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平成9年に市制60周年事業の一環として、温泉の歴史を築いてきた「熱海七湯」(大湯間歇泉、佐治郎の湯・目の湯、河原湯、清左衛門の湯、風呂の湯・水の湯、小沢(こさわ)の湯、野中の湯)の再整備を行うことで、湯けむりを立ち上がらせ、情緒豊かな当時の熱海温泉の再現を図りました。<br />熱海七湯は熱海の名湯として知られ、大正年代にはまだ残っていました。<br />よって、熱海七湯は当時の温泉施設を復元したモニュメントで、自然湧出時代の痕跡はとどめていません。<br />熱海七湯は熱海の温泉情緒を演出するためのモニュメントであり、足湯、手湯、入浴施設ではありません。<br /><br />

熱海七湯

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2021/05/04 - 2021/05/04

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アルプ・グリュム

アルプ・グリュムさん

平成9年に市制60周年事業の一環として、温泉の歴史を築いてきた「熱海七湯」(大湯間歇泉、佐治郎の湯・目の湯、河原湯、清左衛門の湯、風呂の湯・水の湯、小沢(こさわ)の湯、野中の湯)の再整備を行うことで、湯けむりを立ち上がらせ、情緒豊かな当時の熱海温泉の再現を図りました。
熱海七湯は熱海の名湯として知られ、大正年代にはまだ残っていました。
よって、熱海七湯は当時の温泉施設を復元したモニュメントで、自然湧出時代の痕跡はとどめていません。
熱海七湯は熱海の温泉情緒を演出するためのモニュメントであり、足湯、手湯、入浴施設ではありません。

同行者
一人旅
旅行の手配内容
個別手配
  • 熱海駅<br />2015年(平成27年)に改築され、同時に駅前広場も整備され多くの観光客が訪れるようになりました。<br />余談ですが駅舎はJR東日本の所有で東海道線の在来線の駅員はJR東日本だけで新幹線の駅員はJR東海です。

    熱海駅
    2015年(平成27年)に改築され、同時に駅前広場も整備され多くの観光客が訪れるようになりました。
    余談ですが駅舎はJR東日本の所有で東海道線の在来線の駅員はJR東日本だけで新幹線の駅員はJR東海です。

    熱海駅

  • 熱海七湯ではありませんが駅前の足湯「家康の湯」も駅前の整備時に改装されました。

    熱海七湯ではありませんが駅前の足湯「家康の湯」も駅前の整備時に改装されました。

    家康の湯 温泉

  • 熱海七湯の最初は「野中の湯」<br />場所は中銀ライフケア咲見の駐車場の奥にあります。

    熱海七湯の最初は「野中の湯」
    場所は中銀ライフケア咲見の駐車場の奥にあります。

    野中の湯 温泉

  • 野中の湯は私有地の中にあり立ち入り禁止場所にあるのです。<br />よって無断で侵入すると犯罪行為と見做されます。<br />

    野中の湯は私有地の中にあり立ち入り禁止場所にあるのです。
    よって無断で侵入すると犯罪行為と見做されます。

  • 「野中の湯」<br />辺り一帯では、泥の中に湯がブクブク噴いて、杖で突くと湧き出したといわれています。<br />

    「野中の湯」
    辺り一帯では、泥の中に湯がブクブク噴いて、杖で突くと湧き出したといわれています。

  • 熱海七湯の地図と案内板と「野中の湯」の案内板<br />湧き出るところが浅かったので、あまり入浴には利用されなかったようで、そのため、湯をためる湯桝を設けなかったといわれています。

    熱海七湯の地図と案内板と「野中の湯」の案内板
    湧き出るところが浅かったので、あまり入浴には利用されなかったようで、そのため、湯をためる湯桝を設けなかったといわれています。

  • 大湯間歇泉の手前には延命堂があり店の一角には延命の湯があります。<br />延命堂は熱海の温泉饅頭では味も定評があり、歴史もある老舗です。<br /><br />熱海では七湯以外にもお湯が見られる箇所がいくつかあるので次回編集します。<br />

    大湯間歇泉の手前には延命堂があり店の一角には延命の湯があります。
    延命堂は熱海の温泉饅頭では味も定評があり、歴史もある老舗です。

    熱海では七湯以外にもお湯が見られる箇所がいくつかあるので次回編集します。

    延命堂 本店 グルメ・レストラン

  • ここは延命堂の「延命の湯」

    ここは延命堂の「延命の湯」

  • 延命堂の店の一角には延命の湯があり鳥居まであるので神聖な気持ちになります。<br />

    延命堂の店の一角には延命の湯があり鳥居まであるので神聖な気持ちになります。

  • 次の熱海七湯は「大湯間歇泉」<br />人工的に湯を噴出させる仕組みになっているはずですが噴気孔は乾いていて、4分に1回ほどのペースで激しく湯が噴出する光景は見られませんでした。

    次の熱海七湯は「大湯間歇泉」
    人工的に湯を噴出させる仕組みになっているはずですが噴気孔は乾いていて、4分に1回ほどのペースで激しく湯が噴出する光景は見られませんでした。

    大湯間歇泉 名所・史跡

  • 古来からの間歇泉で世界的にも有名な自噴泉。昼夜6回激しい勢いで噴出するため、地面が揺れるようであったと言われていました。途中何度か止まってしまい昭和37年に整備され、市の文化財として保存されています。<br />現在は人工により4分ごとに3分間噴湯させて、昔の面影をしのばせています。

    古来からの間歇泉で世界的にも有名な自噴泉。昼夜6回激しい勢いで噴出するため、地面が揺れるようであったと言われていました。途中何度か止まってしまい昭和37年に整備され、市の文化財として保存されています。
    現在は人工により4分ごとに3分間噴湯させて、昔の面影をしのばせています。

  • 「大湯間歇泉」の周囲には幾つかの碑が見られます。<br />これは市外電話創始の地には六角形の白い公衆電話ボックスが。<br />

    「大湯間歇泉」の周囲には幾つかの碑が見られます。
    これは市外電話創始の地には六角形の白い公衆電話ボックスが。

    市外電話創始の地 名所・史跡

  • 市外電話創始の地の碑<br />

    市外電話創始の地の碑

  • 市外電話創始の地<br />明治22年(1889年)1月1日 この場所にあった内務省の噏滊館(きゅうきかん)と東京木挽町の東京電信局との間にわが国で初めて公衆用の市外通話が行われました。<br />これはアメリカのアレクサンダー・グラハム・ベルが電話機を発明してから13年後のことであります。 昭和37年8月 日本電信電話公社<br /><br />明治22年(1889年)1月1日 この場所にあった内務省の噏滊館(きゅうきかん)と東京木挽町の東京電信局との間にわが国で初めて公衆用の市外通話が行われました。<br />これはアメリカのアレクサンダー・グラハム・ベルが電話機を発明してから13年後のことであります。 昭和37年8月 日本電信電話公社<br />

    市外電話創始の地
    明治22年(1889年)1月1日 この場所にあった内務省の噏滊館(きゅうきかん)と東京木挽町の東京電信局との間にわが国で初めて公衆用の市外通話が行われました。
    これはアメリカのアレクサンダー・グラハム・ベルが電話機を発明してから13年後のことであります。 昭和37年8月 日本電信電話公社

    明治22年(1889年)1月1日 この場所にあった内務省の噏滊館(きゅうきかん)と東京木挽町の東京電信局との間にわが国で初めて公衆用の市外通話が行われました。
    これはアメリカのアレクサンダー・グラハム・ベルが電話機を発明してから13年後のことであります。 昭和37年8月 日本電信電話公社

  • これはオールコック滞在記念碑と愛犬トピーの墓碑<br /><br />4トラの地図の場所が全く違います。<br />地図の場所違いは日本、世界各国にゴマンと見受けられるのでガイドブックとしては使えません。<br />

    これはオールコック滞在記念碑と愛犬トピーの墓碑

    4トラの地図の場所が全く違います。
    地図の場所違いは日本、世界各国にゴマンと見受けられるのでガイドブックとしては使えません。

    オールコックの愛犬トビーの墓 名所・史跡

  • オールコック滞在記念碑と愛犬トピーの墓碑

    オールコック滞在記念碑と愛犬トピーの墓碑

  • 大湯間歇泉と噏滊館(きゅうきかん)の案内板<br />

    大湯間歇泉と噏滊館(きゅうきかん)の案内板

  • 熱海七湯の地図と案内板と「大湯間歇泉」の案内板<br />古代から間歇泉で世界でも有名な自噴泉でありました。<br />大湯の噴出は、湯と蒸気を交互に激しい勢いで噴出し、地面が揺れるようであったといいます。大正時代初期までは、一定のリズムで規則正しく多量の熱湯を吹き上げる自噴泉でしたが、関東大震災(大正12年)後、噴出が衰え、昭和37年に人工的に噴出する間欠泉として再整備され、市の文化財として保存し現在に至っています。<br />

    熱海七湯の地図と案内板と「大湯間歇泉」の案内板
    古代から間歇泉で世界でも有名な自噴泉でありました。
    大湯の噴出は、湯と蒸気を交互に激しい勢いで噴出し、地面が揺れるようであったといいます。大正時代初期までは、一定のリズムで規則正しく多量の熱湯を吹き上げる自噴泉でしたが、関東大震災(大正12年)後、噴出が衰え、昭和37年に人工的に噴出する間欠泉として再整備され、市の文化財として保存し現在に至っています。

  • 次は「小沢の湯・平左衛門の湯」<br />ここでは温泉卵を茹でることが出来ます。

    次は「小沢の湯・平左衛門の湯」
    ここでは温泉卵を茹でることが出来ます。

    小沢の湯 (平左衛門の湯) 名所・史跡

  • 熱海七湯の地図と案内板と「小沢の湯・平左衛門の湯」の案内板<br />沢口弥左衛門、藤井文次郎、米倉三左衛門の庭の湯を『平左衛門の湯』と呼んでいましたが、土地の人は小沢町にあったので『小沢の湯』とも呼んでいました。『清左衛門の湯』と同様、人が大きな声で呼べば大いに湧き、小さな声で呼べば小さく湧き出たと言われています。

    熱海七湯の地図と案内板と「小沢の湯・平左衛門の湯」の案内板
    沢口弥左衛門、藤井文次郎、米倉三左衛門の庭の湯を『平左衛門の湯』と呼んでいましたが、土地の人は小沢町にあったので『小沢の湯』とも呼んでいました。『清左衛門の湯』と同様、人が大きな声で呼べば大いに湧き、小さな声で呼べば小さく湧き出たと言われています。

  • 次は「清左衛門の湯」<br />1806年創業の老舗旅館「古屋旅館」の前に湧く温泉です。

    次は「清左衛門の湯」
    1806年創業の老舗旅館「古屋旅館」の前に湧く温泉です。

    清左衛門の湯 温泉

  • 熱海七湯の地図と案内板と「清左衛門の湯」の案内板<br />昔、農民の清左衛門という者が馬を走らせて、この湯壷に落ちて焼け死んだので、その名が付いたと言われています。明治までは、昼夜常に湧き出て絶えることがありませんでした。人が「清左衛門ぬるし」と大きな声で呼べば大いに湧き、小さな声で呼べば小さく湧き出たといわれています。

    熱海七湯の地図と案内板と「清左衛門の湯」の案内板
    昔、農民の清左衛門という者が馬を走らせて、この湯壷に落ちて焼け死んだので、その名が付いたと言われています。明治までは、昼夜常に湧き出て絶えることがありませんでした。人が「清左衛門ぬるし」と大きな声で呼べば大いに湧き、小さな声で呼べば小さく湧き出たといわれています。

  • 清左衛門の湯には温泉コアが展示されてあります。

    清左衛門の湯には温泉コアが展示されてあります。

  • 清左衛門の湯の温泉コア<br />掘削した円柱形のコアは地下200m~300mから出土したものです。

    清左衛門の湯の温泉コア
    掘削した円柱形のコアは地下200m~300mから出土したものです。

  • 次は「水の湯・風呂の湯」<br />福島旅館の横にあります。

    次は「水の湯・風呂の湯」
    福島旅館の横にあります。

    風呂の湯 水の湯 温泉

  • 熱海七湯の地図と案内板と「水の湯・風呂の湯」の案内板<br />昔の坂町高砂屋(大木円蔵)の庭から湧き出ていました。今の福島屋旅館の西側です。この湯は外傷に良いといわれ、また、湯気の噴き出しが盛んで饅頭を蒸したり、酒を温めたりして販売をしていました。『風呂の湯』の1.5メートルほど東のところに塩分のない温泉も湧き出ていました。

    熱海七湯の地図と案内板と「水の湯・風呂の湯」の案内板
    昔の坂町高砂屋(大木円蔵)の庭から湧き出ていました。今の福島屋旅館の西側です。この湯は外傷に良いといわれ、また、湯気の噴き出しが盛んで饅頭を蒸したり、酒を温めたりして販売をしていました。『風呂の湯』の1.5メートルほど東のところに塩分のない温泉も湧き出ていました。

  • 水の湯・風呂の湯<br />隣同士に成分の違う温泉が存在するのです。

    水の湯・風呂の湯
    隣同士に成分の違う温泉が存在するのです。

  • 場所は熱海銀座へ<br />10年程前はシャッターが閉じられている店が多かったのですが現在では立ち直っています。

    場所は熱海銀座へ
    10年程前はシャッターが閉じられている店が多かったのですが現在では立ち直っています。

  • 熱海銀座商店街で目立つ店舗は羊羹屋の老舗の「ときわぎ」です。<br />歴史ある羊羹店で建物は戦後に京都から宮大工を呼んで建てられたそうです。

    熱海銀座商店街で目立つ店舗は羊羹屋の老舗の「ときわぎ」です。
    歴史ある羊羹店で建物は戦後に京都から宮大工を呼んで建てられたそうです。

    ときわぎ グルメ・レストラン

  • その熱海銀座沿いには「佐治郎の湯・目の湯」

    その熱海銀座沿いには「佐治郎の湯・目の湯」

    佐治郎の湯 (目の湯) 温泉

  • 佐治郎の湯・目の湯

    佐治郎の湯・目の湯

  • 熱海七湯の地図と「佐治郎の湯・目の湯」の案内板<br />かつて佐治郎という人物の邸宅内にあったことからこの名が付きましたが、明治時代には「新かど旅館」という旅館が所有していたため、「新かどの湯」とも呼ばれていました。<br />また、眼病に対する効能があると言われていたため、別名「目の湯」としても親しまれてきました。

    熱海七湯の地図と「佐治郎の湯・目の湯」の案内板
    かつて佐治郎という人物の邸宅内にあったことからこの名が付きましたが、明治時代には「新かど旅館」という旅館が所有していたため、「新かどの湯」とも呼ばれていました。
    また、眼病に対する効能があると言われていたため、別名「目の湯」としても親しまれてきました。

  • 最後は国道135号(上り車線)沿いにある「河原湯」

    最後は国道135号(上り車線)沿いにある「河原湯」

  • 「河原湯」

    「河原湯」

    河原湯 温泉

  • 熱海七湯の地図と「河原湯」の案内板<br />古くはこの一帯、東浜と呼ばれた河原で、村人たちが自由に入浴できる唯一の入浴場として愛されていました。浴室の屋根が「瓦葺き」だったことから、「瓦湯」と称したともいわれています。

    熱海七湯の地図と「河原湯」の案内板
    古くはこの一帯、東浜と呼ばれた河原で、村人たちが自由に入浴できる唯一の入浴場として愛されていました。浴室の屋根が「瓦葺き」だったことから、「瓦湯」と称したともいわれています。

  • 「河原湯」<br />水面がわずかに見えますが湯気は見られずゴミが浮いていました。

    「河原湯」
    水面がわずかに見えますが湯気は見られずゴミが浮いていました。

  • 熱海七湯めぐりの後は二宮駅へ向かい帰途に。<br />この二宮駅は東海道線沿いに在りながら東海道線の電車は通過してしまうので要注意で、停車するのは伊東線の電車となります。<br />静岡方面に向かう場合は一度熱海駅まで戻り、東海道線に乗り換える必要があります。

    熱海七湯めぐりの後は二宮駅へ向かい帰途に。
    この二宮駅は東海道線沿いに在りながら東海道線の電車は通過してしまうので要注意で、停車するのは伊東線の電車となります。
    静岡方面に向かう場合は一度熱海駅まで戻り、東海道線に乗り換える必要があります。

    来宮駅

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