旅は終わり。
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